珠瀬鎮守府
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響ノ章
深海棲鬼
前書き
響の目線に戻り、引き続き姫の話がメインになります
「提督、これを後四刻で姫が使う部屋にするの?」
その日の夕方、夕食を前に提督執務室に呼び出された私は、中に居た提督及び他数名の艦娘達と共に、その対面の部屋の前に移動していた。私は中を覗いた事はなかったが、今日初めて見た中はごった返す程物はないのだが、全体が埃を被っていた。
「その通りだ響。啖呵を切ったのは私だが、如何せん時間は待ってくれなくてな。それでいて人員も少ない。姫に手伝わせるのは癪だし、言った手前無理だしな」
つまり、ここにいる私、蒼龍、飛龍、白木提督の四人でここを片付けないといけない。何故私もいるかというと、姫の回収を知っていたので私も手伝わされる羽目となったからだ。ここにいない者で姫が此処に居ることを知っているのは、第四艦隊の残り四人、鳳翔さん、最上、未だ顔を合わせていない木曾、警備隊隊長で、第四艦隊の残りは姫の監視と給仕。鳳翔さんも給仕。警備隊隊長も恐らく給仕。最上は家具や備品をかき集めていて、木曾は入院中。
更についでといえば、蒼龍と飛龍とは初めて言葉を交わした。私達は掃除を始める前に簡単に自己紹介と挨拶を交わしてから掃除を始めた。
私達は室内の掃除をしながら、時折言葉を交わす。
「なんでまた一番危ない部屋を提督の一番近くにしたんですか」
「姫と下見をしてな、この場所と言ったんだ。眺めが良くて、山が見えるのが良いと。海を向いた執務室とは逆のこの部屋が最適だったんだろう。それに、私としても好都合だ。下手に人が入ってきやすい下の階よりも私の部屋の側なら呼び出しでもしない限り艦娘も来ない」
「それにしたって、本気で何か考えたら提督に危害を加えられる距離ですよ」
「軍刀渡して座り込んだが何もしなかったからな。大丈夫だろう。其れに、そんな事をすれば殺されるか、本部にばれた場合は実験体になるしかない」
私は埃を払う動作を止めた。
「軍刀を渡した?」
「白木提督、鯉口切った軍刀渡して金打したのよ。あの時、姫に心得があってその気だったら切られてたわよ」
飛龍の言葉に唖然とするが、提督は何でもないように作業を続ける。
「響、手が止まってるぞ。あと、あの姫ずぶの素人ではないな、刀剣の類を握ったことがあると見える」
提督に注意され、私も手を動かす。
「危険極まりないですね」
「柏木も、危険な橋を幾つも渡ってきた。そうして最期に渡った橋の先に居たのが奴だ。生半可な気持ちでは、眼前に立つことすら柏木にも姫にも申し訳ない」
結局、私達はそれ以上提督に文句を言うことはできず、当り障りのない話題で部屋づくりを続けた。
夕食は以前の食堂関係者だけでなく艦娘も手伝っての炊き出しとなっていた。私は渡された夕食を手に持って適当にぶらついて、暫く歩いた後適当な段差に座って夕食を摂リ始めた。
「隣、いいかしら」
夕食を摂っている艦娘たちの輪から離れた私の元へ近づいてきて、不知火はそう言った。私は頷き空を見上げた。
「木曾、無事だったわ。顔を合わせてきたわ」
「そう。私もついさっき、顔を合わせてきた」
姫の部屋づくりが一段落し夕食を摂る事になった際、私は提督に連れられて木曾に会いに行った。木曾は私も居た軍属病院の中の個室に入院しており、まだ退院には時間がかかるそうだった。
「元気そうだったわ。退院までは絶対安静らしいけど、彼女にはそれくらいで丁度いいわ」
不知火の言うとおり、木曾は元気そうだった。完治するまで無理は全くできない体となって暇そうではあったが。
そのまま、無言のままお互い食事を進める。食べ終える頃には夕日は沈み、夜の帳が降りてきていた。
「私は天幕に戻るけど、貴方は?」
「私は、また用事がある」
最上が調達してきた備品を部屋に運び入れなければならない。
「そ、じゃ、食器片付けておくわ」
「ありがとう、それじゃ」
不知火と別れて、姫の新しい部屋へと向かう。そうして扉の前に立った時、私は中から声を聞いた。
「コレデ寝ルノカ?」
「うぅむ、文化の違いか。かと言って水槽と岩を用意するにも……」
私は一瞬躊躇して、扉を開けた。中では提督と姫、そして警備隊隊長が居た。警備隊隊長は佩用しており、そして男二人、難しい顔をしていた。どうやら夕食をとりに行った中で、私が初めに帰ってきたようだ。
「なんで姫がもう此処に?」
「姫に進捗状況を伝えたら、折角だし自分も手伝いながら見てみたいと言ったのでな、連れてきたはいいんだが布団で寝たことがなかったり、服をどうしたものかと悩んでいる。生憎今は男二人しかいないのでな、完全にお手上げの状態だ」
艦娘が居ないため、警備隊の彼は佩用しているのか。
それにしても、深海棲鬼とはいえ姫もその名の通り女型なのだ。確かに男しか居ない状況であるなら困ることも有るだろう。改めて姫を見る。体格が一番近いのは……伊勢達だろうか。だが姫のほうが少し大きそうだ。
「幾らか、新調したほうがいいものもあるんじゃないかな」
「それは後に来るだろう女性陣に任せる。しかし、寝床をどうしたものか」
「郷ニ入レバ郷ニ従ウ。慣レテ見セヨウ。コレノ上ニ寝ルノダロウ?」
「そうだが……というかお前は何処まで必要なんだ、食事は日に三度必要か」
「日ニ二度クレレバイイ。大概ノモノハ食ベラレル、ト思ウ。其レニ昨日マデノ食事ハ多スギダ」
「毎度残すからな、そんな具合だと思った。代謝が低いのか」
提督と姫の会話を聞きながら、私は部屋を見渡す。間取りとしては執務室に近い。窓からは今や夜の帳の降りた山が見える。
「提督、只今戻りまし……た。何故姫が此処に」
私と似たような反応をしながら、蒼龍達は戻ってきた。
「姫が手伝いたいとさ」
私の時と比べて大分簡略化した返答を返した提督は、警備隊隊長に目配せした。
「我々は姫の食事を取ってくる。その間、今後姫に必要な物全てと生活の注意点や要望を姫と話し合って決めてくれ」
要は男が居ない間に女同士で話合えということだ。
「分かりました」
蒼龍達が見送って、提督達は部屋を離れた。
「へぇ、体温が低いのね。食事も日に二度で良い理由だ」
提督たちが居なくなった部屋で、姫と話し合いを進める。深海棲鬼なれど、本当に只の人のようだった。というか、相違点のほうが少ない気がする。
蒼龍の言葉に、姫は言葉を返す。
「ソノ御蔭デ、面倒事モ少ナイノダロウ。オ前タチノ話ヲ聞イテ随分ト不便ダト思ッタ」
「そうかもね」とだけ返して、蒼龍は姫の体の大きさを確かめていく。彼女の服を選ぶ為だ。ついでに下着の類やその他諸々も新調、というか買わなくてはいけない。どこからこのお金は出てくるのだろうか。多分というか、確実に白木提督の懐の中だろう。
「お風呂ってどうしようか」
「風呂?」
「体を綺麗にしないと……というか、貴方此処に来てからお風呂に入ったことないの?」
「アノ部屋カラ出サレタノハ数度ノミ。思エバアノ時カラ容易ニ部屋カラ出ラレタ」
姫の言葉に、私達は暫し黙った。確かに危害を加えるつもりはないだろうが、それでも姫をあの部屋から出すとは、隊長や伊勢達はどうしたのだろうか。
「……この鎮守府の警備って概念に疑問を抱いて来たわ」
「厠ハ何処ダト尋ネタ時ニ慌テフタメク隊長トヤラハ見モノダッタゾ」
全員が黙する。あの男はさぞ扱いに困っていた事だろう。かと言って頼れるのは当時艦娘の中では伊勢と日向しかいなかったとか。二人が居ない時には姫が部屋の中から何か言わない事を終ぞ願っていたに違いない。
「と、兎に角、代謝が低いとは言ってもずっとそのままってのは駄目だから、お風呂には入ってもらうよ。できれば毎日」
「海ニ行ッテ泳ゲバ良イノダガ」
「塩が残るじゃない。それに、流石に海に連れて行くのは提督が許さないんじゃないかな」
「ソウダロウナ。致シ方ナイ。風呂ニモ毎日入ロウ」
やっと話が一段落したところで、部屋の扉が叩かれた。全員が緊張するが、外から聞こえたのは提督の声だった。
「白木だ。夜食を持ってきた。両手が塞がっているから誰かに開けてもらいたい」
私は部屋の入口に向かい、扉を開ける。外では両手に夕食を持った白木提督一人だった。
「ありがとう響。姫、夕食を持ってきたぞ」
「忝(かたじけ)ナイ。モウ一ツハ誰ノダ?」
「私のだ。未だ夕食はとっていなかったからな。私は執務室に居る。そちらの話し合いが終わったら誰か私を呼びに来い。残りの家具と備品を運ぶのを手伝おう」
「折角だ、此処で食べれば良かろう」
姫に誘われた提督は、私達を見た。どうするべきか聞きたいのだろうが、そんなのこっちだって聞きたい。
「分かった。運び入れた椅子は一つだから、私は立って食べよう」
「招イタノハ此方ヨ。お前ガ座レバ良カロウ」
「年長者が楽な立場に居るのも可笑しな話だ。座っておけ」
「年長者ヲ立タセテオケルカ」
「年下を立たせておけるか」
変なところに譲れぬ何かがあるのか、二人は言い合う。と言うか、姫はお風呂や布団の知識はないのにそんな事は知っているのか。しかも、見た目通り、提督より年下なのか。私は姫のことがよく分からなくなってきた。
そして両者ともに口を閉ざした時、また扉が開けられた。警備隊の隊長さんだった。今回は佩用していない。隊長は夕食を手に立ったままの二人を見て、不思議そうな顔をした。
「どうしたのですか」
「こいつが座らなくてな」
「ソウダ。座ッテクレ提督。私ハお願イシテイルゾ」
「お前……」
それだけ言って、堪忍したのか提督は椅子に座った。なんでも言うことを聞くと取り決めをしたからか、文句は言わなかった。
「姫よ、私はお前の事が良く分からなくなってきたぞ。布団や風呂の事は知らんのにこういう事は知っているのか」
その言葉に、姫は黙した。それは只ならぬ雰囲気で、尋ねた提督自身が食事を止める程だった。
「ソレハ、私モ知ラヌ。ダガ、私ハコウ考エテイル。提督ヨ、人格トハ何ダ」
「人間の心理的特性」
「私ハ人トハ違ウヤモ知レヌ。オ前タチガ言ウヨウニ鬼ナノカモナ。ダガ、今コノ話シテイル私トイウモノヲ人格ト、此処デハ呼バセテモラオウ。人格ヲ形成スルノハ、何ダ」
それは、物質的な物ではない。
「時間……記憶か?」
「私モソウ考エル。重ネタ時間、得タ経験ガ人格ヲ形成スル。デハ……海デ生マレタダケノ私ガ何故戦闘ニ必要ナコトヲ知ッテイル。何故言語ヲ持ッテオ前タチト話セル」
「もしや、お前は」
提督は驚愕の顔を浮かべる。だが、それを見て、姫は頭を振った。
「否……記憶ハナイ。人格ト呼ベルモノシカソノ身ニ残ラナイノダロウ。正シク抜ケ殻……記憶喪失トイウモノニ近イノダロウナ」
「では何故お前達は戦う」
「提督ヨ、生キテイルトハ何ダ」
その質問の意味を理解できたものは、この部屋には居なかった。
「生命活動ヲ存続シテイル、脳ガ活動ヲ続ケテイル、ソンナ言イ方モデキルガ種トシテ生キテイルトハ、繁栄ヲ意味シテイルノデハナイカ」
その告白は、何と深い意味を持つものか。
「繁栄の為に戦い、残った人格故に生を望むというのか」
「ちょ、ちょっと待って提督、何の話をしているの?」
話に入ってきたのは飛龍だった。
「……お前たちは知らないのか。失念していた」
「知ランノカ、コイツラハ」
話を聞いていた私は、提督の驚きも、姫の考えも理解できる。私が知っていて、彼女達が、一般の艦娘が知らないこと、それは。
「極秘事項だ。お前たちは退出しろ」
「提督!」
「退出しろ」
「蒼龍、飛龍、隊長……それを尋ねる覚悟はあるの?」
私は尋ねる。その、本当に単純な現実を知る覚悟は有るか。確かに前線では噂になっていることが多い。だが、少なからずこの港で過ごしてきた一年間、それを本当に信じている者はいなかった。
「話シテヤレ、提督ヨ。ソレトモ、奴ラハ知ッテ立チ止マルヨウナ部下ナノカ?」
姫からの言葉で、提督は観念してその簡単な事実を告げた。
「深海棲鬼、それは嘗ての艦娘だ。轟沈した艦娘が凡そ一年後に、大概の場合同じ艦種の深海棲鬼として現れる」
告げられた事実に、蒼龍達は言葉を発することを暫し忘れた。
「じゃあ……私達が殺してきたのって、艦娘なの?」
「轟沈、つまり死亡してから深海棲鬼になるまで一年後だ。海で一年も経てば肉体は残らん。それは既に別のものだ。ただ、姫の言うとおり、何か一部はそのまま残っているのかも知れないが」
三人が言葉を失う。あの日、皆戦った。隊長にいたってはその手で殺した。それが……その手で殺したものが、いつかの艦娘だとしたら。
何故戦い、何故殺しているのかわからなくなる人も、いるだろう。
無言で満たされた場を破ったのは、隊長だった。
「お前たちは」
「……続キヲ言エ隊長ヨ」
言い淀んだ隊長に、姫が続きを促す。
「先日の戦闘で、私は重巡洋艦と近接戦闘を行った。鹵獲という言葉も浮かんだが、その……戦闘中に付けた刺傷がかなり深かったこともあり、殆ど介錯に近い事を行ったのだが、今際の際、重巡洋艦は確かに私に死にたくない、そう言った。あれを言った人格は……艦娘の物だったのか」
それは、何と残酷な事だろう。他の艦娘を守るために、生を懇願する一度死んだ艦娘を、その手で殺したのだ。一度も死んだことのない艦娘の為、彼は二度目の死を嘗ての艦娘の人格に与えた。
「恐ラクハナ」
何て意味のない。互いに痛みを感じ合って、互いに死にたくないと涙し、生にしがみつくために藻掻いた結果が、この終わらぬ殺し合いか。
「ダガ、終ワラセル事ナド我々ニハ不可能ダ。繁栄、ソレハ生物ノ根本的思考。痛ミ故ニ互イニ矛ヲ収メヨウトモ、絶エル種トシテノ本能ガ戦闘ヲ再開サセルダロウ。コノ戦争ハ、オ前タチガ私達ヲ絶滅サセルマデ終ワラヌ」
「では何故お前は戦線復帰を望まぬ」
「私ハ目先ノ生ヲ優先スル。ソレニ、私ハコノ戦争ニハ疑問ヲ抱キ色々ト調ベテイタ。途中デ気ヅイタノダ。コノ戦争ノ無意味サヲ。ソシテ、何ヨリモモウ、戦争ニハ疲レタ」
この姫がいつ、深海棲鬼となったのかはわからない。だが、きっと今まで幾度も戦ってきたのだろう。本人は繁栄に積極的ではなかったようだし、きっと、死なないためにずっと戦い続けた。得るものは、何だったのだろうか。きっと、次の戦闘までの束の間の休息に過ぎない。それを、先日まで続けてきたのだろう。
「私ガ当タリ前ノヨウニ語ッタ事ノ殆ドヲ、他ノ者達ハ知ラヌ。私クライシカ捕虜トナッテモ抵抗ヲ止メルモノハ居ない」
「お前は、ここにいる間は死ぬことは考えなくていい。そら、飯を食え。生きるために」
そう言って、提督は夜食をかきこんだ。きっと、彼なりの優しさだ。十秒もかからずに自身の分を平らげると、姫に自身が座っていた席を指差し、提督は急ぎ足で部屋を出て行った。
姫が夜食を取る中、私達は隊長と共に残った家具の配置などを済ませ、二十一時を回る前にはその作業を終えた。
ついでに、その後蒼龍飛龍と共に天幕へ戻る際提督に会ったので何故足早に去ったか尋ねた。私達三人は、書き込んだ夕食が喉に支えて大変な状況だったと真顔で答える提督の前で笑いを堪えることに酷く難儀する羽目となった。
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