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黒魔術師松本沙耶香 客船篇

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30部分:第三十章


第三十章

「そうとしか言いようがないわね」
「今警察を呼びました」
 対応は早かった。
「痴漢の現行犯で今から」
「それで終わりなのね」
「はい。更衣室からここまで逃げてきましたが」
「けれど終わりね。所詮は」
「所詮は?」
「下劣な人間の末路は下劣なものよ」
 冷たい言葉であった。そこにはそれ以外に見られるものは皆無であった。
「結局のところはね」
「そうですか」
「そうよ。それにしても」
 ここで沙耶香は言葉を代えた。既に鶏声は下半身丸出しのまま私服や制服の警官達に手錠をかけられている。翌日には破廉恥犯として新聞やテレビでのトップスターとなることは間違いなかった。とりわけネットではだ。これまで上から目線で言って貶めていた人間が言われて貶められる立場になるのである。まさに因果応報である。
 沙耶香はその下劣漢から目を離しだ。そのうえでウェイトレスに話すのだった。
「オーケストラだけれど」
「如何でしょうか」
「いいわ」
 今度の声は満足したものが入っていた。
「満足できるものだわ」
「左様ですか」
「全体にレベルが高いわね」
 聴きながらの言葉だ。目は真剣なものであった。
「指揮に至るまで」
「世界的に有名な指揮者を呼んでいますので」
「フルトヴェングラーの流れね」
 沙耶香はこの名前も出した。二十世紀中期のドイツを代表する指揮者でありベートーベンやワーグナーにおいて不滅の名前を残した。ロマン派を集大成した人物としても知られている。あのヒトラーにもその音楽を愛された人物である。彼自身はナチスを嫌悪してはいたが。
「これは」
「そこまでおわかりなのですか」
「わかるわ。音楽は好きだから」
 声にある満足したものはそのままであった。
「だからね」
「まさかとは思いますが音楽家か何かで」
「違うわ。ただ」
「ただ?」
「芸術は愛しているわ」
 これもまた沙耶香の言葉だった。
「芸術はね」
「そうなのですか」
「芸術は華よ」
 こうまで言ってみせた。
「そしてその場を汚す様な人間はね」
「先程のですか」
「その下劣さに相応しい末路が待っているものなのよ」
 それが今だというのである。沙耶香は鶏声には何処までも辛辣であった。そしてその辛辣極まる言葉をさらに出し続けるのであった。
「そして」
「そして?」
「既に多くの人に携帯で取られているわね」
「はい、そうですね」
 実際にその更衣室ののぞきから逃げ出して下半身丸出しのままで連行されていく鶏声の醜態は多くの乗客達に携帯で撮られていた。そしてそれがどうなるかであった。
「ああして撮っていれば」
「すぐにブログ等に載せられますね」
「便利な世の中になったわ」
 冷酷な笑みと共の言葉であった。
「ジャーナリズムではなく一人一人が全世界に発信できるのだから」
「全世界にですね」
「ええ、全世界にね」
 これがネットというものである。一人が巨大マスコミを凌駕しかねない情報を提供することも可能なのである。これは非常に大きなことである。
「あの鶏声は新聞記者だったわね」
「はい、ジャーナリストでした」
 言葉は既に過去形である。
「ある国立大学を出てそうして」
「一流大学を出て新聞記者になってコネでジャーナリストになっていく」
 所謂マスコミ人の典型である。
「けれどそれももう終わりね」
「これで完全に、ですね」
「ええ、終わったわ」
 冷酷が冷徹に変わっていた。
 
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