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黒魔術師松本沙耶香 天使篇

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28部分:第二十八章


第二十八章

「その時はこうはいかぬ」
「味方であってもなのね」
「無様な姿は見せない」
 そのことを言うのである。
「今の様にな」
「ではこれでね」
「この命有り難く受け取らせてもらう」
 アルスターはあらためて述べた。
「それではだ。またな」
「ええ、またね」
 アルスターはその足元から灰色の鈍い霧を出しその中に消えた。そしてそこには何も残ってはいなかった。沙耶香は忍を一週間守りきったのである。
 そしてその次の日に。彼女は銀座のある喫茶店にいた。その命じの香りがする大きな時計がかちこちと懐かしい音を立てている黒に近い褐色の世界の中で。亜由美と向かい合ってそのうえで彼女と沙耶香が受けた一週間の仕事についての話をするのであった。 
 二人の前にはそれぞれ白いカップが置かれている。その中には漆黒のコーヒーがある。沙耶香はそこから沸き立つ湯気から感じられる香りを楽しみながら。亜由美に対して言葉を出した。
「これで終わりだけれど」
「はい、有り難うございます」
「報酬のことは」
「それはもう終わりました」
 それは既にだというのである。
「お話してくれた口座に」
「わかったわ。じゃあこの話はこれで終わりね」
「はい、それでなのですが」
 だがここで。亜由美はさらに言ってきたのであった。
「さらにお話したいことがあるのですが」
「依頼のこと以外でなのね」
「はい、これです」
 言いながら懐からあるものを出してきた。それは一個のルビーであった。何十カラットもあるその赤く輝く宝玉を彼女の前に差し出してきたのである。
「どうぞ。これを」
「報酬はもう振り込んでくれた筈だけれど」
「それとは別にです」
 それだというのである。
「このルビーは。ただ私からの好意です」
「娘さんへの依頼とは別に」
「それへの好意もあります」
 それも入っているというのである。
「ですからこれを」
「わかったわ。それではね」
 手を出してそれを持つ。そうしてそれを懐に入れるのであった。
「御礼は言っておくわ」
「はい、それでは」
「さて、後は」
 その宝玉を受け取ったうえで、であった。沙耶香はその妖しい紅の唇を微かに綻ばせて。そのうえで彼女に告げてきたのであった。
「私も。依頼とは別に」
「ではまた」
「部屋はもう取ってあるわ」
 目も細めさせた。そうしてまた話すのであった。
「それでいいわね」
「はい、それでは」
 亜由美も頬を上気させていた。もうであった。
「これから」
「今度は夢の世界のことではないわ」
「最初の時と同じく現実で」
「そうよ。ただ」
 ここまで話してふと言葉を変えてきた。
「聞きたいことがあるけれど」
「聞きたいこととは?」
「現実の世界で肌を重ね合わせた後で」
 まずはそれをするのだという。
「そしてその後で夢の世界でまた」
「それをですか」
「それはどうかしら」
 目が妖しく光った。その笑みと共に。
「こうしたことは」
「御願いできるでしょうか」
 亜由美の返答はこれであった。
「それで」
「わかったわ。それじゃあ二つの世界でね」
「今まで主人以外は知りませんでした」
 亜由美はこのことを告白した。その時にこれまでになく小声で、しかも一瞬周りを見回して今は近くに誰もいないことを確かめてから。そのうえでの告白だった。
「男の人も」
「女は余計になのね」
「ですがこれ程までだったとは」
「この快楽は一度味わえばもう離れることはできないわ」
 沙耶香の笑みがさらに妖しく美しいものになる。夜の美しさであった。
「それはわかったわね」
「はい、とても」
 真剣な顔で返した亜由美だった。やはり顔は上気したままである。それどころかその上気はさらに高まり止められないまでになっていることがわかるものにさえなっていた。
「ですから。すぐに」
「焦るのね」
「貴女のことを思うとそれだけで」
「わかったわ。それではね」
「はい」
 沙耶香のその言葉に頷いた。
「これから朝まで」
「楽しませて下さい」
「あら、私は楽しませないわよ」
 沙耶香は今の亜由美の言葉にはこう返したのであった。
「それはね」
「違うのですか?楽しませてくれるのでは」
「楽しむのは貴女だけではないわ」
 笑みはさらに妖しいものになっている。その言葉で告げたのである。
「それはね」
「それは」
「私もなのよ。お互いが楽しむものなのよ」
「だからですか」
「わかってくれたわね。それじゃあ」
「はい。それでは」
「行きましょう」
 こう言ってである。沙耶香はコーヒーを静かに飲み干し席を立った。亜由美もそれに従う。そうして二の世界で肌と心を重ね合うのであった。


黒魔術師松本沙耶香 天使篇   完


               2009・12・23
 
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