竜門珠希は『普通』になれない
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第1章:ぼっちな姫は逆ハーレムの女王になる
今日も今日とて脅迫的に共感を強制
前書き
*注:ちょっとばかり暴力的・差別的言動が含まれています。
作者の考えではありませんので、ご容赦ください。
表立って目立っても注目されてもロクなことにならない。それは珠希本人が一番理解しているつもりであった。子供心にも結月共々、姉妹揃って可愛いと持て囃され、近所一帯でも有数の「美少女」扱いに慣れた結果が誘拐・監禁・女児わいせつのトリプルコンボの被害者(注:すべて未遂←ここ重要)だ。
運がよかったのは、すぐに発見・保護されたことと、当時の珠希が無邪気と無知の塊でまだろくに人を疑うことを知らなかったこと、そして幼すぎたがゆえに事態の大きさを把握し切れていなかったことだった。そのおかげかPTSDとは無縁に今まで生を歩んできているものの、実際、この性犯罪の被害者一歩手前まで歩を進めた少女は今でもあのおじさんからお菓子をもらえるからとホイホイ人気のない公園の隅まで行った程度の感覚しかなかった。
そんな目立つのが苦手な少女は入学式からわずか半月で見事クラスメートの大半から距離を置かれていた。
中学時代の友人がいなかったのは仕方ないにしても、入学式の最中に起きたトラブルを受けて、一週間経つまで完全に“ぼっち”だったことを踏まえると、これでもだいぶ改善したほうである。
「……はぁ~っ」
1年C組の教室、主席番号順に並ぶ座席の窓側最後尾。教室の隅で珠希は深く溜め息をついた。このときばかりは本当に自分が“ぼっち”で本当によかったと思うほど深い溜め息だった。
今日も今日で、早くも今年の夏コミの準備を始めていたレイヤーとレズ調教にドハマりしている官能小説家を何とか叩き起こし、野球部の朝練がある弟に合わせて軽い朝食を作り、父親と自分の朝食の他、さらには妹の分のお弁当まで拵えてきている。
在宅ワークの母親はほとんど家事ができないと言っても過言ではないし、弟は私立中学に通っているものの、妹が通うのは公立の中学だ。そして珠希が住んでいるのは神奈川県横浜市。公立中学に給食がない。作るお弁当が1人分増えたところで大して問題にはならないが、それを3年間継続して作るのが同じ学生である立場の珠希なのだ。
この点――主に自身に降りかかる手間や面倒臭さを考慮したうえで珠希は弟・聖斗と同じように妹・結月に私立に進めと進言したのだが、当の結月が学力やら通学時間やらの問題点を訴えてこれを断固拒否し、壮大な姉妹喧嘩をした挙句、珠希が折れた。とはいえ、珠希と珠希の兄である暁斗がともに近所の公立中学を卒業したうえで私立の進学校に進んでいるので、それが最大の説得力の欠如に繋がっていた。
おかげで結月が中学を卒業する来年度まで結月の分の昼食まで作らなければいけないのだが、多少結月の嫌いな食べ物を入れてもちゃんと残さず食べてきてくれるのは作り手側からしても嬉しいものだった。
それでも溜め息は出る。掃除、洗濯、料理に始まり、一般家庭よりも広い敷地面積と家屋面積を持つ竜門家の家事をほぼ珠希一人で回しているのだから。
クラスメートの誰かが「今日遅刻しそうになってマジ焦った」と軽い笑い話にしながら話している朝8時過ぎという時間は珠希が家の中を掃除している時間であった。
なお今日の珠希の睡眠時間は約3時間。
最後に見た時計の針は午前2時を指していた。
言われずともこれがクリエイターの生活だと思わないでほしい。本物は貫徹や昼夜逆転がザラにあるのも当たり前の話だ。名の知れた原画家・イラストレーターの一人に数えられ、スタートしてからの仕事は早いと編集さんや周囲のスタッフから褒められる珠希ですらこの様である。
「おはよう珠希さんっ」
「どうした竜門。朝から陰鬱な空気出しやがって」
そろそろ一限目の授業の準備しなきゃなー、と気怠い頭で考えている“半ぼっち”状態の珠希は名前を呼ばれ、そちらに振り向く。
「あ、おはよ若……じゃなくて星河くん。あとついでに昴くんも」
珠希に声をかけたのは若宮星河と相武昴という二人の男子生徒。
栗色に近いサラサラ髪の毛に幼さを残す顔立ちに人懐っこいふいんき(変換できない)を持つ星河と、眼鏡が似合う知的クールながら、少しぶっきらぼうで乱暴な言葉遣いがアクセントにすらなっている昴。まったくもって正反対の容貌の二人だが、なんでも幼い頃からの大親友らしい。
知り合ったきっかけは前述の始業式の件だった。
貧血+過呼吸から助けてくれたお礼をしたい星河に押し切られたかと思うと、星河と急接近したと勘違いされて昴に迫られ、星河がその間をとりなしてこんな3人の関係ができていた。
「もうっ、珠希さんってば今また苗字で呼びかけたでしょ?」
「あはは。ごめんね星河くん」
「で、俺は星河のついで呼ばわりか」
「じゃあたまには二人別々に来なよ。金魚の糞くん」
特徴的な苗字のせいもあってか、あまり苗字で呼ばれたがらない星河に笑って謝りつつも、口調も切り口も鋭い昴に対しては容赦なく金魚の糞扱いする珠希。
この会話が耳に入ったのか、思わず吹きだすクラスメートがいたが、目敏く犯人を見抜いた昴が睨みつけると、睨みつけられたと思われる男子が居住まいを正して友人たちとの会話に戻っていった。
「わかったわかった。ごめん昴くん。訂正する」
「わかりゃいいんだよ。ちゃんとわかりゃ」
「うん。金魚の糞扱いはナシ。金魚扱いされる星河くんが可哀想だもんね」
「え? 僕が?」
本人にその意識は皆無だろうが、珠希からすれば星河は金魚より、同じ魚類であればグッピーとかネオンテトラといった小型の熱帯魚の類が放つ、一瞬たりとも目を離さずに見守ってあげたいふいんき(変換できry)がある。
特に先程の会話の「もうっ」と言いながらふてくされて頬を軽く膨らませた星河の表情には、珠希の長女体質が母親体質にクラスアップしてしまいそうな――クラスチェンジと表現すべきだった否かはご想像に任せたいと思う――勢いで(理性ゲージの)バーが大きく限界突破近くまで動いた。
とはいえこのグッピー少年、弟自慢を始めれば2時間は語れる自覚症状皆無のブラコン珠希の、もう歪みきって歪む場所がないくらいの性癖に新たな価値観を植えつけさせてしまったのも事実であった。
「竜門。お前相手によって態度180°変えてるだろ? 絶対そうだろ?」
「変えてませんよー。変えてるとしたら1080°変えてるし」
「それ三回回って元に戻ってるじゃねーか!」
「あらそれは人として当然のことではなくて?」
「人として根底から間違ってんだよ!」
1080を瞬時に360で割った昴の計算の早さに驚きながらも、既に原画家・イラストレーターとして一般社会人と同等かそれ以上の金銭を稼いでいる珠希としては、相手によって態度を変えるのは当然のことだと本気で思っている。
心も身体も人それぞれ違いがある。それは良いところも悪いところも包括的に見ての人間像であり、「ゆえに、平等的に、博愛主義に基づいてみな隣人を愛しましょう」といった妄想を支える屋台骨であり、その大前提として隣人は「誰もが素晴らしき理性を持った羊飼い」であることが求められる。
しかしながら現実世界、聖人は絵画と書物の中にしかおらず、現実社会での立場には責の軽重や専門性などに伴う優劣が生じる。ましてや栄光と名誉と保身のためなら誰しも殺人者にもなってしまうご時勢に羊飼いの頭数などごくごく少数である。
そこに中学生の時点から契約社会と大人の狡猾さ、世間一般の世知辛さと残酷さを身に染みて覚えてしまえば、いくら無知と無邪気の塊だった少女でも人間の行為の本質に平等も博愛もないと思うようになっても無理のない話だ。
実際、珠希の知る原画家さんの一人は原画を卸したメーカーから給料が支払われておらず、メーカーとも代表者とも連絡がつかないという。
「それで星河くん。今日は体調よさそうだね」
「うん。ここ数日は天気もいいしね」
「おい、これ見よがしに話変えてんじゃねーよ」
「そうだね。でも星河くんって花粉症とか大丈夫なの?」
「僕は大丈夫だよ。知り合いには結構いるけどね」
「それは大変だね」
実のところ、「人それぞれ違いがある」のは肉体と精神であり、その性能と限界である。心の中身までは誰も測れない。珠希のように睡眠時間が3時間でも平然と日常生活を送れる少女がいれば、入学式の日に緊張と今後の高校生活に覚えた不安のために貧血と過呼吸を起こした星河のような少年もいるし、そんな星河と十数年も仲良くいられる言動が乱暴な冷血系秀才である昴のような少年だっている。
「おいお前ら。絶対わざと俺をシカトしてるだろ、なあ?」
明らかに苛立った昴の声が聞こえた気がしたが、珠希の視界には既に星河しか存在しておらず、星河の視界も珠希にだけ向けられていた。
「お前らぁ……っ!」
脇から何か人の形をした物体がゴチャゴチャうるさかったものの、それがあなたの現在の立ち位置ですとばかりに無視を決め込んだ珠希は、そのままホームルーム開始を告げるチャイムが鳴るまで星河と楽しく話を弾ませていた。
「それじゃあ、また休み時間にね。珠希さんっ」
「うん。バイバイ」
本気を出せばショタ気質を持ったこの世の女性を虜にするであろう笑顔を残して星河が自分のクラスである1年D組に戻っていくと、その場に残ったのはショタに目覚めようとしている長女体質者と、クールを通り越して冷血といっても過剰表現ではない秀才の二人。
残念なことに、本当に、誠に、非っ常に残念なことに、珠希と昴、この二人は同じ1年C組のクラスメートである。
「……竜門。お前、星河に手ぇ出したらマジで×すぞ?」
「やだな、まだそんなことするわけないじゃん」
「そうか。それならい……っておい! 『まだ』ってどういうことだ? 『まだ』って!」
「昴くんこそ星河くんの保護者気取りですかうわやだー」
「てめぇ……。その言い方すっげぇイラつくな」
「あれ? 嘘を嘘と見抜けない人はネット見ちゃダメですよー?」
「んだと?」
鼻であしらってくる珠希に対して食い下がる昴だったが、便所の落書きとも呼ばれる某巨大掲示板のあらゆる板に出没しては、今みたいにぎりぎりなラインで日常会話に聞こえなくもないレベルで会話してくる珠希に敵うはずもなく――。
「はいみんな席につけー。ホームルーム始めるぞー」
ちょうどそこに担任教師が姿を見せ、ホームルームに向けて強制着席を促す。
五十音順で並ぶ席順にて竜門珠希は1年C組のクラス最後尾。そして相武昴はクラスの先頭となり、二人の座席は教室の対角線上にある。そんな昴が窓際最後尾にある珠希の席まで来たとなると自分の席に戻るにも時間がかかる。
「ほら昴くん。席に座らないと先生に怒られちゃうよ?」
「チッ、うるせぇよ」
まるで小学校3、4年生あたりにありがちな会話を交わし、そこで捨て台詞を吐いて自分の席に戻っていく昴の背に向けて珠希は思わず中指を突き立ててやりたい気持ちをぐっと胸中に仕舞い込む。
だが今はもう高校1年。そんなくだらない男子‐女子間にありがちな会話はもう6年近くも前に卒業している珠希は、何事もなかったように一限の授業の準備をしつつ、ホームルームに備えて居住まいを正したところで気づいた。
………………今日の一限目、何だったっけ?
てか今日って何曜日?
☆ ☆ ☆
【カースト】
……インドに見られる社会集団。閉鎖的かつ階層的で、2000を超えるカーストが世襲職業を持ち、相互分業関係にある。ただし、他の種姓との交流や婚姻関係を禁ずるなど差別的な側面があるために、現在は次第に薄れつつある。
ちなみに『カースト』とはインド語ではなくポルトガル語の『casta』が語源であり、インド語では『jati』――とはいうものの、スクールカーストとはよく考えたものだと珠希は思う。実際のところ、小学校の頃から似たようなものはあったが、さしずめ現在の珠希の身分はさながら制度外の難民である。
そんなスクールカーストぶち壊しのクラス内難民となっている少女、天気がいい今日の昼は……いや訂正、天気がいい今日の昼も屋上の隅、出入り口から一番遠いベンチで一人、昼食のお弁当を膝に乗せてぼーっと空を見上げていた。
「――で、屋上の隅でぼっち飯か。竜門」
「いきなり目の前に来て人の心読まないでくれるかな昴くん」
突如視界を覆い尽くした黒い影――の持ち主、口の悪い冷血系秀才クラスメートである相武昴を前に、珠希は視線の先を膝上で未開封のままのお弁当箱に落とすと、溜め息まじりに愚痴をこぼした。
「あ、マジで感傷浸ってたのか。それはすまなかった」
「謝らないで。金魚の糞に謝られても惨めになる」
「てめぇ、実は人にさりげなく喧嘩売るの上手いだろ? 違うか?」
アメリカであれば絶対にスクールカーストの頂点に――将来有望なアメフト選手の彼を持つ、チアガールやってるミスキャン1位になれるだけの美貌と運動神経を持ちつつも、見事にそれを腐らせている珠希の余計な一言に、昴は即座につっかかってきた。
しかし実際、珠希は自分の肉体以外を売るのは得意である。
【天河みすず】のサークル【Pearly Queens】の既刊の同人誌は現在、委託販売とサークルHPからのオフィシャル通販のみの取り扱いながら、金額に換算して既に7ケタの利益を生み出している。その利益の源を作り出すために珠希は自分のプライベートタイムと健康的生活を悪魔に売り払い、創作活動の悪魔を呼び出すために羞恥心と魂を売り払っているのだ。
なお前述の内容は決して厨二的表現ではなかったりする。
「……なんかもう既にクラスから取り残された感があるんだよね」
「疎外された、の間違いじゃね?」
「そ、そそそそんなことないし! 昴くん以外のクラスメートと喋ったことあるし!」
「そこで噛むなよ。図星だって言ってるようなもんじゃねえか」
「な、何を言ってるのかなぁ昴くん!?」
「そもそもクラスメートと話したのって事務的な内容だろ?」
「そ、それはそうだけど……」
「それは友人と呼ばねえ」
「………………………………」
通常、事務的な会話しかしない相手との関係を、人は基本的に友人関係と呼ばない。
そんな当たり前な昴の指摘に、自らの記憶を都合よく、後ろ向きながらもポジティブに改竄していたことに気付いてしまった珠希は一切の返す言葉を失ってしまった。
「悪い。今のは完全に俺が余計なこと言った」
「………………ううん。昴くんは悪くないよ。今、全然当たり前のこと言ったもんね」
「いや、さすがに言いすぎた」
「………………大丈夫。私は大丈夫だから。これくらい……、うん。大丈夫だよ。あはははは……」
大丈夫とか言ってるくせに、どうして会話に妙な“間”が生じてんだよ!
自らによって都合よく改竄された自身の記憶と、“ぼっち”でクラス内難民化している現状との齟齬・乖離を受け、精神的混乱をきたしている珠希にそんなツッコミを入れたい昴であった。
しかし、明らかに死んだ魚のそれよりも濁った瞳をして引きつった口元から乾いた笑い声を漏らす珠希に対してそれは死人に鞭を打ち、傷口に世界中の塩という塩を塗りたくって擦り込むのと同等の行為だった。
「す、すまん……」
「………………謝らないで。金魚の糞に同情されたくない」
「お前やっぱ喧嘩売るの得意だろ? なあ、おい!」
――良い意味でも悪い意味でも、浮かれてようと落ち込んでようと珠希は珠希であった。
「それで、星河くんは? 一緒じゃないの?」
「今さら聞くのかよ、それ」
「まあ、ぶっちゃけ星河くん待ってたわけだし。あ、別に金魚の――」
「その表現やめろ。今、メシ時だから」
昴は珠希の前に右手を出してそれ以上喋るなと制する。周囲でも他の生徒が昼食を摂っている中、慣用句表現とはいえ金魚の糞を連呼するのはさすがに拙い。
「……で、改めて。星河くんは?」
「星河なら購買だよ。メシ買い忘れたとかで」
「ふ~ん……」
「別に先に食ってていいんだぞ?」
「そういうわけにもいかないよ」
昼食時間にも終わりはある。それはわかっている。
自分の食事ペースを考えてもそろそろ箸をつけていい頃なのだが、それでも珠希は星河を待つほうを選ぶ。何より一人きりの、会話の無い食事がいかに味気ないものかを珠希は知っている。
しかし、昴はそれを却下した。
「いいから何か口に運んでろ」
「でも――」
「じゃないとお前が食べ終わらないだろ。それだと星河の奴が、待たせた自分のせいだって思うんだよ」
「でもそれなら星河くんだって同じじゃん」
まだ指折り数えるくらいしか昼食をともにしていないものの、珠希も星河の食事ペースを知っている。何しろ体の線が細い星河は珠希と同じかそれ以下の少食で、正直、成長期の男子があの食の細さで――と首を傾げるほどだ。しかも珠希の弟・聖斗や昴と比べても食べる速さが明らかに遅い。
これでは始業式の日に貧血起こしたというのも頷ける。だからといって珠希のほうに倒れてきて、珠希を道連れに保健室に退場していい許可をした覚えもないのだけれど。
「しゃあねえ。今から連れてくるよ」
珠希が頑として譲らないことを察してか、昴はベンチから腰を上げ、スマホを取り出しながら星河を呼びに行こうとする。
こういうときは男性が、理論が先に折れたほうが得なのだと昴も昴で理解しているつもりだった。だが――。
「あ、あたしも行く」
「いらねえよ。てか席取っとけ」
「女の子を一人置いてけぼりにする男の子はどうかと思うなぁ」
「本物の女子は自分のことを『女の子』だとか言わねえ」
「じゃあ大丈夫じゃん。あたしそんな女子力高くないし」
昴が唯一理解できていなかったことがあるとするなら、今日の相手はそこらに群れている女子ではなく、竜門珠希であったこと。このクラス内難民少女の脳内構造は計算高く論理的で、むしろ男性的な思考をすることがある。論理より感情を優先したところで、そのような人間は労働社会にとって邪魔・不要・有害であると身をもって知っており、珠希自身もまたそのような腐った林檎を同業者・関係者らと結託して業界から排除したことがあるからだ。狭い業界マジ恐い。どの業界とは言わないけど。
しかも厄介なことに、こうやって珠希は論理的に女子・女性であることを上手く盾にして自分に有利になるよう会話の方向性を変えてくる。事実、何か言いたげに昴はもごもごと口元を動かしていたが、結果的にそれ以上の追及は取り下げてしまった。
それはともかく、そもそも朝5時に起きて父親や弟妹の分まで昼食のお弁当を作り、掃除・選択・裁縫まで難なくこなし、手が空いた休日には家全体の掃除や敷地内にある土蔵の整理までこなす女子高生が自分に女子力がないと判断する基準はどこにあるのだろうか。
カワイイを作り出す化粧スキルなのか、定番ブランドの最新作の洋服や高級アクセの一番人気を貢がせる話術なのか、はたまたシャンデリアの下にいる運命の王子様をカノジョや奥さんから寝取るベッドテクなのか――。
少なくとも生まれつきシミ・シワ・ムダ毛や日焼けとは無縁で、素顔でもナンパされるレベルの外見を持ち、現在15歳ながら何だかんだで年収数百万は稼ぐ原画家・イラストレーターである少女にとってはいずれも興味外だった。
それに一番最後の房中術とやらを珠希は実践したことがない。実践する相手もできたことがない。8割脚色された噂で描かれる【竜門珠希】はもう男10人くらい相手にしようと精根搾り取ってくるくらい凄いらしいが。いったい何が凄いのかはレーティングの都合上で描けないが、当の珠希が噂の【竜門珠希】から教えてもらいたいくらいだ。
「……行くぞ竜門」
「うんっ」
そう言って席を立つと、仮に女子力がないとしても主婦力はムダにある少女は昴の後について屋上を後にした。
☆ ☆ ☆
「……いねえな」
「いないねえ」
屋上を出て階段を下り、1階にある購買まで来たものの、そこには星河どころか生徒は誰一人残っていなかった。パンやおにぎりは完売していて、飲み物の類も申し訳程度に残っているくらいだ。既に昼食争奪戦は終わっているようだった。
「行き違ったみてえだな」
「けどあたしたちが来たルートが最短じゃない?」
「まあな」
「あとはトイレに寄ってるとか?」
「かもしんねえ。戻るか」
行き交う人で溢れる混雑の中を単独突破するより、歩行距離は長くなっても別ルートで迂回したほうが早いということはよくある。急がば回れ、というほどでもないが、昴の言うとおり星河と行き違いになった可能性は高かった。
「ねえ、そういえばあのコ、大丈夫かな」
「あのコって、ヤバい3年に連れてかれた男子?」
今しがた来た道を戻り、階段を上り1階から2階、そして2階から3階へと昇っていく途中、珠希と昴の耳にとある女子の、ちょっと不謹慎な空気をまとった会話が聞こえてきた。
「そうそう。だってあの3年生たち、あんまりいい噂聞かないじゃん」
「まあね。結局周りも誰も言えなかったしね」
「しかもあれ、見た感じ1年生だよね」
「結構おとなしそうな感じだったよね。あれじゃヤバいわ」
その会話に珠希と昴が足を止めたのはほぼ同時だった。
稜陽高校の今年度の新入生、珠希や昴らは合計で約250人いる。
そのうちここにいる2名、珠希と昴は除外されるので確率は1/248だ。
「けどやっぱ先生に言っといたほうがよくない?」
「うーん。でもさぁ……」
「だって身体の線も細かったしさ、下手に事件とか起こされても困るじゃん」
この高校の1年生で、おとなしそうな雰囲気で、身体の線が細い――珠希と昴が知る限り、それらはすべて星河に該当する。
「すみません。ちょっといいですか」
先に動いたのは珠希……ではなく、昴だった。
「な、何よいきなり?」
「あなた誰? って、1年生?」
「ちょっと聞きたいんですけど、その1年の男子、髪の毛どんな色してました?」
「え? あー、何色っていえばいいんだっけ?」
「黄色とか金色っぽい……なんかこう、くすんだ金色、って感じかな」
「あ、そうそう。それよあたしが言いたいのは!」
「ちょ、人の台詞マジで取らないでくれる?」
「いいじゃん別に。同じ光景見てたんだし」
「マジありえないんですけど~」
これが女子の会話か……。
友達が言ってたが、思っていたよりも凄ぇ。
幼くから星河とばかり遊んできて、あまり女子との付き合いもなかった昴にとってはこれが初めてともいえる同年代の女子との会話であった。当然、脈絡のない発言が弾幕を張るがごとく一斉掃射され、次々と飛来しては霧消していく中で、相手が同じ高校に通う1学年上の先輩2人組ということもあり、思うように会話の主導権が握れないでいる昴だったが、その先輩2人組は不意に何か思い出したように会話に付け加えてきた。
「あ、そうそう。それで思い出したんだけど、顔はちょっと幼い感じのコだったよ」
「あー、確かにそんな感じ」
「それに……あ、そうだった! 栗色だ! その男子の髪の毛の色」
「栗色? あ! それだ。すっごいそれっぽい!」
どうしてそんな重要なことをさらっと後付してくんだよ!
高2女子2人組との会話でガリガリ精神力が削られていた昴だったが、そこだけは聞き逃さなかった。この高校の1年生で、おとなしそうな雰囲気で、身体の線が細くて、髪の毛は栗色――記憶力には自信のある昴が把握している限り、それらがすべて該当するのは星河だけだ。
「あ、あの、先輩。お話ありがとうございました」
「え? あ、もういいの?」
「もしかして友達だったとか?」
今さらそれを聞いてくるのか?
何か順番間違ってんじゃね?
「まあ、そんなことろですね」
そう言いたいところをぐっと胸中にしまい、余所行きの表情で人畜無害な1年生を演じながら、昴はすぐさま星河を探すべくその場を離れようとする。
――しかし、そこで今の今まで会話に参加してこなかった珠希が、ふと踊り場の窓から外を指差して呟いた。
「……あ、星河くん発見」
「はあっ!?」
どうしてこう女って生き物は――!!
本当に扱いづらい。
自由奔放に逃げ回る兎とそれを追いかける自分の図が脳裏に浮かんだ昴は、今日この瞬間、自分がひとつ嫌な方向に賢くなったのを実感した。
後書き
ちな昴が女子の、特に珠希の恐ろしさを知るのは、もっと先の話である……。
ページ上へ戻る