廃れた建物に一つの『影』が蠢いていた。
『影』は古びた機械を愛おしそうに眺めて――壊す。
銀色の棒をクルクル回して壊す。
回し回され機械は崩壊する。
『影』はまた壊す。
錆びた物体を見つけるたび、喜びに満ちた表情で。
姿、形、が消えてしまうまで。
だから『影』の周りには何も残らない。
「…悲しい……悲しい話をしよう……」
『影』は嘆く。
罪悪感のもとで、狂った笑みを浮かべながら。
* * *
真っ暗な夜の倉庫街に二つの人影があった。
暗闇でも銀にきらめく輝きを分け合ったかのような銀髪の兄妹――銀時と双葉である。
今二人はとある依頼で港の廃倉庫を歩きまわっていた。
息も凍るほど寒い夜にわざわざ出歩くのは、使われていないはずの廃倉庫から物音や人の声が毎晩のように聞こえてきて、その正体を調べて欲しいと頼まれたからである。
「たくよォ。なんでこんなさみー中で歩かなきゃいけねェんだよ。ゼックションっ!ヤベェヤベェ風邪引きそうだなコノヤロー」
やまない愚痴を半開きの目でグダグダ言い続けるのは坂田銀時だ。半目はいつもだが眠そうにあくびをしてる仕草が加わると、よりだらしなさが目立ってくる。
「マジねみーんだよ勘弁してくれよ。銀さんここんとこ寝てねーんだよ」
疲労感が混ざったダルそうな低い声でダラダラと言う様はどうも年寄り臭い。
寝ぼけ気味の瞳に気だるそうな仕草は傍目からすると甲斐性なしの駄目男。だがこれでも彼は『万事屋銀ちゃん』という一つの会社を経営している社長である!……といえば聞こえは良いが、常に収入不安定で生活が苦しいのが現実だ。
配達作業や大工仕事などあらゆる仕事が舞いこんできても収入が安定しないのは、依頼主によって報酬の落差が激しいせいだ。おまけにここ数週間仕事が来なくてかなりヤバかった。しかし久しぶりのこの仕事を終えればなんとか今月はしのげそうである。
ただできれば調査は浮気や人捜しだけにして欲しい。しかし最近なぜか『こーゆう系』が多い。
「つーか前にもこんな依頼あったよな。たく、なんでいっつもこーゆう系なんだよ。俺らは万事屋でゴーストバスターズじゃねェっての」
後ろでブツブツ愚痴る銀時の文句を耳にしながら、双葉は懐中電灯を手に倉庫街を歩く。
「兄者は幽霊の仕業と言いたいのか」
「ち、ちげーよバカッ!誰がオバケつった!?俺全然そんなこと思ってないからね。そうじゃなくて俺はガキくさいビームぶっ放すゴーストバスターズより、呪文唱えてお札投げてやっつける陰陽師になりてーってことだよ。ほらアレだ、結野アナみてーな」
「そうか。なら悪霊退治は兄者にまかせた」
言い訳がましいことを飛ばす中で滑らせた一言が、今度は双葉を不機嫌にさせた。
といっても今のは冗談で返したつもりだったが、銀時はまだ子供じみた言い訳をやめない。
それどころかさっきより見栄っ張りな言動が増えている。どうやら本気でビビっているらしい兄に、双葉は呆れて溜息をつく。
「たんに不良どもが暴れてるだけかもしれないぞ。ただでさえ治安が悪いからな、ここは」
大人達の管理を嫌う不良達にとって、誰もよりつかない廃倉庫は自由に過ごせる最高の溜まり場だ。毎晩ここで夜遊びしているなら、彼らを追い出せばいいだけだ。
しかしそう思って調査を始めて1時間ほど経つが、物音も不良達の姿も見当たらない。
あるとすればだんだん周囲がおどろおどろしい雰囲気になっていることだ。
錆びついた鉄の臭さに溢れた倉庫街は陰険な空気が漂い、いかにも何かが出てきそうな
場所である。
「……で、兄者」
「ん?」
「なんだこの手は」
無愛想に指摘されるのは、橙色の甚平をギュッと掴む銀時の手。
「こ、これはアレだよアレ。オメェが迷子にならないように掴んでやってるだけだから」
「離せ、シワになる」
「こここ怖いとかそんなんじゃねェからな」
「背中に桜吹雪装飾の甚平1着」
無表情に新着をおねだりされても、銀時の手は服を掴みっぱなしだ。
「少しは慣れろ。成長しろ」
「成長しなくたってな、イザという時キラめければそれでいーんだよ。それに俺はもう色んな悲しみ乗り越えて立派な大人になってんだから、これ以上成長するこたねーの。だいたいよォ、これ以上成長してどうすんだ。どこに行くってんだ。俺は今のままが一番だ」
――向上心ゼロか。
兄の真意を悟った双葉は胸中で呟いた。横目で冷めた視線を飛ばすが、銀時は手を離さない。
別にこのまま掴まれてたってかまわない。――が、こーゆう兄を見るとどうにもS心が働いてしまう。
「そういえば兄者。こんな話を知ってるか」
「あ?なんだよいきなり」
その時、双葉の口元にうっすら黒い笑みがこぼれたのは気のせいか。
戸惑う兄をよそに妹はわざとらしく暗い口調で語り始めた。
「ここはかつて鍛冶屋があった場所なんだが、ある商人に買収され店を潰されたそうだ。おまけに廃刀令のせいで刀を造ることも許されなくなったその鍛冶屋は、生き甲斐をなくし自ら命を絶った」
「おいおいおいおい双葉。おおお前一体何話してんの~」
「ここには数えて12個しか倉庫はない。だがな、夜になると1つ増えるそうだ」
「ちょっとちょっと何それ。そんな話今するこたねーだろ」
「あるはずのない第13倉庫。そこから聞こえるのは刀を叩きつける男の嘆き声。それはおそらく――ん?」
話の結末を語ろうとしたとき、すでに銀時の姿はなかった。いつの間にかどっかにすっ飛んで行ってしまったらしい。
昔からだが、兄の幽霊嫌いはヒドいもんだ。それは本物の幽霊・『スタンド』を見ても治らなかったほどで、正直呆れる。
――ま、そこが可愛いトコなんだが。
そんな萌えポイント見たさで兄をイジった結果、一人になってしまった。とはいえ、仕事を引き受けた以上このまま調査をやめるわけにもいかない。
双葉は夜道を歩きつづけ、やがて無数の倉庫が立ち並ぶ広場へと出た。
大手の貿易商が営んでただけあって、どの倉庫もやたらデカく、シャッターには会社のマークがデカデカと刻まれている。まるで己の権力を見せつけているようだ。社長は温和な性格だと聞いたが、実際は相当傲慢な奴だとみえる。
事実、その会社は裏で攘夷志士と銃器の闇取引をしていた。しかし真選組に暴かれ倒産してしまったとのことだ。
ただ、そんなの今の双葉にとってどうでもいい話。だが属していたつもりはないとはいえ鬼兵隊にいたせいか、裏社会の余計な情報が次々と出てきてしまう。
――いらぬ知識だ。
そう声に出さず吐き捨てる。
鬼兵隊にいた日々。それは常に狂気と混沌が渦巻いた生活。
あの時の暮らした日々を、組織に属していた者たちを懐かしいなんて思わない。
そもそも鬼兵隊のメンバーは高杉の思想に共感して集まった者たちばかりで、それぞれが親しいわけじゃない。
腐った世界を壊すという目的のために同じ場所に集った、ただそれだけの者達だ。
だからどんな奴らが来ようと馴れ合いなんてしなかったし、しようとも思わなかった。
高杉の隣にいられるならそれだけでよかった。
例え優しさを失い、狂気に堕ちた彼であろうと。
――私もモノ好きだな
だがモノ好きは一人だけじゃなかった。
常に不気味な笑みを浮かべ、使えない駒は容赦なく捨てる残忍な性格は、見るからに人を寄せ付けがたい……はずなのに高杉の周りにはいつもたくさんの人々がいた。
それは鬼兵隊のメンバーが思想に共感しただけでなく、高杉自身に惹かれ慕っているからだ。
特に来島また子は心から心酔し、文字通り惚れていた。
だから自分のことは相当気に入らなかっただろう。いつも彼の隣にいられる女を目の仇だと言わんばかりに睨みつけ、何度も挑発してきた。間近で弾丸を放たれた事さえあったが、そんなの相手にしなかった。
しかしあそこまで妬まれるのは、それだけアイツが愛されてる証拠だ。
どうして皆、高杉に惹かれるのだろう。
幕府も恐れる過激な行動と他の攘夷浪士にはないカリスマ性が惹きつけるのだろうか。
だがそれなら人斬りと音楽プロデューサーの二つの顔を併せ持つ河上万斉も同じと言える。河上にもそれ相応のカリスマ性があり、そこに人が集い組織が築かれたって不思議じゃない。だが、彼もまた高杉に仕えている者だ。
あの男……似蔵はこう言っていた。人間が息絶える時に放つ命火を、稀に生きながら背負う者がいる。それはまるで夜の虫を集らせる『光』のようだ、と。
人を惹きつける力――それこそ『光』が高杉にあるのだろうか。
あの人を失ってから高杉はどんどん狂気へ堕ちていったのに。毎晩必要以上に迫ってきて、夜な夜な布団の中で弄ばれた。高杉が求めていたのはいつも『破壊』だけだった。
だから、彼のもとから離れた。
『破壊』しか求めない高杉の思想についていけな……
――ちがう。
――そうじゃない。
――そこから私は……
「………」
どうして今更こんなことを思い出してしまうのか。
闇にまみれたこの倉庫街があの船に似ているせいかもしれない。
狂気と混沌が渦巻く鬼兵隊の
住処に。
――くだらない。
軽蔑して頭の中の思い出を振り払う――が、やはり素直には消えてくれなかった。
ふと、ある倉庫が双葉の目に止まる。
その倉庫のシャッターに刻まれた数字は『13』
「………」
だが謎はすぐに解けた。
近づいてよく見てみると、それは数字ではなくアルファベットの『B』だった
その『B』が遠くからすれば『13』に見えなくもない。
怪談の真相なんてそんなもんだ。双葉はこのろくでもない調査をやめて、身をひるがえした。
そして奇妙な音が鳴り響く。
“カキン”
“カキン”
それは少しずつ、少しずつ聞こえてきた。
金属と金属がぶつかり合い、何度も何度も止まないリズムを刻む。
そんな音がB倉庫から聞こえてくる。
――鍛冶屋の霊……まさか……。
幽霊がいないなんて言わない。というより、前に一度『仙望郷』で本物を見ている。
この世の未練からの解放を求める何百の幽霊たちが集う温泉宿。
そのスタンドを牛耳る女将とバトルを繰り広げ、黄泉の門を通り抜けて『あの世』まで行くという尋常じゃない体験をしてきた。
それでも、『あの人』には会えなかった。
――……全く、今日はよく思い出す。
ほのかな苛立ちを感じつつ、双葉は中へ入って行った。
『狂気』と『破壊』が渦巻く倉庫へと。
=つづく=