魔法少女リリカルなのは ViVid ―The White wing―
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第三章
ニ十三話 破壊の宿業 [壱]
前書き
レポートと闘いながら書いたニ十三話。
翌日。既に朝もやが晴れはじめた河原にチョコンと立つ大きめのテントで、一人の少女がスゥスゥと寝息を立てている。
まぁ少女と言っても、既に16歳の彼女……ジークリンデ・エレミアは、女性としては既に十分に成熟した肉体を持っていると言える。背丈も恐らくこれ以上伸びる事は無いだろうし、格闘家としては、胸もこれ以上の大きさは必要ないと本人は考えていた。
「ん、ぅ……」
ごろんと寝返りを打つと同時に、其れがきっかけになったのか、彼女はうっすらと目を開けた。
「んー……」
上体を起こして目をこする。
昨日はどうしたんだったか……確か、歳の近い少年と一緒に練習をして其れから……そう、色々あって食事をして同じテントで寝たのだ。練習の心地よい疲れからか、あっという間に寝付いてしまったのは、少しもったいなかったか。そんな事を思いつつ、キョロキョロと辺りを見回した彼女は、眠たげな声で言った。
「クラナくーん……?」
────
「…………」
朝餉の支度をしつつ、結局近い歳の少女と同じテントに寝てしまった事を思い出して、クラナは顔を赤面させる。その顔にはやや疲労の色がある。
正直を言うと、すぐ隣に割と洒落にならないレベルの美少女が寝ていると言う事実に緊張したせいで昨晩はなかなか寝付けなかった。しかも相手も自分も寝袋では無く普通の掛け布団。だと言うのに最近暑いだとかでジークはタンクトップ一枚で寝る上に寝像が悪いのか此方に近寄って来るから最早寝るどころの話では無い。
そのようなふがいない自分を律しつつ、今は食事を作って居る所だ。
とりあえず、ベーコンエッグをパンにはさんだ物で良いだろう。ジークはコメが好きなようだったし焼き魚と味噌汁におにぎりも考えたが、完全に昨日とメニューが被るので止めておいた。
「んー?あー、クラナくん……?おはよう~……」
「あ……おはようございます」
[おはようございますジークさん!]
「えぇ匂い~」
ぽわわんと微笑みつつ鼻をぴくぴくさせるジークを見て、こうして見ると猫みたいだな。等と思いつつ、クラナは苦笑した。
「……ご飯、もう少しでできますから」
[ジークさん、顔を洗ってらしてはいかがですか?]
「ん、そうする~」
まだ若干覚醒しきって居ない様子のジークにアルがそう言うと、ジークは相変わらずのほほんとしたままトコトコと川べりに近寄って行くジークリンデに苦笑して、クラナはフライパンを火の上からのける。そうして皿の上に目玉焼きを置いた……直後、其れが目に飛び込んできた。
「ふぁっ……!?」
ガサガサと川の反対側から草をかき分けて出て来たのは……小熊であった。大きさは、丁度中型犬と同じくらいか。まるで食事の匂いに誘われるように、浅い川をのそのそと渡って来る。
「え、ちょ……!?」
[あ、相棒熊です!小熊です!]
「んなこと分かってるよ!」
念話も忘れて怒鳴るクラナの頭の中は、既にエマージェンシーである。デンジャーである。ワーニングである。レッドアラートである。と言うか動物園以外で熊を見たのなど初めてだ。こういう場合どうすればいい?対処法が全く思い浮かばない。いやと言うかこの局面に至ってはっきりした対処法が分かる人がいるなら教えてくれと言う話である。
[と、とりあえず死んだふりです!]
「小熊相手に!?」
いや流石に意味が無いだろう。と言うかお前デバイスなんだからもう少し論理的な対処法の一つでも出してくれと思い始めて、闘うか逃げるかを真剣に思案し始めた、その時だった。
「ん?あー、君、またきたん?」
「!?」
突然離れた場所で顔を洗っていたジークリンデが、顔を拭いて此方にやってきた。何と全く警戒する様子も無くトコトコと近付いて行くので、クラナは焦った。
「ちょ……!」
[ジークさん!危険ですよ!?子供とは言え熊ですし母熊がきっと近くに……!]
「え?あぁ、平気や。こわがらんでええよ。この子とこの子のお母さん、ウチの友達やから」
「と、友達……?」
首を傾げたクラナの前で、ジークが小熊に向けて無造作に手を伸ばす。すると、小熊は嬉しげにその手に頬を摺りつけ出した。
「う、わ……」
[驚きました……とても懐いてらっしゃるのですね……?]
「んー、まぁ、こういう所ばっかりに行ってるせいかもしれへんけど、何となく、こういう子たちと友達になるのが好きなんよ」
小さく微笑んで、ジークは小熊を撫でる。小熊はそれを気持ちよさそうに受け入れると、食べ物の方に興味を示したようで、鼻をひくひくとさせ始めた。
「あはは……君は食いしんぼさんやからなぁ」
そんな事を言いながら、ジークは小熊に傍らにあった木の実をあげていく。小熊は少しふんふんとキノコの匂いをかぐと、嬉しそうに両手で器用に食べ始めた。
と、小熊の前にかがみこんだままで、ジークは小首を傾げる。
「そう言えば君、お母さんはどうしたん?何時もは一緒やのに……」
「は、母熊も友達……?」
「うん、せやね」
何でも無い事のように笑いながら、ジークは答えた。何と言うか、普通に凄い事を言うなとクラナは改めて理解する。格闘技が強い、それ以外は別段変わった所も無い少女だと思っていたが、育った環境だろうか?どうやらただそれだけと言う訳ではなさそうだ。
と、その時不意に、小熊が出て来た草むらと同じ辺りが、ガサガサと揺れた。
「あ、ほら、出て来る」
「えっと……」
なんで熊が出て来るって言うのにこんなに危機感無く居るんだろう……そんな風に思いながら、クラナが頬を書いてその其処を見る。出て来たのは、立派な母熊だった。二本脚で立ち上がれば3mは確実にあるだろう。或いは4m近いかもしれない。
そのあまりの大きさに実感引きつつ、クラナは言う。
「す、凄いですね……」
「はは、やっぱりおおきいなぁ……?」
「?」
「いや、あの子、あんなに大きかったかなぁ思て……」
微妙そうな顔をするジークと共に見ていると、母熊と目があった。その瞬間……
「……ッ!?」
「グルル……グオォオオッ!!!!」
突然、母熊が咆哮した。
次の瞬間それはその巨体からは想像もつかないほどの加速力で突進しだすと、五m以上あった筈の距離をあっという間に詰めて、ジークとクラナ目がけてその太腕を振りかざしてくる。
「!?クラナくん!」
「うわっ!?」
一瞬反応の遅れたクラナに対して、ジークの反応は早かった。即座に振りかえってクラナの事を抱えると、押し倒すようにして伏せる。その頭上を、振り回された熊の腕が通過した。
「クラナくん離れて!」
「は、はいっ!」
其れを確認するや否や、ジークは起き上がりつつ熊から距離を取る。クラナもそれにならって倒れた姿勢から後ろ周りの要領で回転して起き上がると、バックステップで距離を取った。
「あの、これ、友達とはちょっと……!」
「う、ウチも分かれへん……!一昨日会うた時は何時もみたいにしてくれとったのに……!」
混乱した様子のジークを横目に、クラナは母熊を見る。通常の熊と比べても明らかに大きい。それに全体的に毛並みが逆立っていてかなり威圧的であり、瞳も朱くギラギラと輝いている。まるで凶暴性の高い魔法生物のようだ。
「(瞳が、朱い?)」
いやまて、通常生物であんな眼をした生き物がいるのか?まして熊に……
そんな風に思った瞬間、二本脚で立ち上がった熊が、再び大きく熊が咆哮した。
「グオオオォォオオオァッ!!」
「くっ……」
びりびりと威圧するように振動する空気に、クラナは思わず両腕で顔尾を覆う。と、母熊は突然腕を振りあげると、まるで地面を抉るように振るおうと構える。其処には誰もいないにも関わらず何処を狙っているのかと一瞬考えてしまったのは、“彼女”の狙っている物が本来あまりにもあり得ない物だったからだ。
しかし一度母熊の視線の先を見ればまぎれも無く、其処には彼女の愛する筈の我が子が、彼女を止めようとするかのようにその脚にすがりついていた。
「(まず……!)」
「ッ!アカンっ!!」
バンッ!と地を蹴る音と共に、隣にいた黒い影が飛び出す。其れは昨日見たどんな踏み込みの速度よりも素早く母熊の足元の小熊目がけて走り込むと、その小さな身体を抱えあげて母熊から離れようとする。しかし彼女が退避しきるよりも早く、母熊の腕が地面を抉った。
「あッ……!」
「ジークさん!!」
全てが咄嗟の出来事であるにも関わらず、直撃を受けなかったのは流石の一言だろう。咄嗟に身を交わしたジークの身体を、熊の腕は掠めて通過する。しかしそれだけでも途方も無い破壊力を持っていたらしいその腕は、ジークの身体を軽々と吹き飛ばす。直後……
「アルッ!!!」
[Emergency.Set up]
怒鳴ったクラナの声に呼応するかのようにアルが輝き、セットアップが完了する。母熊が未だにジーク達を目線で追っているのを確認すると、即座に怒鳴った。
「四つ目!」
[Fourth gear unlock. Acceleration.]
ブシュゥッ!と音を立てて脚光の突起が一斉に四つ、左右にずれた。熊の巨体がジーク達を追おうとしたのか上体を降ろそうとした直後、クラナは熊の目の前に現れる。
この熊があの小熊の母熊なのかそうでないのかは分からないが、ただ少なくとも小熊に警戒した様子は無かった、ならばジークのいう母熊はこの熊だと言う事になる。だが……
「一拳撃滅!」
全力で振るった拳が彼女のむき出しの腹部に直撃すると同時に……
何れにしても、今は話の通じる状況でも相手でも無い!
[Impact!!]
拳から魔力が爆破するようにほとばしり、熊の身体が10センチ程地面から浮いた。が……
「(重い……!)」
一般的に、大人のヒグマの重さは食べ物にもよるが、300から、大きい固体で500㎏にまで達すると言われている。メスはこれより少し小さい筈なのだが、この熊は既に4m近い巨体だ。拳の感触からして、推定でも重さは700キロ近くあるだろう。それ程に手ごたえが重い。しかもこれが分厚い毛皮と脂肪に覆われている物だから……
「ガァアアアッ!!」
「フッ!」
拳の一発では殆どダメージが無い。
受けた拳を意にも介さないと言うかのごとく、彼女はクラナへののしかかりを敢行する。この巨体にのしかかられたらその時点で確実に詰む……と言うか即死もありうる。クラナは身体を即座に回転させると、右回りに後退しつつその範囲から抜け出す。
「だったら……!」
ズシンと地震のような揺れを起こしながら身体を降ろした彼女にクラナは再び身体がぶれる程の速度で踏み込む。そして……
「おぉっ……!」
「ガアアッ!!?」
その顔面の鼻っ面をぶん殴った。鼻は基本的に、多くの生き物にとって共通の急所の一つだ。案の定、殴られた瞬間彼女は大きく身体を逸らしクラナから身体をそむける。間違いなく効いている証拠だ。落ち着いて相手の攻撃をかわしつつ、効きそうな場所を狙っていけばやがて戦意を喪失する筈。
何とか戦意を殺いで逃げるしかない。そう思っていた。
──圧倒的なその威圧感が、背筋から身体を突きぬけるその時までは──
「ッ…………!!?」
殺気、いや、殺意。ただ相手を殲滅すると言う明確な“意思”が、自分のすぐ後方から放たれている。
振り向くことすら恐ろしく、迫りくる彼女にすら眼もくれず、ただただ無意識の内に“頭を下げた”。
破壊が、つい先ほどまでクラナの頭があった場所を通過する。
「……ガイスト・クヴァール……」
黒い爪をもつ其れが左腕を振るった瞬間、ブシッとまるで水入りの袋をねじり切ったような音がした。およそ小さなその音の結果は、何よりも分かりやすい光景で、クラナの前に示されている。巨大な熊の右前脚が、付け根から抉り取られ、綺麗に消失していたからだ。
「ギュアアァァァァァァァァァアアアアアアアアア!!!!」
まるで壊れたスピーカーのように、彼女の悲鳴が周囲に響き渡り、引きちぎられたような腕の断面から噴水のような勢いで紅色の液体がまき散らされる。バランスを崩した身体が横転し、彼女はもがきながら地面に倒れ伏した。
駆け抜けたままの姿勢から、ジークがゆっくりと此方を向く。
あらゆる感情が抜け落ちたような無表情と、同時に全てを冷淡に見据えるその視線を見た瞬間、クラナの背筋に冷たい物が走った。母熊の腕を引き裂いた歳の帰り血が身体や頬に付いたその姿は恐ろしくもあり、同時に何処か薄ら寒いほどの美しさを兼ね備えている……。
「ジーク……さん……?」
[これは、一体……]
ジークの右腕からは、黒い魔力光がゆらゆらと立ち昇っている、まるで亡霊の爪のようだと、クラナは直感的にそう思った。
「…………」
振り向いたジークが大ぶりな構えを取る。明らかな大技の気配……動きを封じた上で叩き込む事で、確実にとどめを刺すつもりだ。恐らくは、確実にあの大熊の命を消し去る為に。
「……っ!」
だがその瞬間、クラナは気が付いた。ジークと共に吹き飛ばされた小熊が、トテトテと大熊の方へと走って行く。やはりあの熊は母熊なのだ。何故あんな風になってしまったのかは分からないが、小熊には其れが分かるのだろう。
思わず、クラナはジークを見る。ジークが技を止める気配は無い。小熊が見えていない……?いや、そもそも小熊を認識していないのだ。今ジークの視界には、自らが倒すべき対象である母熊しか入って居ない。そう一瞬の内ではっきりと理解してしまうほど、無表情に、無慈悲に、ジークは振りあげた腕を振り下ろそうとして居た。まるで彼女の身体が自動的に、脅威を排除しているかのようだ。
その刹那、クラナの頭に、先程の少女の穏やかな笑顔と、言葉がよぎった。
『こわがらんでええよ。この子とこの子のお母さん、ウチの友達やから』
今のジークが普通でないのは、どんなにクラナが鈍くても理解出来る。あの殺戮以外に使い方の見えない異様な魔法戦技といい、一切の揺らぎすら認められない冷淡さといい、今までクラナが見て来たジークとは付合しない点が多すぎる。だがそんな物のどれよりも、今クラナの頭の中を満たした疑問があった。
あの一撃を、ジークに撃たせてしまって良いのだろうか?
もう一度、今のジークを見る。
一切の躊躇いも無く母熊へと放たれる彼女の一撃は、間違いなく、今母熊のごく近くにいる小熊も巻き込むだろう。彼女は自分が命がけで守ろうとした命を、ほんの数十秒しか経っていない先の未来であるこの瞬間に、自らの手で消し去ろうとしてるのだ。
『ダメだ……!』
クラナは、確信した。例え今の彼女が自らの意思で動いているにせよそうでないにせよ、あの一撃を撃たせてしまったら確実に彼女は自らの行いを後悔する。ましてもしも本心からの行動でないとしたら、その後悔は確実に彼女の心を引き裂いてしまうだろう。だから……
「やめろッ、“ジーク”!!」
「……殲撃(ガイスト・ナーゲル)……」
だからクラナは、母熊のジークの間に走り込んだ。
くしくも、クラナが母熊の前にたどり着くのと、ジークの一撃が放たれたのは、全くの同時だった。
眼前に迫る破壊の爪が、自らの視界を覆い尽くそうとする。回避できない。防御も恐らくは持たないだろう。
威力は先程の事で分かっている。人間の身体が耐えられるような一撃では無い。
『死…………!』
その黒光の一撃が、クラナの四肢をバラバラに引き裂こうと迫り……
──喰ラエ──
直後、視界が真っ白になった。
────
「…………!」
ハッと、ジークリンデ・エレミアは自我を取り戻した。
自分は何をしていた?その問いに答える者はいないが、たどった記憶が答えを示してくれる。そうだ。確か異様な姿に変わった母熊が小熊を殺そうとして……自分が吹き飛ばされた所までは覚えている。
『クラナくん……っ!?』
視界を広げて周囲を見回そうとして、ジークはガクンと、膝を付いた。身体に、力が入らないのだ。
「くっ……」
理由は分からなかったが今はそんな事を気にしている場合では無い。何とか手を付きひざまづいて、ジークは周囲を見渡す。
“それ”は、すぐに見つかった……いや、見つかってしまった。
「…………ぁ」
10m程向こうの河原に、人が倒れていた。傍らには一匹の母熊と小熊も倒れている。血の海に沈んだその人影は、間違いなく昨日出会ったばかりの少年、クラナ・ディリフスだった。
「ぁ……いやや……」
そんなつもりは無かった。ジークが初めに思ったのはそんな言い訳じみた一言だった。だが其れが何の弁解にもならないことを、彼女はよく知っている。およそ自分が何をしたのかも含めて、ジークには容易に想像が付いた。
“また”だ。“また”自分はやってしまったのだ。望まぬ力。破壊の爪は結局、自分にとっての大切とそうでない物を区別してはくれないらしい。
「嫌やぁ……!」
小さく悲鳴のような声を上げて、ジークは小さく泣いた。
────
「っ!」
掛け布団が勢いよくめくれる音を立てて、クラナは目覚める。
身体を起こして、周囲をキョロキョロと見回してみた。
清潔感のある部屋だった。全体的に白く、初めに視界に入った天井も、壁も白い。外からは夕方の紅色の光が差し込んでいて、下から伝わる感触が、自分がベッドに寝かされてた事を伝えていた。
「此処は……」
[あ、相棒!目が覚めましたか!]
「アル?」
左を見ると、ベッドサイドの机の上で見慣れたペンライトがチカチカと点滅していた。其処から聞きなれた元気のよい声が流れて来る。
[おはようございます相棒。突然ですが、何処まで覚えていらっしゃいますか?]
「え?何処まで……って」
確か昨日はジーク朝飯の支度をしていて、その後小熊と、母熊と……それで、ジークが……
「そ、そだ!ジークさんは!?」
[落ち着いて下さい相棒。実は相棒には一つお伝えしなければなりません]
「え?」
[相棒はあれから、十年ほど意識がありませんでした]
「…………は?」
十年?どう言う事だ、何故それ程の時間……いやまて、問題なのは其処では無い、だとしたら今は一体何時だ?ジークだけでは無い。なのはやフェイトやヴィヴィオはどうしていて、自分はこれから何をするべきで……
[……あ、間違えました!十時間です!テヘッ!]
スパァンッ!!!!
と音を立てて、クラナは自らの愛機をベッドに向けて全力で叩きつけた。本当は床か壁に向けて投げつけてやりたかったところだが、壊れたりしたら困る。主に破片を掃除するのが面倒的な意味で。
「君をトイレに流すよ……アル……」
[ヒエエエエエェェェェェ!!!!?ちょ、ちょっと待って下さい!joke!!It`s jokeですって!!疲れた相棒の心に一粒の水をですね……!]
「今この状況じゃ冗談になって無いでしょ!!本気で焦ったよ!!!」
普段の無口っぷりまるでが嘘のように怒鳴り立てるクラナに、流石のアルも平謝りをして、ひとまずその場は収まる。ようやく落ち着いた頃、クラナが聞いた。
『それで……此処は?ジークさんとか……あと、あの熊とか……』
[はい。先ず此処は、ミッドチルダ西部聖王病院の三階の病室になります。あれからジークさんにコンタクトを取って通信機でヴィクトーリアさんと緊急ダイアルに連絡を行い、要請した救急ヘリでこの病院まで運んでいただきました]
『そっか……ジークさんは大丈夫?』
[はい。軽い擦り傷等は負っておられましたが、やや魔力欠乏を起こしている他は特に外傷、魔力関係の問題共に無く……ただ……]
少し口ごもるように其処で言葉を切ったアルに、クラナはやや不安そうに首を傾げた。
『ただ……?』
[いえ。ただジークさんは、酷く憔悴したご様子で……搬送されるまでも、される際も、とても悲しそうに……精神的にも、とても不安定なご様子でした]
「…………」
その報告に、クラナは絶句する。せき込むように、彼は尋ねた。
『じ、ジークさんは今どこに!?』
[恐らくはこの病院の何処かにいらっしゃるとは思いますが……ですが相棒、今は少し彼女に会うのは待った方がよろしいかと……]
「なんで!?」
念話を忘れ、思わず声を荒げてクラナは問うた。そんな彼に、アルはやや気遣うような口調で答える。
[搬送されるまでの間、ジークさんはずっと仰っていました。「ウチのせいで」「ごめんなさい」と……今、ジークさんは相棒に対して相当負い目を感じていらっしゃると思います。ヴィクトーリアさんも付いていらっしゃいますし、今はまだ……]
『だったら尚更だよ!ジークさんにだって事情があるんだろ!?それなのに俺だけ被害者みたいな顔してジークさんの事ほとっとけって言うのか!?』
[そ、そうでは有りませんが……]
其れは普段のクラナを知る者からすれば、驚くほどに鋭い剣幕だった。念話でなければ、確実に外に聞こえていただろう。そんな中……
「……あれ?クラナ!」
「!?」
[あ、そうでした]
病室の扉が開いたかと思うと、その向こうから栗色の髪の女性が顔を出した。見まごう筈もない、母である、なのはだった。
「良かった……!」
「わっ……」
クラナと目を合わせたなのはは突然彼に駆け寄ると、その両手でクラナの手を胸の前でしっかりと包み、心から安心したようにそんな事を言った。突然の事に抵抗は愚か反応すら出来ないまま手を取られたクラナは、珍しく顔を朱くして狼狽する。何と言うか、取り合えず柔らかい。色んな意味で。
「あ、あの……!」
「あ……ご、ごめんね!」
声を上げると、なのははようやく離れて苦笑しながら胸の前で掌をひらひらと振る。パニックになった頭を立て直し、次に言うべき言葉を考える。
「なん……」
咄嗟に、何でここに、そんな言葉が出そうになって、クラナははたと口をつぐんだ。何故、など……分かり切った話だ。曲がりなりにも息子である自分が倒れたなどと聞けば、なのはの性格からして飛んでくるに決まっているのだ。どれだけ自分が避けても、遠ざけても、自分の母親であることを投げ出そうとしなかった彼女なら、なおさら……
「……仕事は……」
「え?あぁ、うん。大丈夫だよ。ヴィータちゃんにちゃんとお願いしてきたから」
笑顔で言うなのはに、クラナは心の奥底がチクリと痛むのを意識した。
なのはは、息子であるクラナが言うのもあれでは有るが、非常に優秀な教導官だ。担当している部隊だけでは無く、海陸問わず、多くの部隊から引っ張りだこになるほどの人気教導官で、仕事の予定は入れようと思えば今の倍は入れられるのだと言う事をクラナはちゃんと知っている。
それでも彼女は、娘であるヴィヴィオとの時間を……きっと、こんな自分との時間ですら、大切にしようと努力して、スケジュールを調整し、それでいて何時も、家族の前では笑顔で居てくれる。
そんな母親に自分の不注意と未熟さが、負担を掛け、予定を狂わせてしまった……そう思った途端、急激に胸の内で居たたまれない気持ちが膨らみ、そして……
「……すみません」
「く、クラナ……」
気が付けば、深々と、クラナはなのはに頭を下げていた。ただ静かに一言だけを述べて自分に頭を下げるそんな様子を見て、なのはは一瞬だけ、悲しそうに表情をゆがめた。
その言葉と動作が、あまりにも他人行儀で、申し訳なさそうで……自分にはどうしても甘えてくれないのだと、改めて事実を叩きつけられたような気持ちになる。けれど其れを悟られないように、なのはは優しい声で語り掛けた。
「もう……謝ることなんてありませんっ。クラナの心配するのは、当たり前なんだから、クラナが申し訳なく思ったりすることなんて無いんだよ?」
「…………」
その言葉を聞いても頭を上げようとしないクラナに、なのはは更に何かを語り掛けるか、迷ったように視線をさまよわせる。そんな所に……
「失礼します~」
「?」
少し変わったイントネーションと共に、茶色がかった短い髪の女性が、部屋の中へと入ってきた。クラナにとっては久しぶりに見る顔であったが、同時にある意味では見慣れた顔でもある。
「え、は、はやてちゃん!?」
「うん、こんにちは~なのはちゃん」
「…………」
部屋に入ってきたのは、八神はやて。フェイトと同じくなのはの幼馴染の一人であり、四年前の起動六課では部隊長。現在は管理局にて海上司令の地位に付く、名実共の出世頭である。
「はやてさん……」
「久し振り~クラナ、元気しとった?」
「…………」
二言目には口をつぐんで頷くに留めるクラナにやや残念そうに笑いながら、はやては傍らから小さな小箱を取り出した。
「けど起きててよかったわ~、お見舞い、なんてちょっと大袈裟かな~思たけど……プリン買ってきたんよ。診察受けたら、三人で食べよ?」
「…………!」
「「(あ、ちょっと目が輝いた)」」
その言葉を聞いた直後にクラナを見てと、はやてとなのはは先程とは少し違う意味で小さく微笑んだ。
――――
一度簡単な診察を受けて、食事の許可をもらってから数分、部屋にはプリンを食べる三人の姿があった。
「…………」
「それじゃ、ヴィータちゃんが此処を?」
「うん。『なのはが血相変えてでてったぞ~』言うて、私も、偶々仕事で近くの支部に来とったから、無事の確認ついでに、久々に可愛い弟分顔みとこ~って」
無言でプリンを食べるクラナを横目に、ニコニコ笑いながらはやてはそんな事を言う。忙しい筈の仕事にわざわざ時間を開けてまで来てくれる親友になのはは少し申し訳ないような気持ちが浮かぶのを自覚しつつも、そのありがたさに静かに笑みを浮かべた。
「ありがとね。はやてちゃん」
「……ありがとうございます」
母親に続いてクラナも深々と頭を下げる。そんな二人に苦笑しながら、はやては首を小さく振りながらのんびりとした様子だ。
「えぇんよ。それよりクラナ、身体大丈夫?なんや、半日近くも寝てたて聞いたから、ウチもなのはちゃんもほんまに心配だったんよ?」
「……えっと」
この質問に特に体から異常は感じていないクラナはやや返答に困る。強いて言うならいつもより少し身体が重く感じるくらいか。そんな事をそれとなく伝えると、なのはも小さく頷いて言った。
「事情は、私も聞いたよ。先生も、魔力の使い過ぎから来る急激な疲労だろうって言ってた……でもクラナ、何をしたの?」
「……?」
何をした、とはどういう意味だろうと考えて、クラナは少し考え込む。分かっていない様子のクラナに、なのははおや?と言いたそうに首を傾げた。
「近くに居た子が言ってたよ?クラナ、高密度のイレイサーを受けたんだって。でも大きな外傷は負って無かったし……上手く防御出来たって事だよね?」
「…………?、?」
そう言われて、クラナはその時のことを思い出してみる。確かに自分がジークの攻撃の前に身体を晒した事は覚えている。と言うかあれがイレイサーだったとは……自分でも何故無事なのか不思議になって来る。
イレイサーと言うのは、攻撃魔法の分類の一つだ。その根本的な理念は攻撃対象を“消滅させる”事。超高圧縮した魔力で局地的なごく狭い範囲に対する攻撃を行う事で、その範囲内に対してのみ、収束砲撃魔法以上の破壊を巻き起こす魔法形態で、近接戦闘に置いてはただでさえ難しい制御を少し誤ると、暴発に自身も巻き込まれる可能性がある為に用いられる事は殆ど無く、最もポピュラーな中距離圏の射程圏内に置いても、よほどの熟練者でない限り射出可能な安定状態になるまでかなりの時間を要する為に使い勝手が悪く、多用されるケースは少ない。
だが、あの時の彼女が非殺傷設定だったとしても、そのような魔法を受けて自分が大した怪我もせず五体満足にベットで寝ていられると言う事は、恐らく自分はあれを防げたのだろう。が、クラナには、その記憶が無かった。
身体を飛びださせた所までは覚えているのに、その先からこのベッドの上で目が覚めるまでの記憶がぽっかりと抜け落ちているのである。
『アル、どうなったか、わかる?』
[いえ、其れが、実はあの時防御魔法を行使した記録が、私のログには残って居ないのです]
「え?」
予想外の発言に、なのはが驚いたように声を上げた。クラナもまた、少しだけ目を見開いて驚きをあらわにする。普段使わないような魔力量を一気に使って意識が飛び、そのショックで前後の記憶が飛ぶなら分かる。だがデバイスであるアルのログに何も残って居ないと言うのはどう言う訳か。
[実はあの瞬間、突然私の中の魔力量が0になりまして、内臓魔力を使いきってしまったせいで、機能を保てず、記録機能がストップしてしまいまして……申し訳ありません]
『い、いや其れは良いけど……でも、どう言う事?』
「アルの内臓魔力がゼロに……?」
デバイスであるアルは元々、魔力を動力源として機能している。その動力源は本来マスターであるクラナから常に供給されている筈なので、クラナが近くに居た状況で彼女の魔力が切れると言うのは……
「それくらい全部、魔力を回してた、ちゅうことかな?アルを使わないで防御魔法を使う為に」
「…………」
はやての言葉に、なのはは考え込むように首を傾げた。反射的な行動とは言え、セットアップをしている状況でわざわざデバイスを介さずに魔法を発動しようとしたりする例は珍しい。というかその場合、デバイスの方が反応して自動で防御魔法を使う方が寧ろ自然だ。
第一……
「……覚えて、無いです……」
「うーん……もしかしたら、魔法を使った気絶のショックで記憶が飛んでたりするんかな……?」
「だとしたら、後でちゃんと検査してもらわないとね」
首を捻るはやてに、なのはは少しばかり真剣な面持ちでそう言って頷いた。そんな二人の様子を見ながら、クラナは小さく頭を掻く。自分では特に自覚も無いが、まぁ記憶喪失など自覚しろと言う方が無理な話だ。ヴィヴィオも自分の記憶が無いのを長い間なぁなぁでなんだかんだやれていた訳で(彼女にするとそんな単純な話ではないのだが)まぁこうして無事なのだからその内思いだすのを待てばよい。
「それじゃ、ウチはそろそろ戻るわ、お大事にクラナ、なのはちゃんも、また連絡するよ~」
「うん、またねはやてちゃん」
「……ども」
微笑みながら上着を持って立ち上がり立ちさるはやてを、なのはは小さく手を振って見送る。軽く手を振り返して扉を開けようとコンパネに手を伸ばしたはやての目の前で、不意に扉がすっと開いた。
「あれ」
「あ、申し訳ありません」
「あ、うぅん、えぇよ~丁度出るとこやったから。それじゃなのはちゃん」
「うん」
互いに頭を下げながら、はやてとすれ違うように入ってきた来訪者は、クラナにとっても見慣れた人物だった。
「(ジークさん……!ヴィクトーリアさんまで……)」
「あ、さっきの」
「先程は、ありがとうございました……こんにちは、クラナさん。目が覚めたんですのね、良かった……」
「……!……」
入ってきた二人を、なのはが小さく笑って出迎える。ヴィクトーリアが居ることに内心驚いたクラナはしかし、反射的にジークを観察し、大きなけがも無い様子であることを確認すると──あくまで内心でだが──大きな安堵のため息を付いた。
そのクラナの様子を見て、ヴィクトーリアも安堵の息を付く。ジークは一瞬だけ心から安心したように目を開いたが……
「(……?あれ……)」
「…………」
すぐにクラナから逃げるように視線を伏せてしまった。別に見つめ合いたいわけでもないのだが、妙に避けられた気がしてクラナは少しだけ首を傾げた。
そんな事をしている内に、二人は大きく頭を下げる。
「クラナさん、クラナさんのお母様も、この度は本当に申し訳ありませんでした……」
「あ、えと……」
「安全性への配慮を欠いたままの練習は、本来競技者としてあるまじき事、私が浅慮なばかりに……本当に申し訳ありませんでした!」
「ち、ちがうんです、ヴィクターはクラナくんの事を紹介してくれただけやから……ウチが、ウチが悪いんです……!ほんまに、ごめんなさい……」
心から申し訳なさそうに、二人は何度も何度も頭を下げる。生まれてこの方其処まで平伏して謝罪を受けた機会が少ないクラナにして見ると、軽く戸惑いを覚えてしまう。それ程の痛切な謝罪と……そして一種の恐怖を、クラナは感じていた。
なのはの視線は真剣で、静かに彼女達を捕えている、或いは怒っているのかもしれない、と、クラナは思った。当然だ、彼女達の謝罪の内容は大凡事実であり、それによって我が子が意識不明になれば、まともな母親なら誰であれ怒るだろう。ただそれでも何も言わないのは、クラナの判断を尊重してくれると言う、彼女なりの意思表示なのかもしれないとも、クラナは感じる。
其れが少しだけ嬉しくて、クラナは内心で口角を上げ……同時に頭を下げた。
「俺も……皆さんに心配掛けて、ごめんなさい……」
「…………」
「クラナさん……」
だからまずは、なのはと、ジークとヴィクトーリア、この場に居る三人全員に向けて謝罪した。なのはは一瞬だけ驚いたような顔をすると、小さく微笑んでクラナを見る。逆にジークやヴィクトーリアは、頭を下げたクラナを見て戸惑ったような表情を浮かべる。頭を上げて、クラナは一度大きく息を付くと、腹を決めて口を開いた。
「不注意だったのは、俺も同じです。て言うか、俺が気絶したのは全面的に俺の所為ですし……」
「い、いえですが……」
「競技者なら、練習中の危険も自己管理の内……ですから。お二人の所為には出来ないと思いますし……俺もしたく無いので……その、あまり謝らないで下さい」
「クラナ、くん……」
上体を伏して言うクラナを困惑したような、形容しがたい表情でジークが見た。「それより……」その彼女と視線を合わせて、クラナは問う。
「ジークさんは、大丈夫ですか……?怪我とか、してないように見えますけど……」
「っ…………」
その真っ直ぐな瞳と視線を合わせた瞬間に、ジークの身体が金縛りを受けたように動かなくなる。数秒の間答えることも出来ないままでいた彼女は、不意に再び視線を伏せて答えた。
「う、うん……ウチは……平気や……ウチは……」
言いながら、ジークの声はドンドン減衰して行った。しかしクラナは安堵したように、小さく微笑む。
「良かった……」
「……!」
その顔を見た瞬間に、ジークは心から何かを恐れるような表情で方を振るわせると、フラフラと数歩後ずさり、顔を伏せて消え入りそうな声で言う。
「ヴィクター……ごめん、ウチ、もう無理や……」
「え、ち、ちょっとジーク!?」
「ホンマに、ごめんなさい……!」
「え…………」
「ジークっ!」
言うと同時に、ジークは扉を開けて走りさる。ヴィクトーリアが焦って引きとめようとしたが、それよりも早く彼女は走りだし、彼女は一度頭を下げると即座に後を追い掛けるように部屋を出て行く。突然の事になのはとクラナは一瞬あっけにとられたように硬直したが、即座にクラナが反応した。
「ッ!」
「っ!クラナ、ストップ!」
ベッドから飛び降り走り出そうとしたクラナをなのはが引きとめる。が、なのはに言われるまでも無く、走り出そうとしたクラナの身体がふらついた。
「……!」
「クラナっ!」
視界がぐらりと揺れて倒れかけた身体を、なのはが焦ったように、けれどある程度なれた動きで受け止める。
「だめだよ、さっき起きたばっかりなのにいきなりそんな激しい動きしたら。精密検査もまだなんだし……」
「う……」
支えられながら、クラナ何とか身体に力を入れる。幸い力が入らない訳ではない、ただ長時間意識が無かったにも関わらず急激に動こうとした反動だろう。
『まったく、行き成り動こうとするからよクラナ。もうちょっと寝てなさいな』
「ッ……!」
「わっ……」
突然、クラナがなのはを突き飛ばした。クラナ自身も、自分がどうしてそんな事をするのかは分からない。ただ気が付くと、クラナは少し強めに彼女を両手で遠ざけていた。
「……ぁ……」
「……クラ、ナ……」
はっと気が付いた時には既に、なのはがショックを受けたような瞳で自分を見ていた。
なのは自身、今になって拒絶されることに其処まで不意を突かれたりはしない、ただ、このような直接的な拒絶は、なまじこれまで接する機会自体が少なかった分初めてだったのだ。その事実が彼女を硬直させ、同時にクラナの中で動揺が膨張しかける。だが……
「そっか……どうしても、追いかけたいんだね?」
なのはは、あえて其処で、話を逸らさない事にした。
「え……」
一瞬、クラナは何を言われたのか理解できなくなる。だが、其れはあくまでも一瞬だった。
「……すみません、でも……」
「しょうがないなぁ……」
クラナもまた、今起こったことを注視するのを止める。目を逸らして、その一瞬の判断で、発生した事実から逃げた。その事実を注視してしまったら、今すべきことに向けて歩けなくなってしまう、その確信があったからだ。
そして苦しくもそれはなのはの想いに近い感情であった。
「分かった、でも、戻ってきたらちゃんと検査を受けなきゃだめだよ?」
なのはもまた、今起きた事実をこの瞬間に注視する事を放棄した。いや、注視する勇気が無かったと言うのが正しい。動揺したまま其れを注視してしまえば、それ以上一歩も前に出る勇気が出無くなってしまうようなそんな気がして……目を逸らす。
「は、はいっ」
「……気を付けてね」
「ッ!」
言われるが早いが、クラナは何とか立った脚を叱咤して病室から飛び出す。走り出してから入院服であることに気が付いたが、そんな事に構っていられない。
「(ジークさんっ……!)」
今はただ彼女の元へ。クラナはそのことだけを、まるで没頭するように考えていた。
……まるで、其処にだけを目を向ける事で、他の事から目を逸らそうとするように。
────
「……ふふ、クラナが女の子と、かぁ……」
少女の為に走るとは、まるでおとぎ話の勇者のようだ。そんな風に思いながら、息子の健全な成長を感じてなのはは病室の椅子に座る。
『あんな必死な顔のクラナ久しぶり……ほんとに大切な娘なんだろうな……』
小さく微笑みながら天井を見て……まるで思いだしたように、彼女は小さな声で言った。
「……突き飛ばされちゃった……」
何処か茫然とした様子でそんな事を言う。
母親ぶって送り出したが、実際は送り出したのではない、遠ざけたのだ。あのまま自分と息子の間に流れる空気が変わってしまう事が怖すぎたから、彼の目的を推し、遠ざける事で時間の緩衝剤を作った。自分の為の行動だ、なんて……
「卑怯だね……私……」
[No.]
小さく、自嘲気味に言った言葉に、傍らの紅い愛機が即座に反応した。言葉はそれだけだったが、はっきりとした否定の言葉が彼女の意見の全てを示している。
「うん……ありがとう、レイジングハート」
もう十年以上、自らの傍らで自分を支え続けてくれる相棒を愛おしげに指先でなでて、なのはは立ち上がると大きく伸びをする。
「さあって!それじゃあもうちょっとだけ、クラナのお手伝いをしようかな!手伝ってくれる?レイジングハート!」
[All right.]
後書き
アル「さぁ次回よこ……あれ!?ちょ、今回前後編ですか!?ちょ、速く言って下さいよ出てきちゃったじゃないですか!」
ウォ「良いですから速く引っ込みましょう」
※今回はニ部構成となります。後半は24時間以内に投稿されますので、少々お待ち下さい。
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