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黒魔術師松本沙耶香  紫蝶篇

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26部分:第二十六章


第二十六章

「この街にあるものでして」
「何処にあるのかしら」
 絵から目を離す。そのうえでバーテンに問う。
「その絵は」
「はい、それは」
 沙耶香が丁度飲んだところでそのカクテルを置いてきた。
「待って」
 しかし沙耶香は問いを一時中断させた。そのうえでバーテンに問う。
「そのカクテルは注文していないわよ」
「サービスです」
 目を細めてすっと笑ってきた。
「私から貴女へ」
「何かあるのかしら」
「スペインの男は美酒を捧げる時に見返りは必要としません」
 バーテンはそう沙耶香に返す。
「私の好意です」
「そうなの。それじゃあ」
 そのカクテルを受け取った。ブルームーン=カクテルであった。
「有り難く受け取らせて頂くわ」
「はい、どうぞ」
 微笑みと共に紫のカクテルを受け取る。右手に持って口元を綻ばせる。紫の世界に沙耶香の白い顔が映っている朧な光の中に彼女はいた。
「有り難う。それでね」
「ええ」
 話を戻してきた。バーテンもそれに応える。
「その絵はダリの絵よね」
「無論です」
 彼は沙耶香の言葉に頷く。
「何処にあるのかしら、それで」
「プラド美術館です」
「あそこなのね」
 それを聞いた沙耶香の目がピクリと動いた。
「あそこに」
「はい、そうです」
 バーテンは彼女に伝える。
 ブラド美術館とはスペインが世界に誇る偉大な美術館である。西洋美術の中でもとりわけ粋を集めたとされている美術館であり展示作品は約二千、所蔵作品は約七千に及び全て王室や修道院の収集品である。
 所謂略奪品は一点もないというのが誇りである。ここが大英美術館と違うとされている。建物は一八一八年に完成しており翌年美術館として開かれた。一八六八年の革命後でプラド美術館と改称され今に至る。現在は文化省所管の国立美術館でありベラスケス、ゴヤなどのスペイン絵画が質量ともに充実している他にフランドル、イタリア等の外国絵画も充実している。場所はプエルタ=デル=ソルの東約一キロ、プラド大通りを平行に庭を挟み少し奥まったところにある。マドリードの観光名所の一つであるのは言うまでもない。
「そこに新しく入ったものの一つです」
「そうだったの」
「はい、ダリの絵にしては変わったものにして」
「変わったもの?」
 沙耶香はその言葉に顔を向けてきた。
「どんな絵なの、それは」
「蝶なのです」
「蝶・・・・・・」
「そうです、蝶です」
 バーテンは彼に語る。
「その絵には蟻の代わりに蝶が描かれているのですよ」
「ダリの絵にしては変わっているわね」
 沙耶香は目に思案のものを含ませる。含ませながらさらに話を聞くのであった。
「それは少し」
「はい、しかもです」
 バーテンはさらに沙耶香に述べる。
「その蝶の色は紫です」
「紫・・・・・・」
 その言葉を聞いた瞬間カクテルを見た。その紫のカクテルをである。そのカクテルは青がかった透明な紫であるが彼女は今聞いた紫には別の紫を感じていた。
「そうです。それが実に綺麗な紫でして」
 彼は上機嫌でそう語る。
「一度見たら忘れられません」
「そう、紫なのね」
 沙耶香はその紫を自分でも呟く。
「その色もダリにしては珍しい色みたいね」
「そうです。だからこそ印象的で」
「わかったわ。紫ね」
「はい」
「何もかもね」
 バーテンからもカクテルからも絵からも視線を外す。そのうえで妖しく微笑んだ。
「何もかもといいますと」
「いえ」
 だがそれ以上は言おうとはしなかった。言葉を一旦は抑える。
「何でもないわ。安心して」
「はあ」
「けれど。紫の蝶ね」
「そうです。本当に綺麗な紫で」
「わかったわ。それじゃあね」
 その言葉を受けて述べていく。
「今日はその紫に乾杯ね」
「紫にですか」
「ええ。マドリードの紫に」
 にこりと笑って述べる。
「乾杯させてもらうわ。いいわね」
「ええ。でしたら」
「貴方に一杯ね」
「奢って頂けるのですか」
「絵を教えてくれた御礼よ」
 うっすらと妖艶な笑みを浮かべて述べる。
「だから。貴方にも」
「ブルームーン=カクテルですね」
「そうよ。それでいいわね」
「喜んで。それでは」
「ダリの絵に」
 ここで杯を合わせてそして。
「乾杯」
 そう言葉を交あわせた。そのうえで遅くまで酒を楽しむのであった。心地よい紫の酒を。


 
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