異界の王女と人狼の騎士
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第六話
ずん。
左瞼が開かれると同時に背後から猛烈な突風が舞い上げられる感覚。……そして浮遊感。目映い光を感じる。
それは今まで感じた事のないものだった。微かな空気のゆらぎ、音の動き、漂う気配、命の脈動、死の臭い。今まで感じることなどできなかった、存在すら認識できないのが風景に投影されているみたいだ。
それは点と線で構成された経絡図のように見える。床にも壁にも天井にも灰色の線が血管のようにあらゆるモノの中をうねるように縦横に走り、その上を黒や赤や緑色の点が漂っている。
点の存在はその血管の上に乗っていて、まるで血管の途中に現れた瘤のような存在だ。それは糸の上をそれぞれが好き勝手な方向に不規則な速度で動き、時折、属している糸から別の糸に飛び乗って移動したりもしている。
如月流星だった化け物を見る。
あいつにも同じように体の中を血管のような線が走り、その上を大小さまざまな瘤のような点が漂う。大きさはビー玉程度のものから拳大のものまで。
何なんだ、あれは。
俺は奴を視界に捉えながら、ゆっくりと両手を握ったり開いたりする。何か妙にすっきりと晴れ晴れした気分になっているように思えるけど、体に変化は感じられない。
自分の体に目をやる。……俺の体には線や点は見えない。そして少女の体にも見あたらない。……はて? この違いは何なんだろう?
唐突にだけど、思い出したように足首に激痛が走り、俺は自分が戦闘状態、しかも劣勢にある現実を思い出す。
足首に絡みついた触手はさらに強く俺の足を締め付け、皮膚を抉り骨をむき出しにしようとしているかのようだ。血がにじみ出している。その触手の中を血管のようなものが浮きだし、それを伝うように瘤が上下している。俺はその血管のようなものを掴もうと手を伸ばす。指は何の抵抗もなく、奴の触手を通り抜け、その中に入り込んでいく。その一本を掴んでみる。ブヨブヨした触感。
それを引っ張ってみると、あまりにあっけなくその糸は千切れた。まるでそれがきっかけとなったように、その触手がスパリと切断された。
「うぎょう!! 」
気持ち悪い男の悲鳴が響く。見ると如月が悲鳴を上げていた。俺の足に絡みついていた触手は瞬時に俺を離れ、奴の側に縮こまっている。
粘りけのある赤黒い液体をその触手から流している。みるみる床にその液体溜まりができあがる。切断された触手が床を血と透明の粘っこい液体をまき散らしながら跳ね回り動かなくなった。。
「て、てめー何しやがったんだ……」
威圧するようにこちらを見るが、明らかな動揺の色がその顔に浮かんでいた。
あの血管のような線は非常にもろい、少しつまむだけでその細い血管の様な糸はあっさりと切れる。その結果、奴にはダメージが与えられるようだ。……すると、プカプカ動いているあの瘤を潰せばどうなるんだろう? 俺は僅かな勝機を感じ、奴へと歩み出す。
如月は煩悶するような表情を見せ、おもむろに大きく頷いた。体をこちらに向け、5本の触手をだらりと床に垂らして両手を挙げた。
「あ、あん。ごめん。ごめんです。僕の負けです。スミマセン、許してください」
あっさり降伏宣言を始める。
「抵抗はやめます。月人さんに勝てない事が今解りました。僕は全面降伏します。だから好きにしてください……」
急に力が抜けるようなことを言う……。
突然の全面降伏にうさんくささを感じながらも、息絶え絶えとなっている少女の事が気になっていた。壁で体を支えて立ち上がってはいるが、かなり辛そうだ。
如月への注意を怠る事なんて当然無い。奴にはまだまだ戦闘力が残ったままだし、俺に対する殺意が消えてないことなんてバレバレだ。隙をみて攻撃しようとしているのは間違いない。だけどなんかうまくやる気をそらされたみたいで、なんとも言えない気分。
「大丈夫か? 」
と、彼女の方をみる。
「よそ見をしないで。まだ戦いの最中でしょう……。あいつは全然懲りていない……」
言いかけて少女は蹌踉めく。
慌てて俺は彼女に駆け寄ろうとする。当然奴への注意はそれてしまう。
その刹那。
このチャンスを待ってましたとばかりに、ダラリと垂れていた如月の触手が一斉に俺に向かって突き立てられてきた。速度ゼロからいきなり最高速度で突き上げられる槍の様に、5本の触手が明確な意志を持ち、俺の眼・喉・胸・腹をねらって突き出された。
しかもそいつらは一直線に、あるいは大きく迂回しながら、または地面を這いながらとすべてがトリッキーな動きだ。さらに残りの一本が剣のように、俺の体を真横に薙ぎ払うように風切り音を立てて振り出される。
油断した!
俺は自らの失策とそれに伴う代償に恐怖する。
……するはずだった。
奴の攻撃は速すぎて肉眼では捉えられない速度のはずだった。でも、俺の左眼はそれをスローモーションのように捉えていた。しかも相手の動きはスローモーションなんだけど、俺の体は普通の速度で動く!
俺の周りの世界の時間の流れが突然遅くなったようだ。その中で俺は普通に動ける?
ゆっくりと近づいてくる殺意のエネルギーをフル充填の4本の触手を緩やかに交わしながら、両手を触手の中に突っ込み、手が届く範囲のプカプカと漂う瘤を手に取ると次々と握りつぶす。
腐ったミカンを握りつぶしたような嫌な感触がするけど、我慢した。ぬるぬるした感触も嫌だけど仕方ない。
手を引き抜いた後の触手にはまるで傷がない。どういう訳でこんな事ができるんだろうって思ったけど、考える暇なんてない。
そして最後に横から斬るように来る最後の触手を飛び越え、足で瘤を蹴り潰した。
着地すると、そのまま少女の側に駆け寄り、倒れ込む彼女を抱きかかえた。
それは時間にして1秒に満たない出来事だったはず。
俺は奴の必殺の攻撃を全てかわし、さらに倒れる少女を抱き上げることに成功したんだ。
全ての触手が目標を捉えられず、壁に床へと突き刺さる。
「なんですとぅ! 」
素っ頓狂な声を上げる如月。しかし、さすがバケモノ。驚愕から瞬時に立ち直った彼が再度攻撃をしようと触手を再び振り上げようとする。
触手は少しだけ動いたが、いくつもの赤黒いラインがまるでひび割れのように触手全体に走ったと思うと、一気に崩壊した。それは触手が爆発したようにも見える。肉片と血液が床にぶち巻かれる。
「ウッギャー! 」
教室中に彼の悲鳴が響き渡った。
激痛に襲われた如月は吹っ飛び、床を狂ったかのように転がり回る。
「何なの、これ。……お前は一体」
俺の腕の中で金髪の少女が驚愕の表情を見せ、俺を見る。
「さあ。わからない。でもここから逃げ出せる可能性が高まったよ」
瘤や血管のようなものは生物の崩壊点のようなものなのか? 俺はそんな仮説を立てていた。血管のような糸を斬れば血が噴き出し体組織は切断される。瘤を潰せば、その瘤の影響範囲にある体組織は組織の形を維持できず崩壊する。
線の様なものは体の部位部位を繋ぐ糸、瘤はきっと急所なんだ。……たぶん。
でもそれは普通、生物とかの体内にあって触れることはできない。でも俺はその糸や瘤が見えるし、しかも掴むことも潰すこともできるんだ。……相手の死をこの手につかみ取ることができる能力。
そんな力、本気で現実なんだろうか? そんな疑問も起こるけど、まあどうでもいいや。考える時間も無いし、今は攻めるしかない。
いまだに悲鳴を上げて転がり回っている如月流星。
【おいおい、まだこれからだろ、如月。もう少しやる気を出してくれよ。でないとあっさりと潰しちゃうよ】
俺は奴の体を見る。
奴の胴体の腹の辺りに一際大きな瘤があるのが見える。だが、それは緩やかな螺旋を描くように回転しながら胴体の中をを行ったり来たりしている。しかもそれは体表面ではなく、どうも体のかなり深い場所にあるのが透けて見えるようだ。
あれが奴のコアで、あれを潰せば斃せる……のか?
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