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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百七十一話 奔流




帝国暦 490年 3月 13日  オーディン 新無憂宮  エーレンベルク元帥



「イゼルローン要塞を奪回したか、先ずは重畳」
リヒテンラーデ侯は上機嫌だ。
「ヴァレンシュタインは不機嫌でしたな」
私が言うとリヒテンラーデ侯が不思議そうな表情をした。

「軍はイゼルローン要塞の反乱軍を降伏させるつもりでした。しかし要塞はその前に反乱軍によって放棄されていました」
「なんと、では逃げられたか……」
そう言うとリヒテンラーデ侯は笑い出した。笑い事ではないのだがな。シュタインホフ元帥も渋面を作っている。

「いや、許せ。あの男でも思うように行かぬ事が有るとは……、反乱軍もなかなかやるではないか」
侯の笑い声は益々大きくなった。
「笑い事では有りませんぞ、国務尚書閣下。反乱軍の指揮官はヤン・ウェンリー、かつてローエングラム伯を大敗させイゼルローン要塞を奪取した男です。ここで捕殺する予定だったのですが……、厄介な男が逃げました」
シュタインホフ元帥の言葉にようやくリヒテンラーデ侯が笑うのを止めた。

「なるほど、あの男か」
侯は二度三度と頷くと“確かに厄介な男が逃げたようだ”と言った。
「油断は出来ません。フェザーン方面にも影響が出ております」
「本来ならフェザーン方面の反乱軍はイゼルローン要塞陥落に慌てふためく筈でした。しかしヤン・ウェンリーが撤退した事でフェザーン方面も撤退に入っております」

予定では混乱する反乱軍にかなりの打撃を与える事が出来た筈だった。戦線は崩壊しただろう。だが現実には反乱軍は損害を出してはいるが秩序を保って後退している……。私とシュタインホフ元帥の言葉にリヒテンラーデ侯も顔を顰めた。

「それで、ヴァレンシュタインは今どうしているのだ?」
リヒテンラーデ侯が私とシュタインホフ元帥を交互に見た。
「要塞をシュトックハウゼンに任せ残りの艦隊を率いて反乱軍の領内に向かっております」
シュトックハウゼンに要塞を任せるとはヴァレンシュタインめ、なかなか粋な事をする。

「イゼルローン要塞の反乱軍は民間人を引き連れております、そのままでは戦闘は出来ません。彼らを何処か安全な場所に連れて行き分離する筈です。その隙にヴァレンシュタインはハイネセンを目指します」
私とシュタインホフ元帥の答えにリヒテンラーデ侯が頷いた。

「フェザーン方面の事をもう少し詳しく話してくれぬか」
「既にフェザーン方面第一軍はフェザーン回廊の出口を確保し第二軍、第三軍は撤退する反乱軍を追っております。第一軍はこれからフェザーン制圧、そして回廊、補給路の警備、帝国領内の治安維持に任務を切り替えます」
“そうか”とリヒテンラーデ侯が言った。

「フェザーンから私の所に通信が入った」
フェザーンから? シュタインホフ元帥を見たが彼も心当たりは無さそうだ。
「長老委員会がペイワードをリコールしたそうだ。新たな自治領主は、はて何と言ったか……。テレマン、ロバート・テレマンと言っていたな」
「……」
「その男が連絡してきた。反乱軍が駐留していたため已むを得ず反乱軍に従っていたが自分達の本心は帝国に有る。前任者は反乱軍に与していたため自治領主の座から追った。以前のように帝国の自治領として認めて欲しいと言っていた。帝国のために何でもするそうだ。言外にだが私への賄賂も匂わせていたな」
リヒテンラーデ侯が冷笑を浮かべている。

「地球教が動いた、そういう事ですな。それでなんと返答されたのです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が“ふむ”と鼻を鳴らした。
「精々励め、そう言っておいた」
噴き出してしまった。私だけじゃない、シュタインホフ元帥も噴き出している。そんな私達を見てリヒテンラーデ侯が声を上げて笑った。

この後、フェザーン方面第一軍がフェザーンを制圧する。フェザーンの自治権は廃止され新自治領主、長老委員会は地球教の協力者、帝国への敵対者として身柄を拘束される。そしてフェザーンに逃げ込んだ地球教団の残党も狩り立てられるだろう。

「多少の齟齬は有るが全体としては予定通り、そう見て良いのかな?」
笑いを収めたリヒテンラーデ侯が問い掛けてきた。シュタインホフ元帥に視線を向けると彼が頷いた。
「現状ではその通りです。但し、油断は出来ません」
「分かった、陛下にはそのように御伝えする」



宇宙暦 799年 3月 13日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



最高評議会議長の執務室に入るとトリューニヒト、ホアン、アイランズ、ボロディン統合作戦本部長の四人が私を見た。四人とも険しい表情をしている。
「状況は?」
問い掛けるとトリューニヒトが“良くない”と言って首を横に振った。かなり疲れているようだ。目が充血している。多分昨日は碌に寝ていないのだろう。

「各星系からは如何すれば良いのかと悲鳴、いや怒号かな、問い合わせが来ている。無防備都市宣言を行って帝国軍をやり過ごせと言っているが如何なる事か」
「……」
「帝国軍が近付けば同盟から離脱して帝国に従属しかねない」
ボロディンもアイランズも、そしてホアンも無言だ。離脱、従属など認め難い事だろうが現実問題として同盟政府には彼らを守るだけの軍事力が無いのも事実だ。口を噤まざるを得ないのだろう。

「軍は如何なのだ?」
私が問うとボロディンがアイランズと顔を見合わせてから口を開いた。
「ヤン提督はイゼルローン要塞を放棄後民間人を安全な場所に移送するべく動いています。第十五艦隊のカールセン提督はヤン提督と別れハイネセン方面に撤退中です」
「……」
私が納得していないと思ったのかもしれない。アイランズが最悪の場合はカールセン提督がハイネセン近郊で帝国軍を足止めしその背後をヤン提督が衝く事になると説明した。そう上手く行くのだろうか……。

「フェザーン方面はビュコック司令長官の指揮の下損害を出してはいますが秩序を保って後退しております」
「それで、この状況から逆転は可能かね」
私が問うとボロディンの表情が歪んだ。
「ビュコック司令長官が何処かで帝国軍を振り切ってハイネセン方面に戻りイゼルローン回廊から押し寄せる帝国軍をカールセン提督、ヤン提督と協力して撃破、その後フェザーン方面から押し寄せる帝国軍を撃破出来れば……」

「各個撃破か、……そのような事が可能かな?」
「……」
返答が無い。ボロディンだけじゃない、トリューニヒト、アイランズ、ホアンも無言だ。殆ど不可能に近い作戦なのだろう。だがそれでも縋らざるを得ない、そんなところか……。

「レベロ、そっちは如何だ?」
「こっちも負けず劣らずの状況だよ、トリューニヒト。フェザーンが占領され帝国軍が同盟領内に侵攻した事で経済は滅茶苦茶だ。為替相場ではディナールは下がり続けている、フェザーン・マルクもディナール程ではないが同様だ」
同盟と帝国では直接の交易は無い、フェザーンが仲介している。つまりフェザーン・マルクは両国が認める共通の通貨なのだがそのフェザーン・マルクが帝国マルクに対して下落している。

おそらくフェザーン人の多くがフェザーン・マルク、ディナールを売り帝国マルクを買っているのだろう。そして同盟市民の多くがディナールを売りフェザーン・マルクを買っているに違いない。つまりフェザーン人も同盟市民も同盟は終わりだと見ているのだ。それは国債の価格が下落している事からも分かる。だがそれでも買い手がつかない……。

「市民はパニック状態だろうな」
ホアンの口調はポツンとした、溜息混じりのものだった。
「酷いものだ。皆が食料品、生活用品の買い出しに走っている。多分帝国軍が近付くにつれてより酷くなるだろう」
ハイネセンは人口が多く自給自足が出来ない。同盟市民が買い出しに走るという事は同盟政府が事態の制御が出来ない、物流の制御が出来ないと市民は見ているのだ。ガバナビリティは失われつつある。

「記者会見をする」
「トリューニヒト……」
「市民が混乱するのは仕方が無い。だが混乱はコントロール出来るレベルまでに抑える必要が有る」
「出来るのか? そんな事が」
我ながら不信感一色の声だった。トリューニヒトが苦笑した。

「何とかするさ。材料が無いわけじゃない。防衛線は破られたが兵力は未だ十分に有る。ハイネセン近郊での決戦になるだろうがやり方次第では帝国軍を追い返す事も可能だ。それにアルテミスの首飾りも有る」
「あれは役に立たんだろう」
私だけじゃない、ホアン、アイランズ、ボロディンの三人も訝しげな表情をしている。トリューニヒトが笑い声を上げた。

「有難い事に市民はそれを知らない、帝国軍には使えなくても同盟市民には使えるよ、鎮静剤としてね」
「酷い話だ、市民をペテンにかけるのか」
「政略と言って欲しいね、ホアン」
皆が呆れた様な表情をしている。

「鎮静剤は無理でも気休め程度にはなるかもしれんな」
私の言葉にトリューニヒトが肩を竦めた。市民は何処かで救いを求めている、希望を持ちたがっている。もしかすると上手く行くかもしれない。
「トリューニヒト、目薬をさして行け、眼が充血している」
「ああ、そうしよう」



宇宙暦 799年 3月 17日 アルレスハイム星域 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー



「では」
『では』
敬礼をするとスクリーンに映るキャゼルヌ先輩も敬礼してきた。敬礼が終ると通信が切れた。民間人輸送部隊の指揮をキャゼルヌ先輩に任せて自分は戦場に向かう。思わず溜息が出た。大丈夫だ、帝国軍はティアマト方面に居る。先輩の部隊が帝国軍に捕捉される可能性は皆無に近い。

「グリーンヒル大尉」
「はい」
「艦隊の速度を上げてくれ。それから進路をパランティアへ」
「はい」
グリーンヒル大尉が指示を出しオペレーター達が艦隊に指示を伝えている。もう直ぐ艦隊の速度が上がり民間人輸送部隊との距離が徐々に開くだろう。

同盟の防衛計画は破綻した。ガイエスブルク要塞か……、まさかあれを持って来るとは……。これなら最初から帝国軍を同盟領内に引き摺り込む作戦を執った方が良かった。その方が混乱は少なかった筈だ。どうして妥協してしまったのか。溜息しか出ない……。

悔やんでいる場合じゃないな。少なくとも撤退は問題無く成功したのだ。最悪の状況は回避出来た。後はフェザーン方面軍がどの程度の兵力を保持出来るか、そして追ってくる帝国軍を振り切れるかだ。それが同盟の命運を決める。厳しい状況だがビュコック司令長官なら何とかしてくれる筈だ。可能性は有る、グリーンヒル大尉にスクリーンに星系図を映すように頼んだ。



帝国暦 490年 3月 17日   帝国軍総旗艦ロキ  クラウス・ワルトハイム



イゼルローン方面軍は回廊を抜け高速でティアマト星域に向かっている。方面軍の士気は高い。イゼルローン要塞を損害無しで奪回し反乱軍の勢力範囲に侵攻しているのだ。そしてフェザーン方面の帝国軍も回廊を突破して反乱軍を追っている。本格的な戦闘こそ無いが侵攻作戦は順調に進んでいる。これで士気が高く無ければ嘘だろう。

総旗艦ロキの艦橋が昂揚感に包まれる中ヴァレンシュタイン司令長官だけがそれとは無縁でいる。不機嫌なのではない、要塞奪取直後に有った不機嫌さは消えている。今の司令長官はただ静かだ、正面の大スクリーンに映った大まかな星系図を見ながら何かを考えている。

「先行するケンプ艦隊より報告! 反乱軍の哨戒部隊と接触!」
オペレーターが声を張り上げた。回廊を抜け出てからこれで四度目だ、艦橋の空気が緊張する事は無い。司令長官も微かに眉を顰めただけだ。
「随分とこちらを気にしていますな」
「民間人を警護している艦隊、そしてフェザーン方面の反乱軍に我々の位置を教えているのでしょう」
「反撃のタイミングを計っている?」
「ええ」
リューネブルク大将と司令長官が話している。

シュトックハウゼン提督からの報告ではイゼルローン要塞に居た艦隊は二個艦隊だった。ヤン・ウェンリーの第十三艦隊と増援部隊だろう。司令長官はその内の一個艦隊がハイネセン方面に撤退し残りの艦隊が民間人を安全な所に運ぶため別行動をとっていると考えている。我々参謀達も同意見だ。

「どのあたりで反撃が有ると想定していらっしゃるのです、ずっと考えていたようですが。教えて頂きたいものです」
リューネブルク大将が興味津々の表情で言うと司令長官が微かに苦笑を浮かべた。
「民間人を警護している艦隊が何処に向かったか、何処で分離したかで違ってきます。多分アルレスハイム方面に向かったと思うのですが……」
「こちらがティアマトに向かっていると知れば……」
「ええ、アルレスハイムで分離してパランティア、アスターテに出るでしょう。となれば早ければダゴン、エルゴン辺りで反撃が有る。前後から挟撃を狙うと思います」
リューネブルク大将がスクリーンの星系図を見ながら二度、三度と頷いた。

「しかし二個艦隊です。相手を侮るわけでは有りませんが油断しなければ問題は無いのではありませんか?」
思い切って訊いてみた。味方は六個艦隊、三倍の兵力だ。敗けるとは思えない。参謀達の中にも頷いている人間がいる。司令長官がふっと息を吐くのが見えた。不安要素が有るのだろうか。

「決戦を挑んでくれれば良いのですけどね。時間稼ぎをされると危ない。フェザーン方面の反乱軍が来るかもしれません」
艦橋にざわめきが起こった。そんな事が? 可能だろうか……。フェザーンからダゴン、エルゴンはかなり遠い。徐々に兵力を擂り潰してしまうだろう。とても時間稼ぎが有効とは思えない。

「その場合ヤン・ウェンリーは戦場を少しずつシヴァ、ジャムシード方面に誘導すると思います。そしてフェザーン方面から駆け付けた反乱軍と協力して我々を撃破する」
思わず唸り声が出た。可能かもしれない。我々を撃破した後で追ってきたメルカッツ副司令長官率いるフェザーン方面軍と戦う。時間的な余裕は無い、疲労も蓄積している筈だ。だが勝てる可能性は有る。

「如何なさいます?」
リューネブルク大将がヴァレンシュタイン司令長官に問い掛けた。司令長官を試すかのように笑みを浮かべている。それが分かったのだろう、フイッツシモンズ大佐が呆れた様な表情を、司令長官は苦笑を浮かべた。

「さあ如何したものか。未だ事態は流動的ですからね」
「そうですな……」
「楽しみでしょう、リューネブルク大将」
「まあ」
二人が声を上げて笑った。どうやら司令長官には考えが有るらしい。一体どうするのか? もう一度スクリーンの星系図を見た。メルカッツ副司令長官の動きが鍵になりそうだと思った。




 
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