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黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇

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21部分:第二十一章


第二十一章

「な、何だこりゃ」
「薔薇!?」
「ただの薔薇じゃないわよ」
 蒼薔薇に囲まれ戸惑う男達に対して告げる。
「奇麗な薔薇には毒がある。この蒼薔薇にも」
「蒼薔薇に毒かよ」
「何て女だ、こいつ」
「蒼薔薇だけではないわよ」
 今度は黒薔薇を出してきた。それが何か知っているのは沙耶香だけであった。
 その薔薇を投げる。投げた瞬間に一輪だった薔薇は数輪になる。男達だけの数だけあった。その薔薇が男達に突き刺さるのだった。
「今度は黒薔薇かよっ」
「何だこりゃ」
「蒼薔薇は身体を動けなくしていくのよ」
 つまり麻痺させるというわけだ。そして黒薔薇は。
「即効性の猛毒よ。これで貴方達はね」
「死ぬっていうのかよ」
「この女、何者なんだよおい」
「ただの魔術師よ」
 今投げた黒薔薇を右手で弄びながら応える。彼等が恐れる顔を楽しんでいるのであった。
「ただのね。けれど嘘はつかないわ」
「じゃあ俺達は」
「このまま」
「死ぬのよ」
 沙耶香は男達にはっきり聞こえるように言ってみせてきた。
「ほら、身体が黒く変わってきたわね」
「あ、あわわ」
「本当だ」
 彼等は身体が黒く変わるのを見た。それを見て恐怖に覆われていく。彼等がそれに気を取られている間に沙耶香は美女に声をかけるのであった。
「行きましょう」
「え、私にですか」
「そうよ。助けに来たのだから」
 妖しい笑みを見せて美女に告げる。
「この男達に絡まれていたわよね」
「そうですけれど」
「悪い男達に絡まれている美女を救い出す」
 それを自分でも言葉に出してみせる。
「本来は王子様か正義のヒーローの仕事なのだけれどね。たまにはいいわね」
「それでこれからは」
「早くここから消えましょう」
 どうしていいかわからない美女にまた声をかける。紫にも見える美麗な黒髪を上手い具合にセットして化粧も艶麗な美女であるが気はあまり強くないようであった。沙耶香はそんな彼女をすぐに見抜いてまた笑う。今度は何かを含ませるような笑いであった。
「いいわね」
「あの人達は」
「あの人達?」
 少しオドオドとした美女の声に問う。
「それは一体誰のことかしら」
「ですからその」
 美女は今さっきまで自分に絡んでいた男達を指差して言う。見れば彼等はもう崩れ落ちて悶絶する顔になっていた。それが毒のせいなのは言うまでもなかった。
「どうなるのですか?あの人達は」
「貴女が気にすることではないわ」
 沙耶香は美女に対して平然として告げる。
「すぐに起きられるようになるから」
「そうなんですか」
「毒は加減してあるから」
 沙耶香の言葉によればそうであった。
「安心していいわ」
「そうですか」
 美女はそれを聞いてまずはほっと胸を撫で下ろすのであった。
「それは何よりです」
「優しいのね。危害を加えようとしていた相手に」
「それはそうですけれど」
「いいわ。その優しさが気に入ったわ」
 また笑みを浮かべて述べる。
「それがね。それじゃあ」
「それじゃあ?」
「二人で何所か楽しい場所に行くのはどうかしら」
 口元に含み笑いを浮かべて提案するのだった。
「楽しい場所!?」
「ええ」
 美女の心の中に滲み入らせるようにして言葉を囁く。
「そうよ。どうかしら」
「それはいいですけれど」
「悪い場所ではないわ」
 相手が不安を感じているようなのでそれを打ち消す為にこう答えるのであった。
「本当にね」
「そう言われても」
 流石に上海のこうした街を歩いているだけはある。沙耶香の言葉もそう簡単には信じようとはしない。しかしそれならそれで沙耶香にも方法があるのだった。
「申し訳ありませんけれど」
「それじゃあね」
「はい?」
「これを見て」
 出してきたのは鏡であった。そこには美女が映っている。
 その隣には沙耶香が。その沙耶香の目が赤く光ったのだった。
「えっ」
「信じてもらえるかしら」
 目が光ったのは一瞬のことだった。沙耶香はその後で美女を横目で見ながらまた問うた。
「私の言葉は」
「はい」
 美女の目の光が消えていた。そうして虚ろな声で沙耶香の問いに答えた。
「わかりました。貴女の言葉でしたら」
「私は花を傷つけるようなことはしないわ」
 美女は思ったより小柄だった。沙耶香はその小さな身体をその左手に絡め取って告げた。
「それは安心していいわ」
「ですね。貴女なら」
「だから。行きましょう」
 美女を横目で見たまま艶美な笑みを浮かべてみせた。
「二人でね」
「ええ、二人で」
 こうして二人は夜の街に消えていった。沙耶香にとってみればコインの嬉しい知らせであった。それを有り難く受け取って堪能する。彼女にとってはそうした夜であった。
 夜が明けて繁華街を後にする。その横にはあの美女がいる。彼女は赤い顔をして沙耶香に寄り添うようにして歩いていた。
「女もいいものでしょ」
「日本ではいつもこうなのですか?」
「日本でだけじゃないわ」
 沙耶香は美女の顔を覗き込みながら答えた。
「あちこちでそうなのよ」
「あちこちというと」
「私の愛した女性はそれだけいるということよ」
 漁色家の沙耶香のことである。これ位は当たり前のことであった。美女、美少女を見ればその毒牙を煌かせる。それは何処でも同じなのであった。
「わかったかしら」
「そうなのですか」
「そんな私は。駄目かしら」
「いえ」
 沙耶香のその言葉にゆっくりと首を横に振るのだった。
「そんな貴女だから。昨夜は」
「その言葉、有り難く受け取っておくわ」
「有り難うございます。けれど昨夜だけですね」
「また会えればいいのだけれどね」
 また美女の顔を覗き込んで笑う。
「それはわからないわね」
「そうですね。それだけは」
「だから。一旦はこれでお別れよ」
 こう美女に告げた。
「それでいいわね。縁があれば」
「そうですか」
「また。会いましょう」
 ここまで言って別れた。沙耶香にとっては楽しい夜だったがそれも終わった。そうしてその日はそのまま繁華街から消えた。港に出てそこを行き来する船を一人眺めていた。煙草を吸いながら眺めているとその後ろに複数の影が姿を現わしたのであった。
「そちらでも大きな収穫があったようね」
「ええ」
 影達は全て沙耶香であった。先に放った影達がここに集まってきたのだ。立ち並ぶ白い倉庫の前に彼等は何時の間にか姿を現わしていたのであった。
「それもかなりね」
「本人に会ったのね」
「そうよ、よくわかったわね」
 沙耶香は煙草を吸ったままであった。後ろにいる己の影達の方は振り向かない。船の汽笛を音楽して煙草を吸いながらそうして話を聞いているのであった。
「香りでね。わかったわ」
「香り。そんなに強く香っているかしら」
 沙耶香は影達のその言葉を聞いても特に表情を変えることはない。そのまま煙草を吸い続けている。視線は船と海、煙草の青い煙を見ているだけである。
 
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