黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇
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13部分:第十三章
第十三章
「楽しみましょう。いいわね」
「はい、御願いします」
瞬華も沙耶香を受け入れた。そうしてそのまま朝まで二人で楽しむのであった。これが沙耶香の愉しみであった。それが終わってから朝に二人で欧風の朝食を採りホテルを後にする。瞬華と別れた沙耶香は上海の街と海を眺めながら歩きはじめた。歩きながらゆっくりと煙草を出してそれに火を点ける。指の先に出した火を使った後で煙草を咥えると悠然とまた辺りを見る。その視界に一人の黒いスーツの男が現われた。黒いサングラスをした中肉中背の男だ。見たところ影に似た雰囲気の男である。
「何が御用かしら」
「松本沙耶香さんですね」
「そうだと言ったら?」
「お話は聞いております」
見たところ敵意はない。沙耶香はそれを感じた後で一旦煙草を右手に持つ。そうしてその黒いスーツの男に尋ねるのであった。
「私を知っている。じゃあ貴方は」
「はい」
まずは沙耶香の言葉に頷いてきた。
「黒社会の人間です」
「そう、やっぱりね」
それを聞いても何とも思わない。沙耶香が聞くのはそれとは別の問題であった。それを今彼に聞くのだった。
「一つ聞いていいかしら」
「何でしょうか」
「貴方煙草は大丈夫かしら」
「ええ、御気になさらずに」
男は表情を変えずに応えてきた。
「私も吸いますので。今は吸いませんが」
「わかったわ。じゃあこのまま失礼させてもらうわね」
「ええ。それでお話ですが」
「あれね」
彼が何を言いたいのかわかっていた。煙草を楽しみながら彼に応える。
「李妖鈴のことね」
「その通りです。昨日の豫園のことですが」
「中々楽しめたわ」
楽しげな笑みをうっすらと浮かべて答える。
「ああした場所でやり合うのは嫌いではないわ」
「左様ですか。ですが相手は」
「そうね。普通ではなかったわね」
あえて普通ではないとだけ表現する。他の表現はあえて使いはしない。
「それがいいのだけれどね。こちらとしては」
「それについてです」
男はあの糸の男について述べてきた。
「彼の素性についてはおわかりでしょうか」
「ある程度はわかるわ」
それがわからない沙耶香ではない。うっすらとした笑みを消してその切れ長の目に黒い光をたたえて述べる。
「李妖鈴の傀儡ね」
「その通りです。あれは彼女の操り人形だったのです」
男はそう沙耶香に答えたのだった。
「それはおわかりだったのですか」
「わからない筈がないわ」
また煙草を吸いながら答える。
「あそこまでの妖気を出していればね」
「はい。彼女は唯の毒使いではありません」
そのうえでこう沙耶香に言うのだった。
「そうした術もまた使えるのです」
「だとしたら。何者なのかしら」
そこまで聞いて興味を覚えない筈がなかった。沙耶香はそれを男に対して問うのであった。
「人間なのかしら。それとも」
「少なくとも人間です」
男はそれは保障してきた。
「それについては御安心下さい」
「私にとってはどちらでもいいのだけれど」
沙耶香にとってはそうであった。彼女はこれまで多くの異形の者達と対峙してきている。その彼女にとって妖鈴が人間かどうかというのはさして問題ではなかったのだ。
「それならそれでやり方があるわ」
「ですか」
「ええ。それでも術を使えるというのね」
「左様です」
男の返答は簡潔であった。
「それもかなりのものが」
「そもそも素性が全くわからないそうね」
沙耶香は今度はそこを聞いたのであった。無論これで男から素性が聞けるとは思ってはいない。だがそれでも聞いたのである。これは駆け引きであった。
「彼女に関しては」
「何時何処から来て」
男はそれを受けて述べはじめた。
「何者かさえ全くわかってはいません。年齢さえも」
「写真を見る限りでは若いようだけれど」
「それも何処まで」
男は懐疑的に述べてみせてきた。
「外見なぞ術でどうとでもなるものですし」
「変化の可能性もあるというのかしら」
「いえ、彼女は間違いなく人間です」
それは保障してきた。
「それだけは確かです」
「そうなの。人間なのね。これも確かめてはいるけれど」
「信じられませんか?」
「そうは言ってはいないわ」
これについては否定する。
「人間も異形の存在と変わりはしないのだから」
「それが貴方のお考えですか」
「ええ」
男の言葉にここでも頷いてみせた。
「そうよ。それでだけれど」
「はい」
「彼女はこの上海の暗黒街を完全に掌握しているのね」
「その通りです」
男は顔を伏せて答えた。
「何もかも。彼女の思いにならないものはありません」
「表にも。相当な影響力を持っているでしょうね」
「まさに女帝です」
こう表現されたのであった。
「絶対的な権力を持ち。思いのままにならないものは何一つとしてありません」
「それでもそれを不満に思っている勢力はあるのね」
「当然です。私もまた」
自分もそうであると言う。このことから沙耶香は妖鈴が恐怖や力によって暗黒街を支配していることを知った。裏の世界の支配とは暴力が非常に大きな比重を占めているものであるがそれでも彼女のそれはその裏の世界の基準からも大きく逸脱したものであることがわかったのだ。
「その中の一人です」
「だからこそ私に会っている」
「そうです。仕事を依頼したのも」
「貴方と同志達ね」
「皆既に命を落としています」
男はここでまた顔を伏せた。サングラスをかけてはいるがそれでもそこにある表情を隠そうとしているのがわかる。
「私もまた。長くは生きられません」
「毒ね」
「その通りです。流石におわかりですか」
「彼女が毒を操るというのなら当然ね」
沙耶香は落ち着いた声で述べる。
「それで貴方は最後の力を振り絞ってここに来たのね」
「御願いします。そして御気をつけ下さい」
二つの言葉を沙耶香にかけてきた。
「彼女は。実に恐るべき相手です」
「わかるわ。写真からも妖気を感じたから」
「そうだったのですか」
「それだけの存在となると。確かに私だけしかいないわね」
沙耶香は男を見て述べる。その顔が白いのがわかる。その白さは死の白さであった。毒が刻一刻と彼の身体を蝕んでいるのだ。
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