画家の夢
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1部分:第一章
第一章
画家の夢
彼はその時言った。
「私が政治家になろうとした時!」
集まっている群衆達を前に高らかに声をあげていた。彼は壇の上にいてその壇の上からその群衆達に対して告げていたのである。
集まっている群衆達は皆彼を見ている。誰もがだった。
「我が愛する祖国は悲嘆と絶望の中にあった。しかし生まれ変わった!」
こう言うのである。
「何もかもをなくした。しかしそうではなかった」
激しい身振り手振りと共の言葉だった。
「我が民族はその誇りを取り戻し今復活したのだ。そうだ!」
言葉をさらに強いものにさせた。
「その復活した我等に敵はない。不死鳥の如く蘇った我々にはだ!」
こう言ってであった。そして。
「我が祖国は世界を指導する。誇り高き我々がだ!」
彼の演説に群衆達は拍手する。そうして彼に忠誠を誓う。
彼の前に軍服を着た兵士達が集まっていた。整然と並び一糸乱れぬ行進を見せている。
彼は上からその行進を見守っている。そして兵士達の自分への敬礼を受けるのだった。
「万歳!万歳!」
「栄光あれ!祖国に栄光あれ!」
「偉大なる指導者!偉大なる英雄!」
誰もが彼を賛美する。まさに英雄だった。
その英雄に子供達は笑顔を向け彼もそれに応える。何もかもが彼の思うがままだった。
しかし彼はその生活は質素なものだった。食べるものは菜食のみだった。
酒も飲まなければ煙草も吸わない。そして身の回りのものも服も全てが質素なものだった。女性も周りにはいない。かといって同性愛者でもなかった。
本を読み音楽を聴くだけだった。それが彼の数少ない趣味だった。
ワーグナーを聴きながら言うのだった。書を手元に置きながら。
「私の生涯は愛する祖国の為にある」
静かに言った。
「この全てを捧げよう」
それは真実だった。国の全てを担う者としてそこにいた。彼の思い通りにならないものはなかった。だが彼はここで壁にかけられてある絵を見た。
だが何も語らない。一瞥しただけでまた書に戻る。そうしてまたすぐに仕事に戻る。朝まで働きそうして少し眠るとまた起きて熱い風呂に入ってからまた仕事にかかる。そうして国の為に働いた。
全ては思うがままだった。彼はその中で身を粉にしていた。祖国を担っていた。
英雄である彼への賛美は止まない。それを受け続けている。その中で生きていた。
しかしだった。ふと眠ってしまった。そうして起きた場所は。
「おい」
「んっ?」
「アドルフ、アドルフ」
呼ぶ声がした。それに応えて目を覚ますとだった。
そこにいたのは親友のルートヴィヒだった。穏やかな笑顔を彼に向けてきていた。
「起きたか。こんなところで寝ていたら風邪をひくぞ」
「少し休んでいたんだだけだけれどね」
彼は目をこすりながらルートヴィヒの言葉に応えた。
「ちょっとね」
「休むのはいいけれどな」
ルートヴィヒは笑顔のまま彼に言ってきた。
「それでも。風邪をひいたらどうしようもないぞ」
「そうか。じゃあせめて毛布でも被っておくか」
「いや、そうもいかないぞ」
「んっ、どうしたんだい?」
「画商の旦那が来たぜ」
こう彼に言ってきたのだった。
「画商のな。催促にな」
「あれっ、早いな」
彼はそれを聞いて少し意外な顔になった。
「もう来たのかい」
「二時間程度寝ていたからな。時間はもういい頃だ」
「そうか。そんなに寝ていたのか」
ルートヴィヒに応えながら壁の鳩時計を見る。確かにそんな時間だった。
「それじゃあ」
「絵はもうできてるよな」
「うん、ここにね」
言いながら部屋の隅に立ててある絵を指差す。それは奇麗な街並みであった。細部まで描き込まれ陰影もはっきりとしている。まるで写真の様であった。
「描けているよ」
「じゃあそれを出してだね」
「うん、そうしよう」
こうルートヴィヒに話す。
「それでお金を貰ったら」
「どうするんだい?」
「オペラを観に行かないか?」
それをしようというのである。
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