遥かなる星の後
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第4話 : 刻星病・中編
像と鼠では感じる時間の早さは異なる。
巨体である程に時の刻みは遅くなり、矮小である程に時の刻みは早くなると言われてます。
人の時間感覚の違いには幾つかの仮説があるそうですが、私が船橋さんに教わったのは『心拍数の法則』です。
生物は心拍数の拍動回数によって時間感覚が異なる。
船橋さんの『先天性・集中力自己支配』とは、任意的に心拍数を異常増大させる事が可能で、感覚が暴走する疾患だと言われてるそうです。ですから、自身が制御不能になる事を恐れて……
集中力のスイッチが入れば、後は沈静化。
努めて冷静に、そして冷徹に……元の状態に戻れなくならないように心拍数を抑えている。
ただ……何らかの要因でその沈静化を止めたのなら……時間感覚は暴走を始めて、世界に“1人ボッチ”になるそうです。
それでも使い方は誤らなければ、それはとても凄い才能でしょう。特に、私達のような表現者からすれば、あまりにも羨ましい才能……それを言えば、船橋さんは困ったらように、それこそ……初めて会った時は恨めしそうに私を見ていました……
曰く。人は誰でも集中力を使いこなせる可能があるそうです。中でも、私は船橋さんが到達できない集中の先にも行けると言われました……
フェスに向かうための車内。その後ろの席に居る私は船橋さんに視線を向けます。バックミラー越しに視線があって……思わず俯ききました。
どうしましょう?また赤面してしまいます……
運命の人。事務所でそう言われてから胸がドキドキして、顔もニヤニヤしてしまいそうで……そんなはしたない顔は見せたくありません。少し視線を上げて船橋さんを盗み見ると、そこには優しい瞳がありました。
あぁ、本当にこの人が藤原肇の運命の人だと思いたいから。だから……やっぱり胸がドキドキします。
少し目を閉じて集中しましょう。そして昔を思い出しましょう。
ふふっ、なんだか船橋さんの真似みたいですね。
思います。この人との出会いと歴史を……
私達が出会ったのは半年と少し前。アイドルになると決めて、私が上京してからすぐでした。
まだまだ私の手から土の臭いが強く染み付いてる頃。こんな田舎娘がアイドル夢見て、おじいちゃんの知り合いの社長さんにわざわざと紹介してもらって……私はこの事務所にやって来ました。ただ、おじいちゃんが社長さんに紹介する条件として、信頼に価するプロデューサーが見つかるまでは、本格的にデビューしないと約束しました。その時におじいちゃんに言われたのは、良いものを作る技術とその良さを伝える技術は別物……です。
私のおじいちゃんは高名な陶芸家です。でも、とても寡黙な絵に描いたような職人な人です。
だから、ただ淡々と自身の作品を作るだけ……陶芸の世界はとても狭い。ので、一般の人には理解が及ばない部分も多くありますから。おじいちゃんが正しく評価されるには、多くの時間がかかったそうです。『どんな名器を作れても、良さを伝えられなきゃ一般人にはガラクタだ』そう呟いた事を今も覚えてます。
その時の横顔は長い年月によるシワと共に沢山の苦労が刻まれてると、子供ながらに感じました……ですから大人しく承諾しますでも……プロダクションに所属すると同時に私は船橋さんに出会いました。
今とは比べようも無いぐらいに無表情で冷たい瞳をしてた船橋さんに。その時はとても鋭利な目をさらに細めて私を見てきました。それは観察と言うよりは分解でしたね。藤原肇の一つ一つをバラバラにして検品するような怖い瞳……
明らかに他のプロデューサーとは一線を隠した異質さ……それでも不思議と怖さは感じましたが不快さはありませんでした。それは、船橋さんなりの本気で藤原肇を理解する為の行為だったからです。
この話の例を上げれば……そう宣材写真を撮ったときです。
私はアイドルとして、可愛くてきらびやかな服を選びました。
とても着れ慣れてない服。自分らしさからは程遠くて、でも、アイドルと言う憧れを目指すには我慢するべきと思っていました。その時に船橋さんが言った言葉は『君はアイドルに成りたいのか?それともアイドルの仮面を被りたいのか?』でした。
目から鱗とはこの事ですね。私は……自分をアイドルと言う職業で表現したいと思ったのに、自分の信念を置いて行こうとしたのです……
宣材写真とは、自分のアピールポイントを知ってもらう物。ならば藤原肇の信念と原点を表現しなくてばなりませんね。 私が宣材写真に選んだ服はいつもの臙脂色の作業衣です。可愛くなくても、泥臭くても、この姿が私の始まりでもあり帰るべき姿でもありまから。
これを着れば気持ちが引き締まります。そんな私を見て初めて船橋さんが優しく笑ってくれました。
この人だったら、私を導いてくれる。
その時に確信しました。私が見過ごしそうになった私を指摘してくれた人。
それだけでも十分なのに、プロデューサーとしての立場なら作業衣よりも可愛い衣装の方が営業には向いてるのに、あえて藤原肇の意思を尊重してくれた……なら、私はこの人に身を任せても良いと思います。
それから約半年。なんて短く感じた日々だったでしょうか。船橋さんともに駆け抜けて、そして正式なプロデューサーとなってくれて……
あぁ、胸のドキドキと未来へのワクワクが止まりません。これか先、私はどんなアイドルとなって行くのでしょうか?
それはまだ分かりません。でも船橋さんがプロデューサーで、共に歩んで行けるならば……それはとても素敵な事。
私の心拍数は上昇を続けます。
***
「あ、おにぎりの人なの!」
「……何故に君がここに居る?」
フェス会場に到着して、直ぐ様に向かったのは対戦相手の控え室……詰まる所765プロの控え室なのだが……
ノックに応えて扉を開けて俺達の前に出てきたのは星井美希だ。無論。今回の対戦相手は断じて星井美希ではない。
「ミキは765プロ所属だよ?居てもおかしくないよ?」
キョトンとした顔で答えてくるが、俺が言いたいのはそうじゃない……っと言うか名刺渡したろうが?何だよおにぎりの人って?
困惑してる間に控え室の奥から『こーら!』と声が響く。聞き覚えのある特徴的な声が。
「大人しくしてなさいって言っておいたでしょ!美希の存在はサプライズ扱いなんだから!」
「あ、律子……さん。そうだったの!うっかりしてたの!」
「律子……」
昔とは違う髪型だが、見間違う事はない。いつの日か再開する事があるとは思って居たが、まさかこんな場所でとは……彼女もすぐにこちらを認識したのか軽く目を見開く。
「……お久し振りですね。もしかして今回の対戦相手のプロ所属でしょうか?」
「えぇ、ご無沙汰してます。まさか多忙極める貴女が出向くとは……星井美希が居ること、先程のサプライズの言葉……こちらが聞かされてない趣があるようで……?」
言葉尻が重くなる。意識して重くしてある。
現場での情報隠匿など事故の元だ。聞かされてないこちらは怒っても良いだろう……もっとも765が他社を出し抜くとかは考えられないが……それでも警戒はしとくに限るし……善人が永遠に善人である事などない。善人とて必要に迫られれば悪人に堕ちる……ま、逆もあることだがな。
「ちょ、違います!やましい事はありませんよ!」
「そうなの!ミキがサプライズでフェスの最後に出るだけだよ?」
慌てる律子に反比例してのらりくらりと言葉を口にする星井美希。
「だーかーら!ミキ!それはサプライズだって言ってるでしょうが!?!」
「えー出演者には知られても良い思うよ?そもそもその人に嘘ついて意味ないと思うなー」
ごもっとも。一度会っただけで俺を良く理解してるな星井美希……
ただ、まぁ……律子も俺と言う存在をそれなりに知っているならば、わざわざ不信を残して俺を敵に回す事も無いだろう。
船橋 縁を敵に回したらどんな事になるのか……それは良く知っているのだから。
「まぁ……こちらに害が無いならば聞かなかった事にしときますよ……一先ず挨拶に伺いました。本日の対戦相手を勤めます藤原 肇です」
このまま嫌な流れを作るよりは流れを変えようと、本来の目的を促す。
藤原さんも俺の言葉の後に前に出て丁寧にお辞儀した。
「ご紹介に預かりました藤原肇です。本日は先輩の胸を借りて精一杯お相手を勤めさてもらいま─────」
「てい!」
「きゃ!なにするですか!??」
余りにも硬いセリフなので、一先ず軽く藤原さんにチョップを入れてキャンセルを入れた。
そして何よりも胸を借りて戦う?君はそんなタイプではないだろ?
「藤原さん?格上だからと言って必要以上に偽る必要はない……ましてや相手は765だ、ありのままの君の言葉を伝えなよ?」
噛んで含ませるようにゆっくりと言い聞かせる。どうにも朝から浮わついてると言うか、そわそわしている。大舞台は今回が初めてだから仕方がないか。でも、俺は彼女に自分らしさだけは失って欲しくはない。
「私は……そうですね。私はただ全力を尽くすだけです」
より強い瞳をして控え室の奥に視線を向ける。星井美希や律子の更に奥に居る対戦相手に。
「このフェスに抱く勝利のイメージ、それを本物にして見せます!」
それは聞いてしまえば、ただの勝利する宣言だろう。
でも、いつだって藤原肇の最大の敵は己だ。外敵ではなく内敵……自身のイメージが何よりも越えるべき壁なのだ。
そしてそのイメージは対戦相手が強ければ強い程に高い壁となって立ちはだかる。それでも藤原肇は口にする。
「ですから……どうか、全力でお相手願いします!」
手を抜くなと。格上相手に全力を希望する。
律子は唖然とする。それはそうだ、実力はともかく立場も肩書きも下ならば、初めからこのフェスは不利だ。それでも、己の不利を知っても相手に全力を心から希望するなど、いったいどれだけの人間が口にできるのだろうか?
だけど、星井美希は笑わない。遥か格上の彼女もきっとこんな道を辿って今の地位にまで登って来たのだろう。
「あはっ☆確かにこれなら、近いうちにミキ達のライバルになるかもなの!」
「当然だ。俺の自慢のアイドルなんだから!」
『でもね』と星井美希は言葉を続ける。
「それでもミキ達の後輩は簡単には負けないよ?シアター組の皆はミキ達の自慢の後輩なの!」
その鼓舞は控え室奥のアイドルにも届く。その言葉を噛み締めるように数回頷いて。今回の対戦相手はこちらに来た。
「本日の対戦相手の最上 静香です。先輩の激励と言葉に恥じないステージをするつもりです……どうか、お互いに全力を!」
思わず君も硬いな……とツッコミ入れそうになったが。それでも流石に765だ、素敵なアイドルが育って居るようだな。
タイプ的には藤原さんと似たような感じだな。
もしかしたら、俺が彼女を担当する未来も在ったかも知れないな……なんてセンチメンタルになったりもする。
さて、これで用件は終わった長居は無用。
「では、これにて失礼します。どうか正々堂々とお互いに良い戦いを」
「待ってください!一つ聞いても良いでしょうか?」
「どうぞ……」
まぁ当然だ。何かを言われる事は分かっている。それだけの確執はあるのだから。でも律子から言われたのは意外な言葉だった。しかも、そんな穏やか表情で何かを訪ねられるとは思えなかった。
「今のプロダクションでは続きそうですか?」
「……恐らくは、社長はなに考えてる分からないし、事務員は守銭奴だけど……続きそうです」
「そう、ですか……なら、ライバルとしてこれからよろしくお願いしますね?」
言葉が出ない。あんまりにも予想外過ぎて……
俺は君達にとっては裏切者なのに、そんな言葉が何で出てくる?
衝撃からの戸惑い、そして思考が止まる。そんな俺を再起動できたのは、藤原さんが肩に触れてくれたからだ。
「どうしました?」
「いや、なに……何でもないよ」
言葉を濁して、表情を作った。
「ライバルとして共に切磋琢磨しましょう! それでは準備がありますので後程……」
藤原さんを連れて、それこそ逃げるようにその場から離れる。
事実、準備に時間が必要なのは本当だし、挨拶するのが目的だったのは本当。その場を立ち去るのに理由としては十分だ……
だが、こればかりは気持ちの問題だな。
「……よくよく考えてみれば、私達はお互の事をよく知りませんね」
自分達の控え室に向かう途中で藤原さんがそう呟く。
「そうだね、でも俺は君のことをよく知ってるつもりだよ?」
そう切り返す。少なくとも事務所の誰よりも彼女を理解してるつもりだ。
おじいちゃん子な所とか、揺るがない芯がある所とか、最近はオシャレを頑張ってる所とか……でも、そんな事を言いたい訳でもないのだろう。
「そうですね、ならば知らないのは私だけ……良ければ憂いの原因を聞かせてください、解決は無理でも和らげることは可能かも知れませんから」
「聞いても面白くない話だ……でも、今後の俺達にも関わることだし、聞いておいてくれ……そして軽蔑したならば、すぐに俺は担当を降りるよ……」
いつか話す予定だったが、今話すべきかも分からないが……それでも話そう。ポツリポツリと。
これを物語にしてしまえば、それは余りにも拙く、そして実に船橋縁らしい物語だ。
765プロが今よりも遥かに無名の事務所だった時、その事務所に居たのが高木社長と音無さんと……そして秋月 律子だけだった数年前……俺は就職先として765プロの扉を叩いた。
何でそんな弱小事務所を選んだのか?それは芸能界と繋がりを持ちながら、自由に動ける時間が欲しかったからだ……下手に高名な事務所に就職すれば、忙しさにかまけて本来の目的である人探しが出来ないから……
なんと自分勝手な事だろう。でも、あの時は余裕がなかったのだ。
実際にアイドルは律子一人で、しかも将来の勉強の為にセルフプロデュース。俺は中途半端な立ち位置で、雑務や営業して日々を過ごした。やる気もないスカウト等をしながら、時たま律子をフォローしたり、音無さんに事務仕事の効率化を施したりもしたか……
楽しかったか?それなりに楽しかった……でも、このプロダクションには未来は無いと見切りをつけたのだ。
三つ子の魂百までも。合理的な人間は最後の最後で合理的だ……ある程度人探しが済んだら765プロに長居はしなかった。無名の事務所よりも名のある事務所に渡った……
その時に律子も誘ったが据えなく断られたよ、これから所属するアイドルの為に残ると。
側に居たのにプロデュースしてやれなかったアイドル。それに後悔したのは敵対する961プロに入った後。あの人にアイドルの力になってくれと約束したのに、それを守ってなかったと気が付いて、せめて765と961の不和の解消だけは慌てて行った……
そして、765プロが安定したのを期に961プロを去って今に至る……
話終えたらなんて身勝手な話だろうか。少なくとも、自分は高木社長の方針とは相容れなかった。でも、それは律子をプロデュースしなかった訳にはならないだろうし、人手不足の事務所を見捨てる訳にもならない。これは完全なる自分勝手な理由だ。
「俺はさ……多分、徹頭徹尾そんな人間なのかも知れない、今は好意的でも、理由があれば今のプロダクションを……引いては君を捨てるかも知れない……」
後悔した。反省もしている。でも、それだけで人間の根幹が変動するかと言えば、その限りではない……実に寂しい事だが。
「………………辛い事を話させてすみません。でも、話してくれてありがとうございます」
その言葉に立ち止まる。
「辛いのは俺じゃなくて律子と社長と音無さんだよ……」
「いいえ。少なくともこの話をしている船橋さんは辛そうでした……
でも、話してもらえて良かった……私では問題の解決はできません。けど貴方の“星”にはなれます」
真っ直ぐ俺を見て、そして静かに微笑む。
「私が貴方の“星”となります。どんなに迷子になっても、どんなに暗闇に閉ざされても……
私が目印となって、どこに行っても必ず帰って来れるように輝きますから」
何でそんなに優しい言葉をくれるのだろうか?効率としては合理的な判断だろうが、人としては誉められた行いではない。人には心がある。効率で切り捨てるには簡単に納得出来ない部分が必ずあるのだ。
「藤原さんは軽蔑しないのか?」
「えぇ、しませんよ?流石に出会った時に知ってれば考えものですが……もう私は貴方を知っていますから、だから揺るぎません」
そうか……彼女と共に過ごした半年は、軽いものでは無かったのか。
あぁヤバい……本当にいつ以来だろうか、こんなに胸が熱くなるのは。
彼女にならば、俺の全てを捧げても良いかも知れない。
「行きましょうプロデューサー。もっと、ずっと先に……貴方と共にならば明るい未来があると信じてますから」
差し伸べられた藤原さんの右手。それを一瞬躊躇いながらも握り返す。
「あぁ、行こう!この先に!俺はきっと肇さんをトップまで押し上げる!」
この時。本当の意味合いで俺は、藤原肇と言う星を胸に刻んだのだろう。
****
その兆候は朝から出ていました。船橋さんの『運命』と言う言葉にドキドキして……そして、出会った時の事を思い返して更にドキドキして……
そして名前で呼んで貰えて、私の心拍数は限界を超えました。
視界がゆっくり進みます。音がゆっくりと流れてます。まるでスロモーションの中で、私だけが平常のように動ける違和感。
空気が肌に絡み付いて、まるで世界と溶けて一つになりかけてるような感覚。脱力と集中の間をたゆってるような不思議な世界……
あぁ……これが船橋さんの見ている世界……
私はあの人と同じものを今見ているのでしょうか?
伝え聞いてる感覚とは何か違うようにも感じますが、それは問題無いのでしょう。どこまでもイメージと集中が広がって行く……それは私の胸から見えない糸が出てきて、回り全てを絡み取って支配するようなイメージ……
今ならどんなイメージも思いのままに表現できそう……
私はそのままステージに上がります。少しの緊張もどこか遠くに消えて、今はただ今できる全力を、藤原 肇のアイドルとして表現をしたい……
─────勝つイメージはできてます。
ページ上へ戻る