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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第120話 決着

 
前書き
 第120話を更新します。

 次回更新は、
 7月22日。『蒼き夢の果てに』第121話
 タイトルは、『人生は夢……あるいは』です。 

 
「あの、武神さん」

 九回の表、最後のバッターとなった五番を軽く三振に斬った後、意気揚々とマウンドを降りて行く俺。
 その俺に対して、少し躊躇い勝ちに後ろから声を掛けて来る女声。俺に声を掛けて来るのは基本的に親しみ易い声の朝倉さんか、何時も何故か不機嫌な雰囲気のハルヒと相場が決まって居たのですが、今回に限っては若い女性特有の甘い声。

 ちなみに、文芸部兼SOS団所属の女の子の中で、一番女の子らしく声が甘いのは朝比奈さん。彼女は声以外……例えば見た目なども甘ったるい雰囲気をバンバン発生させて居ます。有希と万結は氷点下の冷たさ。声は聞き取り難く、更に木で鼻を括ったかのような対応をするので非常に取っ付き辛い。さつきも同じように冷たい対応、及び声をしているけど、彼女の場合は冷たい振りをしているだけ。少しつつけばすぐに馬脚を現して、私があたしと言う発音に成ります。
 ハルヒは機嫌が良い時はアレですが、悪いと……。躁鬱が激しくてどうにも付き合い難い。
 朝倉さんは俺の事を異性……少なくとも恋愛対象としては見ていないようなので、余所行きの声で話し掛けて来た事は一度もない。

 こうして改めて考えてみると、朝比奈さんと弓月さんのふたりだけが俺の事を恋愛対象……と言うか、異性として見てくれる可能性がある、と言う事なのでしょうか。

「何かな、弓月さん」

 同じ文芸部及びクラスに籍を置きながらも、これまでの学生としての日常の中で、まったく接点のなかった相手。ただ、俺の感覚からすると、別に忌避するような相手では有りません。確かに美少女であるのは事実ですが、木を隠すのなら森の中へ、の例え話の如く、有希たちの中に混じると途端に目立たなくなる少女ですから。
 総合的に見て、付き合い易さなら朝倉さん。但し、大半の男子生徒は軽くあしらわれているだけ。女性として見るなら色々とガードが甘い朝比奈さん。人付き合いが苦手だけど、見ているだけならハルヒやさつきはとびっきり……と言う形容詞が付く美少女。会話が一切成立せず、ほとんど教室のオプションと化している有希や万結は……発見するのに苦労するかも知れないけど、本人たちの容姿は人外のソレ。
 この連中に比べると付き合い難い……何と言うか、非常に暗い雰囲気を纏って居て、少しおどおどした感じがする少女。見た目も現実に存在しているレベルの美少女では――
 まして、チョッカイを掛けようにもバックに涼宮ハルヒ以下の良く分からない連中が居るので、イマイチ近付き難い、……と言う感じが強い。

 少し歩調を緩めた俺に追い付き、俺の左側で肩を並べて歩き始める弓月さん。その彼女の右手には、彼女の長い髪の毛を纏めていたリボンが――

「すみませんが、最終回の攻撃が始まる前に、このリボンを結び直してくれませんか?」

 気合いを入れ直す為に、武神さんに結んで欲しいのです。
 吹きさらしの中にパイプ椅子を並べただけのベンチへと辿り着く前に、右手に持った赤いリボンを差し出して来る弓月さん。

 う~む、成るほど。確かに断る、と言う選択肢はある。ついでに、その理由も。
 ただ、そうかと言って……。

「まぁ、他の女の子に頼まず、俺に頼みに来たと言う事は、少々不恰好でも構わないと言う事なんやろうな」

 彼女には見えない方の――右側の頬にのみ苦笑にも似た笑みを浮かべ、弓月さんから髪を纏める用のゴム。そして、リボンを受け取る俺。
 淡い微笑み。しかし何故か蠱惑に満ちた笑みとも取れる微笑みを俺に見せ――

 俺の目の前に無防備な背中と、とても綺麗な肌を晒す。その首から肩への微妙なラインが何とも……。
 普段は自然な形で長い髪を真っ直ぐ伸ばす彼女。……と言っても、本当に長いハルヒ、さつき、朝倉さんに朝比奈さんと比べると、首が隠れて、辛うじて背中に届くと言う程度ではSOS団所属の女生徒の中では実は短い方に分類される。
 その彼女が自ら髪を持ち上げて――

 一瞬、セクハラ親父のような思考が頭の片隅に浮かび掛け、それを無理矢理、ねじ伏せる俺。しかし、成るほどね。うなじ美人と言う言葉が有りますが、実際に目の前に現われて見ると、そう言う部分で異性を意識する事も有りますか。
 今回に関しては完全に思考が別の世界を彷徨い始めた訳ではない。しかし、少しだけ心ここに非ず、と言う雰囲気を発し始めたのは普段と同じ。

 その瞬間。

「何を鼻の下を伸ばしているのよ!」

 俺が何かしようとすると必ず、口を挟んで来る()()()()()さまが、このタイミングでも矢張りツッコミを入れて来た。
 もっとも、

「俺はそんなに器用やないから、鼻の下なんぞ伸ばせはせんぞ、ハルヒ」

 そもそも、一目見て鼻の下が伸びているのが分かるくらいに。……例えば、数センチ単位で伸びて居たら、その芸だけで一生食って行けるでしょうが。
 冗談にしてもイマイチ切れがない答えを返す俺。尚、その言葉の間もパイプ椅子に座り、俺に無防備な姿を晒している弓月さんの髪を纏め、斜め上から見つめる自らの視線と彼女の顎のラインを結ぶ点に綺麗な黒髪を纏める。
 高過ぎず、そうかと言って低過ぎない微妙な位置。

 そう、この形はポニーテール。まぁ、女性の髪形に詳しくない俺が再現出来るのはこの程度。
 最後に髪を纏めた箇所に柔らかくリボンを結び――

「ハルヒ。こんな感じに成るけど、どう思う?」

 俺から見るとバランスは悪くない。……とは思うのですが、それは所詮、俺から見た感じ。手近なトコロに居て、ある程度のバランス感覚を持った第三者に意見を求めるのは悪くない。
 噛みついた相手に妙に冷静な対応で返されて一瞬、鼻白んだ表情を浮かべるハルヒ。しかし、それも一瞬。

「悪くはないわよ」

 桜は元が良いから、あんたが余程のヘマをしない限り、出来が悪くなる訳ないじゃないの。
 最初に褒めた振りをして、後で落とす。この手の人間のお約束の論法で対応をして来た。

 まぁ、これは予想通りの反応なので、問題はない。

「ありがとうございます」

 俺とハルヒの会話が終わった……と言うか、ハルヒの煽りが不発に終わった後の隙間を利用して、パイプ椅子から立ち上がった弓月さんが話し掛けて来る。
 おそらく、このハルヒと俺の会話の場所から逃げ出す事を第一の目的に。第二の目的は九回の裏の先頭打者としての準備を行う為に。
 どちらにしても、長々とこの場所で引きとめても良い相手ではない。

 そして、

 俺を少し見つめる弓月さん。それに続く意味不明の空白。その間、おそらく五秒ほど。
 その後、この世界に来てから彼女が初めて見せるある種類の笑み。慈母の如き、……と表現される微笑みを浮かべ、

「私は必ず出塁します」

 だから、この試合、勝ちましょうね。小さく、しかし、力強く首肯く弓月さん。その仕草、そして雰囲気は普段のたおやかな、と表現出来る彼女とは一線を画す雰囲気。
 言葉の後半部分は実際に口にした訳ではなく、そう、前向きに俺が受け取ったと言う事。彼女が完全に試合を諦めた訳ではない……のだと思う。

 しかし――

「あぁ、期待して待って居るよ」

 十二対十五。得点差は三点。逆転するには少し厳しい状態。更に、打順の巡りは非常に悪い。
 但し、俺には簡単に諦める訳には行かない理由と言う物が有る。

 僅かな時間、視線を絡み合わせる二人。その一瞬の後、右手をグーの形で突き出す俺。その拳に自らの拳を合わせる弓月さん。
 これは……。これはおそらく誓約の儀式。
 そして――



「頭の包帯、直してあげましょうか」

 そして始まった九回の裏。六組の最後の攻撃。
 ベンチの端近くのパイプ椅子に座る俺。右側、そして左側も寡黙な少女たちにより埋まって仕舞い、俺の真後ろから声を掛けて来る六組の委員長。

「それとも、弓月さんが戻って来てから直して貰いますか?」

 振り返った俺の答えを聞くよりも先に、かなり意地の悪い質問を続ける朝倉さん。もっとも、本当にその程度の認識で居るとするのならば、彼女もハルヒレベルだと言わざるを得ないのですが。
 そう考えながら俺の真後ろの席に座る彼女の表情を僅かな時間、見つめてみる。
 しかし――
 しかし、その時の彼女の表情は言葉の内容ほど、俺とその他の人間……SOS団関係者の女生徒たちとの関係を揶揄するような表情などではなく、かなり真面目な表情。

 何の考えが有るのか……。いや、朝倉さんが気にしているのは俺ではない。おそらく、俺の右隣で野球の試合になど興味がない、……とばかりに自らの膝の上に開いた文庫本に視線を上下させている少女についてだけ。
 朝倉さんに取っての俺は、その文学少女の付属品程度の存在感しかないはず。

「弓月さんに関しては、何故、この文芸部に居るのか意味が判らない娘なんですよね」

 他の個性が強いメンバーに比べると彼女だけは浮いて見える。
 自らの事は棚に上げてそう話しを続ける朝倉さん。おそらく、今、彼女が文芸部に所属している表向きの理由は暴走気味の涼宮ハルヒを止める為に所属している、と言う理由。
 裏側の理由は友人の長門有希が気に成るから。むしろ、心配している、というべきですか。

 但し、今年の七月七日までの彼女の存在理由は、涼宮ハルヒの監視任務だったはずですが。

「最初は涼宮さんの強引な勧誘に対して断り切れずに、……って言う、朝比奈さんと同じ状況なのかな、と思っていたんですけど」

 でも、あの運動能力を見ると、どう考えても運動部に入った方が良いと思いますし。
 朝倉さんと比べても、見た目で言うのなら甲乙付け難い存在。あまり認知されていないとは思いますが、この文芸部兼SOS団所属の女生徒の中では朝比奈さんに次ぐ破壊力を持った武器(バスト)を持って居るのは弓月さん。
 性格的に地味で、あまり出しゃばって来る事は有りませんが、話し掛ければちゃんと答えは返って来るので、厭世的と言う訳でもない。

 確かに、文芸部に関してなら未だしも、SOS団に関して弓月さんの存在は謎、……と言えば謎なのですが。
 但し――

 この長門有希が暮らして来た世界は、今年の七月七日以前と、それ以後とでは世界自体の在り様が変わって居ます。その際にそれ以前の歴史の不都合な部分……改善された部分は余り違和感を覚えない形で改竄が行われたはず。
 特にそのSOS団結成の経緯や、初期メンバーの勧誘方法などは、歴史改変の原因に直結する可能性のある微妙な部分。

 つまり、現在の弓月桜と言う少女の存在が文芸部兼SOS団に取って少し違和感がある存在だったとしても、七月七日以前の世界に於いては何ら違和感を発生させない存在だった可能性がある、……と言う事。
 例えば、相馬さつきは明らかに関東の相馬家。彼らの言葉を完全に信用するのなら、彼らは相馬太郎良門に端を発する家柄。其の家から、世界に混乱をもたらせる可能性のあった涼宮ハルヒと言う妖異を監視する為に送り込まれた術者だった。

 但し、現在のハルヒは三年前の歴史改変の結果、其処まで危険視しなければならない存在ではなくなっている。おそらく、今の彼女は世界を破壊して、新しい、クトゥルフの邪神の暮らす世界の母となる事はないでしょう。
 しかし、其処で既に西宮でハルヒの監視任務に就いて居たさつきの存在が急に消える事によって歴史に悪い影響が出る可能性があれば、それを回避する為に、多少の矛盾を孕んだ内容に成っても、この場所……西宮の北高校と言う場所に相馬さつきと言う名前の少女が存在する理由と、状況を作り出して歴史は改変される。
 長門有希や朝倉涼子。それに朝比奈みくるが、この場に生存出来ている理由も同じような理由。

 それと同じような現象が、弓月桜の身に起きて居たとしても不思議ではありません。
 もっとも、朝倉さんにその辺りの細かな事情を俺の口から説明する訳にも行かないのですが。
 それに、先ほどの弓月さんの行動の意味はおそらく……。

「終に彼女も動き出したのかな?」

 色々な意味に取れる疑問を口にする朝倉さん。普通に考えるのなら、これは俺を中心に置いた人間関係。普通の高校生レベルの恋愛感情に関係する疑問と取るべき。
 例えば、有希と万結は、俺と、それ以外の人間に対する態度は明らかに違います。ハルヒにしたトコロで微妙に違うと思う。この三人に加えて、さつきも時々挙動不審に陥る事がある。

 この辺りの微妙な人間関係を一番近い位置で見て来た彼女なら、そう言う疑問が浮かんだとしても不思議ではない。
 しかし――

「俺の周りの人間関係が、そんなライトな物ばかりなら良かったんやけどなぁ」

 小さなため息をひとつ。そして、邪神が産み出した高次元意識体作製の元人工生命体の少女を見つめる俺。
 そう。長門有希・朝倉涼子・神代万結。この三名はそもそも人に似せて作られた存在。自称リチャードくんから言うと人形と言う存在らしい。
 涼宮ハルヒは元邪神の贄。彼女の望みを叶える為に、最悪の邪神……世界を滅ぼし、自らの世界を創造する暗黒の地母神の種子を植え付けられた少女。相馬さつきはその邪神の監視の為に送り込まれた術者。

 そして、弓月桜は霊的な事件の元被害者。彼女の霊体や魂魄には未だ傷付けられた痕跡を見つけ出す事が可能でしょう。
 少し考える仕草の朝倉さん。ただ、その視線は俺ではなく、現在、打席内に居るポニーテールの少女に。

「弓月さんが出塁するとはっきり言葉にした以上、彼女はどんな手段を使っても出塁するはず」

 対して俺の方は、弓月さんに視線を向ける事もなく、そう断言した。
 ……まるで、これまでの彼女が全力で試合に挑んで居なかった。そう聞こえる内容の言葉を。

 その瞬間、発生する陽の気。そして、それに続いて発生する黄色い歓声。

「驚いた。武神くんの言うように弓月さん、本当に出塁したわよ」

 俺の言葉を信じて居なかったのか、かなり感心したような口調でそう言う朝倉さん。
 但し、俺からするとそれは当たり前。クトゥルフの邪神が創り出した異空間でもあれだけの動きが出来る……地球出身の()()が、同じ地球。それも、東洋系の術に端を発する結界の内側で能力を発揮出来ない訳がない。

「俺としては、彼女よりも、ハルヒや朝倉さんの方が心配なんやけどね」

 どちらかと言うと未だクトゥルフに近い系譜を引く彼女たちの方が、この陣の中では動きが阻害されるはず。そう成っては弓月さんの俺に対する挑戦に失敗して仕舞う事になる。

「それはどう言う意味なの?」

 どうにも噛み合わない会話。もっとも、これは仕方がない事。

「朝倉さんの言った、『彼女が動き出した』はおそらく正解」

 但し、恋愛感情などから発生する表の世界の動き……例えば、俺に彼女の事を印象付けるなどと言う目的ではなく、魔法や神、悪魔などが関わる裏の世界での動き。
 どう言う意図があるのか、細かな内容は想像するしか有りませんが……。
 例えば、俺自身の能力の確認、などが考えられるとは思いますが。

「弓月さんはこの追い詰められた状態を跳ね返して見せろ、そう言ったんやな」

 七番から始まる最終回の攻撃。ただ、弓月さんが出塁したとしても、八番九番はまったく当てには出来ない一般的な男子高校生。
 おそらく彼女の意図は、何らかの術を行使してでも逆転して見せろ、と言う事だと思う。

「八番九番の自由意思を奪い、操り人形化する。難しい事ではない。俺にはな」

 流石に内容が危険な内容と成って来た為に、周囲に言葉が漏れないように音声結界を張りながら、しかし、普段と同じ口調でそう続ける俺。
 まるで帰りに何処かに寄り道しようか、と話し掛けるような気安さで。

 その瞬間――

「本当に、そんな事をする心算なの?」

 僅かに細められ、少し冷たい輝きを放つ朝倉さんの瞳。これは間違いなく拒否。
 もっとも、この反応も彼女の出自や、今までの会話の内容からすると予測の範疇。

 但し――

「まさか。今更そんな事をするぐらいなら、あの二人に関しては最初から替え玉を用意する」

 いともあっさり、先ほどの自らの言葉を否定して仕舞う俺。
 そもそも、この球技大会の決勝に何か魔に関係している連中が絡んでいる事は、試合開始前から分かっていた事。それでも尚、あの御調子者とむっつり野郎を参加させたのです。それを今更、意志を奪って操り人形化する訳がないでしょうが。

 もっとも、最初からあの二人を決勝戦には参加させない、と言う選択肢を採用した方が試合展開としては楽だったとは思いますが。例えば、あの二人の男子生徒を何処かで眠らせて置いて、空いた二人の位置に俺の飛霊を配置する。
 術によって見た目を変えた飛霊だとしても能力は俺。確かに多少のリスクを負う事となっても、一般人が混じるよりはマシ。少なくとも守備の穴は無くなるし、攻撃で併殺を簡単に取られる安全牌として利用される事もなくなる。

 しかし、俺、そして有希や万結もそんな事はしなかった。
 個人の意志を無視して行動を制御する。確かに、今回の野球に関してなら、程度は小さく世界に与える悪い影響よりは、その結果発生する良い影響。例えば、世界が危機に晒される事がない、とか、あのふたり自身も危険に身を晒す必要が無くなる、などの良い影響が多い為に、俺たちが歪むような事はない……とは思いますが……。
 しかし、意志を持つ存在を、モノや機械と同じような扱いをして良い訳はない。そこには必ず悪い流れや思考、思想が発生しますから。

 こう言う行為は徐々にエスカレートして行く物。逆に言えば、初めの一歩を踏み出さない限り……楽な方向に流れされる事なく、相手に自覚を促して行けば、俺たちが陰気に染まる事もなく、世界に良い流れが生まれる元となる可能性も高く成る、そう言う事。

「ここまでの試合展開から、自分の役割と言うヤツをあの二人が理解出来ないのなら、それはそれで仕方がない」

 敗戦は俺の運命だった、として受け入れるしかない。
 先ず、他人に指示される前にテメェの頭で考えろ、と言う事。それに有希と契約した時も、俺は彼女に自分の判断で行動しろ、と言ったはずです。
 自分で物を考えない。自分で自らの為すべき事を決めない。ただ、言われたままに生きる。
 そんなヤツが生きているとは言えない。それこそ正に人形だろう。

 一瞬、かなり危険な雰囲気を発していた朝倉さんでしたが……。

「あの二人を信用するぐらいなら、瑞希従姉(ねえ)さんの飼い猫に期待する方が上だとは思うけどね」

 苦笑混じりにネクストバッターズサークルで交錯する二人の男子生徒を見つめる朝倉さん。もっとも、あの二人と、瑞希さんの式神の黒龍を同一に見る事自体が間違っているのですが。



 七番から始まった九回の裏の攻撃。
 七番の弓月さんは、彼女の言葉通りセンター前へのヒットで出塁。

 ただ、その時に――
 いや、弓月さんの意図が読めない以上、彼女が術者か、そうでないのか……を問うたトコロで意味はありませんか。そもそも、彼女の来世はハルケギニア世界の大地の精霊王、妖精女王ティターニアの可能性が高い。魔法の極限に位置する精霊王に転生する魂の持ち主が、今の生で魔法に関係していない可能性は薄いでしょう。
 まして、彼女は今年の二月に霊的な事件の被害者と成って居ます。
 かつての俺。龍種の末裔としての血に目覚めた時の、かつての俺のように――

 ただ、続く八番、九番は連続見逃しの三振。当然、その間、一塁ランナーの弓月さんは動く事が出来ず。
 但し、これまでチャンスを何度もこの二人の内のどちらかがダブルプレイを食らって潰して来た状況と比べると、今回は一切、バットを振る事なく三振。これはつまり、相手が打たせに来ている事に気付いたと言う事なので……。

 ただ、これでツーアウト一塁。六組と俺が追い詰められた事に違いはなく……。
 ここで打席に立つのは涼宮ハルヒ。俺を妙な賭けの対象にした張本人。ここまでの成績は五打数一安打。はっきり言うと役に立って居ない。
 もっとも、この決勝戦。特に三回以降の自称リチャードくんからヒットを打つのは至難の業。相手に有利な――何をやっても相手に有利なように事象が転がって行く、……と言う俺たちに取っては死地に当たるこの場所で、未だ能力に目覚め始めたばかりの彼女では、一本でもヒットを打つ事が出来たと喜ぶべきでしょう。

 しかし――
 ワンストライク・ワンボールからの三球目。ベルト辺りの高さに入って来た甘いボールを一閃。打球は三遊間を抜けてレフト前へ。
 矢張り、少しずつでは有るが、風はコチラ向きへと変わりつつある。

 続くは朝倉さん。ここまでは記録上は一安打ですが、実質二安打。

「ボール。ボール、ロー」

 まるで機械の如き精確さでストライクゾーンに入って来た球はカット。逆にボールゾーンへと逃げて行く球を見逃し続けた朝倉さん。そして、終に十二球目の低めの球を見送ってフォアボール。
 喜怒哀楽がはっきりしていて、感情表現も豊か。どう考えても有希や万結と同じ種類の存在とは思えないのですが、それでも、其処はそれ。ボールの軌道を見極め、カットを続けられたとしても不思議ではない。

 有希に出来る……と考えられる事ならば、彼女に出来ても不思議では有りません。

 一塁に歩き出す瞬間、ネクストバッターズサークルに居る俺に対して視線をくれる朝倉さん。普段通りの黒目がち……蒼を思わせる虹彩に優しげな光を湛えられ――
 微かに動かされるくちびる。彼女の出す吐息が口元を微かに白く染めた。

 右手の指二本を額の前に翳し――変形した敬礼の形で朝倉さんに応える俺。
 何はともあれ、ツーアウト満塁。得点差は三点。
 おぜん立ては出来た。後は俺が打つか、打てないか。これだけ。

 一塁側のベンチ及び応援団から期待……と言う色に染まった雰囲気を背中に感じながら、一歩一歩、強く踏みしめるようにバッターボックス(戦場)へと進む俺。
 いや、これは一種、神聖な儀式。大地を強く踏みしめる事により、地下深くに存在する悪しきモノを踏みつけ、邪気を祓い、正気を招き寄せる術式。

 邪気を祓いながら数歩進み、左バッターボックスに入る一歩前、ふと立ち止まる俺。そしてそこから、ごく自然な雰囲気で三塁へと視線を送る。
 其処には普段と同じはにかんだ様な……笑うしか答えを返す方法を知らない少女が静かに佇んで居た。ここまでの流れは、彼女の望んだ物ではなかったと思う。しかし、状況は望んだ結果を得られる可能性が残っている状況。
 故に、この笑顔、なのだと思う。
 続いて一塁。俺よりも少し濃い蒼の瞳と髪の毛を持つ少女と視線を合わせる。頑張れ。口の動きだけで激励の言葉を送って来る朝倉さん。

 ここで打たなくては、この二人の期待に応える事は出来ない。

 そして――
 二塁ベース上には胸の前で腕を組んだ長い髪の毛の少女がコチラを睨んでいる。もう言葉を聞く必要はない。打たなければ俺は死刑だ。

「やれやれ。一体、何処の何方がこんなシナリオを書いたのかね」

 バッターボックス内に入った俺に対して、薄いため息と共に話し掛けて来る九組のエース、自称リチャードくん。但し、俺の見鬼で見つめても、ヤツと、そしてそのリチャードと言う名前の間には違和感しか発生しない。
 これはおそらく、そのリチャードと言う名前自体が、ヤツの本名ではない、そう言う事。

 ただ――

 シナリオか。俺の方も軽くため息。おそらく、このシナリオを書いた一人は今、二塁々上でこちらを睨んでいる少女。但し、こいつは無意識の内に世界に影響を与えたのだと思う。
 それに、九組の留学生二人も間違いなくこのシナリオを書いた存在。
 但し、ヤツラのシナリオだと、この結末は俺たちに取って不幸な結末しか用意されていないはず。おそらく、ヤツラの目的はこの試合の結果などではなく、ここを踏み台にしてもう一度、この世界に混乱をもたらせる事。

 魔が何を騒ごうと無視をするのが一番。人はパンのみにて生きる非ず。もしくは菩提樹の元であの御方が悟りを開く直前にも、似たようなヤツが現われたらしい。
 どちらも世俗に染まり過ぎた俺には関係のない御方ばかりですが、それでも先人の智慧と言うのは活かして行くべきでしょう。

 悟りの境地とは正反対……常に迷いの森の住人状態の俺ですが、それでもここの選択肢は一択。そう判断して、自然な仕草で所定のルーティンを行う。

「おいおい、忍さんよ。おまえさんまでガン無視かい?」

 どうやら、このマウンドの上に居るヤツは俺と同じタイプ。無駄口の海で溺れ死ぬタイプの存在らしい事は分かりましたが――
 何時も通り、余計な力の入っていない自然なフォームで投球を待つ姿勢の俺。ゆっくりと振り被る自称リチャード。

 その瞬間!

 俺の左横で人の動く気配。
 振り被った時の勢いそのままに、山なりの球が投じられる。ボールの回転も普通。小学生同士のキャッチボール程度の威力の球が立ち上がったキャッチャーのミットに納まった。

 ……って、おい!

「ちょっと、ピッチャー! この場面で敬遠ってどう言う事よ!」

 しかし、俺が口にするよりも早く文句を言うセカンドランナー。もっとも、これはこの場に集まった人間の総意。
 ……そもそも急ごしらえ。本来、この学校に存在しない一年九組にクラスメイトの応援と言う物は最初から存在していないのですが。

 キャッチャーからの返球を澄ました顔で受け取る自称リチャードくん。
 そうして、

「おいおい。敬遠は立派な戦術だぜ」

 如何にも心外だ、……と言わんばかりの雰囲気でハルヒの文句に応える自称リチャードくん。
 それに、ヤツが言うように敬遠も立派な戦術のひとつ。これは間違いではない。

「何言っているのよ。あんた、試合の流れや雰囲気を理解していないの?」

 俺の言いたい事をそのまま、更に言うとオブラートに包む事のない厳しい言葉を投げつけるハルヒ。もっとも、彼女の口から試合の流れや雰囲気などと言う言葉が出て来ても説得力は皆無なのですが。
 周りの雰囲気など一切無視。ひたすら我が道を行く彼女の口から。

「そう言うけどなハルヒ」

 最早、打者の俺に対して意識を割く必要もないとばかりに、ゆっくりと振り被りながら言葉を続ける自称リチャード。
 その投じられた球は山なりのスローボール。但し、立ち上がったキャッチャーに向けて投げられた球で有る以上、ストライクゾーンからは大きく外されて居り……。

「お前が呼び出したアイツは化け物だぜ。今の俺で抑える事が出来る相手じゃない」

 増して今は、朝倉におぜん立てまでして貰ったんだから、気合いも入っているしな。
 神経を逆なでするかのような口調。但し、これもおそらく真実。

 しかし――

「キャッチャー。投球する前まではキャッチャーボックス内で構えて置くように」

 次にボックス内に構えずに居たら、その時点でボークを宣告するからな。

 予期せぬ位置――野球部部員から体育教師へと変わって居た主審からキャッチャーに掛けられる言葉。
 そう言えば、キャッチャーはピッチャーが投げるまではキャッチャーボックス内から出てはいけない、と言うルールが有ったような記憶が……。しかし、こんなルールが厳格に行使された例を俺は知りません。

 ただ、このルールはもしかすると……。

「やれやれ。主人公様には野球のルールすらも追い風になると言う事ですかねっ!」

 ゆっくりと振り被っていた状態から一転、今度は素早い投球動作から投じる自称リチャードくん。しかしそれは、クイックモーションなどと言う物などではなく――

 再び俺に向かって来る直球。しかし、今度のそれは普通のプロ野球の投じるストレートの威力、及び球速。少なくとも、俺自身の身体の自由が奪われた状態で行われた第二打席のソレとは状況が違う!
 あらゆる色彩が一瞬で消滅。これは肉体強化の極限。自らに流れる時間さえも自在に操る事が出来るまで能力を高めた術者のみが辿りつける境地。

 既にアガレスを起動状態にしてある俺に取って、表の世界のトップアスリートが投じるレベルのスピードボールを躱す事など児戯に等しい。
 それに、今回の攻撃は絶対に回避しなければならない理由が存在する。

 それは第二打席以降、俺や有希たちには物理反射の仙術が行使されている。ここでもし、俺の頭に再び投球がぶつけられるような事が起これば、その被害はすべて投げた本人。自称リチャードに返される事となる。
 確かに、俺に何らかの術や攻撃を反射する手段がある事は、既にヤツラも気付いて居る可能性が高い。しかし、気付いていない可能性も存在する。

 まして、六組の応援団の連中にしてみれば、俺が死球で倒れるのなら理解出来るが、それを投じた自称リチャード自身が倒れるのは理解出来ないはず。
 そして何より、クトゥルフの邪神が人間に転生して来た場合は、通常の人間を殺す手段で倒す事が出来るのだ。プロ野球の投手が投じるレベルの硬球を、何の防御もしていない頭部に受けると言う事は……普通の人間ならば死に至る危険性もある。

 まぁ、それだけならば問題はない。邪神の分身が一体、この世界から消えるだけ。元々、そのような人物は存在していなかった以上、歴史は正しい形で修正される事となるだけ。

 但し、古の狂った書物の内容を信用するのならば、その際に本性――忌まわしき邪神の姿を現す危険性がある、と記されている。この日本の兵庫県西宮市のど真ん中で……。
 邪と謂えどもヤツは神。そんなモノがこんなトコロで顕現すると、どんな結果が待って居るのか、正直に言って考えたくはない。

 俺の体感的に言うと、非常にゆっくりとしたスピードで接近して来るボールをワザと紙一重に成るようなタイミングで躱す俺。その一瞬前まで俺の頭が有った場所を通過して行くボール。
 そしてそのまま、キャッチャーのミットへと吸い込まれて行った。

 今度は体勢さえ乱す事もなく、立った状態のままボールを躱した俺。おそらく、ギャラリーは俺がボールを躱した事にさえ気付けなかったでしょう。あまりにも素早い動きで有った為に、一般人の瞳では見る事さえ出来なかったはずですから。

悪い、悪い(わりい、わりい)。打たれたらマズイモンで、つい力が入り過ぎて仕舞ったぜ。大丈夫だったか?」

 俺の耳で聞くと普段からコイツの言葉に感情が籠っていない、空っぽの言葉しか聞こえて来ない相手なのですが、今回はそれに芝居がかった雰囲気まで上乗せした言葉で問い掛けて来る自称リチャードくん。そもそも力んでバッターの顔の部分を通過した球を、キャッチャーがあっさりキャッチ出来る事の方がウソ臭い。
 これはサインプレイ。俺の頭の辺りにボールを投げる、と言う事が分かっていたからキャッチャーは対処出来たと言う事。

「あぁ、ひとつぶつけられているから、投げる前から警戒していた」

 事実をありのまま言葉にする俺。そもそも、信用に足る相手などではない。まして、何を考えて居るのかさっぱり分からない自称ランディくんと比べて、コイツは非常に分かり易い相手。
 どうせ歩かせるのなら、敬遠だろうが、ビーンボールだろうが一緒だ、と考える可能性がある、……と理解して置いたのなら、頭部を狙われたとしても躱すのは容易い。

「ピッチャー。次に頭部付近にボールを投げたなら、即時退場とする」

 どうやら真面な審判らしき体育教師がそう警告を行った。流石に一発退場とするには根拠に乏しいと判断したのでしょう。
 どちらにしても状況は悪くはない。少なくとも偏った判定が続いた頃と比べると雲泥の差。

 軽く肩を竦めて見せる自称リチャードくん。表情は心外だ、と言うかなり不満が有るような表情を装っているけど……。どう考えても人間の振りをしているのは有希や万結ではなく、コイツらの方。

 何にしても――

 タイムを掛け打席を外す俺。そして、ネクストバッターズサークルにちょこんと座る紫髪の少女と、一塁側のベンチでパイプ椅子に浅く座る蒼髪の少女に視線を送る。
 ふたりとも表情は無。但し、彼女らの視線はすべて俺に向けられている。

「後の事は頼む」

 状況はノーストライク・スリーボール。キャッチャーは立ったまま。ここから考えると、この流れから一転、勝負をする……と言う選択肢は考えられない。まして、ビーンボール紛いの球を投げて来たのも俺が踏み込んで打ちに来る事を防ぐ意味。
 当然、そんな普通の人間に投げられる程度の球を躱し切れず、死球となったとしても問題なし、と判断しての投球だった事は間違いないでしょう。

 俺の言葉に間髪入れず首肯く万結。対して、一瞬、俺の瞳を見つめた後、小さく首肯く有希。
 少しの苦笑。有希は未だ俺の手で試合が決せられる事を望んでいる、と言う事なのでしょう。

「それにな、ハルヒ」

 ゆっくりと振り被りながら、セカンドランナーに対して話し掛ける自称リチャードくん。
 俺の心は無に。来る球は分かっている。後は――

「長門や、その後ろの人形を打ち取った方が、ヤツにはダメージになる」

 あのふたりはアキレスのかかと。

「アイツに害が及ぶのが分かって居て尚、自らの能力が及ばなかった事をふたりが後悔し続ける事になるからな!」

 大きく振り被り、ゆっくりとモーションから投じられた一球。それは、それまでの三球とは球威が違う。伸びが違う。
 そして籠められた魔力が違った。

 黒い一閃となって目線の高さを進み来る直球。コースは間違いなくボール。球速は間違いなくこの日最速。
 コイツ、口ではなんのかんのと言いながら、俺が打ちに来る事を予測していやがる。

 しかし!

「黙れ、ハゲ!」

 鋭く、吐き捨てるように叫ぶ俺。
 強くクローズド方向に踏み込み、その衝撃でグラウンドに軽いひび割れが走る。……が問題なし。そんな細かな事に気付く一般人などいない。
 左腕一本で振り始められるバット。その瞬間、仙術で強化されたバットが巻き起こす風圧が真空を作り出す!
 これも問題ない。衝撃波の被害など有希や万結が何とかしてくれる!

 自らの精神力を加速に、そして何より自らの生来の能力で高低をコントロールしながら思いっきり振り抜かれるバット。
 それは雷光。能力を限界まで高めたバットのヘッドスピードが眩い輝きとなり――

 
 

 
後書き
 長かった野球編も終わりです。
 本格的な野球小説と言うには、矢張りかなり問題があったような気が――

 それでは次回タイトルは『人生は夢……あるいは』です。

 尚、次は短いので第122話は短いインターバルで公開します。
 タイトルは『十二月十八日』を予定しています。
 ……121話だけで纏めて公開すると1話1万6千文字オーバーと言うトンデモナイ数字となって仕舞いますから。
 
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