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三人の神父

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9部分:第九章


第九章

「ですからこれからは」
「これからは」
「貴方達に御願いしたいのです」
 そう二人に伝える。
「宜しいでしょうか。これからも苦難があると思います」
「ええ」
「おそらくは」
 それは二人もわかっていた。これまでのバルカンの歴史は憎悪と流血の歴史だ。それが容易に変わるとはとても思えない。無論これはアレクセイもわかっている。
「しかし。決して諦めないで下さい」
「決してですか」
「そうです」
 またグレゴリオに言う。
「諦めずに先に進んでいけばきっとそれは果たされますので」
「ではこれからは私達がここで」
「そうです」
 述べるその言葉は澄んでいる。まるでアレクセイの心そのもののように。その澄んだ声の前にはどのような飾りも美辞も必要はなかったのである。
「全ては貴方達次第です。私は貴方達に全てをお任せします」
「宜しいのですね」
 ベネヴィクトはアレクセイのその澄んだ目を見て問うていた。何時しかベネヴィクトは彼に教えを乞うような様子になっていたのだった。
「私達で」
「私もまた。普通の神父でした」
 アレクセイはそうベネヴィクトの言葉に答える。
「ですから貴方達もきっと」
「果たせると」
「人は不思議なものです」
 ここでこう言うのだった。
「願っていないことは果たせませんが願いを最後まで捨てなければ」
「果たせるもの」
「何時か。きっと」
 アレクセイはまた言った。
「果たせます。ですから貴方達にそれを」
「それでは」
 グレゴリオは遂にその言葉を受けた。
「受けましょう、それを」
「神の御意志として」
「そう、これこそが神の御意志」
 アレクセイはベネヴィクトの今の言葉に対して述べてきた。
「そうなのです。それを貴方達に」
 姿が消えていく。その中で最後の言葉になる。
「お任せします。それでは最後の審判の時に」
 そこまで言って姿を消す。後には何も残ってはいなかった。
 何時しかステンドガラスから明るい日が差し込めていた。その光が色とりどりの光を映し出して教会の中を奇麗に染め上げていた。グレゴリオとベネヴィクトはその光をまるで神の奇跡のように感じて恍惚とした顔をしているのであった。
「ベネヴィクトさん」
 グレゴリオは光を見たままベネヴィクトに声をかける。
「今全てが決まりました」
「はい」
 ベネヴィクトもその言葉に頷く。
「私達の使命が」
「そうです。この国で」
 彼は言う。
「きっと平穏をもたらしましょう、私達のできることが僅かであっても」
「その僅かな力がきっと」
「そうです、それが大きくなっていって」
 グレゴリオはまだ光を見ていた。それはベネヴィクトも同じであった。
「素晴らしい力になるでしょう」
「そうですね。そしてその素晴らしい力こそが」
「神の御意志なのです」
 二人はそれを確かめ合う。既にその顔には荒野を進んでいた時の悲しみも絶望もなかった。苦難を見据えたうえで前に進もうという、毅然とした顔であった。
「苦難は多いです」
 グレゴリオは自分でもそれを言う。
「しかし最後まで諦めなければ」
「アレクセイ神父も仰っていたように」
「きっと希望があります」
 厳かな声になっていた。それこそが心の高まりであった。
「最後には必ず」
「私達の代では果たせないかも知れないですね」
「何、それも覚悟のうえです」
 グレゴリオは笑顔でそう述べる。やはりその笑みには迷いも憂いもなかった。全てを吹っ切った、そうした悟りきった笑みになっていた。
「何もかも」
「ではグレゴリオさん」
 ベネヴィクトもまた厳かな声になっていた。その声で言う。
「まずはこれからは」
「はい、一つやるべきことがありますね」
 そう言葉を交あわせる。
「アレクセイ神父の名誉を回復させ」
「神父の志を街の人々に伝える」
 そう言い合う。
「まずはそれからです。神父の志を残すことこそが」
「最初の一歩なのですから」
「では」
 ベネヴィクトは強い声を出した。厳かな中に強さが宿る。
「行きましょう、今から」
「そうですね、今から」
 グレゴリオも彼の言葉に頷く。
「アレクセイ神父の志を伝えに」
「何時かきっと来る平和の為に」
 二人はそう言うと一旦教会を出た。後には神々しいステンドガラスの光が残っていた。それを背にする十字架のイエスは心なしか笑っているように見えた。
 それから長い時が経った。多くの戦乱があり多くの命が失われた。それはユーゴ全土に拡がりこの半島は憎悪と流血に彩られ続けた。しかし二つの街だけは別だった。
「みんなあの教会のおかげだよ」
 クロアチア人達もセルビア人達も口々にこう言う。
「あの教会がなかったら」
「俺達は他の街と同じようになっていた」
 他の様々な街のように。飽くなき殺戮と蛮行が支配していることになっていたであろうと。口を揃えてこう言うのであった。
「けれど二つの街にはそれはないさ」
「教会があるから」
 そう言うと教会を見る。小さな古い教会を。
 見てみると有り触れた教会だ。何の変哲もない。
 しかしそこには何かがあるという。それは何かは二つの街に伝わっている。
「一人の神父様がわし等の為に命を落として」
「その後の二人の神父様達がそれを教えてくれた」
 これが彼等の言葉だ。全てを懐かしむような声で語るのだ。
「それが今の平和をもたらしてくれたんだ」
「私達の目を覚ましてくれて」
 今その教会にいるのは一人の若い神父だ。彼は厳かにこう言う。
「道は果てしないです」
 澄んだ、穢れのない声で。言う。
「しかし諦めずに先を進んでいけば」
 顔を上にあげる。その先に遥かな夢を見て。
「きっと。アレクセイ神父の願いは果たされます。この半島に永遠の平和を」
「皆が仲良く笑い合って暮らせる場所を」
「幸せを」
 幸せという言葉を聞き救われたと思った。今は到底無理でも何時かは。何時かはきっとこのバルカンにも。僕も今それを信じたいと思った。


三人の神父   完

                 
                  2007・5・1
 
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