届かなかった忠告
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4部分:第四章
第四章
「思いがけぬ幸せとはこのことです」
「それがですか」
「そうです。そしてです」
朱英はここでさらに彼に対して話すのだった。
「今度は思いがけぬ禍のことですが」
「それは何ですかな?」
「李園です」
彼の名前を出すのだった。
「あの男は王后の兄ですが」
「はい」
「貴方様が宰相にあり国政を取り仕切れないのを怨んでいます」
こう述べるのだった。
「そして元より邪な男です。信用できません」
彼自身についても語った。
「機を窺い貴方様を亡き者にしようとしています」
「私を」
「その通りです。既に無頼の輩を何人も雇い入れています」
彼はこのことを既に察しているのだった。
「これが何なのか言うまでもないでしょう」
「まさか」
「まさかではありません」
朱英の言葉は続く。険しさを増しながら。
「王が亡くなればすぐに宮中に入るでしょう」
彼はこのことを確信しているのだった。
「そして無頼の輩を配して貴方様を殺します」
「私を?まさか」
「まさかではありません。思いがけぬ禍とはこのことです」
言葉を強くして主に告げるのだった。
「このことこそがです」
「そうなのですか」
「そしてです」
そして朱英の言葉はこれで終わりではないのだった。
「吉兆を左右できる者ですが」
「それは誰ですかな?」
「私です」
ここで堂々と名乗るのだった。
「それは私のことなのです」
「貴殿がそうだというのですな」
「その通りです。私を楚王の側に置いて下さい」
彼はさらに強い声で春申君に上奏した。
「王が亡くなられれば李園は必ず宮中に押し入ります」
既にそれは読んでいるのだった。
「その時あの男を殺してみせます」
「李園をですか」
「そう、つまり」
そして言うのだった。
「吉凶を左右できる者とはこのことです。どうか」
「いや」
しかしであった。春申君は言うのだった。
「それはありませぬな」
「ないと言われるのですか?」
「私を思ってくれるその気持ちは有り難いが」
まずはそれはいいというのである。
「だが李園は気の弱い男です」
「確かに気は弱いでしょう」
朱英はそれでもあの男の邪なものは見ているのだった。だがそれは今の春申君には見えていなかったのだ。彼にとって不運なことに。
「ですが」
「私は彼を長い間優遇もしてきた」
「恩にも感じているというのですか?」
「その通りです」
(馬鹿な)
朱英はそれを聞いてすぐに心の中で否定した。
(あの男は恩義なぞ感じる男ではない、決して)
邪な者は己しか考えない。当然恩義なぞ感じはしない。それがわかっていたのである。
「そのようなことはしないでしょう。案ずるに及びません」
こう言って彼の言葉を退けたのであった。言葉が退けられた朱英はそれを見てすぐに春申君の前を立ち去った。そうしてすぐに楚を離れたのだった。
このやり取りからすぐに王は死んだ。すると朱英の言葉通りになった。
「春申君の側近達はいないな」
「はい、まだです」
「まだいません」
人相の悪い男達が李園の周りにいた。そうしてすぐに王宮の中に入るのだった。
「誰もいません」
「我等だけです」
「よし」
それを聞いた李園はいよいよその笑みを邪なものにさせた。
「ならばだ。よいな」
「はい、それでは」
「今すぐに」
こうしてそれぞれ宮中の王の遺体が置かれている部屋の中に隠れた。部屋の隅に隠れる者もいればカーテンの陰に隠れる者もいる。そうして春申君を待った。
程なくして王の死を聞いて彼が駆け込んできた。宰相として当然のことだった。
しかし彼は一人だった。周りには誰もいなかった。そうして刺客達がいるその部屋に入り。
忽ちのうちに刺客達が殺到し彼を貫いていった。彼は叫び声をあげる間もなく全身から血を流しそのうえで倒れていく。その時目に見えたものは何だったのであろうか。
彼はその首を切り落とされその首を門の外に放り出された。李園はそのまま彼の宮殿に攻め込みその一族を皆殺しにした。それで全ては終わりだった。
その後彼の子が王になった。楚の幽王である。これから暫くして楚は秦に滅ぼされ何もかもがなくなってしまった。その滅び方があまりにも悲惨なものであった為に秦への怨みは深いものであり後にあの項羽を生み出すことになるがそれは後のことである。
史記には春申君は老いたとある。その為に李園の邪なことを見抜けずまた朱英の声を聞くことはなかった。そうしてそれにより死んでしまった。司馬遷の最後の文章はあえて簡潔なものにしているようだ。そこにあるのは残念さであろうか。何はともあれ彼はこのようにして死んだ。実に無惨な結末であった。
届かなかった忠告 完
2009・6・7
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