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jq@,fd@joue

作者:海戦型
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SS:病、薬、そして異邦人

 
 わたしは、死ぬのか。
 アズキは、漠然とした意識の中でごちた。
 剣の道を選んで武芸の腕を鍛え続けた自分が、まさか戦いではなく病で倒れるとは思わなかった。剣に殉ずることが出来なかった己の後悔ばかりが、熱と疲労で鉛のように思い身体へのしかかる。
 乱れる息と、身体をジワリと湿らせる汗。頭の中身を棒でかき回されたような不快感と高熱によって弱り切った身体に、表情が歪む。
 ――まだ、死にたくない。純粋に、叶う事のない願いを女神に捧げた。

 アズキはコマーヌスという土地に住む犬種民族『ケレビム』の民地方領主の娘として生まれた。
 女であるという理由で後継ぎとしては扱われなかったが、剣士の道を選ぶと伝えた時は後押ししてくれた。
 ケレビムは傭兵の多い種族だ。だから剣士になる者は多いが、同時にその鍛錬や修行は厳しい。相手が領主の娘であろうと手心など加えない。何故なら、その剣士に加えられた手心が将来に剣士自身を殺すことを彼らは知っているからだ。
 だがその厳しい修行も無に帰そうとしている。死、という最悪の形で。

 今、この町では『弦月病』と呼ばれる病が蔓延している。
 目元に深い隈が現れることをその名の由来とする弦月病は、ここ1週間ほどで急に領地に蔓延した流行り病だ。
 症状は珍しいものではない。発熱、発汗、食欲不振等々……ありふれた風邪のような症状に始まる。
 ただ、ひとつだけ風邪とは違う点がある。「弦月病は治らない」ことだ。
 最初は唯の体調不良と軽く見ていた領民たちも、1日2日と体調が治らないと不審に思いはじめる。そして、体調を崩したヒト全員が自然治癒出来ていない事が判明した時点で、アズキの父である領主はこれを流行り病と断言した。
 弦月病は緩やかに、しかし確実に患者を弱らせる。次第に深く、そして濃くなっていく隈に比例して、身体もどんどん動かなくなってゆく。もっとも症状が深刻な患者には、風邪の症状以外に痙攣や下痢、激しい吐き気など症状が追加されている。
 ゆっくり、ゆっくり、真綿で首を締めるようにじわじわと確実に命を削ってゆく。

 感染経路を特定しようとしたり、町医者や近隣の町への手助けを求めたりと八方手を尽くしたコマーヌスの領民だったが、調べても調べても原因はつかめないまま今では住民三分の一が病床に伏している。
 体力自慢で有名なケレビムの民とはいえ、そんな状況が続けば死は免れない。現に、子供や老人の中には既に危篤に近い状態まで弱っている者もいる。まだ死者が出ていない事が奇跡的なのだ。そして、奇跡は決して長続きはしない。

「死にたく、ないな……っ」

 堪え続けてきた弱音が、涙とともに溢れ出る。
 有効な治療方法が見つからないまま、死神の鎌がゆっくりと首に食い込んでゆくような生き地獄。
 領地を救う力も知恵もなく、自慢の剣も病には届かない。弦月はいずれ新月となり、光は命の瞬きと共に闇に飲まれる。
 ふとベッドの横を見ると、外は夜になっていた。まるでアズキの体調と呼応するように陰を増していく月を見て、不意に「あれが全て欠ける時に私は死ぬ」と思った。恐らく次の夜が訪れる時には、自分の命も新月となって夜空から姿を消すのだろう。そう思うと、行き場のない恐怖と悲嘆がこみ上げてきた。

「……誰か、助けてよ。お父さん、お母さぁん……!」
「お父さんでもお母さんでもないけど、君を助ける事は出来るよ。俺にはね」
「え………?」

 突然背後から掛けられた言葉に驚いて振り返ると――そこには、一人の男がいた。
 ケレビムの民ではない。象徴である尻尾と耳が違う。あれはマギムという基本種族のものだ。
 しわくちゃの白衣にとても珍しい黒髪。まだ若いと思われるその表情には深い疲労と、達成感が浮かんでいた。
 何者か、と問いただすよりも一瞬早く、目の前にカップが差し出された。中には淡緑色の液体が並々注がれ、ハーブのような独特の香りが立ち上っている。

「治療薬。作ってみたんだけど……飲むかい?ただしシロップ代わりになるものが手に入らなかったんで死ぬほど苦いけど」
「苦いのを我慢すれば……助かるのか?私も、みんなも……?」
「人数分そろえるのには骨が折れたけどね。おかげで肩と腰が……アタタ。ま、それは置いておいて――君、苦いの大丈夫?」

 男が何者か、薬らしきものが本物かは判別がつかない。
 だが、目の前のどこか飄々とした男を信用せずにいても、結局死ぬことに変わりはない。
 本当は苦いものは嫌いだったが、アズキは意を決してそのカップを受け取った。

 死ぬほど苦くてそっちで死ぬかと思ったが、次の日の夜には目の下の隈が全て取れていた。



 = =



 翌日のコマーヌス。地方領主の家の客室で寝ていた一人の男が目を覚ました。

「……ん、朝か?くあぁぁ………」

 伸びをすると体がバキバキと音をたて、僅かながら凝り固まった筋肉がほぐされる。
 昨日のハードワークが堪えた。だが、薬を飲ませた患者の様子を確認しに行かねばならない。面倒くさいけどしないのも不義理か、とごちた男は部屋の窓を開け放つ。
 朝の心地よいそよ風と共に、食欲を誘う香りが舞い込んできた。目を凝らすと病人を寝かせていた宿の前で炊き出しが行われているようだった。明るい喧噪を眺め、どうやら様子を見るまでもないようだと考え直した男はどっかりと部屋の椅子に座り込んだ。

 手荷物の中からキセルを取出し、たばこ――はないので代価品の調合ハーブを詰めて火をつける。
 口の中に清涼感のある煙が充満し、ほのかに甘くて刺激のある香りが頭をスッキリさせる。
 ふう、と煙を吹きだした男性は、昨日のことを思い出してため息をついた。

「まったく大騒ぎしてるから何事かと思って調べてれば……水源に魔物の死体が沈んでたとはな。病気の原因はそいつの血液に含まれる毒で、住民のアレは中毒症状。熱を出して脱水症状に陥る人を助けるには当然ながら水を飲ませるし、体力増強と弱った位の事を考えると水気の多いスープなんかが食べさせるには適切だ。そしてその水は汚染されてました、と……そりゃ治療しても治らんわなぁ」
 
 薬を飲むための水の方が原因なのだから、症状が収まる訳がない。
 商業ギルドの一員として薬を売り渡っていた彼は、コマーヌスの住民たちの症状や血液を調べて直ぐに症状の原因に思い至った。まだ元気のある連中に言葉に言葉を尽くして協力を仰ぎ、原因となってる水場を丹念に調べて原因を取り除くことと解毒に必要な薬草類を確保してくることなどを頼んで自分はさっさと治療薬作りの準備を始めさせてもらっていた。

 コマーヌスの住民たちは突然現れた余所者に訝しがったが、「俺は薬師(くすし)だ」と名乗ると手のひらを反して俺の言う事を信じてくれた。

 "よく知らないのだが、この世界では薬師という存在は非常に希少らしい"。
 原因はマギムとか言う種族の医療文化独占にあり、そのために市場に出回る薬は量が少なく値段も高額。医療知識も民間療法レベルを超えるものは全てマギムが独占してるんだそうだ。領主に至っては「どんな報酬も払うから領民を助けてほしい」と頭まで下げられ、非常に居心地が悪かった。そんなに偉い身分になったつもりはないのだが。

「問題は水源に魔物の死体を……しかも長い時間をかけてゆっくりと毒素が染み出すように加工までして沈めた大馬鹿野郎はどこの誰だっつう話なんだが、まぁそっちは俺の専門でもないし。犯人捜しは回復した自警団の皆様方に任せますかね?」

 それにしても寝心地のいいベッドだった。流石領主の客室ともなれば上等なものを使っている。
 こんな所を宿代わりに出来るなんてラッキーだ。しかも治療に必要な薬は原料を全て町の人間に取ってきてもらっているからコストはゼロ。肉体労働だけで高級宿に泊まれるんなら安いものである。

「まぁ、調合の知識なんかを"薬師じゃない"俺が知ってるのはコイツのおかげなんだけどね」

 そういいながら、アームカバーにひっかけてあった薄い板のようなものを指で弄ぶ。
 彼は別に薬師ではない。薬師として認められるには国家資格が必要だが、彼はそもそも資格を得るための身分が存在しなかった。
 この世界には母国戸籍と組織戸籍があり、組織戸籍は偽造が容易な上に罰則が少ない。つまり孤児や訳ありで身分を隠している人間が戸籍を得ようとすると組織戸籍となる。その代りに組織戸籍は法的信頼性が弱いので、国家資格を取る時は母国戸籍か推薦状が必要となる。
 男性はそのどちらも持っていなかった。要するに、藪医者である。

 そしてそんな藪医者を名医にしてこの町の救世主にのし上げた神の如きアイテムこそ、彼の弄る薄い板なのだ。

 彼は不意にその板の表面を指で押す。すると、板は光り輝いて不思議な模様を発した。
 その模様を触り、指を動かした彼はその板を操作して"あること"をした。
 しばらくの間をおいて、突然部屋に何者かの声が響いた。



『おかけになった電話番号は、現在使用されておりません。番号に間違いがなかったかを入念に確認し、もう一度かけ直してください。繰り返します。おかけになった電話番号は………』

「……………俺の生命線なのはいいんだけどさぁ。なんでこの世界の教養とか病気や薬の調合方が調べられる癖に、俺の居た世界に電話はかけられないのかねぇ?調べられるってことはどっかにネットワークあるんだろ?現に俺は現代日本の厳しい荒波に激しく間違った方向へ飛ばされてこんな異世界に来てる訳だし………あーあ、考えても仕方ないか。コメと味噌汁が恋しいなー………」

その男――新樹(にき)咲真(さくま)は、彼の居た世界で「スマートフォン」と呼ばれる板を前にがっくり項垂れた。
彼がこの世界に訪れて約半年が過ぎた日の出来事であった。
   
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