| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。

作者:デュースL
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第十七話

 
前書き
さて、ここまでお付き合い頂き誠にありがとうございます。ここから本当の意味での最新話が更新されていきます。
少し長いスパンが空いてしまっているため文の雰囲気や文体といった細々に違和感を感じるかもしれませんが、どうぞお気にせずに。

少々リアルの方も忙しくなってきてしまい、以前までの更新頻度は守れそうにないです。目安は二日~三日と思って頂けたら。

それでは最新話をどうぞ。 

 
 ナチュルに素性を明かしてから数日が経った。私が感じていた嫌な予感は珍しく的中しなかったらしく、大きな騒動もなく、早朝のメインストリートは昼間ほどではないけども大いに賑わっている。
 オラリオに戻ってきてすぐに取った宿とダンジョンを行き来する毎日を送っている私だけど、そんな殺伐とした習慣の中に心和むものが一つある。

「いらっしゃいませー!」

 カランコロンとベルを鳴らして木戸を開くと、中から張りのある明朗な声が飛び出した。声の主は丁度店内のテーブルを拭き終わったところらしく、手に雑巾を持っており少しだけ汗を掻いていた。
 比較的涼しい早朝から汗を掻いている少女は私の姿を認めると接客スマイルから一転して、飾り気のない純真な笑顔を浮かべてとててっと小走りに駆け寄ってきた。

「おはようございますレイナちゃん!」
「おはようございます、シルさん」

 服装は白いブラウスと膝下まで丈のある若葉色のジャンパースカートに、その上から長めのサロンエプロン。光沢に乏しい薄鈍色の紙を後頭部でお団子にまとめ、そこからぴょんと一本の尻尾がたれている。ポニーテールではない。髪と同色の瞳は純真そうでかわいらしく、ミルクのように白く滑らかな柔肌の顔は百人に聞いて百人が美少女と答えるものだ。

 彼女以外にも店内には同じ服装を纏った獣人とエルフがせわしなく働いており、どれも店内の掃除に当たっていた。
 今私がいるのは以前ロキ様と晩食を頂いた《豊饒の女主人》である。ドワーフの女性が店主として務めるこの飲食店は生粋の酒場、つまり夜に開店するはずの店である。ではなぜ回転時間の真逆である早朝から店が開いているかというと、それこそが私の一日の楽しみの一つでもある。

「いつもので大丈夫ですか?」
「はい、お願いします」

 懐から手慣れた重量の貨幣を取り出してシルに手渡すと、にぱっと笑い「毎度あり♪」と弾んだ声と共にレジに回り込む。てってと手を探り二枚の銅貨を渡したシルはレジの下、ショーウィンドウの中に並んでいる幾つもの弁当の中から薄緑の包み紙が施された物を一つ取り出し、私に手渡した。

 これが《豊饒の女主人》の朝の顔である。つまるところお弁当屋さんだ。先述の通り生粋の酒場である《豊饒の女主人》がなぜお弁当屋を始めたかというと、それは目の前の少女シルにある。
 私は聞いた話でしか知らないけど、なんでも某日にシルがお腹を空かせた駆け出しの冒険者を見かねて、その日の賄い飯を譲ったのだそうだ。見返しにその日の夜に必ず来店するよう迫ったもとい約束したらしいけど、どうもその賄い飯がとても好評だったらしく、約束通り来店した冒険者が嬉々として誉めてくれたそうな。
 それからシルが個人的にその冒険者にお弁当を作って渡す日が続いていたところ、それを見ていた他の店員がその弁当を商品化しようと思いついたという。ドワーフの女主人も特に咎めることもなく、数日様子見を兼ねて弁当屋を開いたところ予想を遥かに上回る反響を得て、現在に至るらしい。

 もともと酒屋として利益を大きく上げていた《豊饒の女主人》は朝の顔を作ることで更に利益を上げられているのだ。尤も、弁当屋を開かなくともこのメインストリート随一の黒字を叩き出しているため主人に継続する熱意は無く、店員の熱意のみで続いているものだが。

 因みに、大ヒットを得た秘策の一つとして、弁当を包むものに二通り用意されている。一つは私が貰ったような紙包み、もう一つはバスケットに入れるというのものだ。前者はダンジョンの中にも携帯できるように嵩張らない配慮がされているが、後者はその限りではない。後者の狙いは客の足を半ば強制的に店へ運ばせることだからだ。
 《豊饒の女主人》の人気層は年齢問わずそのほとんどが男性だ。言及するまでもなく、美少女だけで従業員が構成されているため、目の保養のために足を運んでいるからだ。もちろんご飯に胃袋を掴まれた連中もほとんどだ。
 バスケットは貸し出しという条件で渡されているため、それを返却しなくてはならない。そんな《豊饒の女主人》に夜だけでなく朝にも足を運ぶ口実が出来るなら、男性は諸手を挙げて駆けつけることだろう。殺伐とした環境に身を置く冒険者は常人より強く色欲に溺れている。それを上品かつ狡猾に活用した営業哲学である。

 強かな美少女従業員たちに一種の尊敬の念を寄せつつ店を後にしようとしたとき、シルが可愛らしく両手をぱんと合わせとびっきりの笑顔に言葉を添えた。

「また来て下さいねっ!」
「……45点です」
「思いのほか辛口!?」

 よよよ、と芝居がかった泣きまねをするシルに、私はしらっとした目を送りつける。敏感にその目線を悟ったシルは拗ねたように唇を尖らせた。

「今度はどこがいけなかったんですか?」
「前も言いましたけど、ベル君はシルさんの素の方が喜ぶと思いますよ」
「す、素なんて出せませんよっ! そんな恥ずかしいこと……っ、ぅぁ……」

 みるみるうちに顔を完熟させたシルから湯気を幻視できそうだ。真っ赤に染まった両頬に手を添えていやいやと首を振りながらも、デレデレにはにかんだ笑みを浮かべるシルにふぅと大げさに鼻でため息を付き、私は眉間にそっと指を添える。
 
 先ほど言ったお腹を空かせた駆け出し冒険者というのは、アルミラージよろしくベルだ。ご覧の通り、シルはベル君にご執心なのである。大方ここまでの会話で察してもらえると思うけど、私はシルの恋相談役に仕立て上げられている。

 この前は凄かったよ。たまたま早朝からダンジョンに向かうベル君と出くわして、一緒に弁当を買いに行くことになって店に入ったところ、シルがいつも通りの快活さで挨拶してきたんだけど、私の隣にベルがいたのを見た瞬間にビキリと顔を硬直させて、首を傾げるベルを差し置いて固まった笑みのまま私を店端まで連れて行くと、これ以上ないくらいの真顔で「ベル君とどういう関係ですか」と迫られたよ。一文で述べたけど、実際息を付かせぬ勢いだったから、我ながら年甲斐も無くうろたえながら答えたものだ。

 結局その後私はベルとシルのパイプのような感じだ。シルからベルに聞きたいことを伝言として受け取って、私は自分が気になっていることのようにベルに聞く。聞いたことをシルに伝える。こんな感じだ。
 ほんと冒険者になって何でこんなことしてるんだろうってここ最近本気で悩んだことだよ。甘酸っぱい青春なんてクソ食らえ! と言わんばかりの少年期を過ごした私にとって、恋心とか乙女心とか理解の範疇を超えている。あれはダンジョンに匹敵するレベルの謎だね。

 ベルのことが好きなら本人に好きって言えば良いのに、どうしてか今みたいに猛烈に恥ずかしがっていやいやと駄々を捏ねる。ならそれとなく除々に近づいていけば良いんじゃないかって言えば、今のように素を出すのは無理! って言い張るし……。いやホントにどうしろっていうんだ。

 まあ、素を出すのに抵抗があるというのは解らないでもない。彼女は《豊饒の女主人》の看板娘として名が知られている分、仕事には真摯に取り組まなくてはならない。だから、仕事中に見知らぬ男性が話し掛けてきても気前良く答えないといけないし、自分の嫌いなタイプの男性でも然り、ほとんどの男性の前では従業員としての仮面を被りっぱなしだ。
 そんな日々を送っているシルに突如ありのままの自分を曝け出せ、なんて迫っても抵抗を覚えるだろう。というより、自分の素というのを見失ってしまっていると思う。まあ、私と会話している今のシルの姿が彼女の素なんだけど。さっきのゴッテゴテに飾られた笑みより、本心から恥ずかしがりながらも笑みを浮かべているほうがよっぽど魅力的だ。
 まっすぐなベルも気持ちを奥に隠した笑みより、純真な笑みを好むに決まっている。

 ま、それを言ってもさっきのようになってしまうから、もやはイタチゴッコをしているようなものだ。いつまで私はこの惚気話じみた会話に付き合わなくちゃいけないんだろ……。それを聞いてると私の少年期がいかに残念なものだったか思い知らされるから悲しくなってくるんだよねぇ。あれはあれで充実した日々だったから文句は無いけどさ。シルのように一端の恋をしてみたかった、という思いはある。

 困ったなぁとぼやきながら店内を何気なく見回した時、私はようやくその()()に気が付いた。

 店の中で比較的目の付くところに、ぽつんと何気なく一冊の本が立て掛けられていた。少し遠くから見ても解るくらい厚い本で、前世で私が編んだ参考書に迫るくらいだ。真っ白に塗装された表紙にはでたらめな幾何学模様が刻まれていた。私はそれを、少なくない回数見たことあるものだった。

「あれは……」

 うわ言のように漏れた私の声に、我に帰ったシルがはっとしつつ私の目線を追うと、不思議そうに首を傾げた。

「落し物みたいなんです」
「落し物、ですか」
「今日の開店前にそこのカウンターに置いてあったんですよ。昨日店を閉めるときは見なかったはずなんですけど……」

 後半はぼやくように流したシルだが、それは明らかに不自然だ。忘れ物? そんなわけが無い。あんな貴重品を携帯するバカがいてたまるものか。まあ、そんな貴重品を台無しにしたバカはここにいるんですけどね。

 念のため見間違いないか確かめるため手にとって見たけど、やっぱり間違いない。この夥しい魔力を纏う魔法文様は魔導書(グリモア)の証だ。

 魔導書(グリモア)。それは言うなれば読者に強制的に魔法を発現させる魔法である。神の恩恵(ファルナ)を授かった冒険者たち全員が魔法を習得できる訳ではない。あくまで0%に数%加算されるだけ。つまり魔法が発現する可能性が得られるだけだ。そんな中で魔導書(グリモア)という奇跡のようなアイテムが出れば、誰もが我先にと奪い合う。加え、世界で最も魔法の研究が発達している魔法大国(アルテナ)に所属する最高級の魔術師(メイジ)が何年も掛けて丹念に魔力を流し込みようやく完成する魔導書(グリモア)の絶対数は決して多くない。だから、前世でも魔導書(グリモア)は絶滅危惧種なみの希少価値を誇っていて、一冊だけでもオラリオの一等地を丸々買えてしまえるほどの値が付く。

 そんな魔導書(グリモア)を落し物なんてするはずがない。何らかの競売で競り勝った帰りだったとしても、なおさら肌身離さず持って帰るはず。酒場に寄っていこうなんて考える余裕すらないだろう。なのになぜこんな代物が……。

 知らず知らずのうちに私の顔が険しくなっていたのか、シルが少し不安そうに本と私を交互に見やる中、私は躊躇無く魔導書(グリモア)を開いた。

 しかし、そこは()()()()()()()()()()()()()
 何秒か同じページを凝視しても何の変化もなく、ただ古ぼけたインクの臭いが鼻腔をつくだけだった。

 やっぱり不発だったね。魔導書(グリモア)は魔法を発現させるだけでなく、低確率でスロット数を拡張させる機能が備わっている。上限である三つの魔法スロットを越えることは出来ないけど、スロットが一つの者は二つ、二つの者は三つと、素質として個々人が定められた使用魔法の数を増やすことが可能なのだ。
 少し詳しく説明すると、さっき言った通り、魔導書(グリモア)は一種の魔法だ。高位の魔術師(メイジ)が蓄えた膨大な知識と知恵を振り絞り、魔力を込めたインクを精緻に描くことで読者に強い自意識を抱かせるのだ。その自意識は驚くほど現実味に帯びていて、経験者が語るには鏡の前に立ったように目の前にもう一人の自分が立つ真っ白な世界で、そのもう一人の自分と問答をするのだという。その一つ一つが、自分の深層に埋もれていた言葉、感情、記憶を鮮明に意識させて、最後の問答を追えた途端に意識が途絶えるらしい。次の日目が覚めてステイタスを更新すれば、見事魔法が発現している、という流れだ。

 魔導書(グリモア)によって発現された魔法の大概は、その人の感情を再現したような効果や現象を引き起こす。魔法に精通した前世の友人が推測するに、専門用語でプラシーボ効果が働いているようだ。実際には効果の無いはずの施術を行うことによって良い効果が現れることなのだが、読者が予め『魔導書(グリモア)を読めば絶対に魔法を発現する!』という先入観、または激しい思い込みを抱いていることで、ありもしない効果が出てしまうという現象が最も近しいと考えているらしい。魔導書(グリモア)に込められている膨大な魔力はそれを裏付けるような迫力を持たせるための工作、もしくは自己暗示を促す魔法を込めているからという自説を持っていた。

 まあ、専門家が解析しても素性が知れず、作った本人は魔法大国(アルテナ)にて極秘扱いされているから行方知れずで迷宮入りしている論である。

 ともあれ、私が言いたかったのは、私はすでに3つのスロットが埋まっているため、もしくはもう魔法が増えることはないという激しい思い込みを抱いているため魔導書(グリモア)は組み込まれたプログラムを発動することができず、無反応を貫いたということだ。
 因みに、これで魔導書(グリモア)に込められた魔力が霧散するとかいうことは無い。発動できなければ魔力は魔導書(グリモア)にしたためられているはずのインクに還元される。前世で一回試したことがあるから確かだ。

「あの……どうかしたんですか?」

 本を開いてから長い時間黙考していたようで、心配そうに訊ねてきたシルによって思考の海から釣り上げられた。

「えぇ、大丈夫です。ちょっと不思議な本でしたので、つい」
()()()()()()()()()()()?」

 それは、唐突に背中から突き刺さった。問い質し、糾弾するかのような鋭い声に反射的に本を持つ指がピクリと力んだ。
 力を抜き、振り返ると、そこには制服を纏った従業員のエルフが立っていた。

「はい、何も」
「ちょっとリュー、どうしたの、急にキツイ声出して」

 リューと呼ばれたエルフはシルの声をまるっきり無視して、真偽を確かめるようにまっすぐ私の目を見据えている。
 わずか二秒ほどだが、私は目の前のエルフに、背筋が凍るような危機感を抱いた。   

 この子……本当にウェイトレスなの……?

 何度もこの酒場に足を運んでいるものの、特に気を留めていなかったから気づかなかった。リューと呼ばれたエルフの体幹が、末恐ろしいほど整っていた。背から足まで掛けて綺麗な直線を引けるには相当な鍛錬が必要となる。それこそ武人や冒険者を目指さない限り、そんな膨大な鍛錬はしない。
 同時に、何気なく下ろされている手だけど、ちょっとでも私が不審な動きを見せればすぐに隠している刃を抜き放ち斬りかかれるように配置されている。もはや暗殺者のレベルである。

 どうしてこんな熟練者がこの酒場にいるのか甚だ疑問だけど、それ以上に何で私が目を付けられるのかが謎だった。
 この店内にいる従業員、今一度注意深く観察すると、シルを除く全員が並の冒険者では歯が立たないレベルの実力者である可能性が浮上した。

 これは主観でしかないけど、この酒場の従業員たち、元冒険者……? だとすれば、確かに不審に思うのも無理無い。魔導書(グリモア)が発動すれば、読者は意識を絶つ。逆に返せば発動しなければ意識が絶たれることはなく、発動しないということは魔法の条件を満たしている可能性がある。
 普段駆け出し冒険者としてこの酒場に足を運んでる私が3つも魔法を所持しているのは明らかにおかしい。エルフならまだ説得力はあったものの、私はヒューマンだ。不審者極まり無い。

 まあ、それでもこんな殺気立たれる意味が解らないんだけども。

 暫く四面楚歌の状態が続いたけど、やがてリューが小さく息を吐いたと同時に殺気の範囲網が解除された。

「失礼しました。その本は少々危険なもので」
「いえ、大丈夫です。それではシルさん、私はそろそろ」
「あ、はい、またのご来店お待ちしております!」

 シルの挨拶に押されるように酒場を出ようと擦れ違った私に、リューは言葉と裏腹に終始疑惑の色を浮かべていた。



「もう、リューったらレイナちゃん怖がってたじゃない」
「……ごめんなさい」
「ほんと、どうしてそんな怒ったのか解らないけど、注意してね?」

 シルにお小言を頂いたリュー。その彼女の胸のうちは決して晴れやかなものではなかった。ついさっき酒場を出て行ったレイナに関してだ。

 リューは落し物という体で置かれていた本、魔導書(グリモア)の正体を知っていた。それは主人のミアも知っていることで、胡散臭いと思いながらも店に害が及ばなければ良い、というぐらいで留めていた。

 しかし、まさか冒険者になって一ヶ月も経っていないという少女が魔導書(グリモア)を読んでも発動しなかったというのは予想外の展開だった。

 いつも開店に向けて準備しつつシルたちの様子を窺っていた。単純にシルが同業者以外の個人に積極的に関わりを持とうとしている姿が珍しいと共に感心していたからなのだが、同時にレイナの不自然さを汲み取っていたからだ。

 率直に言って、レイナが歩く姿を見たときは背筋が凍ったかと思った。忌まわしき二つ名だが、かつて《疾風》と謳われたほどの実力者であるリューはLv.4の冒険者でもある。戦線から退いたとはいえ、その腕が衰えないように日々最低限の鍛錬をしている。

 だからこそ言える。レイナの体運びの異常さが。一目見ただけで途方も無い時間を想起させるような、どこまでも清澄に研磨されたそれは、決して13歳の少女が出来る芸当ではない。とんでもない鬼才の持ち主であっても、こればかりは無理だ。きちんと理に適った体の鍛え方をしなければ、体の構造的に再現不可能だ。もし13歳であの体運びが出来るのなら、それは生まれたその瞬間から体を鍛えて尚且つ最上級の指導者の下で励まなければ絶対無理だ。もちろんそんなことは現実的に考えてありえない。よって、13歳であると言うレイナの体運びはありえないのだ。
 しかし、現にありえてしまっている。多少の年齢詐称があると見込んでも15歳を上回ってるのは考えにくい。その逆はなおのこと不可能。小人族(パルゥム)でないことは確認済みだ。

 あの体運びを実践で用いられると思うと、ぞっとするものがある。それも、レイナにとって日常生活の一部に溶け込んでしまっている事実が助長する。
 それからというものの来店する度ずっと配慮していたところ、ついに狐の尻尾を見つけたのだ。それこそが魔導書(グリモア)の一件だったのだ。

 リューを含め、《豊饒の女主人》に務める従業員たちにはそれぞれ訳ありの過去がある。リュー本人もろくでもない過去を歩んでしまっているため、およそ他の従業員も順ずる過去を経験していると見越している。
 そんなリューたちを従業員という形で匿い、世話をしてくれているミアには本当に感謝している。人生のやり直しの場を提供してくれたこと、掛け替えの無い仲間と合わせてくれたこと、生き甲斐を見つけさせてくれたこと。

 今この《豊饒の女主人》は、従業員にとって心の拠り所だ。ただ一つでも欠けてはいけない、大切な一枚の絵となっている。恒久的に続いてほしいと、心から願っている。
 そこにレイナという不審人物が現れれば、リューは警戒せざるを得ない。いったいどうして素性を偽ってシルに接触するのか、どうしてこの店に毎日足を運んでくるのか。従業員のいずれの過去に携わった人物か、自分を狙う刺客か。疑心が晴れることは無い。

 だが、今のところレイナから悪意の欠片も感じ取れない。それすらも隠蔽していたとなれば適わないが、実際リューの目から見ても純粋にシルの恋相談に応じつつシルの心を受け入れているように見える。

 今日は思わず疑心を表に出してしまった。これでシルの大事な人の内の一人が酒場に寄らなくなってしまったかもと思うと罪悪感が心を蝕むが、それならそれで良い。不安の芽は早めに摘むに限る。
 だけど、もし気にせずまた来るのなら、常にレイナを監視しなくてはならない。自分を救ってくれた《豊饒の女主人》に報いるために、大切な仲間たちを今度こそ守るために。

 リューの中で、レイナの認識が決定的に変わった瞬間だった。



 ちょっとだけ後ろ髪が引かれる一件があったものの、気に病む必要は無いと思う。よくよく考えれば、リューに向けられた殺気にマイナスのイメージが無かった。何を言ってんだコイツ、と思うかもしれないけど、私の感覚的には我が子を守る母猫という感じかな。快楽殺人とか、イラついたとか、そういう種類の殺気じゃなかったと思う。
 悲しいことに、前世で私はそういった類の事件に呆れるくらい巻き込まれてきた。実力こそ権力と言って憚らない冒険者業界だけど、権力が付けば影も付くものだ。影の闇に潜む魑魅魍魎たちが、その権力を横取り貪ろうと這い寄ってくる。
 かなり多くの経験を経た私にその判別が付くようになった。もちろん凄い漠然とした感覚頼りで判別してるんだけどね。あとは主観と客観で。

 なにやら凄い警戒されてたけど、それなら誤解だと言わないと気分が晴れない。それにシルとベルに関する約束があるし、それに弁当食べたいし。これからも遠慮なく足を運ぶとしよう。

 さて、そんな煩悩を抱いてるとダンジョンで死に兼ねないのでしっかり意識を切り替えていこう、とするその前に、私は北のメインストリートから離れた第一区画内の人通りの多い街路沿いにある、無所属(フリー)亜人(デミ・ヒューマン)の少女たちが切り盛りする花屋に寄っていた。

 意味も無く寄った訳ではない。今日は少し特別な日なのだ。()と顔向けする準備をしなくてはならない。
 店員にいくつか見繕ってもらいつつ、()がとりわけ好んでいた一輪の薔薇を購入して店を出た。

 そこからまっすぐメインストリートに戻り、ギルド本部へ。7時を回るころにはギルド本部もメインストリートに負けないくらいの活気に満ちており、入り口付近を通るだけで中の喧騒さが窺える。
 私は入り口には入らず、その右を進み、道なりに足を進めること数十秒。そこには青み掛かった巨大な記念碑(モニュメント)が幾つも立てられていた。大小様々あり、私はその中でも一際大きな記念碑(モニュメント)の前に立った。
 ()を思い出させるような勇猛でいて雄々しい記念碑(モニュメント)の表面を指でなぞる。少し埃を被っていた刻まれた文字は、死人のように冷たかった。


 ヘラ・ファミリア所属、私を除き唯一Lv.8に到達しその頂点に上り詰めた伝説の武人。

 アルケイデス 二つ名【女神の栄光(ヘラクレス)

「久しぶりだね。ヘラクレス」

 私の師であり、好敵手であり、大親友だった憧れの大英雄だ。 
 

 
後書き
魔導書(グリモア)に関することは完全に独自解釈なので、あんまり深く考えなくて大丈夫です。つまるところプラシーボ効果で魔法発現させちゃう魔法、それが魔導書(グリモア)だった! みたいなことを言いたかっただけです。

【アルケイデス】
二つ名を《女神の栄光(ヘラクレス)》オラリオのみならず、全世界にその勇名を轟かせた大英雄。
ヒューマンの生まれにして身長2mを優に越し、あらゆる武を極めた伝説の武人。
華々しい功績を残した冒険者たちの中でもクレア・パールスに次いで名が挙がるほどで、迷宮神聖譚(ダンジョンオラトリア)では《十二の功業》と呼ばれる伝説を残した冒険者。
特に怪力の持ち主として知られており、深層の迷宮の弧王(モンスターレックス)を引きずり回しぶん投げたという逸話が残されている。ちなみにこれは紛れもない事実である。
クレア・パールスとは互いに認める大親友で、プライベートでダンジョンに共に潜ったり、腕を研鑽することが多かった。そのためクレア・パールスとの関連性も強く、助長してその名が知れ渡っている。
愛称はヘラクレスで、自身もその名で呼ぶようにと言っていたそうだ。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧