観化堂の隊長
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6部分:第六章
第六章
「そこにおられたんですか」
「死ぬことも覚悟していましたよ」
聞くだけで大変な話だということがわかる。それでもだった。何故か語る馬さんの顔は至って穏やかである。笑みを浮かべたままで。これがどうしてもわからなかったけれどここで馬さんはまた言うのだ。
「それがね。助かりまして」
「助かったんですか」
「ここにおられる方のおかげです」
またここにいる人のおかげだと言うのだった。
「ここにね」
「!?ここにって」
玲子がまた首を傾げた。
「ここにおられるってことは」
「この道観に祭られている方でしょうか」
僕は何となくだがこう考えた。道教は人を神として祭ることもある。その関羽や岳飛にしろそうだ。英雄や賢者を神として祭るのである。
「ひょっとして」
「はい、そうです」
ここで答えが出て来た。
「その方に助けてもらったのです」
「そうだったんですか」
「!?ちょっと待って」
ここで玲子がどうしてもわからないといった顔で言ってきた。
「ここに祭られている人って台湾の人じゃないの?」
「いえ、違いますよ」
随分と穏やかな顔で答える馬さんだった。
「それは違うんですよ」
「違うって」
「じゃあ一体」
「日本の方ですよ」
「日本人が!?」
「道観にですか」
またどうしても僕達にはわからない話だった。
「日本人が!?」
「何でまた」
「フィリピンでの戦局は大変なものでした」
馬さんの話はここでまた戦争に戻った。
「本当に全滅覚悟で。玉砕命令まで出て」
「玉砕命令がですか」
「はい。それで私も他の台湾人達も全員死を意識しました」
こう僕達に話してきた。
「そして死ぬのなら潔く死のう。散華しようと」
「そこまで思っておられたんですね」
「ですが」
馬さんの話がここで変わった。
「そこでここにおられる方に助けられたのです」
「けれど日本軍なら」
また玲子は首を捻る。これは僕も同じだった。僕にしろ日本軍のことは少しではあるが知っているので当時の台湾の人達が日本人として扱われていたのも知っているつもりだ。けれどどうも話がおかしかった。何かどうしても引っ掛かるものがあってそれが離れなかった。
「玉砕して最後まで戦うんじゃ?」
「それでどうして」
「海軍巡査隊長のですね」
海軍だという。けれど僕達はこれには今は驚かなかった。
「広枝音右衛門警部ですが」
「それがここに祭られている方ですか」
「はい。その方が仰ったのです」
僕達に静かに語ってきてくれた、
「私達に生きて帰れと」
「生きて帰れ!?」
「そうです。私達が台湾人だからと仰って」
語るその目はじっと道観を見ていた。そのうえでの言葉だった。
「だから祖国に生きて帰れと」
「そう仰ったんですか」
「責任は自分が取ると」
「はい、そう仰って私達を返して下さったのです」
「そんな方がいたんですか」
これには玲子も流石にいつもの減らず口はなかった。
「台湾の人達の為に」
「方便だったと思いますよ」
馬さんはふとこう言った。
「私達を台湾人と言ったのはね」
「ええ、それはわかります」
このことは僕にもわかった。多分玲子にも。
「当時台湾は」
「紛れもなく日本でした」
そうなのだ。これは事実だった。台湾は日本領であり台湾の人達も日本人として法律的に完全に平等に扱われていた。李登輝元総統も日本の大学に通い陸軍将校になっている。
「ですから。日本人の筈なのに」
「馬さんを逃がす為にですね」
「おそらくそういうことだったと思います」
だからこそだったのだ。日本人ならば責任を問われる。しかし台湾人としたならば。その広枝警部の心遣いだったのだと僕も思った。
「それで。私達を台湾人として」
「逃がしたと」
「それでですね」
今度は玲子が馬さんに尋ねた。
「どうなったんですか?」
「どうなったとは」
「広枝警部です」
やはり問うのはこのことだった。
「警部は。どうされたんですか?」
「アメリカ軍が上陸していましてね」
話はまずそこに戻った。
「つまり交渉する相手がいまして」
「そのアメリカ軍ですね」
「はい。台湾人だから日本人ではないからとアメリカ軍に言って」
「馬さん達の安全を保障してもらったんですね」
「そういうことです」
話はそういうことであった。そうして馬さん達を助けたのだ。
「二千人いましたが皆それで助かりました」
「皆・・・・・・」
「二千人もですか」
僕達はあらためて驚かされた。流石に二千人も救われたとは思わなかった。本当に広枝警部という人の素晴らしさを知った思いだった。
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