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運命の悪戯

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3部分:第三章


第三章

「彼はドイツ生まれではなかったな」
「そうだ」
 それを言うのであった。
「オーストリア生まれだ」
「そうだったな」
 実はそうであったのだ。彼は今いるドイツに生まれたのではなかったのだ。オーストリア出身だったのだ。ゲルマン民族ではあってもドイツ生まれではないのだ。
「それでどうしてドイツにそこまで」
「おかしいな」
「この母なるドイツの為に」
「母なるドイツの為に」
「戦ってくれたのか」
「だが。ドイツは今この惨状にある」
 彼はそれを心から嘆いていた。
「何もかもが奪われ不幸に覆われたこの惨状にあるのだ」
「しかしそれは救われる」
 彼は断言してみせた。
「国家社会主義により。必ずや蘇るであろう!」
「蘇る!?」
「今のドイツが」
「敵を倒す!」
 今度は敵を出してみせた。
「我が偉大なるゲルマンの敵を倒し!そして!」
「そして!?」
「偉大なる母なるドイツを蘇らせるのだ!この手で!」
「そうだ、俺達は偉大なんだ」
「負けてはいないんだ」
 彼等も今それを心の中で確かなものに感じだしていた。
「だから必ず」
「もう一度」
「諸君、戦いの時ははじまった!」
 彼の鼓舞は続く。
「忌まわしきこの惨状を脱し敵を一人残らず倒す!」
「敵を!」
「俺達の敵を!」
「偉大なる国家社会主義の為に!今私はその先頭に立った!」
 激しい身振りがさらに増す。
「私はその為に幸福もしなければ敗北もしない!」
「そうだ、やってくれ!」
「貴方が!」
 彼の演説は万雷の拍手により終わった。気付けば群衆達は最初よりもその数を遥かに増やしていた。その拍手と歓声の中で彼は誇らしげに胸を張っていた。
「おい、嘘だろう?」
「こんなことが」
 党員達もその拍手と歓声を聞いて目を丸くさせていた。
「成功したなんて」
「いや、成功どころじゃない」
 こう言い合うのだった。
「大成功だ」
「そうだな。思いも寄らないな」
「それにだ」
 彼はさらに言うのだった。
「彼は凄いぞ」
「そうだな」
 顔を見合わせて言い合っていた。
「彼ならやれるぞ」
「そうだ、ドイツを救える」
「この国を」
 今それを確信したのだった。
「英雄だ」
「英雄が出て来た」
 言いながらゴクリと唾を飲み込んだ。
「遂にだ。我々の為に」
「国家社会主義、そして」
 彼等は言う。
「ドイツの為に」
「成し遂げてくれる」
 これがはじまりであった。ドイツ第三帝国総統にして稀代の独裁者アドルフ=ヒトラーのはじまりであった。ほんの数人しかいなかったドイツ国家社会主義労働者党はヒトラーの類稀なるカリスマと指導力により忽ちのうちに勢力を伸ばし遂にはドイツを掌握し全体主義国家を作り上げた。そのはじまりはこの演説であった。若し彼がナチスにおらずここで演説しなかったらどうなっていたかそれはわからない。だが歴史はこのことだけを書き残している。この時からヒトラーは世に出て来たのだと。そのことだけを書き残しているのである。


運命の悪戯   完


                 2008・12・18
 
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