花姫
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7部分:第七章
第七章
「何かあったね」
「いえ」
「いや、わかるから」
ここでも見抜かれている博康だった。
「その落ち込みよう見たらね」
「落ち込んではいません」
彼はそれは否定した。
「そんなのは。全く」
「あんた、嘘つけないから」
結局この言葉も嘘にはなっていなかったのだった。
「わかるよ。悪いけれどね」
「そうですか」
「問うようなことはしないよ」
これは彼の気遣いだった。
「あんたも触れて欲しくないだろう?」
「すいません」
「それはいいよ」
また言う親父だった。
「それよりも。落ち込んでいるんだったら」
「はい」
「花でも見に行ったらどうかな」
こう彼に言うのだった。
「花でもさ」
「花ですか」
「うん。丁度銀閣寺の辺りだったかな」
東山の方である。京都でも美しい場所の一つとして知られている。
「そこで今花がかなり咲いているんだよ」
「秋の花ですか」
「そうだよ。花がね」
また彼に言ってきた。
「咲いているから。そこに行って気分転換をしたらどうかな」
「そうですね」
親父の言葉を聞いていてまだ気落ちは沈んだままであったが動くことは動いた。
「それだったら」
「行ってみるかい?」
「そうすることにします」
彼は僅かに、力なくだがそれでも頷くのだった。
「今度の休みにでも」
「人生色々あるけれどね」
親父はここでも自分の人生経験から彼に語った。
「それでもね。やっぱりね」
「克服しなければですか」
「それが無理でも癒さないと」
親父の彼への言葉は優しいものだった。今彼に必要なのはそれだと思いあえてそうした言葉を選んだのである。彼の配慮であった。
「だからね。花はそれにいいから」
「はい。それでは」
「行きなよ」
また彼に行くように勧めた。
「そうして。気持ちを切り替えてくるんだよ」
「わかりました」
こうして彼は秋の東山に行くことになった。そこは確かに花が咲き誇っていた。秋は菊の季節だ。今この山には野菊が咲き誇っていた。白や黄色に咲き誇るその菊達を見て彼は確かに心が癒される感じがした。花と共に見える緑もまたそうさせていた。彼はその中で今の沈みきった心が僅かにではあるが少しずつ癒されていくのを感じていた。
「いいものだな」
その野菊の中で思ったのだった。
「やっぱり。花は」
花はいいと思った。するとここであるものを思い出したのだった。
「百合」
少女のことは片時も忘れなかった。忘れられなかった。
「百合、そうだ百合だ」
彼女に好きだと告げたその百合のことを思い出したのだ。
「白百合。けれど今は」
もうその季節は終わりだった。今咲いている筈がない。それはわかっている。わかっているからこそ諦めるしかなかった。彼女のことも。
しかし今でも白百合が好きなこの気持ちは変わらない。それもわかる。その乱れる気持ちになり野菊を見れなくなった。その彼の目の前に現われたのは。
これもまた花だった。しかしそれは今この場に咲き誇っている野菊ではなかった。それは。
「百合・・・・・・」
そう、百合だったのだ。もうしおれて枯れようとしてしまっているが確かに百合だった。その百合が目の前に現われたのである。
その百合を見ているとまた少女のことを思い出した。それでまた悲しくいたたまれない気持ちになりそれで沈もうとしていたがそこで。あるものが目に入った。
「これは」
それは指輪だった。白百合の根のところを包み込むようにしてそこに入っていた。彼はそれに気付いたのだ。その指輪が何であるかも。
「そうか」
その指輪を見て呟く。
「この花は」
その白百合が何であるのかもうわかった。そして彼女の言葉の意味もだ。全てわかった。全てをわかった彼の心は静かに動いていった。
しおれてしまいもう咲いてはいない白百合に今側にあった井戸から水を汲み取りその水をやる。そうして今自分自身に対して誓うのだった。
「ずっと。これからもずっと」
彼は言った。
「好きでいるよ。ずっとね」
こう花に対しても告げた。そのうえで白百合の前を立ち去った。彼は静かに指輪が根本にある白百合の前から姿を消したのだった。
彼は大学を卒業した後家の事業を継ぎ家を栄えさせたという。彼は生涯白百合を愛し屋敷の庭はその白百合で咲き誇っていたという。そして郷土の新潟や学生時代を過ごした京都にも多くの白百合を植えたという。それが何故かは誰も知らなかった。しかし彼により多くの白百合が彼の屋敷を飾り新潟にも京都にも白百合が多いのは確かである。その由来は彼のこの若き日のことから来るものであることは多くの者は知りはしない。
花姫 完
2009・3・27
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