花姫
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1部分:第一章
第一章
花姫
戦前の話だ。時代は丁度大正に入った頃だろうか。京都の街はうだるように暑かった。
京都の夏はとかく暑い。しかも冬は寒い。これは盆地故であるがそれでもこの暑さと寒さには参ってしまう。生まれた時からこの地に住んでいる者ですらそうであるが他の場所から来た者はさらにそうである。それはこの学生糸谷博康にしろ同じであった。
彼は生まれは静岡で旧制高校からこの街に入り今は大学に通っている。大学においては将来を期待されている人材であり眉目は秀麗であり容姿も端麗であると言ってもいい。性格は生真面目で一途だ。しかしそんな彼でも今の京都の夏の中ではただひたすら汗をかき困った顔になっていた。
「いやあ、暑いよね」
「はい、全くです」
彼は今は馴染みの店でかき氷を食べていた。蜜をかけたその氷を食べて涼を取りそのうえで店の親父の言葉に応えているのである。
「わしもね。生まれて六十年この街にいるけれど」
「暑さには馴れませんか」
「いや、全く」
親父は首を横に振って述べる。首を横に振りながら顔を手拭で拭いている。木造の店の中にも暑気が満ちておりどうにもならない有様だった。
「馴れないね。本当にね」
「そうですか」
「学生さんはここに来て何年目だい?」
親父は今度は自分から博康に尋ねてきた。
「一年や二年ってところじゃないよね」
「高校からですから」
今大学二年である。だとすればすぐに年齢がわかった。
「五年です」
「そうか。もう結構経つんだね」
「それでも。馴れません」
氷をスプーンで口の中に入れながら述べる。食べながらどうにもならない暑さに参っている。氷を食べても気休めにしかならないものがそこにはあった。
「全く」
「そりゃそうだよ。六十年だよ」
「そうですね。生まれてからずっとでも馴れませんから」
「あんたが馴れないのも当然だよ」
こう彼に話すのだった。
「それもね。京都はねえ」
「京都は?」
「この夏と冬がなければ何も言うことがないんだけれどね」
これが彼の意見であった。
「本当にね。何もね」
「ありませんか」
「うん、ないね」
親父はまた言った。
「景色はいいしね。立派な街だし」
「そうですね。立派なのは確かです」
「鱧も豆腐も美味いしね」
「ええ、それも」
鱧も豆腐も京都の料理の名物である。博康の家は新潟の地元では名家でありそれなり以上の資産を持っている。だからこの街でも食を楽しんでもいるのだ。
「いいものです」
「すっぽんもあるしね。着るものもいいしね」
「何でもある街ですよね」
「歴史があるからね」
京都といえばやはりその歴史であった。
「だからだよ。これだけあるのは」
「そうなりますか」
「うん。まあそうしたことを考えれば仕方ないかな」
親父はここで達観に至ったのだった。
「この暑さもね」
「受け入れるべきですか」
「人間時にはそれも必要だよ」
親父の言葉はその人生経験を感じさせるものだった。少なくとも博康よりはずっと長く生きている。それが言葉にも出てきていると言えた。
「だからね。まあかき氷でも食べて」
「はい」
「そうして暑さを和らげようか」
「そうですね。暑い時はやっぱり氷ですよね」
「そういうことだよ。何ならもう一杯どうかな」
「もう一杯ですか」
その言葉を聞いて思わず声をあげてしまった博康だった。
「それじゃあ。御願いします」
「うん。これはわしの奢りだよ」
「それはどうも」
こうしてもう一杯氷を貰って充分涼を取った博康は上機嫌になってそのうえでその店を後にした。その足で京都の街を歩いていた。場所は河原町だ。
その河原町を見回りながら歩いている。そこで不意に画廊が目に入った。見れば日本画が置かれていた。
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