或る短かな後日談
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後日談の幕開け
三 変異
「リティ」
アリスは。私の手を握り。けれど、その手は微かに震え……怒りに震える私とは異なり、その震えは。その表情を察するに、恐怖のそれで。
「大丈夫。怖がらなくても。必ず見つけ出して、全部問い詰めてやるから」
「……そうじゃ、なくて」
私の言葉を受けても尚。彼女の顔は、不安げで。その理由が分からず、分からないまま。不安を拭い去る言葉が見付からず、彼女、マトへと助けを求め、視線を向けて。
向ければ、彼女も。アリスと同じ……いや。浮かばせたのは、不安だけではなく。何処か、悲しそうな色。
「……どうしたの」
理由が分からず、苛立ち始め。製作者への怒りと共に、胸の奥、熱く。込み上げ始めたそれを押し潰し、声には出ないようにと飲み込み。問えば。
「……リティ」
答えるのは。私の手、握り、震える、小さな彼女で。
「……怖いよ」
何が、とは。言わず。彼女の瞳は、視線は。私のそれと重なるばかり。
何が怖いのか。何が不安なのか。彼女達の目は、何を映して。私の目には映らないそれは。ああ。
それは。私の背、冷たい何かが這い。熱を奪って落ちていく。胸の奥底、熱く込み上げ、今にも吐き出しそうなほどの……のたうつように溢れ出して体を震わせた……怒りを忘れて。
彼女が怖いと言ったのは。彼女が悲しげな目をしたのは。
「……私……私だったんだね、怖がらせたのは」
一人。恨みに駆られて。一人、一人で怒りに震えて。彼女達が、指摘するのを躊躇うほどに……
気付けないほどに。周りに目を向けられないほどに。頭に血を上らせて。
一体、私は。何を、しているのか。
「……ごめん」
握られた手。震える手。震えるのは。彼女の小さなそれだけではなく、私のこの手もまた、同じ。自分の行動。身勝手な行動。感情に振り回されて――それも。恐怖や不安のそれよりも、ずっと醜い。只々、怒り、恨むだけの。自分勝手な思いを、隠すことなく曝け出して。
「ごめん」
謝りは。しても、その。彼女たちの顔を、見ることが出来ず。うつむき。それもまた、只。情けなくて。
「……行こう、か。もう、こんなことは。無いようにする、から……」
と。それだけ、言葉を。言葉を紡ぐ。
出入り口。仄かに明るい廊下へと向けて歩を進め。一歩一歩。自棄に重い足を浮かせ、下ろし、また、踏み出して。
変わらず人気の無い廊下。奥に張り付く扉、階段。
押し黙ったまま。上へと続く階段を上る。元々、明るく、心穏やかに過ごせるような、そんな状況ではなかったとは言え。少しずつ打ち解けて。二人とは支えあうだけの関係に成れていたと言うのに。
私は。二人が、距離を置く程。前を進む彼女との距離も。手は、繋ぎ。それでも、やはり。彼女との距離も、また。どこか遠く。遠く思えて。
自分で思い返してみても。端から見れば。見ていて気持ちの良いものではなかっただろう、と。同時に、二人は。私のように、怒りを感じていないのか、と。疑問が湧くも、すぐに、感じてはいても隠すだけの……私のように。隠すことさえせず、こうして、距離を作ってしまわぬように。自制していてくれたのだろうと理解して。
益々、私の。自分勝手な振る舞いに。抑えようという思いさえ湧かなかった。自分自身への嫌悪感が積もるばかりで。
「……リティ」
手を繋いだ先。彼女の声。
「……何、アリス」
精一杯に、声を、柔らかく。しかし。それでも強張った。今更、取り繕ったところで、遅く。しかし、それでも。私は。
「気にしなくて、いいからね」
言葉を、投げ掛けられ。アリスのそれに続くように、マトが止まる。その前には、一つの扉。錆び付き、恐らく、鍵の掛かった……そして、私が。あの部屋の戸を開いたときと同じように。アンデッドの腕力ならば、容易に開く薄い壁。
その奥で。微かに聞こえる、物音。何かを引き千切る音、砕く音。水音……何かが垂れて、床を打つ音、啜る音。扉を開けて、少し進んだ……廊下か何か。そこまで近くは無いとはいえ。湧き上がるのは不快感、忌避感。他に扉は無く。階段も同じ。進むならば、このまま、この扉の先。そして、また、恐ろしい何かを見て。また、私達は。危険に晒されることとなるのだろう。
また。そう、また。先の光景を思い出して。込み上げるのは――
「リティ」
名前を呼ばれ。思わず、体が跳ねる。鼓膜を揺らしたのは、マトの声。動けない私達を庇い。敵へと向かった。彼女の声で。
「こんな状況なんだ。私達だって、大分……大分、取り乱してる」
振り向いた顔は。少し、悲しそうで。しかし。其処に、私に対する嫌悪や、拒絶の色は無く。私を拒むことは無く。それは、彼女。再び私へ言葉を紡ごうとする、アリスも同じで。
「誰かに向かって……私達に、こんなことをする誰かに向かって。リティがどんなに怒っても、どんなに恨んでも。私達は離れないから……だから、もっと……もっと、私達を、さ」
私の手、離れ。彼女は。アリスは、マトの傍ら、抜け。
立ち塞がる扉。ノブにその手を、そっと掛け。
「私達を、頼って」
彼女は、扉を。そっと鍵を押し壊す、その音と共に。
扉を、開いた。
◇◇◇◇◇◇
耳を刺すような金属音。錆び付いた扉が、無理やりに押し開かれる音――見た目相応の力なら、決して開けなかっただろう扉。細い細いその腕が、掛かっていた鍵を壊し。その姿を見て、見た目か弱く、幼くとも……ああ、私と同じアンデッドなのだと、何処か、遠く離れて見る心地で、そう思って。
リティの迷う姿。アリスが勇気付ける姿。共に歩いて、共に進んで。しかし。私は、この身、体の中で。何かが蠢き、這い回る感覚。まるで、無数の虫……けれど、何処か。体に馴染んだ虫の群が。私の中に居るかのような、その感覚に気を取られ続けていて。出来るのであれば、全て吐き出してしまいたい、と。思っても、それが叶うはずも無く……いや。叶ったなら。私はきっと、それに。耐えることなんて出来なくて。
開いた扉。その奥。短かな通路の先、割れた硝子扉、差し込む明かりは濁っていて。そんな、濁った光に照らされ影を伸ばすのは。
人の形。二本の足、二本の腕。頭は一つ、と、人の形を……人の形だけをした。しかし、それは、人間のそれと余りに異なる。大きく裂けた口、尖り突き出した歯。何か、何かを噛み千切り、咀嚼し、飲み込み、歪んだ口から零れた赤い……赤い肉。粘ついた液体。血液のそれではない、私の体、アンデッドの体から流れ出る液体……粘菌。それを飲み、食い、垂らし、呻く、複数の怪物達。
そして。
「っ……」
アリスが一歩、後ずさる。粉々になった診療台は欠片のみを其処に残して。切り潰された体、動くたび、赤い粘菌の噴き出す銃痕。抉られた身。多大な損傷、しかし、それでも動きを止めず……先の部屋で見たときと姿形は大きく変わり、細く引き伸ばされたかのような肉の塊、二つの頭部、笑みは作り物めいて張り付き。貼り付けたまま、周りの――グールとでも呼ぶべきか。自分よりも程度の低いアンデッドを喰らう――怪物達のように。周りの動く屍、喰らい、喰らい、喰らうたびに。
傷を癒す。粘菌を取り込み、部品を取り込み。自分の体として吸収しているのだ。粘菌の吸収、死人喰らいの異形。その仕組みは分からずとも、それが可能であることは何故か、納得し、理解できて。そして。
私にも。きっと。あの芸当は可能であって。
「……リティ、援護をお願い。アリスも、出来得る限りでいい。お願い」
浮かんだ考えを振り払う。違う。私は、あんな。グールや怪物、死体を食い漁るそれとは違う。違うのだと。
指を目一杯に開き。二人を横目に、前へと出る。
「マト……無理、しないでね」
背に掛かるアリスの言葉。酷く優しい言葉、今の。私の心境、後ろめたさを感じるほどに。
「……分かってる。無事に、切り抜けよう」
返す言葉、選んだ言葉は無難なそれで。本当の思い。只、只。目の前のそれ、見たくないから。一刻も早く、壊さなければならないという、自分勝手な衝動、焦燥、隠して。
「……行くね」
私は。汚れた床を、強く蹴る。
此方へと注意を向けたグール、その体。金属の爪を振りかぶって、力任せに振り抜いて。振りぬけば、上がる粘菌の飛沫。私達のとっての血……命そのものが裂き断たれ、無数の破片、欠片となって散る様を見て。背後、響く銃声と二発の弾丸が、他のアンデッドの足元を穿つ音を聞く。
リティは。きっと、先のこと。怒りに身を任せたこと。周りを見失ったことを悔いていて。肉を貪るのを止め、奥から此方へと近付いてきた巨体へと注意を向けつつも、彼女、リティを見れば。その体は、小刻みに震え、息も乱れた……呼吸の必要ない私たちとは言え。彼女の動揺、心情は。その姿に現れていて。そう、考える私も。先の彼女と同じ。自分の感情。見たくないものを壊したいだけの……けれど。
私は。近付くグール、怪物。死肉を食う様、見続ければ。私の心は壊れてしまう。そんな気がしてならなくて。爪を、再び振り上げれば。
緑色の光。アリスが放ったあの光が、一瞬。一体のグール、私が傷つけたそれを包み輝き。刹那、その体は。見えない腕に弾かれるかのよう。巨大な怪物、幾らか離れたその足元まで吹き飛ばされて。振り上げた腕を振り下ろし、標的としたそれを切り裂けば。その向うに見える、超常の光を放つ彼女の姿があって。
アリスの力は。私の理解の及ばない力は。敵を弾くだけではなく。私が裂いたばかりのグール、深手を追いながらも、その。尖った牙、噛み付かんとする大口と、私の肌の間。攻撃を拒むように、押さえ付けようとするように。私のことを庇うように。緑色の光が輝き、私が負う傷を、僅かなものへと抑えていて。
群がり始めたアンデッド達。グールに貪られながらも、闇雲に辺りを引っ掻き回すそれ等の腕から逃れ。目線を送った先、其処に居るアリスは、震えながら、腰が引けながらも。敵から目を逸らすことなくその力を振るい。リティも、また。背に背負った巨大な銃、翳し。徐々に迫り来る、巨体を引き摺る怪物へと。引き金を引く。
が。銃弾は、その、頭部を掠め。遠く、硝子の扉を叩き割り。甲高い音、落ちる音。金属の枠、残った破片が間を置き落ちるその音を、響かせるのみで。
彼女の顔は。焦りに。不安に。彼女らしくも無く――短い付き合い。分かったような口なんて利けないけれど――動きを止めることなど無いまま、泣き出しそうで。
長引く戦い、焦り。私へと噛み付いたそのグールへと止めを刺し。また、早く、敵を減らさなければと目標を定めようとする。そんな私達を、更に追い詰めるように。銃弾が掠めたばかりの顔。笑みを崩さず、しかし大きく裂けた口は。何か、何か。言葉に出来ない声。硝子の割れるそれにも、錆びた扉の擦れる音にも。牙が肉を穿つ音にも、引き摺る音にもまた、似た。只々不快で、鼓膜を貫くかのような。叫び声を轟かせ。
響き渡る声、アリスの小さな、短い悲鳴。しかし。彼女に目を向けるわけにも行かず。怪物の近く、よろめいていた一体のアンデッド。その体が膨れ上がり、口が裂け。怪物の上げた叫び声に応じるかのように変質していくその姿。それは。回り、咀嚼音を響かせ迫る。グールのそれに他ならず。
幾ら、グール達を倒しても。あの怪物が居れば、今まで餌となっていた。それ等までもが牙を向ける。なら。
「あいつの所に――」
踏み出そうとする。私の前に躍り出る、二体のグール。半ば突進するように迫る人型の怪物、緑色の輝き。アリスによる、触れること無く肉を抉る――ESPによる攻撃にさえ怯まず襲い来る牙。肉を抉られたそれを何とかいなせど、もう一体。その牙を腕に受け。見れば、他のグールは。アリスとリティ、二人の元へと移動していて。
怯んでいる暇など無い。獣の足に力を込め、グール、引き剥がすように蹴り飛ばし。勢いもそのままに、怪物の元へと駆け。向かい来る私へとその長い腕、繋がれた刃、名状し難い形状のそれを振り被り。
腕は。頭、身体、守るように小さく。半ば倒れ、飛び込むように。汚れた床に片手を着けば、髪先を浚う刃、風を首筋に感じ。掠めたそれ、数センチの差、恐怖が湧き上がるより先に。
着いた腕にありったけの力を込め。刃を振り切ったままよろめくそれへと飛びかかり――
「――っ!?」
身体の奥。また。蠢く何かの鼓動を感じて。私の体。私の体である筈なのに。違和感、不快感、何故、こんな、何を。
私を作った誰かは。
私に。何をした――
「――ぁ、ああ、あああああああああッ!」
爪を。目一杯の力、震える腕。その先に備え付けられた……それも、それも。私を作った誰かによって埋め込まれた。それで。
貫き。握り切り潰し穿ち断ち力任せに強引に。引き千切っては裂いて、裂いて、裂いて。
「ああ、ああ、ああ! ぁ――」
裂いた。私の。私は。自分の身体、傷、伸びた影を。影を見て。
思わず零した言葉は、否。言葉とも言えない。目の前のそれを理解出来ず。理解したくなく。何の意味も待たずに零れ落ちたそれに過ぎず。
「何、何、これ、私、何なの……」
私の体を裂き現れたそれ等は。淡い光を受けて鈍く輝き。口を、牙を持って蠢き。眼前、私が爪を立て切り裂いた、その肉、怪物へ、喰らい付いていて。今も、こうして、立ち尽くす私を置き去りに。身体からは、無数の。黒くうねる、肉蛇の群――――
◇◇◇◇◇◇
マトの絶叫に我に返る。
私達へと迫り来るグール、彼等へと向けた銃口、小刻みに震えながらも引いた引き金。撃ち出した銃弾が食屍鬼の身体を撃ち貫いた、その時に響いた声。身体が跳ね、視線を向ければ。
其処に居るのは。黒い何か、無数の、蟲とも蛇ともつかないそれに埋もれ、叫ぶ、彼女の姿で。
「マト……!?」
彼女が、無数の怪物に捕われ――違う。彼女を襲っているわけではない。肉蛇たちが向かうのは、あの、巨大な怪物。牙を立て、噛み千切り、飲み込み――その根は、他でもない。マトの体から伸びていて。
あれは。あれは、マトだ。マトの体から這い出し、敵を襲う……変異させられた身体の一部……それが。彼女の敵を食い。そして。彼女の意思を蝕んでいるのだと。
彼女の元へ行かないと。あんな、あんな。悍ましい何かに巣食われて。自分の一部として飢え付けられて。正気を保てるはずがない。
理解するが早いか。駆け出そうと……けれど。動けない私の、傍ら。過ぎ去る影、それは、すぐに。私の視界に、見慣れた姿として浮かんで。
「マト! マトっ!」
声を張り上げ走り出した彼女は。アリスは。立ち竦んだままの私を置いて、マトの元へと走り寄って。
その時。私は。肉蛇に噛み付かれ、それでも残る数本の足に、粘菌に塗れ、傷だらけの。その怪物が、力を込める姿に気付いて。
「アリス――」
声は。届かない。足は動かず。手は。
手は、掴めない。
「ッ――」
動かない足、竦んだ心。弱い、弱い。自分を。
穿つように。殺すように。舌を噛む。犬歯を捻じ込み、溢れ出した血は、粘菌は、痛覚を失っても尚記憶にこびり付いた痛みを思い起こさせて。
二丁の拳銃は、飛び掛る怪物――アリスを狙った怪物を捉え。吐き出した銃弾、固まりきった笑みを貫き。
けれど。
「ぁっ――」
開き切った顎は。アリスの小さな体、牙を突き立て、咥えるように。私の銃弾、受けても殺せぬ勢いは。私の真横、そのままの速度で。
過ぎる。過ぎる、瞬間。
恐怖に染まる顔。アリスの顔。叫ぶ声が今は、けれど、まるで、音を失ったかのように。繋がった視線、助けを求めて宙を掻く腕。彼女の手を。
掴もうと。手を、伸ばし。
指先。掠め。確かに。彼女の指先と。触れた、確かに、触れたというのに。
叫んだ。彼女の名は。過ぎ去る怪物、アリスを連れて逃げ出すそれが。遠ざかる通路に、響くばかりで。
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