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雷神の女装

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5部分:第五章


第五章

「慌てるなよ」
「うむ」
 トールもロキの言葉に頷く。二人は小声になって囁いていた。
「それはな。わかっている」
「ならいい。機会は絶対に来るからな」
「もうすぐな」
「その時だ」
 そっとトールの耳元に囁いてみせる。
「思う存分暴れろ。いいな」
「喜んでそうさせてもらう」
 こう答えてまた沈黙に入った。その間にスリムは家臣達からあるものを受け取っていた。見ればそれは。
「よし、これだ」
「これで宜しいのですね」
「そう、これこそがミョッルニル」
 スリムはその鎚を手に持って言う。
「これをフレイヤの膝に上に乗せるのだ」
「では王よ」
 家臣の一人がスリムを王と呼んで声をかけてきた。
「このミョッルニルをフレイヤの膝の上に乗せ」
「清めとしましょう」
 これは北欧の冠婚葬祭の儀礼だ。彼等巨人族もまたこの儀礼を避けることはできない。巨人にも守らなくてはならないものがあるのだ。
 それを行う為に今そのミョッルニルをフレイヤの方に持って行く。そこにいるのがフレイヤではなくトールであることを何一つ知らずに。
「それではだ」
「はい」
 侍女であるロキが静かにスリムの言葉に頷く。スリムは今にもミョッルニルをトールの膝の上に置こうとしている。それを見つつ頷いていた。
「これを置くぞ」
「御願いします」
 厳かな雰囲気の中でミョッルニルが膝の上に置かれていく。そしてミョッルニルがスリムの手から離れトールの膝の上に完全に置かれた。その時だった。
「今だ!」
「!?」
 スリムが不意に今のトールの声に気付いたその時だった。ミョッルニルは花嫁の手に奪われ花嫁は忽ちのうちに後ろに飛び退いた。そのうえで花嫁衣裳を脱ぎ捨てかわりに粗野な身なりの大男が姿を現わしたのだった。
「げげっ、貴様は!」
「トール!」
「そう、トールだ!」
 自ら威勢よく右手にあるミョッルニルを高々と掲げつつ名乗りをあげてきた。
「貴様等を倒すトールはここだ!」
「くっ、まさかフレイヤに化けていたのか!」
「何ということだ!」
「まあそういうことなんだよな」
 ここで暫く沈黙して座っていた侍女が立ち上がった。そのうえで言うのだった。
「中々手の込んだ演出だったけれどな」
「貴様は一体!?」
「ただの侍女ではないな」
「ああ、悪いがその通りだ」
 まだ美女の姿のまま巨人達に答えてみせる。
「わしの名前はな」
「わしの名前!?」
「トールと共にいるということは。つまり」
「そう、予想通りさ」
 彼もまたヴェールを脱ぐ。その瞬間に本来の姿に戻っていた。
「ロキだ。ここに来るのは暫く振りだな」
「くっ、裏切り者がまた一人来たか!」
「よくもおめおめと我等の前に!」
「ええい、黙れ!」
 ロキのかわりにトールが彼等に声をかけてきた。
「貴様等の卑劣な謀略は許せん!」
 こうスリム達に叫ぶのだった。
「この俺の手で貴様等を倒す!覚悟しろ!」
「おのれ、こうなれば!」
「英雄達よ勇者達よ!」
 巨人達は一斉に叫び巨人の戦士達を集める。すぐに広間に戦士達が集う。既に武装している。剣や槍の銀色の煌きが場を輝かせ眩いまでである。
 だがそれよりもトールのミョッルニルの輝きは凄まじいものだった。その輝きは広間はおろか宮殿全体さえ照らしていた。まさに雷の光そのものであった。
「集まって来たか」
「よくもわしをたばかってくれたな」
 家臣達に鎧兜を武装させその手に巨大な剣を持ってきたスリムが前に出た。そうして怒らせた目でトールに対して言う。
「雷神トール、覚悟せよ!」
「抜かせ!」
 そのスリムにまたしてもトールの大音声が響き渡る。
「俺のミョッルニルを盗んだ大罪、ここで償ってもらう!」
「何を!」
「受け取れスリム!」
 スリムに向かって突き進む。その右手のミョッルニルを高々と掲げつつ。
「これが雷神の怒りだ、受けよ!」
「何ィッ!」
 スリムが最後に見たものは己の顔に近付いてくる長方形の鉄であった。それが視界の全てを遮ってしまった時。彼の頭は雷により完全に吹き飛ばされてしまった。
 頭を失ったスリムの身体は暫く立っていた。だがやがてゆっくりと前に倒れそのまま動かなくなった。巨人の王は今ここであえなく倒れた。
「ス、スリム王!」
「何ということだ」
「さあ、次は誰だ」
 トールは倒れ伏したスリムの亡骸を尻目に巨人達に対して問う。
「このトールを倒さんとする者はいないのか!」
「言ったな、ならば!」
「この槍で!」
 巨人族の英雄達とトールの死闘がはじまった。しかしやはりトールは強かった。ほんの数刻の間に勝負は決し彼はロキを連れて意気揚々とスリムの宮殿を後にしていた。その右手にあるミョッルニルは眩い雷を漂わせ続けていた。
「気が済んだみたいだね」
「うむ」  
 誇らしげな顔でロキの言葉に頷く。
「これでな」
「それは何よりだ。それでだ」
「何だ?」
「女装はどうだったい?」
 意地悪そうに笑ってトールに対して問うのだった。
「はじめての女装は」
「馬鹿なことを聞くな」
 それに対するトールの返事はこうであった。憮然とした顔で答えるのが何よりの証拠だ。
「こんなことは二度とせんぞ」
「そうかい?随分楽しそうだったけれどな」
「ふざけるな。俺はこんな趣味はない」
 ムキになってそれを否定する。
「全く。御前の知恵も時としては迷惑だ」
「それはどうも」
「そういえばだ」
 ここでトールは気付いた。
「ロキ」
「今度はどうしたんだい?」
「一つ聞きたいことがある」
 こう述べてロキに尋ねてきた。
「貴様はどうしてこの話を知ったのだ?」
「この話って?」
「だからだ。スリムがミョッルニルを盗んだという話だ」
 彼はそのことについてロキに問うてきた。
「最初から知っているようだったが。それはどうしてだ?」
「それか」
「そう、それだ」
 本来ならばかなり調べないとわからない話だ。しかし彼はすぐにそれを知った。これがトールにはいささか不思議であったのだ。それで今このことを問うているのだ。
「どうして知っていたのだ?」
「ああ、それか」
 トールのその問いに対して。ロキはいつもの様にしれっとして答えてきた。
「わしの耳はいいのだ」
「御前の耳はか」
「そうだ。だからわかったんだよ」
 これまた平然と嘘をついていた。
「それだけさ。これでいいかい?」
「ううむ」
 何か引っ掛かるものを感じたのは事実だった。しかしトールは元来こうした嘘とかに弱くロキは嘘の達人だ。勝負は最初からわかっていた。
「まあいいか」
「そういうことだ。それではな」
「帰るとするか」
「我等のヴァルホルにな」
 最後はうやむやにされてしまった。だがミョッルニルは無事トールの手に戻り巨人達は倒された。トールにとっては満足のいく結果だったのでそれでよかったのだった。その前にはロキの疑惑は些細なことであった。


雷神の女装   完


                  2008・6・1
 
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