真の贅沢
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第一章
真の贅沢
薬師寺家政は作家である。
作家として数々の名作を創り出している、そしてそれと共にだ。
彼は美食家としても知られている、常に知人や編集者達にこう言っていた。
「人は何の為に生きるのか」
「食べる為ですね」
「先生はいつもそう仰っていますね」
「そうだ、僕は思うのだよ」
和服姿で確かな顔で言うのだった。
「人生は食にあり」
「食べることこそが生きがい」
「そうだというのですね」
「そうじゃないかい?美味しいものをたらふく食べる」
まさにそれこそがというのだ。
「人生最大の喜びだよ」
「では、ですね」
「これからもですね」
「美食を楽しまれる」
「そうされるんですね」
「そうだよ、和食にフレンチに中華にイタリアン」
それこそ何でもだ。
「タイ料理やベトナム料理もいいね」
「先生は何でもお好きですからね」
「それこそ美味しけれど」
「そうだよ、馬鹿にする人が多いアメリカの料理にしても」
それもだというのだ。
「結構好きだよ」
「ニューヨークにもよく行かれますしね、先生は」
「マイアミにも」
「うん、アメリカもあれで美味しいものは結構あるのだよ」
決して大雑把ではないというのだ。
「そしてドイツもね」
「ソーセージとビール」
「それですね」
「バイレルンなんかいいね」
その地方の料理がというのだ。
「あそこの肉料理は」
「とにかく美味しいと味にはこだわらない」
「その国がどうかとは」
「シェラスコもいいね」
今度はブラジル料理だった。
「あの豪快な食べ方が好きだよ」
「そうですか、それじゃあ」
「これからもですね」
「先生は美食を楽しまれる」
「そうされていくのですね」
「そうだよ、僕は美食道を極める」
彼にとっては道だった、美食は。
「目指せ谷崎潤一郎だよ」
「あの美食家だった」
「あの文豪の様にですね」
「作家としても美食家としても」
「進まれますか」
「作家としては勝てないね」
谷崎には、というのだ。
「あの人は天才だったから」
「しかし美食は、ですか」
「そちらについては」
「うん、あの人を目指し何時かは」
「超える」
「そうされるんですね」
「何時か必ずね」
こう言って日々美食を楽しんでいた、その彼にだ。
ある日鎌倉にいる哲学者である教育者であるとされているかつては有名私立大学の総長であり政治家にも発言力を持っている保守系言論人の大物である祝田健太郎からだ、編集者を介してこう声がかかった。
「祝田先生から?」
「はい、先生にです」
まさにというのだ。
「お誘いがありまして」
「あの保守系言論人の長老から」
薬師寺はその話を聞いてまずは首をひねった。
「僕は別にね」
「政治とかにはですね」
「関わりがないけれど」
「それでもなんですよ」
「祝田先生から」
「はい、お誘いがあります」
そうだというのだ。
「是非にと」
「本当に何かな」
薬師寺は首を傾げさせるばかりだった。
「一体」
「私もわからないです」
編集者もこう言うのだった。
「本当に」
「まあとにかくだね」
「はい、会われますか?」
「政治的な話じゃないといいよ」
薬師寺はそうした話は好きではないのだ、全く興味がないかといえば選挙に行く位はしているが深く関わってはいない。もっと言えば政治的にはノンポリで保守でもない。
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