| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ああっ女神さまっ ~明日への翼~

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

明日への翼
  04 RHAPSODY

 天上界。
「ユグドラシル」での仕事を終えて、螢一が「ノルンの現在の館」に戻ってきた。
 新しい「研修生」のアリアが丁寧に頭を下げて出迎えてくれた。
 体格は小柄で螢一より頭ひとつ小さい。胸元まであるワインレッドの髪を日本人形のようにおかっぱに切りそろえている。
「お帰りなさいませ。奥様が中の館でお待ちですよ」
 礼を告げて中央の館に移る。
 「ノルンの館」は四つのブロックに分かれていて、中央のブロックを取り囲むように「過去」「現在」「未来」の館がある。館といってもひとつのブロックの大きさが東京ドームぐらいあるのだ。そんな中にベルダンディー、螢一、アイリン、ウルド、アリアの五人しかいないのでは広すぎてちと寂しいのでは。とは、それは人間の感覚だろう。
 ベルダンディーの波動を探って中央の館の中を急ぐ。
 彼女は中央の館の中心にある大広間で螢一を待っているようだ。
「ベルダンディー」
「おかえりなさい。あなた」
 立ち上がった彼女は珍しく女神服=天衣を着ていた。
 そっと螢一に寄り添った。
 自然に重ねる唇。
「珍しいね。仕事受けたんだ」
「ええ、アイリンも手が掛からなくなりましたし、少しずつ再開しようと思ってます」
「うん、いいことだと思うよ」
「ですが……」
「うん?」
 少しはにかんでいた。
「依頼の内容はよく確かめないといけませんね」
「──あはっ」
「まったく、あの時は慌てましたよ」
 口元に手をあててさも可笑しそうに笑っていた。
「螢一さんのお願いは完全なイレギュラーでしたから」
「俺もなんであのお願いをしたのかよく憶えてないんだ。ただ……自然に口から出たみたい」
 二人の間でもう何度も交わされた会話であった。
 女神の救済システム。幸福量保存の法則で、日常の中の幸と不幸のバランスが著しく崩れた場合、その救済措置として女神が人間のもとに光臨しひとつだけ願いを叶える。
 しかし、資格審査は厳格で誰もがシステムの恩恵を受けられるわけではない。
 契約者が願いを叶えるにふさわしい人物であるか。これは当然だが、大切なのは契約の内容がふさわしいか。
 契約者のデーターが集まると同時にユグドラシルは対象がどんな願いをするかシュミレートをおこなう。
 当然のことながら 「願いがふさわしくない」 と判断されれば女神が光臨することはない。
 二つの審査に合格するとユグドラシルは次に派遣する女神の選出を行う。個人的な嗜好、女神の意思、女神の神格、女神としての力、経験、その他諸々も選考の対象になるが、このデーターはユグドラシルにバックアップされるパーソナルデーターから計算される。もちろん、一級神として登録された女神だけなのだが。
 螢一の場合、ユグドラシルのシュミレートから外れたお願いをしてしまったため、ベルダンディーの「あの慌てぶり」があったわけだ。
 おそらくは螢一の前世が何か関係があるのではないか。
 ウルドやペイオースは考えているらしいのだが、今となってはもうどうでもいいことである。
 螢一のユグドラシルのハード管理神としての実績はもう誰もが認めるところだ。
 いずれは現在の一級管理神「ミース」に肩を並べるだろうと囁かれていた。
「アイリンは?」
「遊びに出かけてられますよ」
 メイド服のアリアが答えた。
 友達が迎えに来たらしい。なかなか人望が厚いようだ。
 ベルダンディーは紅茶のセットを手にしていた。とてもよい香りが漂っている。
 カップが三つ。天上界に戻ってからもこれだけは彼女が行っている。
「あの子にもう一度地上界を見せてあげたいのですが」
「俺は仕事があるからなぁ……死んでることになってるから、地上界に降りるわけにはいかないしな」
 ティーカップを手に螢一は紅茶の香りを楽しんでいる。
「そういえばこのところウルドを見ないけどどうしたのかな」
「さあ……姉さんの考えていることはよくわかりません」
 二人の背後、空間が揺らいでウルドが姿を表した。
 娘の愛鈴も一緒である。
「螢一、ベルダンディー。相談したいことがあるんだけどな」
 うららかな天上界の午後はゆっくりと過ぎていく。

 日曜日の夜半。
 予定を切り上げて、夫婦水入らずの旅行から戻ってきた仙太郎の父親、孝雄は、突然現れた「女神」に眼を丸くしていた。
 妻の静子も困惑顔だ。
「よろしくお願いします。お父様、お母様」
 胸に手をあてて頭を下げるスクルド。
 手足もすっかり伸びて、胸も腰も二人の姉に負けないぐらいになっている。ピンクと赤を基調とした天衣はスクルドにとてもよく似合っていた。
「ほんとにお前、そんな無茶なお願いをしたのか?」
「……いけなかったかな」
 迷子になった子犬みたいな仙太郎に対してスクルドは落ち着いていた。
「いけなくはないよ、仙太郎。「お願い」はもう受理されたから変更は出来ないしね」
 「君のような女神にずっとそばにいてほしい」
 それは螢一がスクルドの姉、ベルダンディーにしたものとまったく同じ「お願い」だったのだが、もちろん仙太郎は知らないことだった。
「まあ仕方ないわね」
 母親の静子は苦笑混じり。
「こんな形で家族が増えるとは思わなかったけど。二階の仙太郎の部屋の隣を使いなさい」
「ちょっ、ちょっと」
 孝雄が袖を引っ張っている。
「なによ」
「ほんとに一緒に?」
「いいじゃない。あなたも娘が欲しいって言ってたでしょ」
「いや……確かに言ったけど」
「産む手間が省けていいわ」
「僕は手間を省きたくないんだけどな」
 静子はこだわる夫を黙殺するとスクルドを手招きした。
 仙太郎の家は、4LDK、一階は茶の間と夫婦の寝室。二階に六畳間が二部屋。バス、トイレ、キッチン、玄関。立派な庭付きの一戸建てである。二階の一部屋は仙太郎が使っているけれど隣の部屋は使う者がいない。
 子供は二人ぐらいと両親は考えていたらしい。この家を建てる時にもそのつもりで間取りを取ったのだが、結局のところ長男が高校生になっても子宝は授からないまま今に至っていた。
 二階の仙太郎の部屋の隣に案内する。
 六畳一間、南向きの明るい部屋だ。押入れがあるだけの何もない部屋。長く使われていないのか、うっすらと埃が積もっていた。
「ここを使ってね」
「ありがとうございます、お母様」
「女神様が住むには少し手狭かもね」
「いいえ、そんなことないわ。素敵なところじゃない」
「そう?かしら」
 スクルドはにっこりと笑っている。
「はい、ここには優しい心がいっぱいだもの。「想い」は物に宿るんだよ。この家の柱にも壁にも家族が互いを想いあう「気持ち」が染み込んでるわ」
 静子はくすぐったそうに微笑んでいた。
「まずはお布団を用意しなくちゃね。階下(した)からお客さん用の持ってくるわね」
「いえ、大丈夫よ。原子を再構成して作り出すから」
「はい?」
 意味がわからなかったらしい。
「見てて」
 両腕をささげるように前に突き出すと、上を向いた掌のすぐ上の空間に光の球が現れた。
 キイーーーーーーン
 光の球が形を変えて畳の上にわだかまる。光が薄れたとき、一組の夜具と枕が綺麗に折りたたまれて畳の上にあった。
「はあ……凄いわねぇ」
「こんな大きな力は日に何度も使えないけどね。今のあたしの力はものすごく制限されているから」
「制限って、それじゃ不便じゃないの?」
「不便……なのかな。よくわかんない」
 女神たちにとって「物欲」はあまり縁がないものだ。
「今のあたしにとってはそんな「不便」よりも仙太郎のそばにいることが大切なの」
「あなた、仙太郎のことを」
「大好きだよ。「そばにいたい」って思ったのは仙太郎だけじゃないの。仙太郎がいなかったら、あたしはまだきっと二級神のままだった。仙太郎がいたからあたしは今こうしてここにいるの」
「そうなのね」
 二人でいることはこの女神のスクルドの望みでもあったのだ。
 それよりも、と続けた。
「お風呂入りたいんだけど」
「え?」
「あたし達女神は一日一回の沐浴──入浴を義務付けられているのよ」
「いいわよ。階下の廊下の突きあたりの右のドアだから。使い方はわかるわね」
「ありがとう」
「あ」
 部屋を出ようとすると、今まで孝雄に捕まっていた仙太郎が階段をあがってきた。
「また後でお話しようね」
「う、うん」
「二人ともいいかな」
 静子が間に割って入った。
「あなたたちが今後どんな関係になっても私は何も言わないけど、少なくとも仙太郎。自分の力でお金を稼いで暮らせるようになるまでは、子供は我慢しなさい。いいわね」
 なんともはやオープンな親だこと。
 仙太郎の真剣な瞳。
「わかった。約束するよ」
「ま、この若さで「おばあちゃん」はごめんだしね」
 カラカラと笑っている。
 どうやら彼女も「女傑タイプ」らしい。
 スクルドは脱衣所で天衣を解いた。
 お湯が溜まっているのは確認済みだ。
 長い黒髪をアップにまとめてゆったりとした湯船に身体を沈めた。
 ざ
 湯船からこぼれたお湯が排水溝に流れ込んでいる。
 ふう。
 スクルドの溜息。
「よかった。お父様もお母様もいい人で」
 天井を見上げる。
 うまくやっていけそうだよ。お姉さま。
 朝の玄関先。
 仙太郎はきっちりと学制服を着こなしていた。詰襟なんていまどき古風だが、制服なんだから仕方がない。
「じゃあ、いってくるよ」
 学生鞄を手に出て行こうとする彼を慌てたように呼び止めたのはスクルドだ。
「行って来るって?」
「学校だよ。俺、高校生だし」
「あ……そうか」
「え?」
 スクルドは後ろ頭を掻いていた。
「あたし地上界の学校には行ってないから」
 ああ、そうなんだ。
 仙太郎は納得していたが、だからって高校に行かないってわけにも。
「一緒に行っていいかな」
 興味津々といった瞳が彼を見詰めていた。
「学校の外までなら。いまいろいろと煩いし」
「大丈夫よ、仙太郎以外には見えないようにするから」
 今度は仙太郎が「あっ、そっか」だった。
 仙太郎の通う県立猫実南高校は彼の足で歩いて十五分ぐらいのところにある。
 グラウンドも広く校舎も新しくて綺麗で設備も充実していて文句のつけようがないのだが、ただひとつ、家から近すぎて自転車が使えないってことが不満って言えばそうだ。
 学校の校舎が近づくにつれて学生たちの姿が目立ってきた。
 スクルドは既に姿を消している。
 仙太郎と同じ学生服の男生徒。女生徒は黒に近いほど濃いグリーンのブレザーと胸元にはリボン。
 背後から肩を叩かれて振り返った。
「おいっす、川西」
 中学時代からの親友の九十九だった。
 背の高さは仙太郎と同じぐらいだが、胸の厚さや体重はずっと九十九の方があるようだ。仙太郎と同じスポーツ刈りの日焼けした顔に意志の強そうな瞳が光っていた。
「お前、赤石と別れたんだって?」
「なぜそれを」
「赤石本人からメールが来たぜ。もうほとんどの奴が知っていると思うぞ」
 携帯を片手に、なにをいわんやとばかりだった。
 赤石洋子とははじめから何もなかった……。と言い掛けてやめた。あまりにも卑怯に思えたからだ。
「まあ気にするな。なんだったらいい娘紹介するぞ」
「いや……いいよ」
「まあしばらくそんな気になれんだろうな」
 もっともらしく頷くと、ぽんぽんと肩を叩いた。
 下駄箱から教室に向かう。
 軽い朝礼を終えて普段の授業に。
 スクルドはステルス状態のまま教室の後ろの黒板にもたれて授業の光景を眺めていた。
 内容としては初歩もいいところだけれど、こうして集団で講義を受けるのを見るのは興味深かった。
 後ろから見ていると携帯で内職をしている者や漫画を読んでいる者などなかなか生徒たちも一癖あるものが揃っている。
 もちろん義務教育ではないのでついてこられない奴や来る気のない奴には優しくはないわけだ。
 大好きな仙太郎はと見るとこれがかなりまじめに授業を受けていた。
 終わって休み時間。
 どうやら次は男生徒と女生徒に別れるらしい。
 体育の授業のようだ。男生徒が奇数クラス、女生徒が偶数クラスで、別れて着替えるようだ。ここは一組だから二組の男生徒がなだれ込んできた。
 慌てて廊下に出た。
 走り幅跳びにハードル走、百メートル走。
 順番を待つ中で仙太郎の視線はスクルドに向いていた。
 もっとも、端から見るとスクルドは見えないので、仙太郎がぼんやりとしているとしか見えないんだけれど。
 仙太郎の百メートル走。
 スタート。
 へぇ……早いじゃない。
 スクルドは嬉しそうに彼を見ている。
 走り終えた彼に女生徒が親しげに仙太郎に声をかけていた。
 男生徒と女生徒は別の授業だが、校庭は地続きなので不可能ではない。
 なんか、ひどくなれなれしい態度に、スクルドはちょっとむかついていた。
 洋子ではない。仙太郎がフリーになったのを知って早速、ってわけらしい。確かになかなかもてるようだ。
 そんなことスクルドが知るはずがない。
 心なしか他の女生徒からも彼が注目されているように感じた。
 なんだか非常に複雑であった。
 腕を胸の前で組んで首を少し傾け、しばし何事か考え込んでいる様子。
 しばらくそのままでいたが、転移術でいずこかへと姿を消した。
「わぁ……変わってないなぁ」
 久しぶりに訪れた他力本願寺は、スクルドが地上界を離れた時のまま、時の流れに取り残されたように感じた。
 どっしりとした正面の山門は相変わらずの風格を見せている。
 ふわりと、山門の前に降り立った。
 境内に入ると本堂と鐘撞き堂、母屋。
 とても綺麗に整理されていた。
 あの頃と少しも変わっていない。
 もちろん理由があって。
「ばんべい、シーグル!」
 懐かしい名前を呼んでみた。
 裏庭の植木の剪定をしていたらしいばんべい君は乗用モードに変形して走りよってきた。ぴかぴかと眼を赤く点滅させながら、悲鳴のような電子音を響かせて馳せ参じてきた。
 続けてシーグル。少しくたびれているけれど可愛いワンピースを着て走りよってきた。
「スクルド様っ」
 抱き合う三人。
 シーグルには「泣く」機能がついていないけれど、もしあったら大粒の涙をこぼしていたに違いない。
「必ず戻ってきてくださるって、信じてました」
「ずいぶん待たせちゃったわね。戻ってきたわよ。一級神二種非限定女神として」
「わあっ、おめでとうございます」
 ばんぺいが嬉しそうに激しく首を振っていた。
 「マックスウェルの魔石」を利用した極小の発電機を内蔵させ、充電しなくても半永久的に動けるようにした。互いにメンテナンスをすることで稼働時間を飛躍的に延ばすことに成功した。彼らを地上界に置いて来たのは、やはり思い出の残るこの土地を守ってくれる者が欲しかったからだ。
 いつ戻れるかわからない。戻れないかもしれない。二人が稼動しているうちは。
 それでも。いや、だからこそ。
 スクルドにとってとても辛い選択だった。
 もちろん、恵が一緒に暮らしているのを考慮に入れてのことだ。
 メンテしてあげるわ。
 空中から工具の箱を取り出した。
 数刻後。
 シーグルは腕を伸ばす戻すを繰り返していた。
「やっぱり、スクルド様ですね、生き返ったみたいです」
 ばんぺい君も嬉しそうだ。
「恵は何処に行ったの?」
「お仕事に出られていますよ。夕方には戻るはずです」
 そう……。
 少し考え込んで、にっこりと笑うとシーグルに一枚のカードを差し出した。
「あたしは今ここにいるわ。恵に伝えて」
「ここって……」
「仙太郎の家よ」
 ぽかんとしてシーグルはスクルドを見ていた。
 電話貸してね。
 母屋の玄関。
 さすがに以前の黒電話ではなくプッシュホンの留守録つきの物だ。
 ちょっと残念だが利便性を考えれば仕方がないだろう。
 天上界への電話。
 恵が仙太郎の家を訪ねてきたのは陽も落ちて夕暮れ時も過ぎた頃だった。
 突然の来客に川西家の一同は驚いたようだったが、スクルドの知り合いとわかると快く中にあげてくれた。
 スクルドは知っていることのすべてを恵に聞かせた。
 螢一が天上界で神となっていること。
 ベルダンディーと結婚したこと。
 二人の間に子供が生まれていること。
 一級神なので嘘はつけないし、恵と仙太郎にだけには知っていて欲しかったからだ。
「信じられないかもしれないけど」
「ん?そんなことぜんぜん言ってないじゃない」
 驚くほどあっさりと恵はスクルドの言葉を認めてしまった。
 長い間シーグルやばんぺい君と暮らしていてスクルドの技術力や想いを感じるところがあったのだろう。
 すくなくとも現在の科学力ではまったく不可能な物が目の前に存在して稼動している。この事実がずっとあったのだから。
「そっか……螢ちゃんが神様にね……」
 胸に手をあてて祈るように瞼を閉じていた。
「幸せなんだね」
「それは保障するわよ。傍で見ていて悔しいってか背中が痒くなるぐらい」
「そっか……そっか、そうよね、あの二人は幸せにならなくちゃ……」
 涙が頬を零れていく。
 腕で流れ落ちる涙を拭う。
「幸せなんだ、螢ちゃん、ベルダンディーも。よかった。ほんとに……よかった」
 何もそんなに泣くことはないだろうと思えるほどだ。
 もちろん決して恥ずかしいことではない。
 大切な兄のことがわかったのだ。今はとても幸せだと。
「うん、でもね。これは恵と仙太郎だから話したんだよ。他の人には内緒でね」
「わかった約束するわ」
 よく教えてくれたわね。恵はスクルドの手をしっかりと握り締めた。
「ううん。シーグルとばんぺいのことほんとにありがとう。恵の細かい気遣いがなかったら今までもたなかったと思う」
「あたしは駆動音がちょっとおかしい時に教えてあげていただけよ」
「それがなかなか出来ないのよ」
 初めて出会った時にはいがみ合うだけだった二人が今はこうして手を取り合っている。
 不思議なものだ。
 スクルドは仙太郎に向き直った。
「あのね仙太郎」
「ん?なに」
「……ん、なんでもない」
 数日後の猫実南高校である。
 朝礼。
 仙太郎は、担任の教師が連れてきた「転校生」をみてあっけに取られてしまった。
「こんな時期になんだが、転校生を紹介する」
 黒板に「Skuld Norn」と横書きした。
「転校生のスクルド・ノルンさんだ。日本語は堪能なので臆さなくてもいいぞ」
 腰まであった艶やかな黒髪をうなじでばっさりと切ってショートカットにしていた。頬と額の紋章はそのままだ。後になって気がついたのだが、額と頬の紋章は仙太郎以外の者には見えていないようだ。
 スクルド曰く。
 仙太郎にはそのままに私を見ていて欲しいから。
「はじめまして、スクルド・ノルンです。故あって今は川西仙太郎さんのところでお世話になってます」
 どよめく教室内。
「仙太郎とは幼馴染で将来を誓いあった仲です」
 室内が騒がしくなった。
 思わず立ち上がる仙太郎。
「ちょっ、ちょっとスクルド!」
「なに?」
「みんなの前で言わなくても」
「え?いけなかった?「ずっとそばにいて欲しい」って言われたからあたしはここにいるんだよ。長かった髪も校則にあわせて短くしたのに」
 むしろ驚いたような眼で仙太郎を見詰め返していた。
 どっとばかりに沸く教室内。
 騒ぎが治まらないので担任が一喝をした。
「いろいろと複雑なようだが個人的な話は学校の外でやってくれ。ここは勉学の場だ」
 それ以外のものは持ち込むなと。
 ここまでばっさりだとむしろすがすがしいものがある。
 しかしながら一人一人の意思がある人間のこと、集まれば必ず何か問題が起こるわけで。
 当然のことだが休み時間にはクラスメイトからの質問攻めにあった。
「ね、ね、母国(くに)は何処なの?」
 スクルドが女神であることは秘密にすることは仙太郎と既に相談して決めていた。
 大丈夫、僕に任せて。
 嘘のつけないスクルドに変わって仙太郎が答える。
「リトアニアだよ」
「て、何処だったけ」
 別の生徒が割って入った。
「バルト海沿岸の元ロシア領だよ。一九九一年、独立」
「どうして日本に来たのって、これは野暮よね」
「日本語上手ね」
「ああ、彼女は純粋なリトアニア人じゃなくていろいろと混ざっているんだってさ」
「あのあたりは歴史やら人種やらいろいろと複雑になっているらしいからな」
 五時限目に入る頃には二人のことを知らないものは校内にいなくなった。
 放課後。
 赤石洋子と取り巻きの女生徒数名が図書室にいた。
 もちろん回りは受験生だらけだからみんな必死に頑張っている、かというとそうでもなかった。勉強の場に使っている者も確かに存在するのだが、大抵は軽口とおしゃべりの場でもある。もう少し季節が進めばまた別になるのだろうけれど。
 食べる物は持ち込み禁止な筈だが守られているわけもない。お目こぼしってわけだ。
 洋子は不機嫌な顔で少女コミックに眼を通していた。
 取り巻きの一人、梢が心配そうに声をかけていた。
「洋子ぉ、ほんとにいいの」
「なにが」
「仙太郎のことだよ」
「いいも何も別れたんだし」
 細い指でポテトチップの袋から中身を摘んで取り出した。
 ぱりぱりと小気味のいい音が続いた。
 煩そうに右手で前髪を掻きあげた後、親指の爪を軽く噛んでいる。
 嘘を言ったりいらいらしたりしているときにするいつもの癖だ。
 ダイエットしてたんじゃなかったっけ。
 梢は心配そうに首を傾げていた。
 次の日の午後。猫実南高校の二年一組。仙太郎たちの教室。
 担当の教師が古文の授業を続けているが、スクルドにとっては既に持っている知識なので退屈なだけだった。歴史、音楽、語学、数学、生物、物理。すべてが頭の中に入っていて、教えてもらうことなどないが、それでも仙太郎のそばにいて同じ時間を過していることはとても貴重なことだった。
 大勢で講義を受けるのも新鮮であった。
 携帯が振動しているのに気がついて、教師の眼を盗んでメールを開いた。
 放課後。
 校舎の屋上ではスクルドを洋子が取り巻きと一緒に待っていた。
「あなたが噂のスクルドちゃんね」
「そうだけど、なにかしら」
 洋子は取り巻きを屋上の入り口まで下がらせた。
 取り巻きたちは心配そうに入り口にいたが、洋子の視線を受けで階下へ下りていった。
 刺すような視線にもスクルドはたじろぐことはなかった。
「──ふぅん、可愛いじゃない、ま、私よりは劣るけどさ」
 挑発するような口調だけれど。
 以前の、二級神だった頃のスクルドならすぐに乗っていたところだけれど、さすがに今は違っていた。
 にっこりと微笑んでいる。
「確かにあなたも可愛いわね、時代と共に美の基準って変化するから」
 洋子の片頬が引きつっていた。
「……そっか、あんたなんだ。幼馴染って噂だったけど本当なのね」
「何のこと?」
「仙太郎がずっと見ていた人。私を通してずっと探していた人」
 スクルドにとって嬉しい言葉だった。
 けれど素直に喜べなかった。
 目の前の洋子を見ていたら。
 私を通して。
 つまり目の前のこの人は仙太郎と。
「ずるいじゃない、いまさら出てきて」
 何も言い返せなかった。
「ずるいじゃない。忘れようって思ってたのに」
 絞り出すような声だった。
「私ね、高校に入って入学式の時に仙太郎と知り合ったの。雨が降ってた。私は傘を忘れて……俺は走って帰るからいいよって貸してくれたの。入学したばかりで私のこと何にも知らないのにね。「一緒の学校なんだからついでのときに返してくれればいいよ」って。
 それからずっと仙太郎を見てた。
 ずっと……半年前になけなしの勇気を振り絞って私からコクったの。仙太郎から見れば凄く強引だったんだろうけど……ね。
 でもね、どんなに好きでも仙太郎は私を見ていなかった。
 私の向こうに私じゃない誰かを探してた。
 わかる?それがどんなことか。
 いつか自分を好きになってくれるんじゃないかって、自分だけを見ててくれるんじゃないかって、想って……」
「六年前──あたしはこの町に住んでたんだよ」
 スクルドは眼を伏せて話し出した。
「お姉さま二人と、姉さまの恋人とね。ある日、落ち込むことがあって川原でぼんやりしてた。寝転がって空を見てた。そんな時だった、仙太郎にあったのは。あいつね、いきなり空から落ちてきたんだよ」
「落ちてきたって?」
「自転車と一緒にね」
 苦笑するスクルドに洋子は眼を瞬いていた。
「そんな不安定で危ないものに何で乗るのって聞いたら「だから乗るんだよ」って笑ってた。「たから面白いんじゃないか」って。
 仙太郎と遊ぶようになってあたしは世界が広がったの。
 はじめはほんとうに一緒にいるだけで楽しかった。
 楽しかった。
 毎日が輝いてた。
 仙太郎はあたしの背中に翼をくれたの」
 比喩ではなく、確かに仙太郎はスクルドに翼を──天使を与えたのだが。
「でもね、別れの時がきたの。お姉さまの恋人が……交通事故で死んだのよ」
「じゃ、姉さんと一緒に母国に戻ったのね」
「あ、えっと……」
 返答に窮してしまった。
 自分が女神であるってことは秘密にするって仙太郎と約束したから。
「確かに六年前って言ったら小学生だし、そのお姉さんが母国に帰るなら従うしかないわよね……六年間……ずっとか」
 洋子はどこか憑き物が落ちたような顔をしていた。
「スクルドは仙太郎に逢いたくて一人で母国から出てきたんだ」
 かなわないなぁ……。
 小さく呟いていた。
「ほんとはね、わかってたんだ。自分がピエロのドンキホーテなんだって。でも、どこかでこの気持ちをぶつけないと治まらなかったんだ。ぶつけてみっともなく泣き叫んで、仙太郎を取らないでって──でも、なんか出来なくなった。へんだね、私こんなキャラじゃないのに」
 こんなにペラペラ自分のことを喋ったりしないのに。いつもは。
「なんかこれで吹っ切れた気がする」
 でも、やっぱりスクルドはずるいよ。
「洋子……」
「うん?」
「あたしがこんなこと言ってはいけないのかもしれないけど……」
「ん?なに」
「「辛かったことも苦しかったこともいつか思い出になる。それはいつか支えとなり、糧となり道しるべとなる」あたしのお姉様の言葉よ」
「うん……わかってる……わかってる、だから、大丈夫」
 自分に言い聞かせているようだった。
 洋子はスクルドを見詰めていた。
 静かな瞳だった。
 怒りでも悲しみでも憤りでもない。
 恋敵にこんな台詞を向けられたら、いつもの洋子なら憤って平手打ちのひとつでも出ていたはずだ。
 これが現在のスクルドの「一級神としての格」であろう。
「不思議な人ね。まるで女神様みたい」
 姉のベルダンディーなら自分の正体を明かしてしまうところだろうけれど。
 スクルドは曖昧に笑って見せただけだった。
 洋子は背中を見せた。
 肩越しに軽く手を振る。
 じゃね。
 思わず呼び止めた。
「友達に……」
「ならないよ。私、なれ合うのは嫌いなんだ。あんたの事もね」
 拒絶の背中。
 スクルドはそっと息をついた。
 今すぐには無理か。
 でもいつかきっと。

 夜になって雨が降った。
 梅雨の降り方ではなくまるで降雨期の熱帯のようだった。
 あけて翌日。他力本願寺。
 雨が去り、青空に夏の雲が白く浮かんでいる。
 恵はシフトで今日は休みだった。
 買い物でも行こうか。
 大きく伸びをしてあくびをした。
 もう何十年もつきあって身体の一部となっている愛車を車庫から引き出した。
 雨上がりの風の向こうから視線を感じた。
 首をめぐらせた。
 正面の大きな山門の下に佇む、大きい人影と小さい人影が二つ。
「あ……」
「久しぶりね。恵」
 流れるような銀髪。あの時と少しも変わらない姿で褐色の二級神は微笑んでいた。
 傍らに立つ少女。
 漆黒の髪を赤いリボンでツインテールに纏めていた。歳の頃は六歳~七歳ぐらいか。
 面影がある。
 ベルダンディーとそして螢一の。
 愛車のスタンドを立てるのももどかしく二人に駆け寄った。
「ほんとに、久しぶり」
 ウルドの手をしっかりと握った。
「元気そうで何よりだわ」
「あ──じゃ、この娘が」
「そうよ。螢一とベルダンディーの娘。名前はアイリン。地上界では愛鈴かな」
「よろしく。あなたの叔母さんよ」
 手を差し出すと、愛鈴は手を握って優雅に頭を下げた。
「お初にお眼に掛かります。二級神一種限定、女神アイリンです。よろしくお願いします、恵姉様」
 歳に似合わないはっきりとした物の言い方だ。
 躾は行き届いている……というよりも、お辞儀の仕方といい後天的なものではこうも美しく出来ないだろう。
「螢ちゃんは?ベルダンディーはどこ?戻ってきているんでしょう?」
「ベルダンディーも螢一も降りてきてはないわよ」
 恵は一瞬耳を疑った。
 来ていないって。
「螢一は天上界で要職の位置にあるんだし、ベルダンディーももう「仕事」として降りてくることはあっても、それ以上はないわ。私もそれでいいって思ってる。あの二人は天上界で誰にも邪魔されずに静かに暮らすべきなのよ」
「じゃあ、この娘は」
「降りてきたのは私たちだけ。そしてね、しばらく地上界にいようと思うの」
「それって……」
「「可愛い娘には旅をさせろ」よ、地上界の勉強ってわけ」
「他力本願寺(ここ)に住むってこと?」
「大正解」
 ぱちぱちと手を打つウルド。
 恵はこめかみへ手をあてていた。
 ウルドのことは兄からいろいろ聞いている。一度決めたら曲げない性格なのも。
「部屋は余ってるんだし構わないわ。そろそろ一人で暮らすのにも飽きてきたところだしね」
 正確にはシーグルやばんぺい君と一緒であったが。
「あら、彼氏はいないのかな」
「いたら一人で暮らしてないわよ。女同士三人で楽しくやりましょ」
 言ってくれると思ってた。
 指を鳴らすと四角い箱がどさどさと空中から落ちてきた。
 食料や生活雑貨よ。引越しの荷物かな。
 やれやれ、この人には永久に勝てそうにない。
 恵は内心で溜息をついた。


NEXT→ PROMENADE 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧