或る皇国将校の回想録
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第四部五将家の戦争
第五十七話 布石の一謀、布石の一撃
前書き
馬堂豊久 陸軍中佐 独立混成第十四連隊連隊長
荻名中佐 集成第三軍 戦務主任参謀 西原家重臣団出身
大辺秀高 独立混成第十四聯隊首席幕僚 陸軍少佐
西田中尉 第十四聯隊聯隊鉄虎大隊第四中隊戦務幕僚 豊久とは北領からの付き合い
泉川における龍州軍の決死の後衛戦は6日、〈帝国〉軍の本格的な追撃――第二軍団の編成終了後はわずか2日で軍としての戦闘力を喪失する結果となった。
それはあまりに手痛い損失である――とりわけ後備の動員がようやく始まったばかりの〈皇国〉軍にとっては。
少なくとも当時の軍人たちは誰もが頭を抱えるほどのものであった、だがそれでもなお。後世における龍州撤退戦の評価は、概ね龍口湾防衛戦時の草浪中佐の発言に似たものとなる。すなわち「双方の戦力差を考えるのならば過失を最低限に抑えて展開された」である。問題はその戦力差がいかに隔絶していたかであるのだが――
皇紀五百六十八年 七月二十五日 午前第七刻 龍岡市より東方約五里
独立混成第十四聯隊聯隊長 馬堂豊久中佐
独立混成第十四聯隊は近衛総軍よりもはるかに幸運であった。まずなににおいても彼らが所属する集成第三軍は反攻主力として活動しており近衛総軍よりも純粋に規模が大きい軍であったこと、浸透距離が短く、また反攻によって<帝国>軍の南部前線が崩壊寸前だったことで主力との合流が速やかに成功し、そして――
「まずい、まずいな。これはうまくない」
ぶつぶつとつぶやきながら瞼をもんでいる青年が居た。集成第三軍に所属する独立混成第十四聯隊を率いる馬堂豊久中佐である。
そして――集成第三軍の最優先目標は駒州・護州軍と合流し内地を南北に貫く虎城山脈を利用した防衛線を構築することであった。
その為、後衛戦闘は龍州軍と近衛総軍が担当し、この二軍に先行して転進しているはずであった。だがそれでも捕捉されることが予想されていた。〈帝国〉本領軍はそうした軍隊であると誰もが理解していたからである。
聯隊本部は急ごしらえであるが天幕を張り、いくつもの怪しげな情報が記された地図が大机の上に広げられている。
「泉川の龍州軍はもう限界だろう、脱出するならば近衛が居る今しかない」
龍州東部(龍前国)の戦況概略が記された地図を眺める。龍州軍は泉川で完全編成の一個師団に支援旅団が付属した総計5万の兵に包囲されている。
首席幕僚・大辺少佐が咳払いした。
「集成第二軍は東州へ渡るために一部の部隊は港湾都市に集結、司令部がやられた所為で指揮系統が混乱したせいで離散した部隊が大量に出ています」
「そして我々は――」
そして北西、龍岡と汎原を結ぶ街道を鉄筆で叩く。
龍岡の西方で二又に分かれている、この先は皇龍道と内王道と呼ばれ、龍州三大街道の内の二つである。
「第三軍は内王道を利用しこの大龍橋にて渡河を行うべく集結中です。
敵は既にこれを察知しており、導術観測によると龍岡付近に追撃戦力を集結させています」
「袋叩きにされる寸前といったわけだな――」
聯隊長は口の端を歪めた。
「懐かしいな、ハッ!いよいよもって懐かしいとも!」
「渡河まで何かしら手を打つ必要があります、時間を稼がねば――」
大辺がそっと汗を拭きながら言うとそれにこたえるかのようにこの場にはいないはずの男が言った
「その通りだ、なんとしても第三軍は虎城に合流せねばならん。駒城と守原だけでは守り切れんよ」
「ゲ」
豊久が顔をひきつらせた。
「ゲ?」
彼を幼年学校でしごいた元主任教官かつ現集成第三軍戦務主任参謀たる荻名中佐だ
「ゲゲゲのゲっと」
飄げた口調で豊久は笑った。
「朝を寝床ぐうぐうと迎えたのはもう何日前か……」
「何を訳の分からん事を言っとるんだ貴様」
荻名は呆れたようにため息をついた。
「――まぁいい。軍司令部としての方針を伝えに来た。入るぞ」
ぬるい水を呷り、細巻の煙が天幕の中を漂う。
「聯隊長。軍司令部および主力部隊は可及的速やかに渡河を行い
そのまま蔵原を目指す。そして再編成を行い虎城防衛線に合流しより強化な防衛体制を構築する。
これは集成第三軍の全般方針として西津閣下が発令したものである」
「――でしょうな」
豊久は肩をすくめた。これは当たり前のことだ。ほかにすべきことは何もない。
「この為、軍主力は徹底して敵追撃部隊との交戦を避け、戦力の保全を最優先とする。
で、あるからには敵の追撃を防ぐ部隊が必要だ
それも高度な単隊戦闘能力を持った部隊とその運用に長けた指揮官による部隊がな」
「――でしょうな」
豊久は同じ言葉を違った声色で繰り返し、皮肉気に口元を歪めた。
「またわが社を御愛顧いただけるわけですな、戦務主任参謀殿」
「よほどの自信があると見えるな、第十四聯隊長殿」
「自信?えぇそれはまぁ夜通しの戦闘から龍口湾の転進支援。
我々は幾度も御仕事をいただいていますから」
教え子の皮肉を鼻で笑い、荻名は卓上の地図を指で叩いた。
「貴様の指揮下にある独立混成第四十四聯隊は編成された後衛戦闘隊を率い三十里程度、進出。敵の先鋒部隊を叩き、敵の追撃部隊をかく乱せよ」
「進出、進出、どの方角にです?あちらですかね?」
豊久は亢龍川の流れる先を指した。西に向かう、即ち虎城山地である。やったぜ。
「あっちだ」
荻名は<帝国>軍の草刈り場となっている東を指す。
豊久は紫煙を口から吐き出し、細巻を灰皿に押しつぶした。
「言ってみただけですよ」
「作戦の概要は決まっている」
そういうと荻名は書類鞄から一枚の地図を取り出し、それを卓上に広げた。
そこには第三軍後衛戦闘隊に迫る騎兵連隊と猟兵一個旅団の観測情報が書かれている。
「いいか。追撃部隊は増強1個師団相当だが第二軍を叩くために分散している。
第三軍主力は渡河の為に集結中だ、当然、連中の狙いは今の我が軍を叩き、事後の追撃による部隊の拡散を安全なものとする為だ。
第二軍も、近衛総軍も離散した部隊は少なくない、拡散し、追撃し、再集結する前に戦力を削り――」
「虎城を貫き、皇都を掌握する、そうすればこの戦争は終わりですな」
〈帝国〉将校のような口調で後を引き取った教え子に荻名は頬を攣らせて答えた。
「俺達の望まない通りに、だがな。残置兵などから得た情報によると騎兵部隊も本領の物だ。
おそらく龍口湾で第二軍を蹂躙した騎兵師団は占領地付近の掃討に専念している。猟兵旅団は追撃を担当している師団だ。指揮系統の混乱はない」
「追撃に出ている戦力の総計は?」
「現時点における軍司令部の見解では6万から4万といったところだが、貴様らが相手をするのは2万弱程度だ」
馬堂中佐は目を細めた。
「後衛戦闘隊の編成はどうなるのです?」
「貴様の聯隊に剣虎兵の第十一大隊、そして西州軍より派兵された独立第一〇四銃兵大隊を加える。
おおよそ四千五百程度だな」
豊久の目に一瞬だが、鋭角の光が走った。
「失礼ですがよもや北領の再現でも考え「貴様、俺を馬鹿とでも思っているのか?」」
荻名は剣呑な口調で豊久の言葉を遮った。
「いいか、この伏龍川をこえると弓野までただ只管に内王道が平野を通っているだけだ。
ここで叩かねば弓野まで我々追い回され、叩かれ続けられる事になる」
弓野は虎城の目の前と言ってもいい。つまりは――耐えきれない、そういう事だ。
「……」
「近衛は、泉川の救援を行う、そうなればこれまで吸引されていた五万の兵共も我々を追い回しに来る、泉川では龍兵の投入も確認されている、いいか、もう間もなく潮目がより悪くなる、砂粒の最後の一つが落ちる寸前なのは理解しているだろう」
今度は荻名が射るような視線を教え子に向けた。
「胸糞悪いことに分りますよ――北領の戦争だ、これは」
「独立混成聯隊はその本分を果たすべきだ。北領から戻ってきた貴様もな…こうやっている間にも<帝国>軍は迫っている。――馬堂」
「はっ」
「貴様は一時的ではあるが旅団規模を率いる事になる」
荻名は唇を引き結び、言葉を継いだ。
「であるからには相応の権限を与える必要がある。
必要であれば俺の名前をだせ、俺が作戦指導を行う」
荻名は唇を歪め、笑みらしきものを作り出し言った
「俺の手柄の為にも貴様には働いてもらうぞ」
「了解しました、戦務主任参謀殿」
同日 午後第二刻 龍岡市より西方約三十五里 南方五里
独立混成第十四聯隊 聯隊鉄虎大隊 第四中隊戦務幕僚 西田中尉
じりじりと蒼天の下にある何もかもを焼こうとするような灼熱の陽光、そしてなだらかな緑一色の丘陵と侘しげな林。それらを縫うように切り開かれた街道、そしてそれらの中に点々とした黒い塊――重傷の者、道中で事切れたものが捨て置かれた死体である――ただそれだけしかいないように見えた
丘の上にわずかにうごめく影が見えた。
「――敵影は未だ見えず、か」
望遠鏡を下ろし、青年将校が呟いた。
鉄虎大隊唯一の捜索剣虎兵中隊である第四中隊、その戦務幕僚である西田中尉だ。
濃緑を基調とした迷彩服は他兵科の制式軍装である黒衣のそれと異なり、その存在を誇示する役目とは真逆の物だ。
彼の横に寝そべった獣は黄色と黒の体毛で逞しい体躯を覆っており、この緑色の世界では一般的な獣と兵隊の服装を入れ替えたかのようだ。
「わかっているさ、隕鉄」
彼女だけではない捜索剣虎兵が侍らせる“美女”達は皆、獲物が近づいていること、狩りの時間が近いことを相方に知らせている。
聯隊戦闘導術中隊からもたらされた導術観測情報と照らし合わせ、おそらくは増強中隊程度の敵が近づいているのだと中隊長達は判断している。
「この丘陵を利用し、警戒線を構築します。我々の猫も反応しています」
西田とは別の方面を探っていた小隊長が言った。
「任せる、この軍装を過信しないように、交代で休止をとっておけ」
「はい、戦務幕僚殿」
頷き、西田は丘と街道から僅かに離れた林の中に向かう。
数名の将校と下士官たちが寄り集まっている。この場が中隊本部ということになっている。
「――中隊戦務、戻りました。
現在のところ前方には何も発見されておりませんが猫達は既に狩りが近いと」
「そうか――大隊本部にも伝えておこう、」
中隊長は素早くうなずき、無表情で眼前の歴戦の将校に尋ねた。
「一撃で仕留めるしかない、そうだな?」
「はい、中隊長殿。可能ならば白兵もせず、射撃だけで仕留めるくらいの気概でいくべきです。
この側道は狭く、大軍の運用はできません。主力部隊は内王道上に集結している筈です。
側道の掃除が目的ならばどのみち大兵力を投入する事はありません」
「行軍の効率を考えるなら聯隊程度が精々か――」
「逃がさず、早急に刈り取るしかありません。我々は剣虎兵なのですから」
・
・
・
騎兵と猟兵――そして中央には騎兵砲が二門。総計はおおよそ250から300。
こちらの倍程度だ。敵がこちらに気づいていないならどうとでもなる。
「中隊規模だが、騎兵砲に猟兵が随行。敗残兵狩りのつもりか」
望遠鏡を下ろし、西田は苦い顔でつぶやいた。
「そして威力偵察」
上原軍曹が頷く。
「残置分隊から伝達、後続部隊はなし」
本部付導術兵が意識を集中させて離れた相手の言葉を伝えた。
「中隊長殿」
戦務幕僚の言葉に中隊長も頷いた
「猫を伏せさせておけ、撃ち方と散弾で仕留める」
「中隊打ち方用意、躍進後に斉射」
カチカチと騎兵銃を装填する音が響く。
頂上に寝そべっていた古参下士官が手を挙げた
「騎兵砲出せ」
わらわらと体躯の良い兵達が騎兵砲を丘の頂上に押し上げ、そのまま適当な角度をつけようと怒鳴るようにあれこれと下士官が檄を飛ばす。
剣虎兵小隊は匪賊のようにかっこにばらばらに丘の裏にはりついていいる。銃兵達の戦ぶりとはなったっくことなったそれだ。
「躍進!距離三十!」
中隊長もまた丘の上に立ち鋭剣を振り下ろす。
兵達が小隊長に続きおのおの駆け、小隊長がたちどまると隊列のようなものをつくり、そして撃った。
整然と横列を組む銃兵達とは異なる疎らでややながい射撃音、そして砲声、咆哮。
中隊の一部が爆ぜ、そして鉛の礫が降り注ぎ――組織だった部隊は一瞬で半壊した。
この初手で既に戦術的勝利は決まったようなものだ。だが大勢が決してもそれで終わりではない、後の戦いを考えねばならない。
「逃がすな!かかれ!」
西田が鋭剣を振るいながら叫ぶ!
猛獣達が跳び、騎上の者達を地に引き摺りおろし、そして屠ってゆく。
西田は供回りの数人の兵達を連れ敵の後方へと駆けてゆく。
予想の通り、そこには脱出しようとする騎兵がいた。<帝国>兵は練度が高い。これを逃せば厄介な事になるだろう。
側道に剣虎兵大隊が展開していることを知られるのはマズい。
なにしろ剣虎兵部隊を擁しているのは第三軍内では第十四聯隊だけだ。それはおそらく<帝国>軍も察知しているだろう。
「隕鉄!」
彼の相棒は跳び、彼女の狩場から逃げ出そうとする獲物へと襲い掛かる。
「猛獣使いめが!」
猟兵が喚きながら銃剣を構え、〈蛮軍〉の指揮官に襲い掛かった
「――っと!」
西田は猟兵の銃剣を受け流し、鋭剣で相手の喉首を裂く。周囲を見回す、既に後方を確保する事に成功した。猫二匹に歴戦の兵達がついている、これで最短経路での脱出は不可能。
中央部もすでに壊滅状態だ。この中隊に配属された者達は数人がかりの蛮兵に銃剣で屠られるか、剣牙虎に狩られるか、いずれにせよ本国に帰る事はなく死ぬだろう。
いよいよこれで決着がついたことになる。
「あくまでとりあえずだけど――勝ちだな」
・
・
・
再び林の中、中隊の将校達は中隊本部に指揮官集合をかけられていた。といっても中隊本部は将校の立ち話程度であることに変わりはないが、こんどは大隊本部の面々も加わっている。
「――こちらの損害は軽傷者のみ、敵部隊は壊滅に成功しました」
「やはりこちらも張っているか。となると本道でも既に本腰をいれて叩くつもりなのは確実」
聯隊鉄虎大隊長の棚沢少佐が腕を組み唸った。
「側道の部隊がどう動くかですな」
中隊長も首肯した。
「デスネー、こちらは側道ですからそうそう大きな規模の部隊は通れません――それでも、迂回路として利用されかねない以上は警戒を疎かにもできません
相手も同じでしょう」
西田も同意見である。
「そうなるだろうな。先遣偵察隊が来たのだから聯隊規模がこちらに派遣されている事は確実だ。
中隊同士の戦いが完勝したからと言って側道を開けるわけがない――」
棚沢の言葉に沈黙が満ちた。葉擦れの音だけが響く。
「本部から導術通信です」
唯一人、意識を集中して現実から意識を離していた大隊本部付導術士がその沈黙を破った。
「発 独立混成第十四聯隊本部 宛 同聯隊鉄虎大隊本部
我ラ敵部隊主力ヲ確認セリ、これより西進シ、之ヲ撃滅ス。
鉄虎大隊ハ現進路ノママ龍岡ヘト進出シ、敵情ヲ把握セヨ」
「これはまた――」
「午後第三刻までに行動を開始する、半刻後に指揮官集合をかける、各隊に達せ」
本部の将校、下士官達が動き出す。
「貴様はここにいろ、決める事がある」
棚沢は中隊長を呼び止め、西田に視線を向けた。
「貴様、中隊戦務だったな。悪いが中隊の面倒は貴様が見ておけ、いいな」
西田は中隊長が頷いたのを確認し、答礼した。踵を返し、笑みを浮かべた。
「――さて、この面倒、どう読んでいるのかね、ウチの聯隊長殿は」
逃れ得ぬなら楽しむほかはない、恐らくは泉川を血潮に満たす算段を立てているであろう、彼の先達を思い出し、西田は再び笑った。
後書き
たいへん長らくお待たせいたしました。
どうにか新規投稿です。
次回は5月上旬までに投稿したいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
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