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アテネとメデューサ

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1部分:第一章


第一章

                 アテナとメデューサ
 自分ではどうしてもわからないものがある。気付かないものがある。
 人が自分ではわからないものは昔から多い。それは神々でさえ同じことである。
 この時アテナはどうにもやりきれない気持ちだった。自分でも何と言っていいのかわからなかった。
 だから苛立っていた。それは表には出さないがとにかく苛立っていた。
「アテナ様」
 彼女の従者の梟がオリンポスにある彼女の宮殿の中でその彼女に声をかけてきた。
「噂、御聞きになられましたか?」
「噂!?」
 その凛とした力強い面持ちの顔を梟に向ける。いつもは曇りのない顔がどうにも微かにそれがあった。やはり今のモヤモヤとした気持ちが表情に出ていたのだ。
「ガイア様の御息女の一人でメデューサ様がおられますよね」
「彼女が」
 その名を聞いて整った眉がピクリと動いた。だが梟はそれに気付きはしない。
「彼女がどうかしたのかしら」
 不機嫌を押し殺して梟に問う。
「いえね、最近評判なのですよ」
 気付かないというのは恐ろしい。彼はまだ気付いてはいなかったのだ。
「その方が大変お美しいと」
「そうなの」
「はい、とりわけ髪の毛が」
「髪の毛が」
 女にとって髪の美しさは命と呼べるものである。それを聞いてアテナ自身も自分の髪を見た。
 奇麗な髪であった。ブロンドでそれが程よく巻いている。その巻き具合も光沢も。人間のものとは全く違っていた。神の美貌がそのまま現われていたのだ。
 この髪はアテナの自慢の一つだった。髪の毛では誰にも負けない。そういう自信すらあった。
 だが。それが今崩れようとしているのだ。それで苛立っていた。崩れようとしているには訳があった。それは。他ならぬ彼女の従者が言っていた。
「この世のものとは思えない程に。それはもう見事なものだろうです」
「そんなに凄いのね」
「はい、私もまだ実際に見たわけではありませんが」
 梟はそう断ったうえで述べる。
「今下界はその噂で持ちきりだそうです」
「それ程素晴らしいのね」
「らしいです」
「ふん」
 アテナはそれを聞いて左手の人差し指の腹を口に当てた。その格好で考えはじめた。
「だったら」
「御覧になられに行かれますか?」
「いえ、そこまでは」
 思ってはいなかった。だがどうにも自分の中の苛立ちを消せそうになかった。それを消す為には。彼女は梟に顔を向けてこう命じた。
「貴方に頼めるかしら」
「私にですか」
「そうよ、そのメデューサの髪の毛を実際に見に」
「行けと仰るのですね」
「嫌ならいいけれど」
「いえ、滅相もありません」
 梟は恐縮してそう返した。
「私はアテナ様の僕。喜んで」
「行ってくれるのね」
「勿論です。アテナ様が命じられたならば火の中水の中」
「そうなの」
 畏まって言う梟。だがアテナは彼のその態度の中に本心を見ていた。仮にも知恵の女神である。それを見抜けないアテナではなかったのだ。
(やっぱり彼も)
 その澄んだ海を思わせる青い目に愁いを含ませて梟を見ていた。
(見たいのね、彼女が)
 それを思うと苛立ちがまた募る。しかしそれを表に出すことは彼女の誇りが許さなかった。
「では行って来て」
「畏まりました」
 その声はやはり待ってましたと言わんばかりであった。内心それがどうにも面白くなかったがやはり口にも顔にも出すことはなかった。黙っておいた。
 梟は飛んでいく。アテナはそれを見送りながら一人思った。
「皆メデューサ、メデューサって」
 実に面白くない。
「何がいいのかしら。全く」
 最後にそう呟いてワインを口にする。だがそれでも気分は晴れはしなかった。
 梟はすぐに帰って来た。すぐにアテナに報告する。
「メデューサ様ですけれどね」
「どうだったの?」
 喜んで帰って来たのを見れば予想はつくがあえてそれを気付かないふりをして彼に尋ねた。
「やっぱりお美しい方でしたよ」
 梟は満面に笑みを浮かべてそう述べた。
「やはり神様の血を引いておられますから。それで」
「そうなの」
「御覧になられますか?」
「そうね」
 ここでも演技をして何気ないのを装った。
「じゃあお願いするわ」
「わかりました。それじゃあ」
 梟の目が光った。そしてアテナの横にその光から映像を映し出したのであった。
 そこには優しげな顔立ちの女がいた。小柄で容姿はまるで少女の様である。それが確かに美しい。とりわけ噂になっているその髪は。アテナでさえ目を瞠るに足るものであった。

 
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