あわわの辻
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1部分:第一章
第一章
あわわの辻
今は昔平安京での話である。
都において不穏な噂が流れることはしょっちゅうであったがこの時もそうであった。二条通りと大宮通りの交差するあわわの辻において怪しげな噂が流れていたのだ。
「あやかしの者達がですか」
「左様」
鋭利な顔をした切れ長の目を持つ男に対して彼とは正反対にふっくらとしてそれでいて傲岸不遜な印象を与える男が応えていた。一方は宮中に仕える陰陽師で安倍清明といい一方は時の帝の皇后陛下の父親であり権勢を欲しいままにしている藤原道長であった。その道長がわざわざ清明の家にまで来て話をしているのである。それだけで話はかなりのおのであることは容易に推察がいった。
「それがのう、一つや二つだけではないのじゃ」
「といいますと」
「数えきれぬ程おるらしいのじゃ」
怪訝な顔で清明に対して語る。
「尋常ではなくな。それでじゃ」
「私に。ことの次第の究明と解決をですか」
「よいか?」
ここまで話したうえでじっと清明の顔を見て問う。細面の顔は女性的ですらあり黒髪が美しい。実際の歳はもっと上の筈なのに二十代の若さをまだ保っている顔であった。道長はその顔をまじまじと眺めながら清明に対して問うのであった。
「この度も」
「はい」
そして清明はその要請にむべもなく返答するのであった。
「私は陰陽師です」
まずはこう述べるのであった。
「それならば異形の者達に対するのも仕事のうえです。ですから」
「済まぬのう」
道長は清明の言葉を受けて礼を返した。
「そう言ってくれると有り難い。それではじゃ」
「はい、早速」
清明は応えた。ここまで話してはもう答えは決まっている。向かい合って座ったままであったがそれでも二人の間を緊張が走りだしていた。
「今夜取り掛からせて頂きます」
「頼むぞ。また礼を届けさせてもらうからな」
「それは無用のこと」
清明は道長からの恩賞は要らぬというのだった。
「これは当然のことですから」
「そなたにとってはか」
「はい、都で異形の者が出たとあれば」
彼の顔が険しいものになる。そうして陰陽師として語るのであった。
「帝にも危害が及びかねません。それはあってはなりませぬ」
「帝もこのことに御気分を悪くなされておる」
道長にとっては娘婿である。権勢を欲しいままにする彼はその帝の位をも自由自在にしていたがそれでも心配なのには変わりがない。何といっても娘婿である。これも当然と言えば当然であった。権勢ばかりの男ではないということである。
「だからじゃ。これは言うつもりはなかったが」
清明の顔を見て言う。
「早いうちにな。頼むぞ」
「それでは」
こうして清明はその夜のうちに動くことになった。真夜中にそのあわわの辻まで牛車で着く。あまり派手とは言えない質素な牛車である。連れている従者も僅かである。だがその従者は清明の弟子達であり陰陽道に通じている者達であった。
「清明様」
その従者の一人が牛車の中にいる清明に声をかけてきた。
「着きましてでございます」
「わかった」
その言葉を聞いて清明が牛車から出て来た。そうしてすぐに道に降りた。まるで天から降りたかのようにふわりと降りるのであった。そうして漆黒の夜の闇の中で辻を見るのであった。
「それではな。まずは」
「どう為されるのですか?」
「これを貼るがいい」
そう言って従者達に数枚の札を出してきた。
「それは」
「これを己の身体に貼れば姿が消える」
そう従者達に述べる。
「あやかしの者達にも見えはせぬ。だからだ」
「成程、用心の為ですね」
「そうだ」
こう彼等に答える。
「わかったならば。よいな」
「はい」
「それでは」
従者達もその言葉を受け清明に言われるまま自分の服に札を貼る。そうして姿を消し何者が出るかを見守るのであった。
札を貼ってからすぐにであった。清明は辻の向こうから唯ならぬものが迫って来るのを感じた。それを感じてその切れ長の目がさらに細まり鋭いものになった。
「これは」
「はい」
「まさしく」
従者達もそれを感じていた。これは唯ならぬ妖気であった。
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