とあるβテスター、奮闘する
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つぐない
とある剣士、――する
2023年、某日深夜。
「……ふぁ~あ。退屈で仕方ねぇや」
安普請なベッドの軋む音を聞きながら仰向けに寝転がった男は、欠伸と共に現状に対しての不満を漏らした。
浮遊城アインクラッド第17層。主街区《ラムダ》からほどよく離れた圏外村《ラト》に存在する宿屋の一室に身を潜めてから、今日でちょうど一週間が経とうとしていた。
その間、宿の一室に籠りっきりなのである。元々狩りに精を出すようなタイプではないのだが、こうも何もしない日々が続くと退屈のひとつも覚えるというものだ。
「……ま、仕方ねぇか、オレンジのままじゃな」
誰ともなしに男は呟いた。
その言葉通り、彼の頭上に表示されているカーソルの色は───オレンジ。
デスゲームと化した現在のSAOにおいて、殺人行為に手を染めた者の証だった。
こうして退屈に苛まれながらも圏外村の宿に留まり続けているのも、犯罪者プレイヤーであるが為に主街区に出入りできないという理由からだった。
今から数ヶ月前。
当時はまだ堂々と主街区に滞在していた彼は、しかし何をするでもなく、変わり映えのしない日々に飽き飽きしていた。
今更説明するまでもないことなのだが、このゲームに囚われているプレイヤーのほとんどは、「ゲームの中に入ってみたい」という願望を少なからず持ち合わせていたゲーマー達である。
男もそんなゲーマーの例に漏れず、苦労して購入したSAOの世界に初めて降り立った時は、人並みに感動を覚えたものだった。
まさかその憧れの世界が、その日のうちにこんなデスゲームと化してしまうとは思ってもいなかったが、元より望んでやまなかったゲームの世界に閉じ込められるのなら本望だとすら思っていた。
むしろ周りで狼狽えているプレイヤー達の姿こそ、男にとっては滑稽以外のなにものでもなかった。
───何ギャーギャー騒いでんだよ、ウゼェな。本物のゲームの世界だぜ? 何が不満なんだよ。あんなクソみたいな現実世界よりよっぽどイイじゃねぇか。
毎日毎日重たい身体を引きずりながら出社し、朝早くから夜遅くまで、やりたくもない仕事に明け暮れる日々。
上司には嫌味を言われ、要領のいい同僚からは見下した目を向けられ、やっとの思いで家に帰っては、数時間後にはまた望んでもいない朝が来る。
そんな現実世界での生活になど、男は何の未練はなかった。
自殺する勇気も気力も湧かないというだけで、明日人類が滅ぶと言われても、自分は何も感じないだろう。むしろこんな世界は滅べばいいとすら思っていた。
男にとっての至福の時間は、唯一つ。ゲームの世界に没頭している間だけだった。
だからこそ。
ここから出せと騒ぐプレイヤー達を胸中で嘲りながら、男は密かに考える。
ここはゲームの世界だ。あれほど行きたいと願ってやまなかった理想の世界だ。
男は死んでもそうは思わないが、どうせ現実世界に戻ることは叶わないだろう。
“死んで覚える”ことが可能だったベータテストの頃ですら、碌に登れずにテスト終了となったのだ。
全100層からなる浮遊城アインクラッドを攻略することなど不可能に決まっている。───だったら。
ここにいる連中の中でトップに立てば、それは即ち、自分がこのゲームのナンバーワンだということだ。
ゲームのナンバーワン。つまりはこの世界の頂点。
自分がこの世界の頂点に立つことができれば、ここで何をしようと許される。
例えそれが狩場の独占だろうと、他プレイヤーへの嫌がらせだろうと。あるいは───人を殺そうと。
世界の頂点に立つ自分に逆らおうとする者など、この腑抜けどもの中にはいないだろう。
SAOのクローズドベータテストに参加していたのは、この10000人の中でもたったの1000人だ。
たったの1000人。それもアバターのレベル・所持品は正式サービス開始と共にリセットされ、スペック的には自分と大差はない。
こうして騒いでいる馬鹿どもの中には、そのベータテスターだって含まれていることだろう。
連中が無様に喚き散らしているうちに、スタートダッシュを決めることができれば───
───ひ、ひひ。なんだそりゃ、最高にイイじゃねぇかよ……!
自分の頭に浮かんだ名案に、男は内心笑いが止まらなかった。
こんな状況で一人だけ笑っていたら精神に異常をきたしたと疑われかねないので、もちろん顔には出さない。
もっとも、ある意味では既に異常をきたしていると言えるのだが、当の本人がそれに気付く筈もなかった。
広場の出入り口が通行可能になるのを見計らい、パニックを起こしたプレイヤー達に紛れて街を出た。
門を出て、眼前に広がる広大なフィールドを見渡せば、元βテスターと思わしきプレイヤーが数人、真っ直ぐに同じ方向へ走り去っていくのが見えた。
その動きの迷いのなさから見て、彼らの向かった先に効率のいい狩場があるに違いない。
「馬鹿テスターどもが、そうはさせるかよ。頂点に立つのはこの俺だ!」
遠ざかっていく彼らの背中へ吐き捨てるように言いながら、男はテスター達の後を追って走り出した。
内に決定的な歪みを秘めながら。
だが───しかし。
オンラインゲームの常とも言えるのだが、サーバーでトップに立つようなプレイヤーと一般プレイヤー達との間には、決定的な壁が存在する。
もちろん、金と時間を費やせばある程度は差を縮めることもできるのだが、だがしかし、それでも男の目指した“頂点”に立つプレイヤーと肩を並べるまでには至らないだろう。
学問・スポーツ・芸術etc...ありとあらゆる分野の世界には、必ずその道の頂点に立つ者がいるように。
オンラインゲームという分野にも“その道の天才”が存在し、それはここ、SAOにおいても例外ではない。
そして───男は天才ではなかった。
スタート当初こそ他のプレイヤーを出し抜くことに成功したものの、一週間も経つ頃には男の勢いは完全に失速し、ゲーム開始から一ヶ月後のボス攻略会議にすら参加できるレベルではなかった。
何の予備知識もないのだから当然といえば当然なのだが、自分が見下していたプレイヤーに次々と抜かれていくことを許容できるほど、男のプライドは低くはなかった。
そうした悔しさや攻略組への嫉妬心から、意固地になってがむしゃらにレベルを上げ続けた頃もあったが、攻略組と自分との一向に縮まらない差を実感させらるうちに、いつしか上を目指すという気力すら萎え切ってしまっていた。
かわりに男の胸に湧いてきたのは、攻略組として最前線に立つトッププレイヤー達への劣等感と、自身の力を誇示したいという願望。
───何が攻略組だ、何が《ユニオン》だ。ふざけやがって……、ふざけやがってぇ……ッ!
こんなはずではなかった。
俺はこいつらとは違う。
俺はこいつらよりも優れた人間だったはずだ───
頂点を目指すことを諦め、腐った日々を過ごせば過ごすほど、男の抑圧された感情は増すばかりだった。
そんな日々にうんざりしてきた頃の、ある日のことだ。
男の前に、“あのプレイヤー”が現れたのは。
───人を、殺してみたくはないか?
どくん、と。
仮想体《アバター》たるこの身体には存在しないはずの心臓が、ひときわ大きく鼓動を打った気がした。
人を殺してみたくはないか───そのプレイヤーは、もう一度繰り返した。
いくら目抜き通りからは離れているとはいえ、ここは紛れもなく主街区の真っ只中だ。
冗談で言ってるにしろ本気にしろ、こんな会話を誰かに聞かれようものなら大問題になることは想像に難しくない。
最悪の場合、《ユニオン》の連中にしょっ引かれてもおかしくはないだろう。───だというのに。
───どうした、人を殺したくはないのか?
周囲の人間などまるで意に介していないとでもいうように、そのプレイヤーはただ、男に向かって同じ問いを繰り返す。
ポンチョのフードを目深に被っており、その表情は伺えない。
唯一見えている唇の両端は吊り上がり、この世の全てを引き裂くような残忍な笑みを形作っていた。
───殺したいというのなら、俺が手伝ってやろう。
どくん。
男の中で燻っていた何かが、このプレイヤーによって解き放たれようとしているのを感じた。
当然ながら、このプレイヤーとはまったくの初対面だ。しかも相手は未だに素顔すら見せていない。
どう考えても怪しい。常識的に考えれば、こんなものは罠だ。
タチの悪い悪戯で、男が誘いに乗る素振りを見せた瞬間、《ユニオン》に通報されるのか。
あるいはこの状況そのものが《ユニオン》による囮捜査で、こうして油断させ、男のような潜在犯を炙り出そうとしているのか。
あまりにも怪しい。
受諾するにはあまりにもリスクが高すぎる。
だというのに。
───こいつ……本気だ……!
どくん。どくん。どくん。
心臓の鼓動が早まるような───得も知れぬ感覚。
それが高揚感なのだと気付くまでに、さして時間はかからなかった。
───さあ、どうした? 殺したいのか、殺したくないのか。選ぶのはお前だぜ、boy?
フードの奥でニヤリと笑ったそのプレイヤーが、今一度、流暢な英語混じりに問いかける。
その言葉を聞き終えた次の瞬間には、男は一も二もなく頷いていた。
あの衝撃的な───ある種の運命すら感じさせる出会いを経て、男の生活は一変した。
そのプレイヤーからの助言を基に最初の殺人を行ったのは、夏が近付いたある日の事だった。
同じように殺人願望を抱いたプレイヤー同士で集まり、来る日も来る日も人を殺す計画を練り続けた。
生憎、その集団のリーダー格となったのは男ではなく、別のプレイヤー───それもSAOには珍しい女性プレイヤーだったが、そんなことは男にとって、もはやどうでもいいことだった。
兎にも角にも。
一刻も早く。
狂おしくなるほどに待ち焦がれながら。
男はその時を───人を殺せる時が来るのを、ただただ待ち続けた。
そしてようやく訪れた、その日。
トラップ多発地帯として知られている第27層の迷宮区を舞台に、かねてからの計画は実行に移された。
手順は至ってシンプルだった。
リーダー格の女が単独でターゲットに近付き、所属するパーティが壊滅寸前なのだという旨を伝え、相手に助けを求める。
ポータルトラップによってパーティメンバーと分断され、命からがら逃げだしてきた哀れな女を装うのだ。
話に信憑性を持たせるために、事前に自分のHPをある程度削っておくのも忘れない。
そうすることでターゲットをトラップが設置されたエリアまで誘導し、ポータルの向こうに飛ばされた仲間を助けてくれと懇願し、相手の同情と油断を誘う。
そのままポータルに飛び込んだが最後、転送先の密室には既に仲間が潜伏しており、ターゲットが姿を現した瞬間に襲い掛かるという手筈になっていた。
出待ちPK。既存のMMORPGではよく使われている手法だ。
また、相手が何らかの異変を感じ取ってポータルに飛び込むのを躊躇した時の為に、仲間内で一組のパーティを用意し、通りすがりの一団を装っておく。
ターゲットにPKを悟られた場合は女が合図を出し、その場で奇襲を仕掛けて始末してしまおうという算段だ。
場合によってはノックバックスキルで強制的にポータルへ乗せ、相手パーティを分断させることも視野に入れてある。
綿密に練られた殺害計画に死角はなく、男を含めた集団の面々は、計画が成功することを何一つ疑ってはいなかった。
だが、しかし。
実際にターゲットとして選んだパーティの中に、一人だけ攻略組クラスのプレイヤーが混ざっていたのは計算外だったといえよう。
ターゲットを選定する段階で、あのパーティの大よその戦力は把握していたつもりだったのだが、その中の一人───前衛を務めていた盾なしの片手剣士だけは、男達の手に負える相手ではなかった。
その強さ故に勘まで鋭いのか、リーダー格の女がトラップの前に誘導する所までは順調だったにも関わらず、我先にとポータルに飛び込もうとするパーティメンバーを片手で制し、あろうことか女に疑いの目を向けてきたのだった。
流石にそこまで見破られては、計画を多少変更せざるを得なかった。
女はひとまず予定通りに合図を出し、それを聞いた仲間達がターゲットのパーティを取り囲む。
そうして、そのまま四方八方から襲い掛かる───と見せかけて、思わず注意を逸らした片手剣士の隙をつき、槍使いの女が不意打ちでソードスキルを発動させた。
強烈なノックバック効果を持つ槍スキル《ファストスタッブ》。
威力こそ大したことはないものの、攻撃の出が速く、上手く決まった時のノックバック距離は約2メートルにも及ぶ。
一般的にはモンスターとの間合いを確保したい場面───スイッチを行う際などに使用されるスキルだが、これが対人において有効なスキルになるのだということを、女は“あのプレイヤー”から聞かされていた。
完全に不意を衝いた、槍の柄による強烈な打撃が相手の胴を狙う。
さしもの剣士もこれを躱しきることはできず、至近距離からの強打を受けて吹き飛ばされた彼は、そのまま背後に設置されたトラップ───強制転移ポータルの中へと姿を消した。
相手は相当腕が立つようだが、多勢に無勢だ。
転送先の密室に潜んだ大勢の仲間が一斉に襲いかかれば、こちらが事を終えるまでの時間くらいは稼げるだろう。
この時、男は通りすがりを装ったパーティの一員だった。
密室で出待ちをする奇襲部隊ではなく、こちらの班に配置された時は随分と口惜しい思いをしたものだが、ターゲットに予定外の手練れが混ざっていたお陰で、不運にも計画は軌道修正を余儀なくされ、幸運にも男は獲物にありつくことができたのだった。
こちらの意図を見破って“くれた”剣士に内心で感謝しながら、男は舌なめずりをするようにゆっくりと、残されたターゲットとの距離を詰めていく。
相手は男が4人に、女が1人。見たところ全員が高校生といったところで、案外、現実世界での仲良しグループだったりするのかもしれなかった。
───まあ、そんなことはどうでもいいか。どうせ、
どうせ───全員殺すのだ。
相手がどんな間柄の連中であろうと、男にとっては全く関係のないことだった。
未だ混乱の最中にあるターゲットへと向けて、また一歩を踏み出す。
彼らの顔に浮かぶのは一律にして、恐怖。
自分達の身に何が起こっているのか。
何故こんなことになったのか。
これから何をされるのか。
何もかもを理解できずに───ただただ男達の存在に恐怖するのみだった。
リーダーらしき棍使いの顔を見る。恐怖。
槍使いの男の顔を見る。恐怖。
もう一人の前衛であるメイス使いの顔を見る。恐怖。
シーフらしき短剣使いの顔を見る。恐怖。
そうして、最後に。ターゲットの紅一点、黒髪の少女の顔を見る。
もちろん───恐怖。
───ふ、は。はは、はははっ。く、くひ、ひひひひひははッ!!
恐怖。
恐怖。恐怖。恐怖。
恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖!
その瞬間の男を支配していたのは、かつてない感じたことのない高揚感と───快感。
これから人を殺すことが。
これから自分の手によって彼らが殺されるのだということが。
殺人という形で、己が力を誇示できるのだということが。
自分はそこらの有象無象とは違うのだということが。
どうしようもないほどの、気が狂いそうになるほどの───快感だった。
───イッツ・ショウ・タイム……ってか? ひひッ……!
これほどの快感を享受する切っ掛けを自分に与えてくれた恩人───“あのプレイヤー”の口癖を心の中で真似ながら、男はまた一歩、ターゲットへと近付いていった。
────────────
それから男は、人を殺すという行為にすっかり魅せられていった。
あの時、初めての殺人を共有した仲間とは、あれから数ヶ月が経った今でもつるんでいる。
リーダー格の女がグリーンのまま堂々と主街区に出入りし、ターゲットになりそうなパーティを適当に見繕ってくる。
時にはパーティの新規加入者としてターゲットの中に潜入し、うまい具合に人気のない場所まで誘導したところで、男を含めたオレンジプレイヤーの集団が襲い掛かる───といった手口が彼らの定番となっていた。
もちろん、張り切りすぎて《ユニオン》に目を付けられるようなヘマは犯さない。
ターゲットを殺す時は手の空いた仲間に周囲を警戒させているし、襲ったパーティは必ず全滅させるようにしていた。
更に、殺人を行ってから最低10日間はこうして圏外村に身を潜め、万が一にも足がつかないようにしている。
ほとぼりが冷めた頃にリーダー格の女が街へと舞い戻り、パーティ募集と称して堂々と次のターゲットを探す。
こうしたやり口で、男達は《ユニオン》の警戒網にかかることもなく、定期的に殺人の快感を味わうことができるのだった。
男達に狙われたターゲットは、一人も生きて帰ることはなかった。
ただ一つの例外を除いては───であるが。
「あーあ、あと3日も待たなきゃ殺せねぇのかよ。ウゼェな……」
吐き捨てるように言ってから起き上り、格子窓にかかったカーテンの隙間から外の様子を覗う。
圏外村《ラト》にはNPCの住人もそれなりにいるが、時間が時間ということもあり、男の泊まっている宿の周辺には人っ子一人見当たらなかった。
夜間のうちはモンスターが侵入してきやすいため、日没が過ぎた後、NPC達はこぞって自宅に籠ってしまうのだ。
殺人行為によって、変わり映えのしなかった彼の生活は一転、快楽という名の潤いに満たされた。
だが、しかし。そのかわりとでも言うのか、人を殺せない間に感じるストレスの量は、以前とは比べ物にならなくなっていた。
殺人中毒───とでも呼ぶべきか。
たった10日間の待機期間すら、今の男にとっては他の何にも勝る苦痛の時間だった。
だからだろうか。
カーテンの隙間から覗いた漆黒の向こう、村の入口から一人のプレイヤーがこちらに向かって歩いてくる姿を、目ざとく見つけてしまったのは。
───あ? 何だアイツ……。
何かを探すように村を歩き回るプレイヤーの姿を、男は訝しげに観察した。
カーソルはグリーン。男のような“訳あり”というわけでもなさそうだ。
───グリーンの奴が、こんな所で何やってんだ?
男のようなオレンジプレイヤーでもない限り、自分から圏外村を訪れる者はほとんどいない。
各階層の主街区を始めとした圏内の街とは違い、ここのような圏外村では犯罪防止《アンチクリミナル》コードが働かないからだ。
毒の継続ダメージや高所からの落下ダメージなど、圏内では無効となる様々な要因によるダメージが、ここ圏外ではフィールドと同様に適応される。
更にはモンスターも侵入可能であり、村の中にいるからといって油断することはできない。
そして何より、コードによる保護のないエリアでは、プレイヤー同士の攻撃が障壁に妨げられるということはない。
つまり、例え村の中であろうと、そこが圏外であるならPKが可能だということだ。
そんな仕様だからこそ、圏外村───ましてや半年以上も前に攻略済みの第17層に存在する此処《ラト》には、普通のプレイヤーが近寄ることはほとんどない。
逆に、そんな仕様だからこそ、男達はほとぼりが冷めるまでの潜伏場所としてこの村を選んだのだ。
そんな圏外村の、それもこんな真夜中に一人で歩き回るとは、なんと不用心なプレイヤーがいたものか。
男はそう思い、しかし思っているのは上辺だけと一目でわかるような、嗜虐的な笑みを浮かべた。
何故なら男は、とても退屈していたからだ。
男にとっての退屈とは即ち、人を殺せないことであって、それは飢えた獣の渇きにも似たようなものだった。
その渇きを満たしてくれる相手がわざわざ自分から現れたのであれば、この機を逃す手はないだろう。
───なんだ、ちょうどイイじゃねぇか。
この時間なら他のプレイヤーに目撃されるという危険性もほぼ皆無───というよりも、元よりここには男の仲間達以外は出入りしていない。
例え自分が出て行って、あのプレイヤーを殺したところで。それを目撃する者も、咎める者もいないだろう。
───久々に……楽しめそうだ、なぁ……ッ!
燃えるような喜悦を感じながら、男は手早く《隠蔽》スキルを発動させると、暗闇に紛れるように宿を飛び出した。
攻略組に対抗していた頃の名残りで、男の《隠蔽》スキル熟練度は仲間内でも頭一つ飛び抜けていた。
攻略組クラスのプレイヤーならともかく、こんな低い階層の村をうろついているような者が相手であれば、見破られる可能性はほとんどないだろう。
案の定、真夜中の圏外村を一人うろついていたプレイヤー───上下共に黒ずくめという装いの少年は、こちらに気付いた様子もなく、きょろきょろと辺りを見回している。
未消化のクエストでも進めにきたのか、あるいは他の理由か。そんなことは男には知る由もないが、これといって興味もなかった。
この渇きを今すぐに満たせるのなら、相手の目的が何であろうが構わない。
顔面に薄ら笑いを湛えたまま、男は少年のすぐ背後へと忍び寄った。
───恨むなら自分の不運を恨むんだな、ガキ……!
声に出さずに宣告し、男は少年の心臓を串刺しにするべく、自身の持ちうる最大威力のソードスキルを発動させる構えを取った───
「──ッ!!」
「な、にィ……ッ!?」
───その、刹那。
肩に掛けていた鞘から一瞬で抜剣した少年が、振り向きざまに男の胴を薙ぎ払った。
完全に不意を衝けると油断しきっていた男は、胴体を横一文字に切り裂かれ、うめき声と共に数歩下がって地面に片膝をついた。
「な……、あ?」
切り口から舞い散る真紅のポリゴン片を視界に入れながら、男は信じられない思いで目を見張った。
ソードスキルによる攻撃ではなかったので、システムによるダメージ補正はかかっていなかった───はずだ。
にも関わらず、万全の状態を保っていたはずの自分のHPが、およそ3割も削られたのが確認できた。
一時は躍起になってレベル上げに勤しんでいたこともあって、男の基本ステータス自体は決して低くはない。
それこそ相手が攻略組クラスのプレイヤーでもない限りは、例え殺し合いになったところで、一対一でなら負ける気はしなかった。
だが───先の一撃は、そんな男の自信をいとも容易く打ち砕いた。
一対一でなら負ける気はなかった。それこそ、相手が攻略組クラスのプレイヤーでもない限りは。
であるならば、ソードスキルですらない一撃で男のHPを3割も奪ったこの少年は。
男がどう足掻いても辿り着けなかった境地───攻略組クラスのプレイヤーであることに他ならない。
───ざッ、けんじゃ、ねぇぞ……ッ!!
少年が攻略組クラスのプレイヤーであるという仮説が正しいのであれば、不意打ちが見破られたのも至極当然だ。
むしろ男が不意打ちを狙っていることに最初から気が付いていて、その上で泳がされていたということになる。
「ッざけんじゃねぇぞ、テメエェェッ!!」
自分が優勢だと思い込んでいた出鼻を挫かれ、ましてその相手が年端もいかない少年だったことで、男のプライドは大いに傷付けられた。
当然ながら、男の精神はそんな“馬鹿げた話”を許容できるようには出来ていない。
先の一撃は何かの間違いだと主張するように、怒号と共に大剣を振り上げ、黒衣の少年の脳天目掛けて振り下ろした。
「……!!」
だが───しかし。
男の渾身の力を込めた一撃は、少年の持つ細身の剣によって難なく受け止められてしまう。
「テ、テメエ……ッ!!」
「………」
受け止めた剣ごとへし折らんと両腕に力を込めるが、どういうわけか、男の大剣は一向に動く気配がない。
自分の全力の攻撃が、少年が右手で構えた片手剣だけで難なく受け止められている。
無言で男の攻撃を受け止め続ける少年の虚ろな双眸からは、何の感情も感じ取ることができない。
そんな少年の態度が、まるで自分など取るに足らない相手なのだと言われているように思えて、男を更に激昂させていく。
「こ、の……!畜生ォォォ……ッ!!」
「……、はぁッ!!」
「がッ───!?」
男がいくら力を込め続けようと、細身の剣が折れることも、少年が耐え切れずに膝をつくこともない。
それが少年と自分の筋力値の差によるものだと気付いた次の瞬間には、短い気合と共に突き出された少年の左拳が男の土手っ腹へとめり込み、腹部を中心にぞわりとした悪寒が全身を襲った。
体術スキル《閃打》。
片手による単打を繰り出すという至ってシンプルな技だが、両腕に意識を集中させていた男の不意を衝くにはそれだけで十分だった。
素手であるとはいえ初撃とは異なり、今度はれっきとしたシステムアシストによる一撃だ。
その分のダメージ補正もきちんと加算され、男のHPがぐんと減っていく。
「あ、あ……!」
今度こそ───男の慢心は完膚無きまでに打ち砕かれた。
たった二発の攻撃で危険域まで落ち込んだ自分のHP残量を視界に入れながら、男はひゅっと喉を鳴らして後ろへ倒れ込んだ。
「………」
「な、何なんだよ、お前……ッ! く、来るな、来るんじゃねぇッ!!」
尻餅をついて後ずさる男を見下すように、少年は男の顔へ視線を向けたまま、少しずつ近付いてくる。
その顔は───無表情。
男の不意打ちを難なく躱し、大剣による全力の斬撃を片手で受け止め、戦意喪失に追い込むまでの間にすら───少年の表情は一ミリたりとも変化することはなかった。
そんな少年の何も映していないかのような黒い瞳が、ますます男の恐怖を掻き立てる。
「ひ、あぁぁ……!」
恐怖。それは、男に快楽をもたらしてくれるものだったはずだ。
ターゲットが死の瞬間に浮かべる恐怖は何よりも男に喜悦を感じさせ、その恐怖ごと相手を蹂躙した時の快感は、他の何よりも勝っていた───はずだった。
「………」
「や、やめ……、くるなぁぁぁ……!」
しかし。
少年の無言の威圧感を受けて、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった男が感じているのも───紛れもなく恐怖だった。
恐怖を抱かせながら屠る側にいたはずの男は、いつの間にか、恐怖を抱きながら屠られる側となっていた。
「な……、何なんだよ、何なんだよッ!なん、なんだよォッ!?」
とうとう建物の壁際まで追い詰められた男は、パニックを起こしたように喚き散らした。
どう見ても中学生にしか見えないような、年端もいかない少年だというのに、そんな相手に追い詰められたことへの悔しさすら感じる余裕もないほどに、男の精神は恐慌状態にあった。
「俺が───何したって言うんだよッ!!」
堪らずに、男は叫んだ。
自分からPKを仕掛けたのだということも忘れて、恐怖で引き攣った顔を見るも無残な形に歪めながら、叫んだ。
同じことを言った相手を嘲笑いながら殺してきた自分を棚に上げ、男は黒衣の少年に向かって、叫んだ。
叫んで───しまった。
その、瞬間。
今まで何の色も映していなかった少年の瞳が、男の言葉を聞いた瞬間、大きく見開かれた。
同時に、少年の保っていた無表情が初めて崩れる。顔を歪めて歯を食いしばり、凍てつくような視線で男を射抜いた。
男の叫びを切っ掛けに、少年から堰を切ったように溢れ出した感情は───憎悪。
「ひッ───」
突如豹変した少年の姿に、男が短い悲鳴を漏らしたその刹那。
男の右耳を掠めるように突き出された少年の剣が背後の壁へと突き刺さり、硬質な金属と障壁の衝突する轟音が男の頭を揺さぶった。
「何かしたのか、だと……? ふざけるな……」
恐怖と衝撃の入り混じった顔で絶句する男へと向けて、少年が初めて口を開いた。
男の頭の真横に付けられた剣の切っ先は小刻みに揺れ動き、少年が憎悪に戦慄いているのだということを如実に物語っている。
「……このギルドエンブレムに、見覚えはないか」
「は───」
「答えろよ。このエンブレムに見覚えはないのか?」
何を言っている、と問い返そうとした男の言葉は、少年の威圧するような声に封殺された。
言われて、少年と目を合わせて彼のHPゲージを表示させると。
男との戦闘があったにも関わらず、微動だにしていない緑色のHPバー。その真上に表示されているのは、三日月と黒猫をモチーフにしたギルドエンブレム。
それと全く同じエンブレムを、男は見たことがあった。
数ヶ月前に一度見ただけのエンブレムを、男は忘れていなかった。忘れるはずもなかった。
何故ならそのエンブレムは、男が初めて殺したターゲット───あの仲良しグループと思しき高校生の一団が、揃って身に付けていたものだったのだから。
「お、お前、まさか───」
あの日の記憶が、鮮明な映像として男の脳裏にフラッシュバックした。
定期的に人を殺すようになってからも片時も忘れたことのなかった、初めて殺人行為に及んだ日の記憶。
その記憶の中に登場する、ターゲットの中に一人だけ紛れていた攻略組クラスのプレイヤーは。
あのプレイヤーは今目の前にいる少年のような、盾なしの片手剣士ではなかったか。
あのプレイヤーはこんな風に、黒ずくめの衣装に身を包んでいなかったか───!
「……やっぱり、お前達だったんだな」
「ひ、ひッ!?」
そんな男の様子を肯定と受け取ったのだろう。
黒衣の少年が全身に纏った憎悪が、ひときわ大きなものとなったのを男は感じ取った。
あの日以来すっかり殺人の味を占めた男達は、襲った相手のパーティを必ず皆殺しにすることで、《ユニオン》の警戒網を掻い潜ってきた。
男達に狙われたターゲットは、一人も生きて帰ることはなかった。───ただ一つの例外を除いては。
その例外───転送先に潜んでいた仲間達全員がかりでも取り逃がしてしまったという、攻略組クラスのプレイヤー。
そのプレイヤーこそが、今こうして男に剣を突き付けている黒衣の少年に他ならないのだとしたら。
その目的は───考えるまでもないだろう。
あの時、一人だけ取り逃がした少年が。
自分以外のギルドメンバーを殺された少年が、数ヶ月もの時を経て、こうして男の前に現れたということは。
「ずっと、お前達を捜していた。お前達とあの女に償わせるために、そのためだけに───俺は生きてきた」
つまりは、復讐。
まったくもって正当な───復讐だった。
声にならない悲鳴を上げた男の喉元に改めて剣を突き付け、黒衣の少年は憎悪を滲ませた声で問うた。
「答えろよ。あの女は……、お前達のリーダーだったあの赤髪の槍使いは、どこだ───ッ!!」
それから数分後。
男の意識は途切れた。
────────────
第17層主街区の前にオレンジがいる。
そんな中層プレイヤーからの通報が《ユニオン》の代表者たる騎士ディアベルのもとに届いたのは、トネリコの月も残すところ僅かとなった、ある日のことだった。
「た、たすけ……、たすけて……」
手の空いていた団員を伴って自ら現場に駆け付けたディアベルは、主街区《ラムダ》を出てすぐの地点に、カーソルをオレンジに染めたプレイヤーが這いつくばっている所を発見した。
見たところ20代半ばといったところの男は、自分が監獄送りの対象であるということも忘れているかのように、狼狽しながらディアベルの足に縋り付いた。
害意がないことは一目瞭然だったのだが、ここまで酷く錯乱している理由がわからない。
よくよく見れば男のHPは既に危険域であり、あと一撃でも攻撃を受ければ戦闘不能なってしまうほどだった。
「たすけて、助けてくれ……、どうか……!」
「しっかりしろ。一体何があったんだ?」
うわ言のように繰り返すオレンジプレイヤーの両肩を掴んでしゃがみ込んだディアベルは、男と目線の高さを合わせながら、しかし油断せずに問いかけた。
いくらオレンジプレイヤーといえど、こんな状態でフィールドをうろつきまわるなど正気の沙汰ではない。
加えて、この狼狽えようだ。
一体、この男に何があったというのか───
「こ、ここはダメだ、アイツが……、アイツが来る……!」
「“アイツ”……?」
「こ、ころされる……ッ!は、早くッ、早く俺を守ってくれェッ!」
「待て、とにかく落ち着くんだ!」
何とか落ち着かせようとするディアベルに、オレンジプレイヤーの男は一層恐怖に怯えた声で叫んだ。
「助けてくれ、アイツから───あの《黒の剣士》からッ!!」
───黒の剣士。
この日を境に、犯罪者プレイヤー達の間で恐怖と共に囁かれるようになった、あるプレイヤーの二つ名だった。
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