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FOOLのアルカニスト

作者:刹那
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流転する生命

 
前書き
申し訳ありません。非常に遅くなりました。 

 
 男は運が悪かった。いや、巡り合わせが悪かったというべきか。男はそこで見てはならぬものを見た。知る必要のない余計なものを。 己が所属する組織の真の目的に、その正体に一端とは言え触れてしまったのだ。
 そして、それに男は耐えられずに恐怖し怯え、逃げることを選択してしまった。それが組織への裏切りになると知りながら、生物の本能的な恐怖に男は抗うことが出来なかったのだ。結果、男『卜部 広一郎』は、裏切者として追われることになった。雨という天候に助けられ、さらに手練手管を駆使して、どうにか追手を撒き、愛する家族がいる自宅へと逃げ帰った。
 だが、卜部を迎えたのは望んだ暖かい妻子の姿ではなく、物言わぬ伴侶の骸であった。

 分かっていたはずであった。覚悟していたはずであった。己が真っ当でない組織に所属し、多くの悪事に手を染めてきた以上、恨みを買うことも、復讐の対象となることも理解していたはずであった。裏切れば、家族どころか一族郎党諸共に消されてもおかしくない組織であると理解していたはずであった。
 だというのに、卜部は絶望していた。目の前にある現実を認められなかった。心臓を一突きにされたであろう胸の中心辺りに風穴が開いた妻の死体を前に動けずにいた。降りしきる雨が洗い流したのか、その顔に汚れはなく、決死の表情のまま固まっている。

 「あ、ああーーー!お、俺は、俺は!……!」

 滂沱の如く流れ落ちる涙を拭いもせず、卜部は妻の骸を抱き上げる。そして、その冷たさと死後硬直がが始まった肉体の硬さが、妻が間違いなく死んだのだと否応なく卜部に理解させる。愛した伴侶はもう笑うことはないのだと、その柔らかな肌は失われ、ただの肉塊になったのだと。どこまでも非常な現実が、どうしようもなく卜部の絶望を深くする。

 だからだろうか。気づけば卜部は愛用のリボルバー拳銃を自身のこめかみに当てていた。ああ、自分は死にたいのだなと卜部は理解し、それもいいかもしれないとすら思う。

 (情けねえな。今まで、散々殺してきたじゃねえか。老若男女関係なく、必要とあらば殺す事も厭わないヤバイ組織だって。そして、邪魔者・裏切者には容赦しないのファントムだって、分かっていたはずだ。なのに、あろうことか俺は組織の真実を知って、土壇場になって逃げ出した。結局、俺は雷鋼の爺さんの言うとおり、何の覚悟も出来ていない半端者だったてことか……。)

 半端者が先人の貴重な忠告を無視し粋がった結果がこれだ。何の罪もない妻子を巻き込んだ挙句自殺とは、何と救いのない終わりだろうか。ある意味、無理心中より性質が悪い。
 だが、今の卜部には黄泉への誘いはどこまでも魅力的だった。ファントムの追手との戦いで限界まで肉体を消耗し、かつ組織の最奥を垣間見たことで精神も極限まで磨り減っており、心身ともに限界であったからだ。引き金に指がかかりかけた時、懐に入った携帯電話が振動する。何をとも思うが、なんというか機先を制されてしまったような感があり、渋々ながら卜部は電話に出た。

 「約束の場所に来られたし、依頼に対しては最善を尽くした」

 相手はそれだけ淡々と言うと、卜部の返答を待つことなく電話を切った。

 「依頼?!……あの小僧か!」

 そう、卜部は逃走中に駄目元である依頼をしていた。とはいえ、単なる口約束、しかも本人とはお世辞にも親密とはいえない関係だっただけに、全くといっていいほどに期待していなかったのだが……。

 「最善?この状態がか!ふざけるなよ!」

 だが、この状態を見せられて、最善とは笑わせるものである。卜部は、今すぐにあの賢しい少年のどたまをぶち抜いてやりたくなった。

 「ウラベ様、お待ち下さい。あの方が、意味もなくそのようなことを言うとは思えません。ここにあるのは奥様の御遺体だけです。もしや、お子の方は無事なのではないでしょうか?」

 激昂する卜部を落ち着かせるように言うリャナンシー。

 「確かにあの子の死体はない。ファントムに浚われたもんだと思っていたが、まさかあの小僧のところにいるのか?!」

 「恐らくは……」

 「なるほどな。ファントムのやり口にしては、浚うとかどうもまどろこしいと思っていたんだが、そういうことか。最善と言うのも、妻は無理だったが娘は助けたということか……。
 だとすれば、こんなところで燻ぶっているわけにはいかん!行くぞ、リャナンシー!」

 「承知しました」

 妻の遺体を自宅から引っ張り出したシーツで何重にもくるみ、後部座席に安置する。そして、隠してあったありったけの武器道具を車に積む。最後の締めくくりに、虎の子のアギラオストーンを自宅内に放り込み、空中にあるそれを狙撃する。銃弾が突き刺さるとともに爆発的に炎が広がり、一面を火の海にする。雨が振っているとはいえ、内部からならば、この魔性の炎は家を跡形もなく灰燼とするだろう。卜部はかつての幸せに溢れた思い出を一瞬幻視して足を止める……が、すぐにかぶりを振って玄関を閉め、車に乗るまで振り返ることはなかった。




 時はしばし戻り、卜部の妻子が襲われたとき、実のところ徹はそこにいた。とはいえ、それは殺されるところをみすみす見逃したというわけではない。彼が卜部の自宅に着いたときこそが、卜部の妻が殺される瞬間であったというだけである。

 「(間に合わなかったか……。あれは妖獣カクエンか)」

 「(落ち込む必要はありませんよ、主様。あちらも駄目元で出した依頼のようでしたし、そもそもこの事態を招いたのはあの半端者の所業です。自業自得なのですから、主様に何の責任もありません。むしろ、ファントムとやりあうことになる危険性を承知の上で、ここまで来ただけでも十分すぎますよ)」

 徹とチェフェイのやりとりがされている間も、カクエンは止まらない。2メートル以上の巨体を誇る妖猿は、娘を護るように抱きしめた卜部の妻を無情にも貫手で容易く貫き、母子共に心臓を抉り出す。どう見ても、即死であった。あれではいくら回復魔法をかけたところで蘇生は不可能であろう(回復魔法は傷を塞ぐことはできても、失った部位が再生したりはしないのである)。そうすると、心臓を抉られた母娘を救う手段は蘇生魔法、あるいは蘇生道具しかないのだが……。
 
 「(残念だが、蘇生は無理だな……。)」
 
 「(ええ、あの半端者の妻子は一般人という話ですからね。蘇生は不可能です)」

 一般人、愚者ですらない者に蘇生魔法・蘇生アイテムは効果が薄い。愚者ですら、LV10を超えなければ蘇生の可能性は五分である。これは一重に彼等の生体マグネタイトの保有量が足りないからである。蘇生魔法・蘇生アイテムは被術者・被用者の生体マグネタイトを用いて、精神までもが死に魂が離れる前に肉体を再生・再構築することで、蘇生を可能とするのだ。一般人はそも肉体を再生・再構築する為の生体マグネタイトが足りないし、肉体の死=精神の死であり、魂が離れるのも早いのだ。ゆえに、常人の蘇生は不可能というわけである。

 「(卜部のおっさんには悪いが、これはこのまま傍観だな。ここで下手に手を出して、ファントムともめるわけにはいかないしな。まあ、せめてもの情けだ。遺体くらいは回収しておこう)」

 「(ええ、それで十分だと思います。ファントムを敵に回すリスクを考えれば、遺体の回収ですら過分なことです。正直、私はこれ以上のただ働きは賛同しかねます)」

 チェフェイの非情ともいえる意思表明に、徹は無言で頷いた。卜部には悪いが、犠牲者の妻子は哀れだとは思うし同情もするが、仇討をしたいという程の思い入れは徹にはない。むしろ、ファントムとの敵対リスクを考えれば、この結果はある意味最善である。けして手を抜いたわけではなく、依頼を受け全速で直行したにも関わらず間に合わなかったのだ。徹に責任は無いし、妻子が死亡した以上、彼がすべきことはもうない。遺体の回収など、チェフェイの言うとおり過分なサービスであり、蛇足でしかないのだ。
 大体、どのような事でもとはいったが、徹の力の許す限りにおいてという注釈が入るのだ。今回の依頼は、ファントムと敵対する可能性がある以上、徹だけでなく雷鋼にも関わってくる。である以上、今回の依頼はその制限にかかるものであり、如何に恩義があるとはいえ、徹は雷鋼の許可が出なかったら、受けるつもりは無かったのだ。
 そんなわけで十中八九駄目だろうと思っていたのだが、雷鋼は意外にも許可した。それどころか、できるだけ力になってやれとまで言ってくるしまつである。ただし、ファントムにばれないように、関与の証拠を残さないようにと言う条件付ではあったが……。
 
 (やっぱり、あの二人の間には余人には理解できない絆のようなものがあるんだろうな……。そんなに心配なら、自分で動けば良いのにな。素直じゃないというか)

 その時のことを思い出し、内心で素直でない師に苦笑するが、実のところそんな軽い話ではなく、雷鋼には動けない理由が存在したのだが、それを知るのはもっと後のことである。

 そんな徹の思いを余所に現実はどこまでも優しくなかった。カクエンは、妻の亡骸から子供の亡骸を引き剥がし、大口を開いて喰らおうとしていたのである。

 「(ちょっと待て!流石に目の前でリアル人喰いとかマジで勘弁して欲しいんだけど!)」

 「(人喰いくらいで何を今更……。もっと悲惨なのを何度も見てきたじゃないですか。大体、すでに死んでるんですから、生きながら喰われるよりはマシでしょう)」

 徹のぼやきを呆れた様に切って捨てるチェフェイ。まあ無理もない。なにせ、この業界で仕事をこなすこと早1年余り。生きながらにして生体マグネタイトを搾取される苗床にされた者や、狂気の実験によって醜悪な化物に成り果てた者など、ある意味死ぬより悲惨な結末を幾度も見てきた徹に、目の前で行われようとする人喰いなどまだ温い所業でしかなかったからだ。

 「(見慣れたことでも、好んでみたくないわ!それに……うん?なんでわざわざ娘の死体だけ喰らうんだ?)」

 「(証拠隠滅の為では?母親の方は、あの半端者へのみせしめでしょう)」

 「(いやいや、見せしめが目的なら、心臓を抉り出すなんて面倒な殺し方はしないだろ。みせしめにする意味で、もっと残虐に殺すだろう。あんな五体満足にしておく意味は無いからな。それに証拠隠滅なら、片方だけ残すのも理解できん。どちらの意味でも、両方を残すか両方喰らった方が効果的だろうが)」

 (この光景を前にそこまで冷静に考えられるあたり、主様も大分染まってきましたね。それはさておき、主様の言うことにも一理あります。喰らうなら、生きている時の方が効果的でしょうに……。やはり、この人喰いには何か他の理由があるということなんでしょう)

 今にも幼い子供が喰われようとしているのに、平然と客観的に考察できるあたり、己の主も大概だと思うチェフェイ。だが、言われてみればなぜ今更と言う疑問が出てくる。考え込むチェフェイを余所に、徹はあることに気づき、即座に行動を起こした。

 (まさか、もしかして!)

 衝動的な行動であることを自覚しながらも、雷鳴の如き閃きと湧いて出る激情に身を委ね、チェフェイに静止する暇すら与えずに弓に矢を番え、即座に撃ちだす。鵺討ち弓から放たれた雷光の如き矢は狙い過たず、カクエンの腕を貫く。たまらず子供の遺体を手放す妖猿の隙を見逃さず、最速でその背へと突進し神速の抜刀で一刀両断にする。LV差もあり、かつ不意打ちの矢で思わぬ痛撃をくらっていたカクエンには徹の姿を知覚する暇すらなく、上半身と下半身に両断されて、マグネタイトの残滓を残して消えることとなった。

 「主様、いきなり何をなさっているんですか?!」

 徹の突然の暴挙に憤懣やるかたない様子で理由を質すチェフェイ。それに答えず、徹は子供の遺体を調べ始め、確信を得たといわんばかりの表情で一人頷いた。

 「主様!」

 「そういきりたつな、悠華。折角の美貌が台無しだぞ」

 「ぷんぷん、お世辞を言っても駄目ですからね!何がどうなって、こんな暴挙に出たのか、きっちりかっちり説明してもらいますから!大体、私は怒った顔も美しいのです」

 「うん、そうだな。簡単に言うとだ。この娘は覚醒してるってことだ」

 「はい?!」

 「母親は本当に一般人だったみたいだが、流石はあの卜部の娘だ。才能があったらしいな。恐らく悪魔との遭遇と死に瀕したことで覚醒したんだろうな。つまり、母親は無理だが、この娘は蘇生の可能性はゼロじゃないってことだ」

 「……なるほど。この土壇場での覚醒ですか。でも、正直幸運とは言い難いですね。それでどうなされますか主様?まさか、蘇生を試みるおつもりで?」

 チェフェイは言外にこのまま母親と共に死なせてやれと言っていた。それはけして見捨てろということではない。むしろ、彼女なりの慈悲なのだ。なぜなら、蘇生が可能だったとして、蘇生したところでなんになるという問題があるからだ。
 漫画や物語のような土壇場での覚醒。まるでそれらの主人公のようだが、現実はそれ程優しくない。ど素人が覚醒したところで、いきなり戦うなどまず不可能だし、人間相手ならともかく悪魔と戦うなどもってのほかである。ましてや幼子である。悪魔から見ればただの餌から上質な餌にランクアップしたに過ぎないし、むしろいの一番に狙われることになる危険性を考えれば、覚醒はマイナスでしかない。どうあがいても、死の運命は変わらないのだ。幸運とは言い難いというのは比喩でもなんでもない紛う事なき真実である。
 そして、卜部の娘の場合、覚醒に伴い蘇生可能になったとはいえ、その可能性はLV(MAGの保有量)の問題で確実ではないし、大体にして蘇生できたところで、そこで父が原因で母が死んだという現実と直面することになる。しかも、元凶にして唯一の肉親である父も、ファントムに追われている以上遠からず死ぬことが確定しているのだ。つまり、少女は幼くして天涯孤独の身の上となるのだ。覚醒していて、悪魔に狙われやすいという嫌なおまけつきで。

 「悠華、お前の言わんとするとこは分かるし、それが正しいことも理解しているつもりだ。だが、それでも蘇生できる可能性が少しでもあるのなら、試してやりたい。どんな困難な人生が待っているとしても、死ぬよりはましだと俺は思うから。死は絶対の終りだ。そこに救いなどありはしないし、死してなせる事など何もないのだから」

 反魂香を用意しながら、徹はその問に答えた。

 「主様、それは違います。死ぬよりも辛い事など生にはありふれていますよ。良妻賢母の私が憎き仇に嫁がされ、この身を汚された挙句、せめてもの復讐の果てに傾国の悪女とされたように……。死は時に救いなのです」

 チェフェイの言は、凄まじいまでの実感と重みを感じさせた。他ならぬ彼女自身そうであったが故に。

 「悠華、俺は……。いや、そうだな。結局、俺は知ったかぶりをしていただけなんだろうな。だが、それでも俺は、この娘に蘇生を試みたい。たとえそれが俺のエゴであっても」

 チェフェイに辛苦の生の記憶があるように、徹にもまた死の記憶がある。他ならぬ己自身の前世での死と透夜の人としての死、そのどちらもが彼に蘇生を試さないと言う選択をよしとさせない。偽善と言われればそうだろう、エゴと言われればそうだろう。どんな理由があれ、他人の生死を勝手に決めようとしているのだから。だが、それでも救えるなら救いたいのだ。かつて、己の半身にして己自身でもある弟を救えなかったが故に……。
 これが恩人である卜部の娘でなかったら、透夜と同じくいらいの年頃でなかったら、一度救うのをあきらめて、その上で蘇生の可能性が生じなかったたら……いずれの要素のうち一つでもかけていたなら、徹は容赦なく見捨てていただろう。カクエンに遺体が食われることを傍観した後、卜部に間に合わなかったと報告して終わりだったろう。
 しかし、現実はそれらをそろえ、どうしようもない衝動を徹に生み出し、行動させたのだ。それは透夜の死によって植えつけられた彼の根底にある『誰も救えない』という念を覆さんとする無意識の反抗であり、同時に透夜を救えなかったことに対する代償行為でもあった。

 「主様にこの娘の生を背負えますか?未だ雷鋼の庇護下にある貴方に……」

 「無理だろうな。無責任だと思うが、卜部のおっさんに渡して終りだろうよ。未だ未熟者の俺には人を育てるなどできようはずもないからな」

 「そこまで理解していながら、エゴを通されるのですか?あまりにも無責任でしょう」 
 
 「悪いな、それでもここは俺の我侭を通させてもらう」

 話している間も徹の手は澱みなく動いており、蘇生の準備は着々と整っていく。最後に、カクエンが抉り出した心臓を幼子の肉体に再び収め、全ての準備は終わった。
 
 「はあ、意思は難いということですか……。では、ご随意になされるといいでしょう。ただ、お忘れなきよう。主様はこれから一人の女の生を自分勝手に歪めるのだという事を。そして、女は執念深いという事を」

 仲魔としては諦観の表情で認めながらも、一人の女としてはしっかり釘をさすことを忘れないあたり流石は中華最古の傾国の女であった。

 「……心しておく。では、蘇生を開始する。悠華、ないとは思うが再度の襲撃の警戒と護衛を頼む。俺は蘇生に集中する。仙術で補助して、少しでも蘇生の確率を上げたいからな」

 「承知しました」

 複雑な表情で深く頷いたチェフェイだったが、再び顔を上げたときにはすでに迷いはなかった。なぜなら、彼女は徹と唯一直接契約している仲魔であり、その繋がりから主の心情を誰よりもよく理解していたのだから……。




 「娘とは会わせられないとは、どういうことだ糞爺?!」

 卜部は雷鋼に激昂して食って掛かっていた。それというのも、全速力で娘の安否を確かめる為に雷鋼の隠れ家に向かい、雷鋼から娘の生存こそ確認できたが、直接会うことを拒絶されたからにほかならない。

 「言わぬとわからぬのか?」

 「分からないから聞いてるんだよ、糞爺!自分の娘になんで会っちゃいけねえんだよ?!」

 聞く耳を持たない卜部の様子に雷鋼はウンザリとした表情で、深々と溜息をついた。

 「やれやれ、この期に及んでなんの理解もしとらんとはな」

 「……何が言いたい?」
 
 「お前の娘はすでに覚醒しておる。ゆえに最早裏とは無関係には生きられんじゃろう。だから、全てを捨て諦め、残りの人生をこの娘の為に生きると誓え。さすれば表側で生きるための、最低限の援助はしてやる。新しい戸籍と名前も用意するし、生活資金もある程度は融通してやろう。
 だが、お前がまだ此方側にいるつもりなら話は別じゃ。近いうちに死ぬと分かっている男に今更会わせて何になる?あの娘ことを思うなら、両親は事故で無くなったということにした方がいいじゃろう。お前と会って、下手な希望を抱かせるよりは余程な」

 「それはそうかもしれねえ。でも、俺は……!」

 雷鋼の言葉はどこまでも容赦がなく正論であった。確かに本当に娘のことを思うならば、今すぐ裏世界から足を洗い、残りの人生を娘のために使うべきだろう。覚醒しているとのことだが、娘一人を守り切るだけなら、現状の卜部でも十分に可能であろうから。亡き妻の忘れ形見でもあり、それが亡き妻の意にもそうと理解しながらも、それでも尚卜部は頷けなかった。
 最早、消すことのできない憎悪の炎が卜部の中には宿っていたからだ。ファントムへの復讐を、妻を殺した代償を連中に払わせなければ気がすまなかった。

 「この大馬鹿者めが!娘より目先の復讐をとるというのか?!お前は只の自己満足を、己の感情を充足させることを優先させるというのか!」

 「うるせえ、この糞爺!あんたに何が分かる?!妻も子もいないあんたに俺の気持ちが分かるものか?!さあ、そこをどけ!あの子の顔を一目見たら、俺は出ていく!それであんたらとは縁切りだ!」

 「あの娘は儂らに丸投げか?!そんな都合のいい話通ると思うてか?」

 「うるさい、そこをどけ!」

 卜部は多少強引にでも先へ進もうとする。雷鋼はああ言ったが、その実雷鋼は自分の娘を見捨てないだろうという確信が卜部にはあったからだ。最早、止まれないし止まるつもりもない。ただ、最後の未練を断ち切るためにも、一目娘の顔を見ておきたかったのだ。

 「そこまでです!」

 突如割って入った声と共に、強烈な衝撃を感じて卜部は吹き飛ばされた。

 「ウラベ様ご無事ですか?」

 「くっ、何が?!」

 自分の身を案じて慌てて近寄ってきたリャナンシーを払いのけ、卜部は原因を見やった。
 そこには見覚えのある黒髪の少年が立っていた。実際に会うのは久しぶりだが、少年の傍に侍る女性悪魔を卜部はよく覚えていたし、その独特の雰囲気を忘れることはなかった。間違いなく卜部が妻子の救助を依頼した相手である。

 「なんのつもりだ?」

 「いえ、聞き分けの無い愚か者がいたので、横面をはたいて目を覚まさせてあげようと思っただけですよ。正気に戻すには全然足りなかったようですが……」

 徹は心底うんざりした表情でそう言ったが、傍に侍っていた悠華の物言いはもっと辛辣で卜部を蔑むものであった。

 「だから言ったじゃないですか主様。この男は女を不幸にしかできない半端者です。主様がどんな思いでどれだけのリスクを負って、あの娘を助けたとかどうでもいんですよ。ただ、悲劇の主人公を気取っているだけの自己陶酔が酷いだけの人間です」

 「お前らに何が分かる!」

 「そもそも分かりたくありませんし、どうでもいいです。ですが、死にたいなら、最初から救出依頼なんか出さないでくれませんかね。あまりにも無責任じゃありませんか?」

 卜部の叫びに悠華は微塵も揺らがない。それどころか、卜部の急所を的確に抉って返した。

 「くっ!」

 正論であり事実だけに、卜部には何も言い返すことはできない。

 「卜部さん、考え直しませんか?復讐は何も生まないとはいいいませんけど、それは娘さんの人生よりも優先することですか?」

 「……ああ、お前らの言うとおりだろうよ。それが正しいだろうよ!だが、俺はなっとくできねえ!妻が死んで、なんでのうのうと俺は生き恥を晒さなきゃならねえんだよ!せめて一矢でもファントムに報いなきゃ、死んでも死にきれねえんだよ!」

 正論が常に正しい訳ではない。今のように感情の関わることでは特に。時に合理性や道理っといったものを何もかも吹き飛ばして、感情を優先させるのが人間という生き物なのだ。卜部は誰に何を言われようと、意思をかえるつもりはなかった。

 「はあ、何を言っても無駄のようですね。では、力ずくで教えて差し上げましょう。己の無力さを」

 徹は大きく溜息をつくと愛刀を抜き放った。

 「舐めるなよ小僧!お前如き…に…」

 卜部が応戦しようと銃を抜こうとした瞬間には、首筋に刃が当てられていた。卜部には全く知覚出来なかった。熟練の悪魔召喚師である卜部がだ。

 「私如きに?この有り様でよく言えるものですね」

 「ウ、ウラベ様?!」

 主である卜部の絶体絶命の状況に、リャナンシーも驚愕の叫びをあげるがどうすることもできない。徹が卜部の首を落とすほうが、リャナンシーが動くより早いと理解してしまったからだ。

 「小僧、お前どれだけ……」

 「さて、貴方如きには想像できない程度にはですかね。
 そんなことより、少しは己の無謀さが理解できましたか?」

 卜部が驚愕の声で問うが、徹には全く誇ったようなところがない。それどころか、当然の結果と言わんばかりであった。

 「あなたの素の実力は私程度に負けるものでしか無いんですよ。その程度の実力で、ファントムに一矢報いるなどできると思っているんですか?」

 「うるさい!それでも俺は!」

 最早徹には、卜部が聞き分けの無い子供のように駄々をこねているようにしか見えなかった。

 「そうですか……。それならば、いっそその生命ここで断って差し上げましょう!」

 ここまで言って尚も聞き分けの無い卜部に、いい加減徹も頭にきていたのだ。刀を握る手に力が……。

 「そこまでじゃ!徹よ、それ以上はやめよ。お前がここで手を汚す必要などない。その価値は此奴にはない。後は儂に任せてお前は下がっておれ。報酬は儂が相応のものを見繕ってやる」

 「そうですよ、主様。こんな恩知らずは放っておきましょう。どこで野垂れ死のうが私達の知ったことではありません。これ以上、情けをかけてやる必要はありませんよ」

 「師匠、悠華……。わかりました、後はお任せします」

 雷鋼の静止とと悠華の言に気を抜かれた徹は愛刀を鞘に収めると、卜部に背を向けて歩き出す。最早卜部には微塵興味もないと言わんばかりであった。そのまま振り向きもせず、徹は夜の闇へと消えた。それを追う悠華は主と同じように消えるかと思いきや、直前に振り返り凄惨な笑顔で卜部に宣告した。

 「忘恩の徒よ、己しか見えておらぬ愚か者よ。そんなに死にたければ勝手に死ぬがいい。ただ、もしこれ以上主様を煩わせてみよ。その時はその素っ首、妾が叩き落としてくれようぞ。努々忘れるな!」



 徹はこの後卜部がどうなったのかは知らない。雷鋼は語らなかったし、徹もあえて聞こうとはしなかったからだ。ただ、この一年後卜部がアルゴンNSに忍び込み、何らかの工作の後死んだことだけは聞いている。そして、彼には血の繋がらぬ妹ができたのだった。
  
 

 
後書き
悠華さんの妾口調はキレてる証拠です。悠華さんは卜部を八つ裂きにしてやりたいと思っています。 
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