耳なし芳一異伝
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4部分:第四章
第四章
「それでもじゃ」
「このままでは私は」
「取り殺される」
和尚の言葉はさらに険しい深刻なものになった。
「わかったな」
「ではどうすれば」
「方法はある」
それはあるというのだ。
「今からそれをしよう」
「ではそれ一体」
「お師匠様」
ここで小僧が来た。その手に筆と硯を持っている。それを持って部屋に入って来たのだった。
「おお、来たか」
「これでいいですね」
「そうじゃ、それじゃ」
その筆を硯を見ての言葉だった。
次に芳一に顔を向けて。言うのだった。
「それでは今からじゃ」
「どうされるのですか?」
「服を脱ぐのじゃ」
こう芳一に告げたのだった。
「よいな」
「服をですか」
「左様、いいな」
「わかりました」
信頼する和尚の言葉である。それに頷いたうえで服を脱ぐ。すると和尚はその彼の身体に筆と硯で文字を書いていくのであった。
小僧はその文字を見てすぐにわかった。それは。
「お経ですか」
「般若心経じゃ」
それであった。それを芳一の身体に書いていったのだ。
身体の全てに書いていく。耳にもだ。あらゆる場所に書き書かない場所はなかった。
「これでよしじゃ」
「これで、ですか」
「そうじゃ。これでいい」
和尚はその全身にお経を書かれた芳一の身体を見て満足した顔で頷いた。
「これでじゃ」
「そうですか。これで」
その顔で芳一に答える。そうしてだった。
服を着た彼にもう一度告げたのだった。
「よいか」
「はい」
「今日一日何を言われても誘いについて行かぬことじゃ」
まさに咎めて行かせない言葉だった。
「わかったな。決してじゃ」
「決してですか」
「行けば死ぬ」
彼は言った。
「だからじゃ。わかったな」
「わかりました。それでは」
「平家の怨霊は尋常なものではない」
和尚はその声に恐れるものを含ませていた。
「その怨念は凄まじいものじゃ」
「その怨念ですが」
だがここでふとこんなことを言ってきた芳一だった。
「お師匠様、宜しいでしょうか」
「何じゃ?」
「私は目が見えません」
まずはこのことを前置きしてきた。
「それは御存知ですね」
「うむ、それはな」
「それで声で人を確かめます」
「それで何がわかるのじゃ?」
「心がわかります。その平家の怨霊達ですが」
彼等についての話だった。
「あの方々に怨念は感じられません」
「まさか」
「いえ、確かに感じられません」
また言う彼だった。
「それは全くです」
「そんな筈がない」
それを否定しようとする和尚だった。彼にしてみれば芳一を呼んでいるのはその怨念故なのだ。死して尚残る妄執からなのだ。
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