耳なし芳一異伝
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1部分:第一章
第一章
耳なし芳一異伝
芳一は目が見えない琵琶法師である。その彼の琵琶は人の心を打つものだった。
琵琶だけでなくその語りもだった。とりわけ平家物語の語りは素晴らしいものであり誰もがそれを聞いて深く心に感じるのだった。
その彼の名声は彼がいる長門だけでなく国全体に知られるようになっていた。その彼の師であり実質に親であるとも言っていい和尚は彼を誇りにさえ思っていた。
「目が見えずともだ」
いつもその盲目の彼に対して優しく言うのだった。
「そなたにはその声と琵琶がある。恥じることはない」
芳一はいつも静かにその言葉を受けた。謙虚で大人しい彼はただ琵琶が弾ければそれでよかった。彼は無欲でもありその人柄でも知られるようになっていた。
それで彼はひっきりなしに呼ばれた。今日はあの屋敷、明日はあの屋敷にといった具合にだ。そしてある日のことであった。一人で寺の軒先で琵琶を鳴らしていた彼のところにある者がやって来た。
「よいか」
「何か」
目は見えないが耳はその分よく聞こえる。それで声がした方に応えたのであった。
「どなたでしょうか」
「拙者はある家中の者だ」
その家がどの家かまでは語らなかった。時折鎧が鳴る音がする。
「そなたが芳一殿だったな」
「そうですが」
その主の言葉に応えるのだった。
「それが何か」
「今夜来てもらいたい場所がある」
声は言ってきた。
「今夜だ。いいか」
「今夜ですか」
「場所は案内する」
場所についても言わないのだった。
「その時にだ」
「左様ですか」
「ではその時にだ」
また言う声だった。
「来てもらう。いいな」
「はい、わかりました」
二つ返事で頷く彼だった。
「それでは今夜」
「頼んだぞ」
「はい」
こうして彼はその夜ある場所で語りをすることになった。その夜彼はその声の主に案内されてある場所に来た。すると周りから多くの人の気配を感じ取ったのだった。
「それではだ」
また声の主が彼に声をかけてきた。
「ここで語ってもらいたい」
「題目は」
「平家物語だ」
それだというのだ。
「その壇ノ浦の場面を語ってもらいたい」
「左様ですか」
「それでいいか」
また言う彼だった。
「その曲をだ」
「はい、それでは」
早速その壇ノ浦の場を語りはじめる彼だった。その語りは真摯であり鬼気迫るものがあった。そしてそれを聞く周りの様子も変わってきた。
しんみりとなり物悲しいものになった。そうして平家が滅ぶという時になって遂にしくしくと泣く声が聞こえてきたのであった。
その声の中で芳一は語り続ける。それが終わった時場はえも言われぬ深い悲しみの中にあった。
「かたじけない」
終わると彼が言ってきた。
「今日はよく語ってくれた」
「はい」
「ではまた明日だ」
明日もだというのだ」
「報酬はそなたの寺に着いたらその前に置いておく」
「わかりました」
「では。寺まで送ろう」
こうして語りを終えたのだった。そして次の日もまた次の日もそうやって語りを続ける。それは毎夜毎夜続き報酬はその都度かなりのものだった。それを見て寺の和尚は怪訝な顔になった。
「芳一の客のことだが」
「毎夜呼ぶその人のことですね」
「誰なのじゃ?」
そのことを寺の小僧の一人に対して問うのだった。
「それは一体」
「さて」
ところがであった。ここでの小僧の返答は要領を得ないものだった。首を傾げさえさせている。
「誰なのでしょうか」
「わからんというのか」
「芳一さんに聞いてもです」
「芳一も知らないというのか」
「ええ、そうなんですよ」
そうしてまたしても要領を得ない返事を出すのだった。
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