まさかのご落胤
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第四章
「今もまだ信じられぬ」
「大御所にですな」
「あの方にまさか」
「そうじゃ、隠し子がおったとはな」
つまり家光にとって腹違いの弟が、というのだ。
「それはないと思っておったが」
「はい、それがしもです」
「それがしもまた」
誰もがこう言うのだった。
「ご存知だったのは大御所に昔からお仕えしていた方々だけ」
「そうでありましたな」
「余も知らなかったからのう」
嫡子であり将軍の座を受け継いだ家光ですらだったのだ、秀忠に正之という隠し子がいたことを知らなかったのだ。
それでだ、今もこう言うのだ。
「昔からこうした話はある」
「はい、ご落胤というものは」
「昔からありますな」
「天海和上とそうだというな」
家光に仕えている天海という僧侶のことだ、この人物は齢百歳を超えており周りから人ならざる者とさえ思われている。
「帝のご落胤とな」
「あの方にもですな」
「そうした話がありますな」
「だからこうした話はあるものじゃが」
「しかし大御所に限って」
「あの方にはと思っていましたが」
「そうでもないな、しかし一度だけでな」
その静を抱いたことはだ。
「それ以降はなく母上との約束を守ってな」
「はい、そうしてでしたな」
「そのうえで」
秀忠は静を抱いたことが正妻であり家光の母でもある江の方に露見した時にだ、その子即ち正之とは会わないことを約束させられたのだ。
「お江様が生きておられる間は」
「会われませんでしたな」
「その律儀さは父上じゃな」
秀忠らしいというのだ。
「そういうことがあっても律儀なのがな」
「ですな、大御所ですな」
「まさに」
「そうじゃ、そして幸松じゃが」
今度はその弟のことを話す家光だった。
「素直で聡明、学もある」
「はい、立派な方です」
「あの方は」
「常に世の傍に置きその言葉を聞きたい」
「そして天下の政のですな」
「助けとなってもらいますか」
「そうしようぞ」
正之を己の側近にすることも決めたのだった、家光にとっては思わぬ事態だったがまたとない身内の側近を迎えられることになった僥倖であった。
この保科正之が後に会津藩の藩主となり松平姓を賜ることになる。そしてその子孫が幕末において名を残すことになることは歴史にある通りだ。全ては徳川秀忠の誰も思いも寄らなかった浮気にあることは歴史にある通りだ。律儀者の不義が思わぬ歴史の一幕を生んだと言うべきであろうか。
まさかのご落胤 完
2014・10・16
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