まさかのご落胤
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第一章
まさかのご落胤
徳川秀忠は非常に珍しい男であった。
どう珍しいかというとだ、父である徳川家康が秀忠自身に対して驚いてこう言ったことである。
「何と、御主妻はか」
「はい、江だけでございます」
秀忠は家康に冷静に答えた。
「それが何か」
「側室はおらぬのか」
「はい」
その通りだとだ、秀忠はここでも冷静に答えた。
「幸い江は子を産めますし」
「いや、おなごは周りにはべらしてこそではないか」
女好きでもある家康ならではの言葉だった。
「そうではないのか」
「それがし衆道もしていますし」
男色、これもというのだ。
「ですから」
「色には餓えておらぬか」
「はい、おなごは江だけで充分です」
またこう言うのだった。
「そう思っています」
「そう言うか」
「はい、ですから」
「ではわしがおなごを紹介しようと思っておったが」
「お気持ちだけ受け取らせて頂きます」
「そうか、ならよい」
家康も無理強いしなかった、こうしたことは例えそうしても意味がないことがわかっていたからこそである。
「奥方を大事にせよ」
「さすれば」
「まあ子もおるしな」
それならとも言う家康だった。
「あとはその子達を育てよ」
「そうさせて頂きます」
こうした話をしてだった、秀忠は妻は江だけであった。このことは天下の殆どの者がそう思っていたし跡継ぎである家光もだった。
彼は常々臣の者達にこう言っていた。
「父上はまことに律儀じゃな」
「はい、何事についても」
「左様ですな」
「あれだけ律儀な方はおられぬ」
尊敬の念を込めて言うのだった。
「とてもな」
「天下一の律儀様」
「そう言われてもいる様です」
「しかも奥方もです」
「江様だけで」
「そのこともじゃ、大名にもなると側室がおる」
このことは普通だった、まさに大名にもなるとだ。
「そして将軍ともなればな」
「はい、それこそです」
「幾ら側室がいても構いませぬが」
「異朝の皇帝なぞそれこそ百人以上いるとか」
「そこまではいかずとも」
「側室はいるのが普通じゃ」
それは至って、というのだ。
「まあ余はおなごよりもな」
「ですな」
「上様は」
家光もまた衆道を愛している、むしろこちらの方が好きな位だ。だから家光も周りの者もそこは笑って言うのだった。
「そちらですな」
「左様ですな」
「しかし余も側室はおる」
「しかし大御所は」
「そこが」
「そうじゃ、母上だけであった」
秀忠は、というのだ。
「母上にだけだったのか」
「それは滅多にないことです」
「側室を持てても持たない」
「そうすることがですな」
「ありませんな」
「余はあそこまでなれぬ」
秀忠程はというのだ。
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