狐の悪戯
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1部分:第一章
第一章
狐の悪戯
室町時代中頃の話だ。近江に安井四郎左衛門という武士がいた。六角氏に仕えており立派な屋敷を構えていた。ところがその隣にあった空き家に狐が棲みはじめた。しかも親子連れであった。
「これは面白いことじゃ」
中々ばさらな趣のある安井はこのことを軽く笑っていた。その濃い髭をほころばせて狐達を見ていた。しかし彼の女房である良子は生来生真面目な性質で狐達を放っておけなかった。それで亭主に対して言うのであった。
「狐を退治してしまいなさい」
屋敷の夫婦の部屋でこのことを亭主に言う。真顔でえらく真剣な面持ちだ。
「人を化かしたり悪さばかりするというのに」
「それはそれで面白いではないか」
しかし安井は女房の言葉に笑ってこう返すのだった。
「化かしてくるならそれを見破るまで。悪戯と同じよ」
「その悪戯がいけないんですよ」
しかし女房はこう言って聞こうとしない。
「狐はね。どうしても」
「ではどうするつもりだ」
「退治できないまでも懲らしめてやります」
はっきりと言うのだった。
「私一人でも」
「別にそこまでしなくてもいいではないか」
安井は相変わらずつれない。
「狐や狸なぞ。どうとでも」
「ではあなたはそこで見ているだけにしておいて下さい」
強い言葉で述べてきた。
「私一人でも」
「随分と本気なのじゃな」
「私は何時でも本気です」
やはり生真面目に言葉を返してきた。
「あなたが不真面目過ぎるだけです」
「まあ好きにしろ」
安井も女房がそこまで言うのならと止めはしなかった。
「ただし。化かされぬようにな」
「私に限ってその様なことはありません」
今度は気負った言葉だった。
「私に限って」
こう言い切って狐にあたることにしたのだった。しかしそれを庭から聞いている者達がいた。誰であろうそれは。その隣の空き家に棲みついている狐達のうちの子狐達であった。彼等は今の良子の話を聞いたうえで顔を見合わせて言い合うのであった。
「聞いたな」
「うん、聞いた」
一匹がもう一匹の言葉に頷いて答える。
「僕達を懲らしめるだって」
「まだ何もしていないのにね」
今からするつもりだった。しかしまだなのは確かである。
「腹が立たない?」
「立つよ」
見れば子狐達は少しむくれていた。皆そうであった。
「じゃあやっぱりここは化かしてやろうよ」
「人魂にでも化ける?」
「いや、ちょっと待てよ」
しかしここで子狐の中の一匹が兄弟達に言うのだった。
「あのおばさん気が強いよ。それに手強そうだし」
「じゃあどうするの?」
「逃げるのはなしだよ」
「お父さんとお母さんに言ってみよう」
親に言うことにしたのだった。
「お父さん達ならあのおばさんでもきっとぎゃふんと言わせられるよ」
「それもそうだね」
「それじゃあ」
こうして子狐達は一旦両親のところに戻った。両親は屋敷の広間にいた。そこに子狐達が戻るとすぐに良子の話を両親にするのだった。するとまず父狐が言った。親達は子供達の話を二匹並んで座って聞いていた。
「あの奥方か」
まずは良子のことを頭の中に思い出した。
「やはりな」
「まあ言うでしょうね」
母狐はそれを聞いても平然としていた。当然のことだとさえ思っていたのだった。
「あの人だと」
「それでもお母さん」
「このままでいいの?」
子供達は平然としている母に対して問うた。
「このままだと僕達何かされるよ」
「まだ何もしていないのに」
「何もしていないうちにされるのは狐の名折れ」
父狐が言う。
「当然やられる前にしておく」
「そうよね。まずはやらないと」
母狐も夫の言葉に答える。
「何とかね」
「その何とかをどうするの?」
「お父さんがするの?お母さんがするの?」
「そうだな。あの奥方はわしも好かん」
父狐が言ってきた。
「何とかしてやりたいな」
「私もよ」
母狐もそれは同じだった。嫌わば嫌われる。そういうことだった。
「何かしようとしているのなら」
「先に仕掛けなければならないな」
「じゃあ二匹でやるんだね」
「お父さんとお母さんで」
子供達は両親の話を聞いてこう答えた。
「それだと」
「そうだな」
父狐は子供達のその言葉に頷いた。上に浮かび上がらせている青白い狐火がその顔を照らしている。それに照らされる父の顔は子供達にとって威厳に満ちたものだった。母のそれも。子供達はその顔を見て実に頼もしいものを感じていたのである。
「二匹で行くか」
「ええ、わかったわ」
母狐は父狐の言葉に頷いた。
「とっておきの悪戯をあの奥方にね」
「うむ、そうしよう」
父狐もまた応えて頷く。
「それではな」
「何か面白いことになりそうだね」
「お父さんとお母さんが一緒に出て」
「しかも気合充分だし」
子供達はかなり期待していた。これから起こることに対して。二匹は程なくして良子に対して仕掛けることにした。ある晩のことだった。
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