橋の鬼
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2部分:第二章
第二章
「あの方がですか」
「左様、あの御仁が安倍殿じゃ」
そう家の者に述べた。
「都で一番の陰陽師」
「はい」
このことは天下に広く知られていた。彼もそのことは知っていた。
「一体どの様な術を使われるのか」
「それは後でわかる。それより」
「それより?」
「あの橋におる鬼が一体何なのか」
道長の関心はそこに移っていた。もう事件の解決から鬼女のことに考えを向けていた。あの鬼が何なのか、それを考えていたのであった。
清明が次に姿を現わしたのは宇治橋の前であった。橋自体は何の変哲もないただの木の橋だった。だがその上にいる者はただの存在ではなかった。
「誰じゃ?」
そこにいたのこそ鬼だった。朱色に染まった顔に頭には三つ足の付いた鉄輪がありそこに蝋燭を三本立てて火を点けている。髪はざんばらであり裸足に白い端々が破れた服を着ている。爪も禍々しく伸びている。見るからに恐ろしい鬼女の姿をしていた。
「わらわの前に姿を現わしたのは」
「汝が今氏橋を占拠している鬼か」
清明は鬼の言葉に応えず逆に問い返した。
「どうなのだ。答えよ」
「答えるも何もわらわは祈願したのだ」
「祈願か」
「左様、貴船神社にな」
都の北にある神社である。
「そのうえで三十七日の間宇治の川で水ごりをしてこの姿になったのじゃ。今この姿にな」
「鬼となったのだな」
「鬼と呼ぶのなら呼ぶといい」
その眉間まで吊り上がり赤く爛々と輝く目を見せる。口も耳まで裂けまさに鬼の形相になっていた。
「わらわは。そうして」
「そうして?」
「何もかもを殺めるだけ。あの者に限らず」
「あの者、か」
清明はその『あの者』という言葉を聞いて何かを察した。それはその切れ長の整った目に微かに漂わせたが今はそれで留めた。
「だからこそわらわは。ここに永遠に留まり」
「世に災いを為すというのだな」
「誰も彼も。許しておけぬ」
最早憎しみで何もかもを失くしている顔であった。
「うぬも。ここに来たのならば」
「生憎だがそうはいかぬ」
清明はその憎しみに我を忘れている鬼女に対して言うのだった。その言葉はあくまで冷徹であり感情すら見せていない。そのうえでまた鬼に告げる。
「私もまたここには訳あって来たのだからな」
「訳だと」
「そうだ。汝を清める」
そう言うとその手に刀を出してきた。
「この降魔刀でな。さあ来るのだ」
「刀だろうが弓だろうがわらわは倒せぬ」
しかし鬼女はそれを見ても何も恐れる素振りはなかった。
「そんなもので。わらわを倒せると思うておるのか」
「倒せるか倒せないかは己で確かめてみよ」
言いながら右手持ちから両手持ちにする。そのうえで左上にじっくりと構える。
「汝自身でな」
「戯言を。では死ぬがいい」
その禍々しい顔に残忍な笑みを見せたうえでの言葉であった。
「このわらわの手でな」
「では来るのだ」
あえて鬼女を挑発してまた言ってみせた。
「私を殺すというのなら」
「引き裂いてくれるわ」
音もなく清明に迫って来た。爪を彼に向けながら影の様に速く。
「この爪でな」
「ふむ。確かに速い」
清明はその鬼女の動きを見て述べた。構えはそのままだ。
「この速さではそうそうはかわせぬな」
「そうだ。だから死ぬのだ」
また鬼が言ってきた。距離はさらに狭まっていた。
「わらわのこの爪で」
その言葉と共に腕を大きく振り下ろし切り裂かんとする。その爪が清明を捉えた。
かに見えた。しかしそこには清明はいなかった。
「むっ!?」
「言った筈。私は陰陽師だと」
空を切り裂いて思わず目を瞠る鬼に後ろから清明の声がかけられた。
「鬼を退治する者。鬼に倒される者ではないのだ」
「くっ、何処に」
「答える必要はない」
そう述べると。鬼の後ろで銀色の光が一閃した。
「ぬっ!?」
「この降魔刀を受けて滅びぬ妖かしの存在はない」
後ろに清明が姿を現わした。その手にはその降魔刀がある。それで鬼を斬ったのだ。
「滅びよ。そして」
さらに鬼に対して告げる。
「その罪。清められて眠るのだ」
「汝は一体何を・・・・・・」
「もう。何も言う必要はない」
これまでとは変わって穏やかな声になっていた。鬼も清明も。
「全てはわかった。だからな」
「そう」
鬼の声はさらに柔らかいものになった。優しい女の声そのままになっていた。
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