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真夏のアルプス

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第1話 ピッチャーズ・ハイ

ズバン!

その試合、俺の腕は千切れんばかりに強く振られた。球速は自己ベストが出ていたと思う。軟式ボールとはいえ、唸りを上げるストレートは、捕手のミットを鋭く叩き、相手打者をきりきり舞いさせていた。

どうだ!

そう言わんばかりに振り上げられる俺のガッツポーズは、背後を守る味方ではなく、そしてまた、自分が牛耳っている相手でもなく。

相手の応援席にチョコンと座った、ショートカットの美少女にだけ向けられていた。

「……(プイッ」
「あ、ちょっ!そっぽ向くな!」

男なんて、単純なものなのさ。



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カントー地方、山吹州山吹市の郊外に、私立日新学院はある。中高一貫のマンモス校で、学科、コースは10近くあり、さまざまな生徒が集まるだけにイメージは定まりにくいものの、一つ言えるのはそのだだっ広い校地と校舎、それなりに高い学費から、金持ち学校と地元では思われているという事だ。

その広い校地には、春は桜が咲き乱れる。春の陽射しに美しく輝く桜の中を進む回廊は、学校の中というより、まるで公園か何かである。実際、春休みには、許可さえとれば一般人でもここに桜を見に来る事もできる。


「相変わらず、だだっ広いなぁ。下手したら大学よりでけえんじゃねえの?」


その桜の回廊を歩きながら、津田修斗は呟いた。


「無駄に広い分、歩くのは疲れるけどね」


その呟きを聞いて、津田未来はため息をついた。



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「ちわ!」
「ちわっ!」


校地の外れにある野球場。入り口に立って一礼した2人に、グランド整備や、ストレッチなどを行っていた練習着姿の男子がわらわらと集まってくる。修斗はその面々を興味津々に眺め、未来は、集まってきた部員達の好奇の目線にややうんざりしていた。


「おう未来、これがお前の弟か?」
「はい。修斗と言います。ほれ、挨拶しな!」


未来に促され、修斗は頭を下げた。声をかけてきた部員の体は大きく、二の腕も胸板も太ももも逞しかった。日に焼けた顔は、高校生とは思えないほど老けて
大人びている。


「キャプテンの内田だ。話は聞いてるよ。中等部の州大会連覇を潰した豪腕ピッチャー、津田修斗ってな」
「いやいやいや、それほどでも…………」
「何お世辞聞いてニヤけてんのよ、バカ」


内田におだてられ、顔をほころばせる修斗を、未来が肘で小突く。結構強めに入ったらしく、修斗は一瞬で顔を歪めた。この姉は、中々に手が早い。166センチの長身で、キリッとした目つきと、アップでくくられた長髪、美人の部類に入るが、こうやってすぐ手を挙げられている修斗としては、自分の姉をイイという輩の気持ちは分からなかった。


「こらこら、姉弟喧嘩はよそでやれ。未来、まずは部室に連れてってやれ。練習着に着替えて、今日はエスカレーター組と一緒に基礎練からな」
「は、はい」


内田に窘められた未来は少し顔を赤くして、踵を返し、修斗を引っ張った。修斗は未来のその手に引きずられながら、きょとんとした顔で尋ねる。


「なぁ姉ちゃん」
「何よ」
「キャプテンと姉ちゃん付き合ってんの?未来って……」
「バカ!あの人は誰にでも名前呼びなのよ!」


修斗はまた殴られる。顔を歪めながら、修斗は「別に殴らなくても良いだろうがよ」と、呆れ声を出した。



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「ここがあんたら1年の部室よ」
「1年にも部室なんて与えられるんだな」
「金が余ってんのよ、ここ。多分全員分のロッカーもあるわ」


日新学院のクラブハウスは、もはや校舎の棟一つ分の大きさがあり、各クラブの部室がひしめいている。その中には、アイドル研究会など、これ本当に認められてるのか?と思われるものまで。野球部には部屋3つが与えられている。部屋一つにロッカーは25個ある。破格だ。

未来が勢いよくドアを開ける。中には、修斗と同じく坊主頭の少年達が集まっている。パッと修斗の方を向いたその少年達の表情は、和やかな談笑ムードから一転、キッっと鋭くなった。


「お前……」
「やっと来たか」
「上一色中の津田…」


その少年達の顔には、津田は見覚えがある。そして、表情が変わった理由にも察しがついていた。


(3番ショートの岩崎、4番キャッチャーの佐田、打順は忘れたけどサードの脇本、エースの早川……こいつら、日新の中等部の連中だよな。俺が市大会の準々決勝で完封した……)


前年度の全中予選、山吹市大会の準々決勝。山吹市の州大会進出枠は4。前年度州大会優勝の日新学院中等部が、平凡な区立中学に完封負けを喫し州大会進出すら逃した。少し騒ぎになった出来事であるが、その区立中学のエースが修斗だったのである。その修斗はこの春から日新学院の高等部。内部進学してきた中等部の面々とチームメイトになった、と言う事である。


「同級生に挨拶しときな、また後で迎えに来るから」


弟を一人残して、未来は一年部室から出て行った。修斗はしれっとした態度で、適当にそこらのロッカーを開き、肩にかけたバッグをぶちこんだ。周囲の視線が自分に向いてるのは十分すぎるほど分かっているが、修斗は野郎の視線を喜ぶような男ではない。


「……おい」


特に周りの皆に何を言うでもなく着替え始める修斗に、隣のロッカーを使っている少年が痺れを切らしたように声をかけた。ニキビ面で、ハの字眉毛の、どこか困ったような顔をしている少年だ。修斗は記憶を探った。脇本、脇本真之とかいったか。日新中等部軟式野球部の主将だ。


「……」


脇本はハの字眉毛を精一杯引き締めて、自分より背の高い修斗に無言で詰め寄った。修斗は見下ろしながら、少し身構える。睨み合う時間が数秒続いた後、脇本が修斗の両肩を掴んだ。


「……何でお前、州大会じゃ一回戦負けだったんだよ〜!!」
「?」


突然半泣きの顔になった脇本に、修斗は面食らった。


「普通市大会で勝ったら、州大会でも勝つだろぉ〜!?平気で州大会じゃクソ田舎の群代表になんか負けやがってぇ〜!俺ら、先輩らに死ぬほどバカにされたんだぞぉ!お前らは市外のチームに負けるような連中に三振12個取られて完封されたんだって!どうしてくれるんだよぉ〜」
「え?あ、あー…そりゃ悪かったな」


修斗はきょとんとして頭をかいた。日新中等部に勝った修斗の上一色中学は州大会出場を決めた。山吹州大会は山吹市内代表4つと、市外の田舎の地区代表4つの計8校で行われ、大都会山吹市の代表は例年圧倒的な強さを誇る。が、日新中等部に勝った翌日の市大会準決勝で0-6の惨敗を喫した上一色中は、州大会でも市外の代表相手に0-5であっさりと敗退。日新に勝ったが為の燃え尽き症候群だの、そもそも日新戦がフロックだっただの、修斗達も色々からかわれたが、州大会にすら出られなかった日新の方は、上一色中のその後の敗退ぶりによって更に評価を下げられてしまったらしい。お気の毒に。修斗は至極他人事のような感想を抱いた。


「おい、一年集合かかったぞ〜!早くグランドに来な!」


未来が一年の部室に戻ってくる。修斗は慌てて、残りのユニフォームを着込む。脇本の恨めしそうな視線はまだ修斗から離されなかったが、そんな事はどうでも良かった。

過去は過去。州大会出場も、敗退も、そんなのはもう関係のない話。自分がこれからやるのは、高校野球なのだから。




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一年生達は、まだ入学前の春休みという事もあって、簡単な体幹トレーニングや走り込みなど、基礎的な練習をこなしていた。マネージャーの未来が一年生の練習を監督しているのは、ただ下級生のマネージャーが一年のお守りを押し付けられたというより、未来が選手に対してもズバズバモノを言う気の強い女で、つまりは適任だから任されているらしかった。少しでも姿勢の乱れや手抜きがあったら、遠慮なく指摘してくる。修斗相手には、そこに例外なく蹴りが加わって、周囲はあまりにバイオレンスな未来に若干引いた。



「なぁ、津田」
「ん?」


グランドで行われる先輩方の練習を眺めながら、トレーニングの合間の休憩をとっていると、修斗に声をかけてくる奴が居た。スマートで細目の少年、見た目だけでなく、態度もどこかクールなこの少年は、日新学院中等部軟式野球部の4番キャッチャーだった佐田俊雄という。


「……お前、どうしてあの試合だけ、あれほど球が走ってたんだ?次の試合から球が走らなくなったのは、怪我か何かか?」
「え?そんなに違ったか?」
「違ったさ。春の大会で対戦した時は120キロ前後。遅くは無いが、速くもない。変化球がろくすっぽ曲がらない、制球もアバウトという事を考えると、それだけで市内上位を抑えられる程甘くはない。お前は凡Pのはずなんだ」
「お前、マジ言いたい放題言ってくれるな……」


無表情で淡々と、修斗に対する評価を述べる佐田。その表情がピクリと動く。


「凡Pのはずだった……んだが、あの試合に関しては違った。スピードガンでは135キロ出ていた。軟式であれだけ出されると、芯に当たったって中々飛ばない。突然15キロも球速が上がるなんて、一体どんなマジックを使ったんだ?しかもそのマジックは、一試合限りで消え失せたときた。つまり、春から夏にかけて成長した、という訳じゃない。だから、マジックなんだ」
「お前なぁ……」


具体的な数字を聞いたのは、修斗は初めてだった。仲間や保護者から、あの準々決勝が会心のピッチングだったと口々に聞いてはいたが、まさか15キロも球速が上がっていたとは。普通の自分は大したことないと、ズバズバ言われるのは癪だったが、135キロという、一試合限りとはいえ、確実に出た数字には自分でも驚いた。


「……そんなの、分かんねえよ。分かんねえうちに球速くなってた」


修斗はそう答えたが、自分では確かに分かっていた。自分が何故あんな力を出せたか。その他の試合になくて、あの試合にだけあったもの。それは決まっている。

日新学院中等部の応援席。彼女は金色にピカピカ輝くトランペットを握っていた。形良く尖った顎、パッチリとした目、風になびくショートカット。マウンドから距離はあったはずなのに、バカに良く見えていた。

 
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