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Lirica(リリカ)

作者:とよね
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歌劇――あるいは破滅への神話
  ―5―


 5.

 次第に暗くなる廊下をウラルタは走っていた。直角に折れ曲がる廊下の突き当たりには、床から天井まである細長い窓が三枚並んでいた。
 夜が星々を散らしたヴェールを山の端から広げていた。ウラルタは窓を、夜に向かって激しく叩いた。
「出して!」
 自分の叫び声に触発され、怒りが呼び起こされた。ウラルタは窓を殴り、蹴った。
「出せ! 私をここから出せ!」
 叫び声の余韻に、遠い鎖の音が混じる。ウラルタは硬直した。狂女は尚もウラルタを追い続けていた。今来た廊下を振り向くが、姿は見えなかった。ウラルタは身を翻して廊下の先へ急いだ。
 一番奥の扉を開け放つと、開放されたテラスに出た。手中の石のような夜が、ウラルタを迎えた。素足の追跡者の足音が、鎖を引きずる音と共に、後ろから迫ってくる。引き返すことも逃げ続けることも出来ず、ウラルタは外開きの扉の後ろに身を隠した。
 狂女がテラスに出てきた。ウラルタは息を殺し、全身を強ばらせて恐怖に耐えたが、狂女はウラルタを探そうとはせず、引き寄せられるようにテラスの縁に向かっていった。
 もう一人、誰かの足音が、廊下からテラスに出てきた。扉の後ろから様子を窺った。星占符の巫女だ。どのようないきさつで星占と狂女が共にいるのか、わかるべくもなかった。とにかく歌劇は進んでいるらしい。
 狂女は真っ白い手すりから身を乗り出して、夜に両手を広げた。
 星占が言った。
「希望よ、あなたはどこにお隠れになられたのですか?」
 狂女はうめき声を上げながらいっそう手すりから身を乗り出し、暮れゆく空の星々に向けて空しく腕を振り回す。
「あそこなのですか? あそこに月がいるのですか?」
 星占の優しい声も狂女には届かない。ウラルタはそっと扉の後ろから足を踏み出した。
「月よ。全ての闇からわけ出でて、我らに道を……」
 そして、気づかれずテラスを出て、廊下を逆戻りする事に成功した。だが事態は変わっていなかった。もう客席には戻れない。そのようなものはどこにも見当たらない。狂った舞台に閉じこめられたのだ。
 舞台から降りるには、自分の役をこなすしかあるまい。
 役。それは何か。ウラルタの脳裏に、いつか眼前に立ち現れた腐術の魔女の姿がよぎる。その鼻を刺す腐臭と共に。
 思わず両手を見た。まだ腐ってはいなかった。
 一階に降りた。
 回廊を渡った。そこはまだ通っていないからだ。まだ見ぬ場所に、自分の役目が隠されていると信じた。回廊の突き当たりの部屋を開けると、そこは僅かに暖かく、燭台に刺された三本の蝋燭が、灯の影を壁という壁に投げかけていた。床には一着の衣服が広げられていた。誰かが倒れ、肉体が消え、服だけ残ったように思われた。前庭で脚本を書いていた灰色の髪の巫女の装束だった。
 袖口にちぎり取られた紙切れが落ちていた。
 ウラルタはそれを拾い、呼んだ。それから、慌てて、歌劇場で手に入れた紙片と照らしあわせた。
 筆跡も、折り目も、書かれた内容も合致していた。

〈星占『いつか全ての光と闇が和合する場所で、月が落ちてくるのを見よう』
 腐術の魔女『〉

「何?」
 ウラルタは空しく問いかけた。
「私の台詞は何なの?」
 ウラルタはじっと待った。霊感が下るのを待った。天啓が下るのを待った。運命がささやくのを待った。何も起きなかった。
 叫びそうになった。
 すると後ろの衣装戸棚が開いた。
 振り向いたウラルタは、戸棚の中から白い腕が突き出されるのを見た。その手に真っ黒い衣裳がつままれていた。
 衣裳を床に放ち、腕は衣装戸棚に消えた。戸棚が閉まる。
 ウラルタは黒い衣裳に飛びついた。
 覚えのある、腐術の魔女の衣裳だった。


 
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