双葉の身体から噴き出した青白い光。
それは遥かに巨大な人の姿へと変わっていく。
「あ、ありゃ?」
愕然とする一同。
ボサボサの髪、無駄に渋い
顎鬚、そして瞳を覆う漆黒のグラサン。
その姿はまさしく――
「は、長谷川さんんんんんんんん!?」
銀時たちが見上げる先にいるのは、間違いなくマダオこと長谷川泰三だったのだ。
「なんで長谷川さんが?」
驚愕を露にした新八が、いやほぼ全員が口をパカパカ開閉させる。
そんな中で本物の幽霊・レイは冷静に―といっても銀時たちの中で一番落ち着いて見えるだけだが―現状を考察し、一つの答えを出していた。
【まさかあの
娘、生霊まで取り込んだ……?】
強烈な霊力が掌中から噴き出し、目の前に巨人を形成していく。
――なぜこの男が!?
この場から逃れようと手を緩めたい。
だが渦巻く強大な力は、お岩の手を押し固め、双葉を手離すことを許さなかった。
それでももがき続けるお岩に、小さな閣下は静かに告げる。
「女将。貴様は己がどれだけ恵まれているかわかっていない。死んだ者には二度と会えない。それがこの世の摂理だ」
淡々とした口調とは逆に、霊力は地響きを上げてさらに強大なものへ増加していく。
「なのに貴様は亡くなった主人と今でも共にしている。そしてスタンド達をこき使っている」
掌中の閣下もまた揺るぎなきチカラを瞳に宿す。
凍りつくような怒涛の眼光を。
「自分がどれだけ強欲で傲慢な日々を送っていたか――」
凍てつくその瞳はまっすぐにお岩を突き刺し、巨人を従えた閣下の叫びが響く。
「思い知れ!」
閃光と轟音。
長谷川の姿をした強力な霊力の塊がお岩に激突した。
* * *
怨念か根強い想いがない限り、生きた人間が『生霊』としてスタンド化することはない。
だがあの男――長谷川にあったのは負の念だ。
長谷川の人生に何があったのか知らない。しかしよっぽど不運に当たってきたのだろう。
長い間蓄積されてきたマイナスエネルギーは、やがてふとしたはずみで生霊化する程になっていた。
数百の
幽霊の魂に強力な負の念を加える事で、強烈な霊力を生み出した。
つまり、あの時スタンド化した長谷川を放置したのは、まさしく誤算だったのだ。
全て甘く見ていた自分に嘲笑をかけ、トドメの一撃を待つ。
そして。
お岩に待ち受けていたのは――
* * *
【【【女将は一人じゃないよ】】】
初めて
幽霊が見えたのは、母親を病で亡くした時だった。
泣きじゃくる自分を励ますようにスタンドが現れ、いつも傍にいてくれた。
そうしてスタンドといるのが当たり前になった。
やがてスタンドが見えることは、天から与えられた能力だと思うようになった。
仙望郷で亭主と一緒に行き場を失ったスタンド達を極楽へ届ける。
笑顔で成仏していく彼らに自分も満足していた……はずだった。
けれど夫を亡くしたあの時、気づいてしまった。
自分の周りにはスタンドしかいないことに。
スタンドを失えば、本当に独りぼっちなってしまうことに。
そして襲ってくる孤独感に耐えきれず、スタンドたちを束縛してしまった。
癒えない傷だの未練だのと言い訳にしながら。
――神に選ばれた人間?行き場を失った魂を救う?……なんて思い上がりだ。
『お岩。貴様は己がどれだけ恵まれているかわかっていない』
――……ああそうさ。私はずっと
幽霊たちに支えられていた。
――あの子らはこんな私に寂しい思いをさせないため、ずっと傍にいてくれてたんだ。
【【【寂しくないよ。……みんな女将の心の中に……】】】
――ごめんね。ずっと……ずっと前から教えてくれていたのに……。
けれど聞こうとしなかった。
いつしかスタンドたちの声も届かなくなってしまった。
だからスタンドたちの想いに気づけなかった。
銀髪の女が彼らの声を届けてくれるまでは。
【【【【【みんなずっと一緒にいるよ】】】】】
スタンドたちの声が凍えた心を暖める。
それは優しいぬくもり。
ずっとこのぬくもりに守られていた。
だけど……
――ありがとう。もう大丈夫さ。
* * *
凄まじい轟音が炸裂した後は、静寂が仙望郷の庭を包んでいた。
庭には二つの人影。地に倒れる者とそれを見下ろす者。敗者と勝者。
少なくとも銀時たちにはそう映る。彼らは元の姿に戻った双葉に、レイはお岩の元へ駆け寄った。
【女将!】
レイは倒れた身体を起き上がらせる。だが負けたはずなのに、お岩は満足そうな苦笑を浮かべていた。
「レイ、すまなかったね」
【え?】
「私が情けないせいであんた達を縛りつけちまって……」
【なに言ってんのさ。私も、みんなも、女将が好きだからここにいたんだ】
とても優しい言葉。だが同時に胸が苦しくもなる。
苦行を強いてた自分をまだ支えてくれることに申し訳が立たない。
「……ありがとよ」
溢れそうになった涙を必死にこらえ、お岩は心から礼を言った。
「……あんた達も」
お岩は銀時と双葉にも感謝を向けるが、当の本人たちは小競り合いをしていた。
「おい双葉。テッメェ、いいとこ全部持っていきやがって。俺の出番ねーじゃねぇか!」
「出番ならあっただろ」
「どこだよ?」
「『やられ役』」
「ちょっと主人公の面目丸潰れなんですけどォ!」
絶えない皮肉を口にする双葉にツッコミを入れる銀時。一見仲が悪そうな兄妹だ。
しかしレイはそんな二人の光景を微笑ましく思う。双葉は銀時を見捨てたわけではなかったのだから。
坂田兄妹の他愛ない喧嘩が繰り広げられる横で、お岩はずっと自分を支えてくれたスタンド―TAGOSAKUを見上げた。生きてる時も死んでも尚自分を守ってくれた亭主を。
「あんたももういいよ。もう心配ないから……」
死んだ人間には二度と会えない。
それがこの世の摂理……なのにとんでもない
我儘を夫に押しつけていた。
この束縛から夫を解放させる。……お岩はそう決心していた。
【……イヤダ……】
何のためらいなく告げる。
「え?」
思わず聞き返す。だがTAGOSAKUはかまわず告げる。
【言ッタハズダ。オ岩モ宿モ俺ガ……護ルト!】
そう発した途端、TAGOSAKUから霊力が暴発した。
一体何が起きたのか。
銀時が気づいた時には、お岩も新八たちも吹き飛ばされていた。
そしてTAGOSAKUに鷲掴みされている双葉の姿がそこにあった。
【……カエセ……ミンナ…カエセ……オイワ……ヤド…マモ……ル】
かつてない霊力の圧迫が双葉にのしかかる。さすがの彼女も耐えられない。
もがき苦しむ妹を目にして、銀時はレイを憑依させる。再び閣下化して、TAGOSAKUに突っ走った。
「コラァ!テメー!妹を離しやがれェェェ!!」
跳躍して叩きこんだ銀時の拳は、思いのほかTAGOSAKUにダメージを与え、双葉を助け出すことに成功した。
だが安心したのも束の間。
暴走するTAGOSAKUは里中のスタンドを吸収し始めたのだ。大量のスタンドがTAGOSAKUの身体に飲みこまれていく。
「あれは!?」
TAGOSAKUの背後の空間がぐにゃりと歪む。そこに生まれた裂け目から紫色の光が渦巻く。
【黄泉の門……!?】
驚愕の表情でレイが呟いた。
大量のスタンドを吸収して一か所に集まった負の情念が、この世とあの世の境目をなくし、黄泉の門を作り出した。このままだとこの世は黄泉の世界に浸食されてしまう。
しかしお岩を護ることに固執するあまり、TAGOSAKUは何も見えなくなっていた。
ただ、そのお岩の声でさえ届かなくなっていたのは、皮肉以外のなにものでもなかった。
――どうしてこんなことに……。
夫は女将との約束を護るために。ただ妻のために。
夫をあんな姿にしてしまったのは、紛れもなく自分だ。
「あんた……もういいんだよ。……もう眠っておくれ……」
そう呟くお岩の瞳からこぼれ落ちた涙。
それもそのままTAGOSAKUの身体に飲まれていった。
その時起きたことを一言で示すなら奇跡か。
お岩の涙がTAGOSAKUに飲まれた瞬間――急に彼の霊力は消え失せていった。
数百のスタンドたちも、妻を護ろうとした男も、安堵の表情で黄泉の門へ飲まれていく。
そして――負の念を取り込んだ人間でさえも。
光が小さくなるにつれて、身体を引っ張られる感覚も薄れていく。
だが双葉だけは違った。
彼女の中に潜むモノは、異常なまでの力で黄泉の門に引っ張られる。
そして庭木を掴んでいた手は少しずつ剥がされていく。
「双葉ァ!」
ほぼ反射的に銀時は身を乗り出して彼女の手を掴もうとする。
無論、双葉も差し出された兄の手をとっさに掴んだ。
……ほんの一瞬だけ。
「え?」
それは錯覚だったのか。
双葉がどこか穏やかな表情を浮かべたように見えたのは。
ただ一つ言えるのは、掴んだ手は銀時から離れ、双葉が黄泉の門に飲まれたこと。
「双葉ぁぁぁぁぁぁぁ!」
無我夢中で銀時は光の中に消えた妹を追いかける。
身を投げ出して、彼は黄泉の門へ飛びこんだ。
「ギィィィィィィン!」
同じくレイも後を追って黄泉の門へ入っていく。
「銀さん!双葉さん!!」
「銀ちゃぁぁぁぁん!」
「レイぃぃぃぃぃ!」
新八達の叫びに反して衰えていく紫の稲光。
そして三人を飲みこんだ後、空間の裂け目は消滅した。
=つづく=