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Holly Night

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第1章・一年前
  ―1―

冷たい外気と共に本郷は部屋に入り、拓也の横にある自分の席に座った。重苦しい溜息と一緒に、毛迄抜けそうだ、と呟き、拓也は思わず吹き出した。
「今日は誰だよ。」
「曽根川大尉だよ。」
「嗚呼、あの戦時の武勇伝語る爺さんか。」
「そうだ、あの爺様だ。」
本郷の携帯電話二号機に連絡が来たのは午後五時過ぎだった。帰ろうかと思っていただけに本郷は辟易し、誰だ、誰がこんな夕方に徘徊を始めた、曽根川の爺様か…と重たい腰を上げた。
本郷の仕事用携帯電話は二つあり、一つが此の職場、もう一つの“二号機”と呼ばれる“老人専用”の携帯電話である。
管轄内の老人網が此の二号機の中に入っている。何処かの耄碌爺さんか婆さんが家から居なくなると此の電話に家族から着信音があり、又或る時は、老人の衣服に縫い付けられた電話番号を頼りに交番から掛かって来る。家族側も老人の徘徊に構えて居るので、衣服の全てに家族或いは施設の電話番号と本郷の二号機番号が書いてある。
犬猫みたく体内にマイクロチップでも埋められたら、探す側も発信を頼りに探せば楽なのだが、中々難しい。
今日の此の曽根川氏は、普段はしっかりした頭持つ男なのだが、ふっとした拍子に頭が異次元に向かう。
頭が戦時にタイムスリップするのだ。
其の時の上官に似た男、其の時に恋した娘に似た女、其の時の仲間に似た男に戦死した男…スウィッチはまちまちで本郷には判らないが、其れ等を見た氏はふらっと何処かへ行く。
今日は日課のディサービスの帰り、孫がスーパーで買い物してる途中で、気付いたら後ろから消えて居た。本郷さん…と孫娘から連絡着た本郷は“曽根川大尉”を探しに署を出た。
三十分程探して居ると、公園の草むらに隠れ潜む氏を見付けた。

――曽根川大尉!此処にいらっしゃったんですか!
――バカモン喧しい!何だ、本郷か…
――曽根川大尉、実に本郷であります。本部より司令、即時撤退致せよ!以上であります!
――おお、そうか…、なら帰るか…

毎回此のやり取りで話が済むので、楽ではある。こんな口調で良いかは不安だが、氏が大人しくなるので構わない。そして本部…家族と共に帰宅する。
聞いていた向かい席の木島はケラケラ笑い、職務外の癖に御苦労だな、本郷中尉、とからかう。
其の曽根川氏が初めて本郷を見た時、“本郷中尉ではないか”と云ったのだ。
何でもあの時、本郷そっくりの“本郷”と云う中尉が実際居たらしいのだ。氏の後輩に当たるらしく、我が弟の様に大変可愛がり、又其の本郷中尉とやらも氏を我が兄の様に慕って居た、らしいのだ。
因みに其の“本郷中尉”は二十八歳の若さで戦死しているので、本郷と血縁関係は全くない。本郷中尉とやらの子孫でもないのだ。
そんなに似ているんだろうかと、写真を見せて貰ったが、まあ吃驚、本当にそっくりだった。寧ろ此れが父親じゃないか?と思った程だ。
今でこそ本郷の顔は吊り目だ細目だ古風だなんだと貶されるが(おまけに名も古風)、曽根川氏曰く“本郷中尉”は、歩けば婦女子が余りの男前に道端に座り込む程、だったらしい。本郷中尉が戦死したと聞けば、氏の知る所で軽く十人の婦女子が後追い自殺した…其れ程の所謂アイドルだった。
生まれて来る時代を間違えたかもしれん、と知れず思った。七十年近く前に生まれていたら、そこそこ持てたんじゃなかろうか。
軈てクリスマスだと云うのに本郷に予定は無い。尤も、三十年以上生きて参加した事等一度も無いが。
机の上を走る振動、本郷は慌てて二号機を見たが、震えたのは拓也の“二号機”だった。

ダディ、こわい。

白い背景に浮かんだ、たった其の一言に拓也は息を漏らし、煙草を咥えた。
本郷の二号機が、時代を築いた“老人”であるなら、拓也の二号機は、時代を築く“子供”である。
然し此の課、壁にデカデカと“課内禁煙”と貼ってあるのに、誰一人として守っていない。新人は貼り紙に従って最初の一ヶ月は其れこそ喫煙所に行くが、先住達が誰一人として守らず、又、律儀だな御前、と言う言葉で守らなくなる。
此の課の法律は課長であり、判事も課長だ、一課の絶対者は課長であり署長では無い。
遠慮無く煙を吐いた拓也は、背凭れに背中を預けた。

――どうした。
――ごめんね、おしごと中?
――大丈夫(だいじょうぶ)、なんかあったか?
――何もないの、でもね、すごくこわいの。
――何が怖(こわ)いんだ?施設(しせつ)の先生か?
――ううん、センセエはやさしいよ。あれ、へんかんできないよ。
――センセエ、じゃなくて せんせい(先生)な。どうした。
――一人がすっごくこわいの…ダディ…

其の最中、又メッセージ着信があった。

――ダディ、不安なの。如何して良いか判らない…、何が不安なのかも判らないの…
――落ち着け、状況を説明しろ。何があった。
――判らない…、全ての物事が私の頭の中でぐちゃぐちゃになってるの…、私は皆の何なの?しっかりしないと…


此処でさえ認められないの……?


其の少女の悲鳴に拓也の全身が逆立ち、ダイヤルを呼び出した。
「御前、何追い詰めてんだよ。」
何時に無く低い拓也の声に本郷は唇を噛んだ。
「良いか?彼奴はな、ずっと長女の立場で兄弟を虐げ、親に甘える事も知らねぇ十五歳の子供なんだ。兄弟を統率する事で唯一親から存在を認められてた子供なんだ。は…?職員が足んない?………御前マジで云ってる?だからって親と同じ事強要する訳?……いや、いやもう良い、もう良いつってんだろうが。…もう良いって。は?知るか。そらテメェ等の問題だろうが。俺は子供を優先にしてるんだ、だから援助してるんだ。確かに彼奴は其処で最年長かも知れねぇ、誰かを引導するって立場かも知れねぇ、でもな?彼奴は其れをずっとして来たんだ、親の愛情欲しさにな。言う事聞くさそら、親の命令にずっと従ってたんだから。其れで唯一の愛情を確認してんだからよ。其れが怠慢だっつってんだよ、判んねぇかな。あら言う事聞くわー、で、全部彼奴に下の統率任せてるだろうが。其れじゃ何にもなんねぇんだよ、同じ事の繰り返しだろうが。良いか彼奴はな、親の命令を全て聞いて下の兄弟を命令通りに虐待してたんだよ、親の愛情を欲しいが為にな。御前等は其れを彼奴に未だ強要するのか?年が多いから何だよ、彼奴は未だ十歳にも満たない精神年齢なんだよ。其れ判って云ってんのか?嗚呼もう良い、彼奴は違う場所に住まわせるわ。聞くか、自分を呪えよ。」
横で聞いて居た本郷は、良く噛みもせずに早口で云えるな、と関心し、続いて、本郷が普段知るゆったりした口調が聞こえた。
「なんかあった?先生達慌ててんだけど…」
少女の声に拓也は笑い、御前の移動手続きに忙しいんだろうよ、と繋げた。
「移動?え?あたし何処行っちゃうの?刑務所?」
「は?何したんだよ。売春でもしたか。」
「しないよ!あたし処女だよ!」
「ほお、偉いじゃねぇか。うんうん。如何でも良いけど。御前が処女だろうが中絶女だろうが。」
「ねえ、何、移動って。私なんかした?」
「してねぇよ、してねぇからこそ移動すんだよ。」
前々から此の少女を、身寄りが無いだけの本人に全く問題無い子供が住む施設に移動させようと思っていた。
今少女が居る施設は一桁の子供が多く、行動と精神的にかなり問題があるのばかりで、中学生は彼女一人で、二桁は小学六年、小学校に中学生を通わせて居る感じだった。
拓也が移動させようとする施設は、先ずに中学生からしか入園出来ず、高校卒業、十八で卒園になる。
今居る施設では最年長かも知れないが、拓也が移動させようとする施設では真ん中辺りだろう。
「高校、行けるぜ。」
「嘘、本当!?」
「定時制だろうけど、頑張りゃ普通に行けるかもな。」
「定時でも商業でも高専でも夜間でも何でも良い!高校行けるならなんでも良い!」
「おー、頑張れよ。」
うん、と少女は明るく云い、又新たに電話を掛け始めた拓也は、椅子から立つとコートを掴み、本郷にバイバイと手を開閉すると、部屋から出た。其の背中に課長が、お疲れ井上、又明日、と拓也の終業を知らせた。
「俺も帰るか。」
「ほんっと、此の課って、仕事しないよね。」
木島の言葉に、
「イガオノ。木島が当直したいって。帰って良いぞ。」
と当直の五十嵐(いがらし)直人(なおひと)小野田(おのだ)聖四郎(せいしろう)、他四名の当直刑事に云い、其の儘課長は帰宅した。
「本当ですか?有難う御座います。」
「待て待て待て、五十嵐。」
「本郷さん、一緒帰りましょー。」
「おお良いぞ、よしよし小野田、可愛いな。」
「えー、聖四郎ばっか何時も狡いですよー、偶には本郷さん、俺も可愛がって下さいよ。」
「御前の飼い主は拓也だから。」
「だってイノさん帰っちゃったもん…」
「おお、待てよ、能天気コンビ。」
何ですか、と同時に振り向き答え、本気で木島に当直を押し付ける気なのか、すっかり帰り仕度を済ませていた。
「お疲れ様でした、木島さん。」
残る一課全員が頭を下げ、一斉に帰宅した。
「え…?本気…?」
しんとした部屋に木島の声がいやに反響した。絶望していると、なんてね嘘ですよ、と当直六人が戻って来た。 
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