歪んだ愛
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第2章
―9―
「あの二人、なんかあるな。」
話を聞いた課長の目が動いた。普段ちっとも動かない癖に、一番動くべく時に動く課長は、良く良く獅子に似る。
其の課長の目が、口が、動いた。
犯人は確定されたのも同じだった。
「だがなぁ、御前等胡散臭いから一寸来いよ、が出来んからなぁ。其れでしょっ引けるなら、宗一をしょっ引けるもんなぁ。」
「菅原先生って胡散臭いの?」
「見るからに胡散臭いじゃないか。何考えてるか判らん、と云うか、あの研究所員、何や彼やで警察に目を付けられてるんだよ。大体が。」
警察は、三親等他親族に犯罪者が居れば就職出来ない決まりだ。けれど、菅原達研究所員は警察の人間では無い、あくまで警察に協力する善意の一般人で、刑務所にさえ入って居なければ受け入れられる。
先ずに主任の菅原。無意味にメスを持ち歩いて居た事に依る銃刀法違反。所持理由は、世の中物騒で何時刺されるか判らないから。職務質問した警察の方が、物騒なのはあんただよ、と思った。
文書担当斎藤。五年前、妻への精神的DVで行政調査が入っている。妻は二ヶ月精神科に入院したが、未だに別れて居ない。斎藤は、離婚出来るのだったら喜んで刑務所にでも入る、と行政書士に対し云ったが、妻が絶対に其れを認めなかった。斎藤は別れたいが妻が絶対に其れを認めない許さない、そんな事したらあんたを殺してあたしも死ぬ、なんであたしから此の人を奪うんだ、と迄言い出し、ヒステリー起こす妻を眺める斎藤の疲れ果てた顔に、DVを受けてるのは逆だと行政は結果を出した。
そして、科学担当、長谷川秀一。
云う迄もなく、あの電気に依る傷害で、凶悪性と異常性から二年、精神病院に隔離されて居た。
本来なら、出る予定では無かったのだが、菅原が出した。其の秀一を担当をして居たのが時一で、貴方に頼まれたら断れませんね、とあの異常者を世に放った。
正し条件が一つ、時一の目の届く場所に居る事。時一の目が無い時は、菅原が監視する事。
だから秀一は、仕事が終わった後でも菅原に付き纏われ、言い換えれば、菅原の一言で秀一は又精神病院に送り返される。
菅原に対し異様に腰が低いのは其の為である。
秀一の性格を考えれば、其れこそが異常な行動で、不思議な事もあるもんだなと和臣は思って居た。
五人中三人が何かしら問題有りで、一人に至っては変人と決定されて居る。
そんなのを雇って良いのか、と思うのだが、警察は人間性より其の頭を買った。
良く云うでは無いか、犯人なんか如何でも良い、大事なのは犯人逮捕では無く“警察の威厳”だと。面子が保てれば、其れで良いと。
故に、研究所一の奇人を誇る秀一は、人間性より知性、と云って居る。
無理も無い、あの中で一番奇人なのも、一番優秀なのも秀一なのだから。
要するにあの機関、斎藤以外、全て菅原の手の伸びる範囲で構成されて居る。斎藤以外の研究所員の絶対者は菅原で、小規模過ぎる宗教に見える。
そう、ゆりかとまどかの関係の様に、狭い範囲な故、密度が濃い。そして、解け難い。
「で、木島。」
「はい。」
首を後ろに倒し、右半分前髪で顔を隠した課長は、一層鋭さを増した目で和臣を見た。
「夏樹冬馬の声だったか?」
署に帰り、一番最初にした事は云う迄も無く橘から渡された肉声を聞く事、パソコンに読み込ませ、ヘッドホンを付けた。
記憶する夏樹の声、ヘッドホンから流される声、其の二つが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざった。
「若干違う感じもしますが、夏樹冬馬の声に似ていたと、思われます…」
吐き出したが最後、信じたくない気持ちの方が勝った。
何年俺は刑事をしてるんだ?人を見たら、先ず疑うのが仕事だろう?情になんか、流されるな。そんなんじゃ、刑事なんか出来やしない。捨てろ、情を捨てろ。情を持てば、真実から遠去かる。
大きく聞こえる息遣いに肩が張った。
「夏樹冬馬と、科捜研の橘さん、菅原さんを呼べ。」
「待って…!」
「あ?」
獅子の眼光に、怯む狼。
なんて情けないんだ、俺は。
同じに群れを成す習性を持つ獅子と狼。だからこそ、トップに歯向かう事が即ち死だと、本能で知っている。
斎藤の様に、群れを成さない虎であればどれ程良かったか。
虎…。
嗚呼、そうか、だから斎藤は、菅原の手の内で回る場所で外部から来たのか。
虎だから、絶対に群れを成さないし、自らが群れに入ろうともしない。
群れを成すのは、所詮弱いから。自分一人じゃ何も出来ないから。
狼は判る、イヌ科は基本、犬でもハイエナでも群れで生活する。
ネコ科は逆で、単独が基本だ。だのに、獅子は群れを成す、此れは雄に狩り能力が無いからだ。雌(部下)に狩り(仕事)をさせる癖に、雄は一番先に其の苦労を食らう。
課長は、見れば見る程ライオンだ。
そして自分も、其の群れの一部にしか過ぎない。
「明日…いや、今日の夜迄、待って。」
「逃げたら、御前を飛ばしてやるからな、お望み通り…東北に。」
机の上に置かれた電話が震えた――和臣さん、今日はいらっしゃる?
課長の舌打ちに湧き出る情を喉元で止めた。
店って何時から?
八時。
じゃあ、八時に行く、所で、寿司、好き?
何?いきなり。
好きかなって。
大好きよ。
じゃあ、取ってあげる、知り合いと一緒なんだけど、今日、祝い事なんだ。
まあ、じゃあうんと美味しいお酒用意して於かないと。
後、頼み事がある。
「夏樹さん、世谷署の木島だけど。」
「嗚呼、木島さん。先程は如何も。」
「さっきの事だけど。」
「さっき?…嗚呼、宴会の事ですか?やだな木島さん、律儀な方ですね。」
「まあ、な。其れの事なんだけど、仕事、何時に終わる?」
「六時に渋山でクライアントと会って、一旦戻るので……八時ですね。…木島さん、本当、社交辞令で大丈夫ですから。」
「迷惑なら良い。」
「迷惑では無いですよ、本当。僕、飲みに出ないので場所とか全く…、木島さんが居れば心強いですけど。」
「中ノ目黒迄出れるか?」
「え?嗚呼、大丈夫ですよ。」
「俺の行き着けだから、知り合いが居るかも知れないけど、無視して良いから。」
「あはは、判りました。」
「じゃあ、仕事終わったら、連絡呉れ…」
「楽しみにして於きます。」
「……嗚呼…」
切った電話、獅子の大きな口元が真横に裂けた。
「此れで、良いですか…?」
「十人入るかな。」
「十人?」
和臣の計算では、夏樹、課長、時一、橘、そして自分と五人の計算だが、其れが何故十人になるのか。
摩訶不思議な顔で自分を見る和臣に呆れた課長は、加納に向いた。
「御前は理由判るよな?」
「はい、刑事は“コンビ体制”ですから。」
そういう事か。
若し、夏樹が何かを察し逃亡或いは認めた場合、逮捕…此れは仕事になる。いや、此れは仕事だ。張り込みと同じだ。
なので、和臣単独で夏樹を捕まえた場合、何で加納と行動を一緒にしてなかったんだ?と云われる。
理解出来たが、後四人足りない。
「本郷、井上。」
「経費あざっす!」
「嫌だ!絶対行かん!」
酒豪の井上は経費で酒が飲めるなんて有難いと、最敬礼で仕事を喜ぶが、下戸の本郷は、女も嫌いであれば酒も嫌い、仕事でも行きたくない場所に嫌悪を示した。
然し、其れでも八人。後二人は誰だ。
「…済まん、十人は適当に云った。」
「課長、菅原さん呼べば。そしたら其の博士(ハクシ)も来るだろ。」
そしたら十人、井上の言葉に課長は大きく首を振った。
「嫌だ、彼奴とは極力関わりたくないんだ!」
「此の間、一緒だったよね?」
「…偶々、だ…」
「嘘だろう、課長。課長、未だ菅原さんと続いてんでしょうよ。」
「…井上…?」
何故だ、何故井上の方が何でも知ってるんだ。
和臣は不振に満ちた目で井上を見たが、雪子のあの店に出入りして居れば、大体の課長の交友関係が把握出来るらしかった。
博士、と云うのは秀一の事で、何も秀一、唯の奇人では無く、きちんと博士号持つ奇人である。
抑に科捜研は、ずば抜けた知識と社会的地位、其れが無ければ修士乃至博士の号が無ければ採用されない。あの医者三人は医者としての地位が、特に菅原に至っては外科医としてだけでは無く元監察医の立場もしっかりとする。
時一も、精神科医としては結構な有名人である。用の無い和臣に知識は無いが。テレビに出て迄…とは流石に云わないが、出す本は相当に売れるらしい。最近では、犯罪者の分析が本業になっているので、其の“犯罪心理学”に就いての本がバカ売れだとか何とか…。時一は、精神科医としても“著者”としても並々ならぬ業績があるのは確かだ。
文書担当の斎藤は地方国立大学出身で、此方は修士だ。違うのは、ずば抜けた復元能力。
人体の骨格復元は本来法医…菅原の担当であるが、斎藤が少し手を加えると、侭粘土色の生首に見える。最近ではシリコン、斎藤が型を作りシリコンで作成し、義眼と斎藤の着色で、本物にしか見えない。
そして、忘れてならないのが斎藤の本職は考古学、印字物の解析。
偽造通貨を一発で見抜けるのが斎藤だ。
目隠しをし、偽造通貨とを比べさせても十秒あれば、あの繊細な指先の細胞で見抜く。一グラム以下の重さでも斎藤の手の中では無意味だ。科捜研が精巧に作った偽造通貨でも、指触りで判らなければ臭覚を使う。偽造通貨が出回る訳は無く、本物であれば人間の匂いがし、新札であれば、日本銀行しか持たないインクの匂いしかしない。一般人には判別出来ない特殊なインクの匂いを斎藤は嗅ぎ取れる。
偽造文書もそうだ。
斎藤は“実物”を手、目、鼻で知れば機械以上の分析を即座に出す。
そして、秀一。IQ165を叩き出す超天才博士。
電子、薬物、金属、土性……聞いただけで、全ての分析を頭の中でする。化学に関する全ての事は、秀一の頭にある、下手すれば新しく何かを発見するかも知れない。
化学もそうだが、秀一には“数学分野”…即ち“確率分野”が備わって居る。
確率分野…此れは時一の“心理”が深く関わる。
人間の精神行動は、心理学に元付いて居る様で、案外“確率”の問題かも知れませんね、と時一は云う。
犯罪者は…?
要因を持って居ても必ずしも犯罪は犯さない、全てが“確率”に値する。
土に関しては、斎藤が本来の分野なので、一番最初を秀一は譲って居る。“分析”は“考古学”では無く“地学”…詰まり科学に属する為、其処は秀一が分析する。斎藤がするのは砂の“特質”を秀一に教える事。例えば、土の匂いを嗅ぎ、本来とは違う匂いがする、…其れが薬物か血痕か、化学物質か…其れ等を分析するのが秀一だ。
交通事故。此の場合動くのは、事故の発生原因を突き止めるのが橘、血中アルコール分度を調べるのが秀一、そして屍体其のものを調べる菅原。
車体に問題があれば橘が一番で動き、車体本体に問題が無ければ秀一か菅原、全くの外傷が無ければ、秀一が血液中にある薬物或いはアルコール分度を調べる。
其れが科捜研の仕事である。
本庁の人間ですら余り関わりを持たない研究所員、課長が菅原と知り合いだったのにも驚いたのだが井上迄も知り合いだったとは。
あの店、侮れない。狭い店故、客と客の距離が短い。
「繋がってるって?」
「半年位付き合ってたんですよね、課長。」
「付き合ってない!誰が付き合うか、あんな変人!」
「付き合って、って…課長一応既婚者じゃん…」
一応、と云うのは、同性愛者に異性結婚と同等の婚姻法律は、今の所日本には無い。法にも縛られなければ、書類契約も無い。異性結婚に一番近いのは養子縁組であるが、其れには面倒な手続きが必要。異性結婚みたく、婚姻届けを書いて提出…では無いのだ。
そんな面倒な事があるから、日本の同性愛者等は“同棲”と云う形で結婚する。
課長が此のパターンで、左薬指にはしっかり指輪が嵌っている。
「だから付き合ってない。半年位不純な関係だっただけだ。」
「其れを世間では、浮気って云うんですよ。」
「違う、浮気じゃない。」
「じゃ、本気…?」
和臣の言葉に課長は無言無反応で俯き、頭を抱えると其の侭机に突っ伏した。
あの獅子が、戦意を喪失した。
何気無く云った一言で課長を追い込むとは思わなかった和臣は動揺し、井上に助けを求めた。が、和臣と関わりたくない井上は、あんたが追い込んだ、東北勤務おめでとう、と止めを刺した。
「一寸、ねえ課長…」
「顔も見たくない、御前もう帰れ。経費で落としてやろうと思ったが、御前の自腹な。」
「待ってよ、冗談じゃないよ!十人分の寿司とか無理に決まってんじゃん!馬鹿じゃないの!?俺の給料知ってるでしょう!?」
「あざーす、木島さん。ゴチんなりまーす。」
「被疑者の為に大金使うなんて、刑事の鑑ですね。」
和臣が嫌いな井上と本郷は、此れでもかと和臣を攻撃した。
開け、今度は御前の胃に穴が開け。
本郷の釣り上がる口角はそう云っている。
「加納、助けて…」
「御断りします。」
笑いを堪えていた加納だが、言葉を出したが最後、弾けた様に笑い出した。
響く着信音。
「誰だよ!」
「俺俺ぇ、俺だよー。」
「掛けて来るな、変人!」
「今夜暇?」
「煩い!破産宣告書類書かないといけないから忙しいわ!」
獅子の勝利の咆哮に、狼は虚しく啼いた。
*****
「何だ、彼奴。」
電話の画面を見乍ら首を傾げる秀一は、自分を見上げる猫の頭を撫でた。
「あの。」
橘の声に猫が移動する。
「木島さんから電話なんですが、今夜全員、あの店に集合、らしいです。」
「は?」
事情を聞いた秀一は、何故自分迄呼ばれるのか理解出来ず、行かないと椅子を回転させた。
「拗ねんな拗ねんな。」
秀一の頭をぐしゃぐしゃと撫でる菅原は、課長から着たメール文面を見せた。
「愛人の誘いメール俺に見せて如何すんの。」
「監視出来ないから問題起こすなよ?て事な。」
納得した秀一は、誘う様に動く猫の尻尾を追った。
サンダルにジーパン、ゴロゴロと身体を擦り寄せ、尻尾を絡ませ、抱っこ、と前足を伸ばす猫を追い続けた。
「斎藤さん、今日来ます?」
「誰が行くか。」
「ですよね…」
顔を寄せただけで猫は自ら斎藤の肉厚な唇に口を付け、数回舐めるとすとんと降りた。
「斎藤。」
「ん?」
「今日一緒に御飯食べよう。」
電流を流されたみたく斎藤の頬は強張り、冗談やろ、と目を合わせず席に座った。
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