蒼き夢の果てに
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第6章 流されて異界
第110話 おでん……温めますか?
前書き
第110話を更新します。
次回更新は、
3月4日。『蒼き夢の果てに』第111話。
タイトルは、『試合開始直前』です。
蒼い――。雲ひとつ存在しない蒼穹に高く舞い上がったボールが、ゆっくりと前進して来たセンターのグローブへと納まった。
その瞬間――
「やりましね、皆さん。決勝ですよ!」
三塁側に陣取った一年六組の応援席。その野暮ったい学校指定のコートやジャンバー姿の女の子たちに囲まれた中で、一人目立ちまくって居るチアガールがぴょんぴょんと飛び跳ねながらそう言った。
それと同時に発生する喧騒。フライが打ち上がった瞬間の、息を呑むかのような静寂など一瞬の内に吹き飛ばされた瞬間。それが、丁度彼女が言葉を発した瞬間だったのかも知れない。
ただ、その歓声や喧騒に付けられた色が七分三分で黄色い――かなり華やいだ色が多いのは、この一年六組のチームに付けられた色が、そう言う類の色で有るからなのだろうか。
男子は一匹狼的な連中が多いのか、もしくは、この女子のみが集まったベンチ横には流石に入り込み難いのか。まぁ、おそらくは後者の方が理由なのでしょうが、クラスのメンバーの内で応援に来ているのは一部のみ、と言う体たらくと成って居た。
十二月九日より開始される――この試験の採点と、ついでに二学期の成績を付ける為に始められた真冬の球技大会。時期が時期だけに一、二年生だけで行われるこの大会は、サッカー・野球・バスケ・バレー・卓球の中から好きな競技にエントリー出来る仕組みで、更に言うと一クラスに一チームと限られている訳でもなく、バスケやバレーに二チーム以上エントリーするクラスも有れば、代わりに野球には一チームもエントリーしないと言うクラスもあると言う、何と言うか、非常に縛りのヌルイ学校行事と成って居た。
其処で野球にエントリーした我らが涼宮ハルヒ率いるSOS団のチームなのですが……。
当初、クラスの誰も応援に来る事もなく一回戦。結果は当然のように三回コールド勝ち。
尚、これも当然のように特別ルール。一、二回戦は五回まで。準決勝からは七回。そして、決勝戦は九イニングを戦う事と成るのだが……。それまでに十点差以上離された場合は最速で三回。三回以降の回ならば、十点差が付いた段階か、その裏の攻撃が終了した時点でゲームセットとなる。
まぁ、何にせよ、ダラダラと長時間、寒い中で打順を待つ必要もないのでこれは非常に有り難いルールなのだが。
……それで話を戻すと。
少なくともリトルリーグの優勝チームのエース。もしくは中学野球の平均的なエースが投じる程度の速球。具体的に言うと、シューっと言う音を発する非常に回転の良い、勢いのあるストレートを投じるハルヒを簡単に打ち崩せる進学校の生徒など存在する事もなく――
更に練習段階で判って居た事なのですが、内野の守備は最低でも鍛えられた高校野球クラス。おそらく、この北高校の野球部でなら間違いなくレギュラーで通用する逸材揃い。
外野はライトとレフトはいない方がマシ、と言うレベルなのですが、外野の何処にフライが上がってもすべてセンターフライとして処理して仕舞うセンターが居たので、ここに関しても何の問題もなし。……センターが、どう考えても常人では考えられないレベルの能力を示している点については目を瞑るとして、問題なし、なのですが。
もっとも、ここはどう考えても女子野球部の強い高校と言う訳でもない。まして、このチームに居るのは全員、文芸部所属の女生徒たちとは思えない能力を示していたのですが……。
試合展開はここまでの三試合、すべて同じ。一番から七番までの豪打爆発で全試合三回コールド勝ち。もうこれでもかっと言うぐらいに打ち込んでの圧倒的大差による勝利を重ねて来た我らが一年六組。
当然、二年生のチームの相手をして来たし、直接、野球部に所属している生徒は存在して居なかったけど、それでもサッカー部のレギュラーとか、バスケ部、バレー部などに所属している生徒もいた。そして、現実的に考えて見ると、男子と女子の肉体的な能力差は如何ともし難いはず。まして、ここが甲子園の御膝元、西宮だと言う事を考えるのならば、これまでの人生で一度も野球に接した事のない男子生徒が居るとも思えないので……。
このメンバーを主力とした硬式の女子高校野球のチームを結成すれば、来年の夏の大会では全国制覇を間違いなくして仕舞う……。
確か女子高校野球の全国大会は兵庫県の何処かで開催されていたような記憶が……。
そんな、現実にはあり得ない妄想を浮かべながら、真っ先にマウンドから駆け下りて、三塁側の応援して居るクラスメイトの前でチアガールとハイタッチを交わすハルヒを見るとはなしに見つめる俺。
当然、その派手な勝ちっぷりがクラスの連中に知られる毎に。そして、他の競技に参加して居た連中が敗退して行く毎に増えて行くギャラリー。最初は朝比奈さんだけの応援だった物が、今ではクラスの女子のほぼ全員と、その友人関係一同が応援に訪れていると言う、何と言うかあまり宜しくない状態へと移行していた。
故に、妙にかしましく、更に歓声や喧騒に黄色い色が着いて居る次第となったのである。
「それで、みくるちゃん。決勝の相手は何処に決まったの?」
ただ……。
ただ、流石に女子高校野球の大会に出場するのは問題が有り過ぎますか。そもそもこのメンバーは異能者が多すぎて、こんなメンバーで真面な大会に出場するのは真面目にスポーツに頑張って居る皆さんに失礼過ぎますから。
相も変らぬ思考はダッチロール状態。まぁ、妙に薄学。決して博学などではなく、薄い学問。しかし、薄くても広い知識があるので、色々なトコロへと関連付けて思考を無限に広げて行けるのは悪い事ではない。
少なくとも競馬馬の如き視野の思考しか持ち合わせていない人間よりは、余程マシな考えに行き付く事が可能でしょうから。
「なんと一年生同士の対戦」
一年九組。一年の理数系の特別進学コースの人たちですよ。
朝比奈さんの説明を右から左に聞き流す俺。何故なら、このチームが……と言うか、俺や有希たちが本気に成れば、メジャーリーガーがやって来たとしても負ける訳はないので。
確かに、進学コースの特別クラスの生徒と言う事はそれなりに頭も良いし、球技大会の決勝に出て来ると言う事は運動能力にも秀でているのでしょうが、それは飽くまでも人間レベルでの話。俺たちはその向こう側の存在ですから。
しかし……。
その朝比奈さんの言葉を聞いた瞬間に発生する緊張した雰囲気。いや、これは周囲の雰囲気が変わったと言う訳ではない。これは多分……。
何時の間にか俺の右側に並んでいた紫の髪の毛の少女を見つめる俺。
そして次の瞬間、俺の向けた視線と彼女が俺に向けていた上目使いの視線が交わる。普段通りのメガネ越し……そして、何故か未だにキャッチャーマスクを付けたままの彼女と。
一瞬、何かの冗談か、とも思ったのですが、流石に有希がそんな笑いを取る為の冗談など行う訳がない、と思い直し――
「何か心配な点でもあるのか、長門さん」
敢えてキャッチャーマスクに対するツッコミも入れずに、そう問い掛ける俺。尚、ふたりっきりの時ならばマスクを外してやってから問い掛けるでしょうが、流石に今回は衆人環視の中での状況ですからそれもなし。
それに、その方が深刻そうな会話を交わしているように周りから見えないとも思いましたから。
しかし……。
「問題ない」
本当に小さく首を左右に動かした後に、そう俺にだけ聞こえたら十分だと言う大きさの声で答えを返して来る有希。
但し、それと同時に、
【後で話がある】
……と【念話】で伝えて来る。
相変わらずかなり緊張した雰囲気。普段はあまり存在を感じさせない彼女が、この時は何故か強く感じさせている。そんなかなり異常な状態。
「それじゃあ、部室でお昼にしましょう」
そこで決勝戦のミーティングもやるから、今日は学食に何か行ったらダメよ。
振り返ったハルヒが、俺の方を見つめながら何か勝手な事をほざいたような気がしたのですが……。
ついでに、人数合わせの為にかなり我慢をして仲間に加えたモブ二匹が、俺は弁当など持って来ていないぞ、と騒いでいたような気もしたのですが……。
しかし、今の俺に取ってはそんな他愛のない日常に分類される会話など右から左。何か異常事態が起きたのか。それとも起きる兆候を有希が感じ取ったのか。
その事の方が余程、重大事で有ったのだから。
☆★☆★☆
「何、その粗末な昼食は?」
有希にレジ袋から取り出した、良く見慣れたプラスチック製の容器を手渡す俺。この世界に帰って来て、この文芸部の部室に連れて来られる度に陣取る居場所――何時も通りの入り口を背にしたパイプ椅子に腰かける俺と、その右隣に置物の如き精確さで座る彼女。その手渡された容器からは冬の日に相応しい、シベリア産の大気とは明らかに違う湯気と、それに相応しい香気を周囲へと発散させている。
そう、非常に見慣れた、そして温かい容器。それは……。
「見て分からんのかいな。これがコンビニ弁当と言うヤツやな」
良かったなハルヒ。これでひとつ賢くなったぞ。
本当に素っ気ない答えを返す俺。もうこの辺りに関しては阿吽の呼吸と言うヤツ。テキトーに相手をして置かなければ不機嫌に成るし、そうかと言って構い過ぎるのも何か変。
ちゃちいプラスチック製の蓋を開くと、其処から幸せを感じさせる温かな湯気と、食欲をそそる香気が更に強くなる。
尚、後で話があると言った切り、有希からの【念話】は一切なし。【念話】のチャンネルも閉じられたまま開かれる事もなく……。更に、万結の方とも同じ状況。
この状況から考えられるのは二人で連絡を取り合って居る可能性が大だと言う事。確かに、有希と万結は今年の二月以降同じ師に付いて仙術を学んでいる姉妹弟子同士なのだから、俺よりも付き合った時間で言うのなら長いのかも知れませんが……。
それにしたって、二人で相談するよりは俺も交えて相談した方が良い知恵が浮かぶ可能性も高いと思うのですが。
三人寄れば文殊の知恵とも言いますし……。
「そんな事はいちいち聞かなくっても分かっているわよ」
少しイジケタ感じの思考の迷路を進む俺。そんな俺に対して、怒ったような台詞を口にしながら、自らの弁当はフタも開けられず団長専用の席に残し立ち上がると、ゆっくりと……まるで幽鬼の如き雰囲気でこちらに向かって歩み寄って来るハルヒ。
そして、彼女の右手には何故か……。
そんな少し意味不明の行動を始める彼女に対して、こちらも我知らず笑みで応える俺。
そう。確かにそんな彼女の答えなど、イチイチ言葉にされずとも判って居る心算。そして、もっと重要なのは今この時、別の事も更に強く判って居ると言う事。
刹那!
「させるか!」
ゆっくりと……。何の気負いも衒いも感じさせない自然な形で俺の背後に立つハルヒ。その姿はノーガードでリングに立つ某ボクシング漫画の主人公の如し。
一瞬の閃き。幻の如く繰り出されて来る右を、振り向き様、左腕で下から弾き上げる俺。
そして――
そして、右手の手の平の上には開かれたハンバーグ弁当が、直前の交錯などなかったかのように緩く湯気を上げていた。
何故かこの部分だけは平和な日常の一場面。
その弁当の無事な姿を瞳に捉え、そして変わらぬ香気と湯気に一瞬、当たり前の日常に支配され掛ける俺。ただ、俺は俺の昼食を守り切り、ハルヒの奇襲は無残にも失敗したかに見えたのだから、これは仕方のない事。
しかし、次の瞬間!
完全に攻撃を防がれたはずのハルヒの口角に浮かぶ笑みを見つける俺。
そして!
払ったはずの彼女の右手に箸はない。間違いない、これはフェイント!
刹那、俺の視界が白に彩られた!
繰り出される左。強い精霊光を纏いし左腕。間違いない、今の彼女は意識的にか、それとも無意識にか、……は判らないが、間違いなく精霊を従える事が出来る! 先ほどの右が一だと仮定すると新たに繰り出された左の威力は四以上。並みの相手なら為す術もなくメインディッシュのハンバーグが奪われて終わり。……と言う悲劇的結末が待って居たであろう。
正に左を制する者は世界を制する、の言葉通りの展開!
但し、残念ながら俺も並みではない!
その時、世界から色が消えた。そして音すらも妙に間延びした……水の中に潜った時に聞こえて来る、くぐもった音のように聞こえ始める。
すべての音と言う音がテープをゆっくりと回した時のように聞こえ始め、そして、俺を覆い尽くしている大気から感じている圧力の質さえ変わった。
――時空結界。世界がスローモーションの中で進行し始めたのだ。
今まさにハルヒの突き出して来た箸が、デミグラスソースのたっぷりと掛かったハンバーグを捉えようとした正にその刹那! 空を切る彼女の箸。
そう。その瞬間、僅かに腰をずらし、更に同時に座って居たパイプ椅子を生来の能力で後ろに引く。この事により身体全体を下に移動。背中にパイプ椅子の座る部分が。そして、首にパイプ椅子の腰に当たる背もたれの部分を感じる辺りまで身体全体を下げたのだ。
もしこの瞬間に今の俺の姿を横から見たとしたのなら、現在の体勢が非常に安定の悪い形だと言うのが判るであろう。左脚は完全に伸ばし、右脚は曲げ、パイプ椅子に掛かる体重を僅かに抑える事によって背中から床に落ちるのを防いでいるように見えるはずですから。
しかし、現実には微妙に身体に掛かる重力を制御する事により、この不安定な状態……。感覚としては床に平行するような形で天井を見上げる体勢であろうとも、俺は維持する事が可能なのですが。
完全にハンバーグを捉えたと思った瞬間、空を切らされた箸を見つめ驚いた表情を浮かべるハルヒ。その表情を彼女の顔の下三十センチの位置で確認し勝者の笑みを浮かべる俺。
繰り出された左腕は精霊の輝きを尾のように引きながら、天井と俺の間の空間を切り裂いて行く。
そう。すべては一秒を何百分割もした刹那の時間内で起きた出来事。
そしてこの瞬間に俺の勝利は確定した。
この安定の悪い状況から上方に向け能力を発動させる。当然、重力の軛より解き放たれた身体はパイプ椅子から離れ――
次の瞬間!
「毎度、毎度、思うんやけどな、ハルヒ」
せめて、一口頂戴ね、の一言ぐらいは掛けられないのか?
無駄に戦闘能力の高さを誇示するかの如く、彼女の鼻先でハンバーグ弁当をゆらゆらと動かしながらそう言う俺。
この時、世界はその色彩と音を取り戻して居た。
「何よ。一口ぐらい分けてくれたって良いじゃないの」
何故か俺に見せる顔は不満げに口を尖らせたアヒルのような顔か、それとも不機嫌そのものの顔しか見せてくれない彼女がそう答える。
その瞬間に閃いた彼女の右手がまたもや空を切ったのは……なのだが。
「どうせ冷たい弁当よりは温かい物が食いたいとか言う、ショウもない理由で俺の弁当を狙ったんやろうけど」
そう言いながら、長テーブルの上に置いたままにして有ったレジ袋を掴み、それをハルヒの前に差し出した。
その袋をやや寄り目にしながら見つめるハルヒ。
「流石に一個しかないハンバーグはやれんけど、コッチならかめへんで」
その袋の中身は……。
「おでんか――」
偶には役に立つ事も有るじゃないの。そう言いながら汁のたっぷりと入ったおでん入りのトレイを取り出すハルヒ。
尚、常人を越えた戦いまで繰り広げ、散々勿体を付けて差し出したこのおでん……なのですが、当然のように皆で食べられるように余分に買い込んで来た代物。
故に、
「みくるちゃん、お茶の準備が終わったらこれを温め直しましょう」
……と言う形に納まる訳。
まぁ、何にしてもみんな通常運転中と言う事でしょうか。
「それで、さっきの話の続きなんだけど……」
お茶の準備が終わり、何処から持ち込んで来ていたのか判らないカセットコンロに掛けられた鍋の中で温め直されているおでんを見つめる何時ものメンバー。
尚、モブの男二人。妙に上調子で、はっきり言えば滑りまくって居るお調子男と、だんまりを決め込んだむっつり男。正直に言って、御近付きには成りたくない二人なのですが、こいつ等に関してはこの場には存在しては居ません。
ハルヒ曰く、
「あんた等にミーティングなんか必要ないでしょ」
……と言う事で、文芸部兼SOS団の部室への侵入を拒否されたのでした。
確かに、三試合を経過してアウトのほとんどはこの二人が産み出した成果だし、未だに捌いた打球もゼロ。守備に関しては貢献ゼロ。打撃に関してはマイナス要素のみ。これではハルヒでなくてもミーティングに参加する必要はない、と言われたとしても仕方がないでしょう。
そもそも、そんな暇があるのならバットでも振って、次の試合ではヒットの一本でも打て、と言いたいトコロですから。
「あんた、料理は得意なのに、何でお弁当を用意していないのよ?」
有希の部屋でパーティを開いた時には、頼まれもしないのに台所に立って居たじゃないの。
真っ直ぐに俺を睨み付けるハルヒ。どうにも怒っているようにしか聞こえない強い語気。但し、彼女が発して居る雰囲気は怒りではなく疑問。
おそらく……なのですが、彼女自身が人付き合いと言う物が苦手で、相手とどう付き合ったらよいのか。どれぐらいの距離が丁度良い距離感なのか掴みかねているような雰囲気なのですが……。
まぁ、そんな事はどうでも良い事。それに、そんな事は自分で気付いて行くもので、他人がとやかく言う物では有りませんから。
「確かに料理は得意やけど、俺に取って朝、どれぐらい余計に眠れるかは重要」
朝比奈さんの用意してくれた取り皿に、ダイコンとタマゴを盛り付けながらそう答える俺。そして、手元の取り皿から、団長席より長テーブルの対面側に移動して来たハルヒに視線を移す。
わざわざ団長席より自ら専用の車付きの座り心地の良さそうな椅子を移動させ、それを王の如き威厳を持って座る少女。長い髪の毛の色は夜の蒼穹を表現し、キラキラと光る瞳は世界を映す鏡であるかのよう。
彼女自身の性格は俺の好みではない。それでも、完全に無視できるレベルの美少女ではないのも確実か。
「購買でパンを買うや、学食の利用と言う選択肢がある昼食の準備に、朝の貴重な時間を費やすのはもったいなさすぎるからな」
一瞬、思考がハルヒの容姿に惑わされ掛けたのを無理矢理、元の筋に戻す俺。それに俺は低血圧の低体温。朝はトコトン低調。エンジンが掛かるまでに時間が掛かる以上、弁当の準備をする為にはそれなりの早起きをしなければ成りません。
流石にこれは俺に取って非常に辛い。
「本心から言えば、朝食も登校しながら……。口に食パンを咥えて登校したい気分やからな」
上手く事が運べば、曲がり角で美人の転校生と正面衝突。その瞬間にボーイズ・ミーツ・ガールの典型的な物語が始まる可能性だってある――かも知れない。
現実に起きる訳がない妄想の中の出来事を、冗談めかした口調で続ける俺。もっとも、自ら『妄想』と規定している以上、そんな事が現実に起きるなどと考えてはいないのですが。
しかし……。
しかし、そんな俺を胡散臭い物を見るような瞳で見つめるハルヒ。そして、
「でもあんた、有希の部屋に泊まった翌朝には万結に起こされてあっさりと起きて来たじゃないの。本当に寝起きが悪いのなら、もう少し時間が掛かって居ても良かったんじゃないの?」
疑り深い……とは言わないけど、少なくとも俺の言う事だけは簡単に信用しない彼女らしい問い掛け。
確かに、簡単に他人の言う事を信用しないのは良い事か。
何故、信用されないのか、と言う至極真っ当な疑問は敢えて呑み込み、俺的には前向きに。しかし、実際は現実的な問題から目を逸らしたに過ぎない思考でハルヒの疑問の答えを捜し始める俺。
その瞬間、
「彼は神経質で、近くに他人が存在している場所での眠りは非常に浅い。故に、あの日の朝は私が起こしに行った時に、直ぐに目覚めた」
おそらく有希よりも俺の事を知っているはずの少女、神代万結が会話に割り込んで来たのだ。何故か、僅かに不満のような気配を発しながら。そしてそれは、万結が俺の知っている……思い出した少女と同じ魂を持ち、更に、その頃の記憶を俺よりも覚えて居るのなら間違いなく知っているはずの内容であった。
ただ、万結の方に悪気がなく、ただただ事実のみを淡々と口にしているだけだとしても、有希の方がそうは思わない。その感情が不可解な行動をさせているのでしょう。例えば、弓月さんを助けた時、その場に俺と共に居た、などと言う、彼女にしては少しウカツな情報の漏えいを行った事などが、その例だと思われますが……。
もっとも、彼女自身がその感情の正体に気付いて居るのか、それとも気付いていないのかについては良く分からないのですが。
しかし――
しかし、それはまた別の御話。それに、別に万結が口にした内容に齟齬がある訳でなし。更に言うと、差して重要な内容でもないのでそのまま場の流れに乗せて、有耶無耶にさせて仕舞うのが一番か。そう考え、ようやくお預けになったままの弁当に箸を付ける俺。
折角コンビニで温めて来たのに、既に冷めて仕舞った弁当は、ハルヒの言うように非常に貧層な弁当のように感じられた。
「そう言えば、万結とあんたは従姉妹同士だったか。それに確か――」
あんたの家族は――
そう言い掛けて、直ぐに口を閉じるハルヒ。そう言えばコイツは、俺が三年前から天涯孤独の身と成って居る事を知っていましたか。
「あぁ、そんな事を気にする必要はないで。そもそも、高校生にもなって、弁当のひとつも作って貰えない甲斐性なしの俺が悪いんやから」
とても本心からとは思えない、軽い口調で否定をして置く俺。それに、何時までも過去を引きずって居ても意味は有りません。
すべてあの夜。金龍が舞う嵐の夜に流して来たはず――ですから。
「それだったら、私が作って来て上げましょうか?」
テキトーに軽口に乗せて流して終わり。その為に口にした内容に、妙な方向から食い付いて来る声。
右は有希、左は万結が居るのでここに割り込むのは難しい。正面にはわざわざ椅子ごと移動して来たハルヒと、その煽りを受けて左に避けさせられ、普段以上に不機嫌となったさつき。
「どうせ、私の分とお姉ちゃんの分を作るのだから、二人分が三人分に増えた所で大きな差はない訳だし」
ハルヒの左側に座る蒼髪の委員長、朝倉涼子のあまり有り難くない申し出。
そもそも彼女は正体不明――。いや、正体は判って居るし、少なくとも敵でない事は確実。故に、お弁当を作って来てくれると言うのを無碍に断る必要はないのですが……。
まさか、何かの実験台――新作の料理だとか、健康茶の被験者にしようと言う訳ではないでしょうから。
多分……。
ただ俺個人の意見としては、いきなり訳の分からない健康茶を飲まされた挙句にぶっ倒された人間と言う事情があり……。更に、彼女の今までの行動が、どうにも俺を試して居るような気がしてならないので。
故に、少しばかり彼女に対して苦手意識を持って居るのも事実……。
「それは有り難い申し出やけど、流石に遠慮させて貰うわ」
未だ朝倉さんのファンに背中から刺されたくはないからな。
かなり冗談めいた口調でそう答えて置く俺。確か、彼女にはそれなりのファンが居たはず。ここに居る中で一番ファンが多いのが朝比奈さん。その次が朝倉さんじゃないかと思うのですが。
それに……。
「現実的に言って、弁当を作って来て貰って、それをごっつあんです、……と受け取ってただ食うだけ、と言う訳には行かないでしょうが」
この場合に払わされる対価は、普通に学食や購買で昼食を済ませた場合よりも高く付く可能性も有りますから。
ここまでが表向き――言葉に出来る理由。そして、ここから先が言葉には出来ない裏の理由。
俺の思考が正面やや右寄りの蒼髪の少女から、俺の右手側に座る紫の髪の毛の少女へと移されたその一瞬、
「そんな事を気にする必要はないのだけど」
二人分を作るのも、三人分を作るのも、材料費の段階から言ってもそんなに変わりはない訳だし……。
俺の思考を遮るように、微苦笑と共にそう言う朝倉さん。もっとも、それほど残念そうな口調でもなければ、不満そうな雰囲気を発して居る様子もないトコロから考えると、本当に二人分作るのも、三人分作るのも手間は変わらない、と考えたのかもしれない。
ただ、俺の昼飯=有希の昼飯で有る以上、俺だけが他の人に弁当を作って貰う訳には行かないのが一番、大きな理由なのですが。
タバサや有希と出会う前の俺ならすんなりと跳びついたであろう申し出を簡単に断って仕舞い、その事に関して大して惜しいとも思って居ない自分自身に矢張り多少の違和感を覚えながらも――
「それで、決勝戦に関するミーティングとやらは何時になったら始まるんや、ハルヒ?」
おでんの良い匂いに支配され、窓ガラスが湯気で白く曇るほどに暖められた室内。その、湯気の向こう側で最初の獲物として鍋から取り出した玉子を、正に真っ二つに割った瞬間のハルヒに対して問い掛ける俺。
そう。そもそも、この場はSOS団主催のおでん大会の現場などではなく、球技大会決勝戦の前に開かれたミーティングの現場。少なくとも、俺と有希は、ハルヒの非常招集が掛からなければ昼食は普段通りに学食で済ましていたはず、ですから。
当然その場には万結とさつき……そして、ハルヒも含めて存在して居たはず。
しかし……。
「改めて何かを周知しなくちゃいけない部分はないわ。今まで通り、皆の実力を発揮してくれたら、負ける訳はないもの」
何と言うか、それなら何故にこんな所へ俺たちを集めたんだ、と問い返したい内容を口にするハルヒ。
ちなみに、そう言った後に、これで答えは十分だと思ったのか、ふたつに割った玉子の片割れを口に運んだ。おそらく、これ以上、何を聞いても無駄だろう。
「涼宮さんは鬱陶しかったんですよね」
最初からハルヒに何かを期待していた訳ではないので、かなりあっさりとそう考えを纏めて仕舞った俺に対して、再び会話に割り込んで来る朝倉さん。
ん、鬱陶しい?
「最近、昼食の時にあの二人がしつこいぐらいに近寄って来ていたでしょう?」
彼女の言葉を理解していない事が丸分かりのバカ面を晒して居たのが判ったのか、朝倉さんが追加の補足説明を行ってくれる。確かにそう言われて見ると、球技大会が始まってからSOS団所属の学食組……俺、有希、万結、さつき、それにハルヒに混じってあの二人が同じテーブルで昼食を取って居たのは事実。もっとも、俺の左右は有希と万結がガードして居るし、正面はハルヒかさつきが座って居るので大して気にも留めて居なかったのですが。
それに、食事中のハルヒが不機嫌か、そうでないかと問われると、確かに不機嫌だった、と言う事で間違いではないとも思いますが……。
そう考えながら朝倉さんから、おでんをおかずに弁当を食っているハルヒに視線を移す。
今は上機嫌……だな、こいつ。少なくとも、朝倉さんの言葉を否定する気もなければ、初めから彼女の話を聞く心算さえなさそうな雰囲気。もっとも、こいつはヤツラが周囲に居ない時だって不機嫌な時が多いので、殊更、それだけが原因だとは思えないのですが……。
少なくとも俺を見る時の彼女は、何時でも不機嫌と言う雰囲気ですから。
それに……。
「成るほど。でもそれが理由なら、ハルヒが不機嫌なのも今日までと言う事か」
少なくともこの球技大会が終わればあの二人との接点もなく成る。確かに、同じ男子と言う俺との接点は残るけど、俺に対して接触して来る気配は今のトコロまったくない。……と言うか、どうも俺はヤツラに嫌われているようで、向こうの方から接近して来る可能性は最初からゼロ。同じチームに居ながらもヤツラは俺と言う人間が居ないかのように振る舞っていますから。
それなら、ミーティングもなし。それに、ハルヒの言ったようにウチのチームが普段通りの実力を発揮すれば、進学校の球技大会を制覇するのは簡単。ここで俺が為さなければならない事などないか。
そう考え、それならば昼食に専念する事を決める俺。
それに、これ以上、グズグズしていると弁当の方は確保出来るけど、おでんの方の取り分がなく成って仕舞う可能性も有りますから。
取り敢えず目先の問題。空腹を感じ始めてから久しい現状を改善する為に、デミグラスソースのたっぷりと掛かったハンバーグ弁当と、良い具合に温められたおでんで昼飯を開始しようとした。
しかし、その瞬間、
【話したい事がある】
それまでこちらから【問い】掛けても一切反応せず、ずっと知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた有希からの【念話】のチャンネルがその瞬間に、何の前触れもなく開かれた。
ただ、恨み言じみた内容を考えても意味のない事。何故ならば、彼女自身がその話したい内容に関して、ここに至るまでの間に俺は必要ないと判断したのでしょうから……。
出会った当初はスタンドアローンで行動する事さえ初めての経験だった彼女が――
まるで育てて来た子供が、一人で買い物に行けるように成った事を喜ぶ父親のような感情。何か感慨にひたるような気持ちに支配され掛けて、しかし、其処に違和感を覚える俺。そもそも、俺と彼女が出会った時には、彼女は彼女の意志で俺を召喚する事を決めて居たはず。
……と言うか、スタンドアローン。つまり、単独で行動した事がない存在って、対有機生命体接触用人型端末と言う存在はどのような運用をされて居たのか。
【あぁ、良いで。こっちの方は何時でもオッケーや】
ただ、何時までも疑問に包まれて居ても仕方がない。それに、この部分を突き詰めて行くと、彼女に対する感情が今の俺の物なのか、それとも今の俺ではない、何処かの誰か……かつて別の世界、別の時代に存在していた俺の物なのかが判らなくなる以上、深く考えないようにしていた内容にぶつかる。
確かに、その感情は紛れもなく今の俺の物なのですが、それでも、其処に至るまでの感情の流れ自体に、その今の俺ではない誰かの感情が絶対に関わって居ない、とは言い切れないので……。
思考を切り替えたとは言え、未だ緊張感ゼロの俺。ただ、これは半ば仕方のない事。
何故ならば、俺が此方の世界に流されて来てから既にひと月近く。その間に俺の周りで生命の危機を感じる事件など起きてはいない。確かに、この世界の何処かでは危険な魔物絡みの事件は起きて居た……とは思うけど、俺の周囲ではそんな事件は一切起きる事もなく……。
今日この瞬間まで、日常と言うぬるま湯の中にどっぷりと浸かっていたのですから。
それまで俺やハルヒたちの会話に参加する事もなく、ただひたすら。しかし、普段の彼女のままゆっくりと箸を動かし続けて居た彼女の動きが止まる。
そして一呼吸、俺を……右隣に座る俺を見つめた後、こう伝えて来たのでした。
【この学校に理数系の特別進学コースのクラス。一年九組など存在してはいない】
後書き
おでんイベント完了。前半に妙な戦闘描写が入ったけど……。さて、これでちゃんとした野球イベントに突入です。
それでは次回タイトルは『試合開始直前』です。
ページ上へ戻る