Bistro sin〜秘密の食堂へいらっしゃいませ〜
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非情な常連.3
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結局その女性が怒っているのか、満足しているのか賢太郎にはわからなかった。
その日の食卓の時間、平泉が賢太郎に話しかけてきた。
「彼女は『大河原 美恵』さんと言って、料理の評論をして本を出しているんです。少し変わってはいますが、優秀な評論家なんですよ。」
「す、すいません…。俺のせいで‥」
「賢太郎くん、ビーフシチューこそ出せませんでしたが、彼女は満足していましたよ。」
「え?」
賢太郎は不思議そうに聞き返した。
「賢太郎くん、評論家とはお客様のために料理、店の情報を正確に届けるものです。
だけど、優秀な評論家とは店のことも考えて評論するものです。」
平泉の言葉に、改めて思い返してみたが「どこが?」と言うほどそれは感じられなかった。
また、賢太郎が難しい顔をし始めると平泉はニコリと笑った。
「確かに大河原さんの物言いは歯に絹着せぬ言い方で、思いやりは感じられないかも知れません。ですが、彼女の一言で店の経営が左右できてしまうほど評論家は影響力が高いのです。だからこそ、下手に絶賛もできない。ましてや、ひっそりこじんまりと経営してるうちのような店には、手が回らなくなってしまう。さっきのように、あそこでどんなことを言っても、来る人は来ます。そんなものでいいと思っている私たちの気持ちを、彼女は理解しているんですよ。」
賢太郎はそこで初めて、大河原の真意が理解できた。
寧ろそれを組み取れる平泉たち、大河原の言葉でない意思の疎通にただただ感心するばかりだった。
時間は0時に近づき、徐々に従業員が帰る支度をし始めた。
すると平泉は、従業員たちに言った。
「来週の火曜日、また大河原さんがいらっしゃいます。いつも通り『温かい』料理をご所望ですので、皆さんにメニューを考えてほしいのですが。」
帰る支度をした従業員が再び、頭を揃えて考え始めた。
一番最初に言葉を発したのは、賢太郎だった。
「カレーライス…。カレーライスはどうですか?」
平泉は「なるほど。」と頷く。
しかし東が、間髪入れずに突っ込んだ。
「いや、それはダメだ。カレーは臭いが強すぎる。店には他のお客さんもいる。自分の料理の臭い以外の臭いほど、食事をするときに不愉快なものはない。」
平泉は「確かに。」と頷く。
再び場が平行線になって硬直すると、平泉はこう言い放った。
「では、臭いがしないカレーライスを作ってはどうでしょうか?」
皆が驚いた。カレーは臭いがするものだ、誰もが思っていたからだ。
「カレーは提案者である、賢太郎くんに作っていただきましょう。」
平泉の無茶ぶりが、賢太郎を悩ませる日々が始まる。
それと同時に、大河原の来店までのカウントダウンが始まったのだ。
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