ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第2章 夜霧のラプソディ 2022/11
誰かの記憶:深い霧の中で
振り下ろされる剣の軌道を遮るべく薙ぎ払いで返しつつ、背後の様子を一瞥のうちに確認する。幸い進行方向に新手のモンスターが出現した様子もなく、PTメンバーである《レイ》と《リゼル》の2人は退路を確認しつつ安全確保を、私と並んで殿を務める《ニオ》も相手の隙を伺いつつ、小柄な見た目に似合わない壁役構成のステータスと、装備したタワーシールドで攻撃を凌いでいる。
現状を端的に表現するならば撤退戦、敵の総数は五体。内訳は人型モンスター《ダークエルヴン・ウルフハンドラー》と、ハンドラーが使役する大型の狼が二組。彼等を統率している《ダークエルヴン・オフィサー》を捌きつつの逃走劇を、女性プレイヤーが四人ばかり集まっただけのPTで繰り広げるという格好だ。
「ニオ、次の攻撃が来たらシールドバッシュお願い! そのまま全速力で逃げるわよ!」
「わ、わかりました………!」
慌てつつも返事を返してくれたニオは指示通りに、飛び掛かってくる狼とダガー持ちのハンドラーに向けてシールドで払い除けるように振り抜く。鈍い音でシールドの面に打ち付けられた彼等は大きくノックバックする。私もオフィサーの繰り出す《ホリゾンタル》を《スラント》で相殺させ、技後硬直から抜け出すまでの間に、ありったけの肺活量で叫ぶ。
「このまま入口まで撤退するわ! リゼル、このままナビ続行して!」
「任せな!」
レイの後ろでマップデータを確認していたリゼルの返事を皮切りに、これまで防戦に堪えていたPTは一挙にエルフに背を向けて走り出す。視界が効かないフィールドにおいてマップを随時確認する役割が一人確保できれば、無用な戦闘を避けることができる。殊にこのような撤退戦においては有難いものだと痛感する。方向音痴だらけのこのPTに、方向感覚に秀でたリゼルがいてくれたのはまさに僥倖とも思える。
緊張に弱いニオはタワーシールドを取り落してしまったようだが、今は命を優先するべきだ。装備重量が軽くなって速度が増したと前向きに捉えて、あとで装備は補填してあげようとも思いつつ、巨木が鬱蒼と繁茂する森を駆け抜ける。後方からしつこく付きまとう足音と、前方から示されるリゼルのナビゲーションが交錯するなかで、私は何故か、走馬灯のような回想が巡るのを感じた。
――――SAO。
このデスゲームが茅場晶彦の宣言によって開始されたあの時、悲鳴や怒号が反響する広場で震える足を何とか動かし、それまでPTを組んで共に狩りをしていたレイとリゼルの二人――――長身の爽やかな男性アバターの両名が女の子の姿になっていた時には大いに驚かされた――――と合流し、広場の隅で小さく蹲りながら泣いていたニオに肩を貸し、四人となった女性プレイヤーの集団は、それから宿に閉じこもることとなった。
あまりにも死との距離が近い、それまで日本という国に暮らしている中ではまず感じる事のない恐怖が、私に宿屋の一室から出るという行為さえも躊躇わせた。この時の私たちは、まさしく虜囚と呼ぶに相応しかっただろう。
しかし、如何に仮想の身体とはいえ空腹に耐えることはできず、一週間という籠城期間を経て、代表して私が街に買出しに出向くこととなったのだが、お世辞にも方向感覚が良いとは言えない私にとっては少々荷が重いお使いだったと記憶している。三人からは詳細な注文を受けたわけではないが、少しでも気が晴れればと、可能な限り美味しそうな食べ物を求めて店舗を転々としている時だった。
『そこの角曲がったところに、メチャクチャうめぇピザ屋があるぜ。オレのオススメだ』
『ひぃッ!?』
突然の、しかも男性の声に竦みあがり妙な悲鳴を大音量で上げてしまった。少しして顔が熱くなるのを感じながら振り向くと、そこにいたのは曲刀を腰に下げた赤髪のバンダナ男だった。目つきは鋭く、いかにも野武士か山賊といった風情だが、放つ空気は刺々しさを感じない。
『………あー、驚かしちまったか?なんかわりぃな』
『い、いえ……私こそ、すみません………でした………』
バツが悪そうに顎の髭を指先で掻きながら男が謝罪する。しかし、親切心でオススメのお店を教えてもらっていながら、そのお返しに悲鳴で応えるというのも不躾極まる。慣れない男性との会話を極力意識してしまわないよう肝に銘じながら、我ながらぎこちない動作でお辞儀を返したものだ。
それと、どうしてそう思ったのかは知らないが、彼ともう少しだけ話をしてみたいという衝動が込み上げてくるのを覚えた。それから、道案内という名目でオススメというお店にまで同行してもらい、近くの広場で語り合ったのを覚えている。時には彼の話を聞き、時には私の胸中を語り、まだ出会って間もない私の言葉に、彼は真摯に向き合ってくれた。
『そうか。おめぇも苦労してんだな』
『いえ、私なんて………でも、貴方は怖くないんですか? ………圏外に出れば、もしかしたら………』
『死ぬかも知れねぇよな』
言葉にするのを憚られた一文を、彼は少しばかり悩む程度の語調で口にする。
『でもよ、オレのフレなんかもっと先で、ずっと命懸けて戦ってんだ。追いつける自信はねぇけど、なんて言うか、アイツの背負ってる荷物を少しでも軽くしてやりてぇんだよな。オレとしてはよ』
まだ先は長そうだけどな、と男性は苦笑を漏らした。だが、彼の語った言葉は決して恥を感じる必要のないものだ。とてもまっすぐで、強い。そんな彼の言葉が幾度も私の中で繰り返されて、私も無意識のうちに言葉が零れてしまう。
『戦う………』
『まぁ、深く考えることねぇよ。とにかく、生きてここを出ることが最優先………』
そこまで言いかけて、彼の言葉は途切れる。突如として現れた闖入者達――彼の仲間のようだった――に包囲され、その全員から恨みがましい視線を向けられる。
『昼飯買うのにどんだけ時間掛かってんスか!?』
『今日は俺の驕りとか大見得切っておいて、何やってんです!?』
『ってか、なんで自分だけ女の子とお近づきになってるんですか!?』
『お、おめぇらうるせぇぞ! 俺だってもうすぐ戻ろうと………って、ピザ買い忘れた!?』
罵詈雑言の集中砲火は、彼の失態が判明するや否やさらに火力を増し、そのまま先程のピザ専門店まで連行される。助けを求める視線を送る彼に、またいつか会えるようにと願いながら手を振って送り出し、宿屋へと足早に戻る。
その道中の道具屋で委託販売されていた【アルゴの攻略本】と銘打たれた無料の製本アイテムも手に入れて、再び歩を進めた。この湧き起こった感情を、前に進む意思の火種を消さないために。
宿に辿り着き、購入したピザを配る。私の当初の目論見通り、劣悪な生活条件――――衣食住でいうならば、食というものは成立してさえいなかった――――の一端を一瞬ながら解消したことで全員の表情に僅かに笑顔が綻ぶ。この安らいでいる雰囲気に一石を投じるのは心苦しさがあるものの、それでも言わずにはいられなかった。
『私、外で狩りを始めてみようと思う』
言えた。と、妙な達成感が込み上げる反面で、言ってしまった。と、後悔の念がちくちくと責める相反した感覚を覚える。圏外に充満する死の要素が恐ろしくて、私たちはこうして宿屋の一室に閉じこもっていたはずなのだ。本来であれば、そういった外に関するワードはこのコミュニティでは暗黙の了解でタブーとなっていたにも関わらず、それを簡単に打ち破ってしまうのには少なからず罪悪感があった。だが、その心配を余所に三人の反応は意外なものだった。
『じゃ、こんな辛気臭い宿もとっとと引き払うよ。一緒に狩ればそれなりに稼げるだろうさ』
『いいね! どうせならもっとグレードの良い宿屋借りてゆっくりしようよ!』
『お風呂とかあると、嬉しいかも……です……』
後に聞かされたことだが、部屋の狭さにうんざりしていたとか、食べ物が欲しいとか、かわいい服が欲しいとか、お風呂に入りたいとか、そういった不満に対応する欲求が高まる反面で周囲の空気から、「狩りを行いたい」といった発言を忌避して誰もが我慢しながら一週間を過ごしていたとのことだ。同時に、いつまでも閉じこめられていることに対しての焦燥感も少なからずあったそうだ。つまり、そういった自覚を最も欠いていたのは自分ということになるのだが………
そして、図らずもこの空気を打破した私はそのままリーダーとして担ぎ上げられてしまった。必死にその決定に抗おうと試みるものの、やはり三対一では不利というか、三人寄れば文殊の知恵というか、悉く論破されてしまい、名ばかりリーダーと化した私は、彼女たちの協力もあって、幸いにも誰一人欠けることなくPTの平均レベルを十一まで上げることに成功した。そして、第三層の情報が記された攻略本の中で記載されたクエストに関しての記述で《ギルド結成クエスト》という項目に、PT全員が目を奪われたのだ。
常に四人PTとして行動していた私たちに、ギルドという枠組みはあまりメリットがあるようには思えなかった。前線メンバーの勢力争いに参加する意思もないし、ボス戦にさえ参加していない私たちには《前線の一角に食い込む》というその考えさえおこがましいだろう。ただ、ギルドを結成することで、この四人の不思議な巡り逢わせを結ぶ《PT》というシステム的に弱々しい繋がりをより強固なものにできるなら、これまで支え合ってきた仲間たちと共に前に進むための旗印となるなら、そして、この世界の理不尽に抗う奇跡を得られるならば………。
そんな思いが私たちを動かし、今に至るというわけである。
――――一ヶ月余りの長い記憶がようやく現在に追いつき、余計な思考の余韻を脳内から一蹴して背後を確認する。未だに五体のモンスターが追い掛けてくる状況は変わらないが、彼等の行動範囲はこの霧に沈んだ森の内側であり、そこから先に追跡が及ぶことはないはずだ。
巨木と霧に遮られた視界の中、リゼルのナビによって背景に溶け込んだ《トレント》を引っ掛けることもなく順調に進み、やがて霧を透過する光が量を増して、開けた道が近づくのを視覚的に察知する。森を抜けるまで残り二百メートルを知らせるリゼルの声が響き、全員が逃走劇にスパートをかける。
「……ひぐぅッ!?」
………だが、私だけが足を縺れてその場で転んでしまい、《転倒》の拍子に装備していた片手剣も手から転げ落ちる。どうしてこのタイミングで、と何度も自身を問い質すが、背後に視線を向けた際に目に映った《右足首を射抜いた矢》が全てを物語っていた。これまで矢が飛んでこなかったことを考慮しても、この出口付近で新たに《シューター》を引っ掛けてしまったと推測するのが正しいだろう。
「リーダー、今行くから待ってて!」
「ダメ、来ないで! このまま逃げてッ!」
退路確保の為に先行していたレイを筆頭に三人が踵を返して駆け寄ってくるのを、有らん限りの声量で制する。敵の総数は単体のみの増援とは考えづらい。《将校》の招集スキルによって周辺から呼び集められた小隊であることも考えられる。後者であるならば、その増援はいよいよ単体で済むとは思えないし、今後交戦するようならばさらに数が増えることも在り得る。それに何より、視界の狭いここで混戦となったとき、増援のエルフに包囲されるようなことがあれば全滅は免れない。ただでさえ壁役のニオはその防御の要としていたタワーシールドを失っているのだ。私を助けるために無用なリスクを冒してほしくはない。
「レイ、リゼル、ニオ………お願い、逃げて………」
怖くないと言ったら、嘘になる。
離れていく三人の背中が霧と光に飲み込まれていくのが堪らなく怖い。
このまま死を受け入れなければならない運命がどうしようもなく怖い。
いつかあの三人が後に私を見殺しにしたと自分たちを責めそうで怖い。
――――でも、仲間達が死んでしまう方が、どうしても耐えられない。
「………みんな、死んだら許さないから」
右足首を穿っていた矢を引き抜き、無理矢理立ち上がろうとするも膝下は完全に感覚がないことに気付く。矢に毒が塗ってあったのか、それとも被弾した箇所が悪かったのか、何れにしても復帰までは時間も掛かるだろうし、このまま逃げるのは困難だろう。森への出口に背を向け、辛うじて膝立ちになり、転がってしまった愛剣《アニールブレード》を拾って構え………そして、目が合った。
――――次の瞬間、霧を切り裂いて現れた影が私の視界を覆った………
後書き
第三層、プロローグ。
今回は燐ちゃんやヒヨリとは異なる《誰かさん》の視点で開始させていただきました。流石にいきなり無関係なキャラだけでお話が進むのも考えものなので、回想にクラなんとかさんが登場しています。女性に縁がないという設定があったような気がしなくもなかったので、辛うじて名前を聞かせていないようにしてみました。あの人のキャラ崩壊が不安ではございますが、これでいってみます。
例によって見切り発車なのでどうなるかはわかりませんが、次回からは間違いなく燐ちゃん達の視点で開始することとなります。そして、燐ちゃんとヒヨリは武器がユニーク品ということもあって、すり替え強化詐欺の対象外になってしまったので第二層は割愛してお送り致します。
ではまたノシ
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