ドリトル先生と学園の動物達
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第五幕その七
「言い掛かりをつけられたりするから」
「ああいう人達は何処にでもいますね」
トミーはこのことについては残念なお顔で言うのでした。
「日本にも」
「イギリスにもいてね」
「他の国にも」
「人間の社会にはどうしてもね」
「ああした人達もいるんですね」
「どうしてもね。それにね」
「それに?」
トミーは先生の言葉にまた尋ねました。
「それにといいますと」
「ああした人達がいない社会はね」
そうした社会でないというのです。
「かえってよくなかったりするんだ」
「そういえば」
先生の今の言葉を聞いてでした、トミーも言いました。
「ナチスとかソ連はそうでしたね」
「ああした社会にはヤクザ屋さんはいなかったね」
「はい、確かに」
「独裁者は表も裏も自分のものにしたいんだ」
独裁者は全てを自分のものにして動かしたいのです、それは表についても裏についても同じことなのです。
それで、です。ヤクザ屋さんもなのです。
「だからヤクザ屋さんをいなくしていくんだ」
「悪いお仕事をなくしていって」
「そうしてね」
まさにというのです。
「いなくなってしていったけれど」
「イタリアのマフィアなんかそうでしたね」
「ムッソリーニの頃のイタリアもね」
「それでナチス=ドイツやソ連も」
「そうした人達はいなかったよ」
少なくともかなり減っていました。
「けれどそれ以上にね」
「まずいことになってますよね」
「独裁者はヤクザ屋さんより危険だよ」
先生はトミーにはっきりと言いました。
「ヤクザ屋さんは確かに問題があるけれど」
「それ以上にまずい人もですね」
「いるからね」
「ううん、世の中って難しいですね」
「そうだよ、悪い人達がいないに越したことはないけれど」
それでもです、悪い人達がいない世界もまたどうかといいますと。
「そうしたことが出来る社会は独裁者のいる世界で」
「ヤクザ屋さんがいるよりもっとまずい世界ですね」
「そういうものなんだ」
こうトミーにお話するのでした、そしてでした。
先生はです、皆にこうしたことを言いました。
「僕は独裁者かな」
「先生が独裁者?」
「そうかって?」
「うん、どうかな」
こう尋ねたのでした、皆に。
「僕は皆にそうしているのかな」
「まさか」
「そうだよね」
皆は先生の言葉を聞いてそれぞれ言うのでした。
「僕達の言葉はいつも聞いてね」
「忠告は聞くし」
「自分で全て決めないし」
「というかいつもね」
「何かする時はね」
「絶対に僕達の話を聞いてね」
家族会議をしてなのです、先生は。
「それからだからね」
「何をするのか決めるから」
「先生は独裁者じゃないよ」
「先生は先生だよ」
「独裁とは無縁だよ」
「むしろ、ね」
先生は独裁者どころではなく、というのです。
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