SAO(ソードアート・オンライン)~緋色の風~
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第一話~prologue
そこは緋色の世界だった。
空には灰色の雲が疎らに広がり、周囲には生き物の気配はなく、遠くに黒っぽい岩が幾つか見えるだけだ。
そんな本能に圧倒的な虚無感を与えてくる緋色の世界に、一人、見覚えのある顔をした少女がいた。
その顔は自分のそれとよく似ていて、一瞬、それは他の誰でもなく自分自身なのではないかと思った。
あたかも鏡に映る自分自身を見るようにその少女を見つめ続けて、気づく。
(違う、これは自分じゃない。)
自分なんかじゃない。
その少女は優しく微笑んでいた。
自分がやり方も思い出せない、柔和で柔らかな笑みを浮かべていた。
しかし自分ではないと確信する一方で、この表情には見覚えがあった。
(ああ、そうだ。この表情は…)
少女の口が動く。
言葉の内容は聞き取れなかったが、少女は先ほどまでの微笑みから一転して物悲しそうな表情に変わった。
(違う、こんな表情がみたいんじゃない…違うんだ)
笑って欲しくて、触れたくて、手を伸ばす。
しかしその手が少女に触れる前に少女は消えた。
足下に白い骨を残して。
「……っっ!!」
急速に緋色の世界が遠退き、それと同時に意識が覚醒していく。
自分が先ほどまで寝ていて目を覚ましたと理解すると同時に飛び起き、素早く腰に装着している紅い短剣を抜き周囲に注意を配る。
少しずつクリアになる意識の中で改めて自分のいる場所を確認する。
正面を向けばやたら分厚い金属製の扉、見上げれば灰色で清潔なイメージからは程遠い天井、壁には利き耳スキル対策として敷き詰められた防音効果のあるトカゲ型モンスターの鱗、背後には扉と同じ金属の雨戸。
そこが見慣れた第四層の寝蔵であることを確認するとカリンは大きく溜め息を吐き出し短剣を腰に戻した。
SAOがデスゲームと化して一年が経ち、絶望的に見えたクリアも攻略組と呼ばれるトップランナー達により第52層まで解放され、プレイヤー達の現実世界への帰還という期待も高まっていった。
しかし、トップランナー達がクリアを目指し他のプレイヤーに希望を与えるその一方、カリンはそれとは全く異なる方向性でこの世界を生きていた。
コン、コココ、コン、コン…
”仕事”のノックが分厚い金属の扉から小さく響く。
「…ったく、まだ朝方だってのに……」
軽くボヤくとメニューウィンドウを開き、長所と言えば軽さくらいの防御力の低い地味なベストとズボン、顔が隠れるフード付きのローブ等の装備を素早く装着する。
SAOの良いところは洗顔や入浴などの必要がないところであるとカリンは常々感じている。
現実世界なら10分はかかるであろう身支度もこの世界では10数秒で済ませる事ができ、基本的には不潔などとも縁がない。
カリンは準備を済ませるとフードを被り静かに扉を引く。
最大値まで修練済みの索敵スキルにより来訪者が一人である事は予め分かっていたが、警戒しておくに越した事はない。
なぜなら…
パーン!!パーン!!
扉を拳二つ分程開けると同時にけたたましい破裂音がなり響き、色とりどりの紙が扉の隙間から部屋に入ってくる。
「やっほーカリンちゃん!ハレルヤー!…ってなんで私の粋なサプライズにノーリアクションなの?」
「…今何時だと思ってるんだ?」
呆れながらも扉を開ききり、来訪者を部屋に迎え入れる。
この来訪者ことハナはカリンが所属するギルドの一員であり、SAOでは珍しい女性プレイヤーでもある。
SAOがデスゲームと化したあの日、全プレイヤーのアバターは初期設定に用いた体型データや、ナーヴギアがスキャンした顔の表面の凹凸を基に現実世界のものに置き換えられ、それによりネットで異性を演じる”ネカマ”と呼ばれるプレイヤー達は強制的に本来の性別、姿でプレイする事となった。
そういった経緯により、現在このSAOでは一般的なネットゲームに比べて圧倒的に男性キャラクターの比率が高くなっている。
ハナはそういった稀少な女性プレイヤーではあるのだが、その奇抜さや空気を読まない言動から男性プレイヤーだけでなく同じ女性プレイヤーにも敬遠されている。
具体的に、ソードスキル使用後に仲間と立ち位置を入れ替えることで技後硬直の隙をカバーする”スイッチ”という技術があり、これは複数人で協力してモンスターと戦うときには必須とされているが、ハナはスイッチのタイミングで何故か戦線から離脱して道端で植物を採集しているなど、SAOにおいてはパーティーメンバーの死亡事故に繋がる可能性のある行動を何ら躊躇いなく行う。
実際に何も知らずに「可愛い女の子」であるハナとパーティーを組んで命を落としそうになったプレイヤーは数多く、今では“無意識オレンジプレイヤー”などと呼ばれ、余程の世間知らずでなければ話しかける事もない。
「ごめんごめん、30層の路地裏にあった露店で面白いもの見つけたから見せてあげようと思って♪」
「…それが今のクラッカーか?」
「うん♪これはもう、一目見た瞬間に『カリンちゃんをビックリさせるしかない!』って閃いてさ!」
「…あー、そうかい。んで?仕事の話は?」
「あー、ごめん、さっきのはカリンちゃんの不意を突こうとしたジョークで…」
「今すぐ出ていけ」
「ごめんごめんごめん!あ、そう言えば、カリンちゃんが探してた物が手に入ったから持ってきたの!そうそう、そのために来たんだった!」
「『そう言えば』って言ってる時点で全く信用出来ないが…」
ハナは慌ただしくメニューウィンドウを開き、ストレージを漁ると紫色の液体が入ったビンを取り出す。
「ほら!あったあった!…あって良かったぁ」
「…うん、確かにカラキリグモの体液だな。報酬は」
「あー、いいよいいよ♪お金とかあってもしょうがないし。その代わり…」
そう言うとハナは再びメニューウィンドウを開き、今度は大量のフリルがあしらわれたメイド服を取り出し、カリンの前に掲げる。
「是非とも!カリンちゃんにこれを着てもらいたいんだけど」
「絶対に嫌。はいこれ報酬金」
「…少しは考えてくれても」
「ハナ、お前、俺がそういうの苦手なの知ってるよな?」
「でもでも!カリンちゃん折角可愛いのにいつも可愛くない服着てばっかだし!」
「うっさい、大きなお世話だ」
カリンは溜め息を吐きながら改めて自分の身体を見下ろす。
細い手足、控え目ではあるものの確かな存在感を持つ胸。
カラキリグモの体液が入ったビンに映る顔は少年のようにも見えるが、身体的特徴が加わることで一見して完全に女性プレイヤーである。
しかし、カリンこと柏木倫人(かしわぎ みちひと)は男である。
この場合の男というのは男性アバターという意味ではなく、男性プレイヤーという意味である。
自分のアバターを物憂げに眺め続けているカリンにハナは首を傾ける。
コン、コココ、コン、コン
そんな時、再び”仕事”のノックが部屋に鳴り響く。
イレギュラー要素が目の前にある以上、今度の来訪者はおそらく本当に”仕事”の依頼に来たのであろう。
カリンはハナに目配せすると扉をゆっくりと開ける。
「どちら様でしょう?」
「…リコルの実を売りに」
合い言葉からギルドのポニポニの紹介である事を確認すると扉を開ききって依頼人を部屋に招く。
その依頼人は小太りした男で瞳からは欠片も生気が感じられず、奥深くに揺らめくような憎悪が見え隠れする。
(これは冷やかしではなさそうだ)
カリンは椅子代わりにベッドに座り、扉が閉まりきるのを確認すると同時に尋ねる。
「それで、ご用件は?」
「殺して欲しい奴がいるんだ」
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