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青い春を生きる君たちへ

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第11話 イタ電

都内某所の地下。地図には記されていない、「そこには何もない」事になっている場所。そこに、穴ぐらがある。これまた、「居ない事になっている」はずの人間達の為の、最新鋭の設備を整えた穴ぐらが。


「うーす」


その穴ぐらはカードキーや生体認証などを何度も通さないと入れないような、そんな厳重な穴ぐらだったが、その物々しい雰囲気に全くそぐわない飄々とした男、頬がこけ、黒縁メガネをかけた男が、その一室に入ってきた。その部屋もその部屋で、壁には西洋画が飾ってあったり、カーペットが敷かれていたり、ソファをいくつも置いていたり、デスクやローテーブルは全て木製だったり、紅茶の芳しい香りが漂っていたり。まず照明からして色合いが明るく、無機質な空間ばかりの穴ぐらの中では異彩を放っている。その部屋は、この日本で「居ない事になっている」連中のボスが詰めている部屋だった。


「あら。古本くんじゃない」


部屋の奥のデスクには、スーツをピッチリと、スタイリッシュに着こなした細面の、妙齢に見える女性。長い黒髪を一つに束ねて、肌の白さと、赤く艶やかで厚みのある唇とのコントラストが美しい。この女性は、古本と呼ばれたメガネの男に笑いかけるが、その妖艶な笑みには目もくれる事なく、古本はローテーブルを囲むソファの一つにどかっと腰を下ろした。


「あら、じゃねーよー。どんだけ俺に雑用させんの?局長補佐っつって、現場から離れて少しは楽になるかと思ったら、ちっともんな事ねぇじゃん。データの処理ばっかり疲れたわー。これだったらまだ、ちょくちょくサボれる分だけ現場のがマシだわー」
「うふふ、それはお疲れ様。紅茶でもいかが?」


部下の古本にタメ口で愚痴をこぼされても、女性は少しも気を悪くする事なく、自分が飲んでいたのと同じ紅茶を淹れてやりさえした。ローテーブルに置かれたティーカップを乱暴に掴み、古本はズズズと音を立てながら飲む。女性は行儀の悪い古本に苦笑いを浮かべながら、自分もソファに腰掛けてローテーブルを囲んだ。


「あなたぐらいなのよね。この部屋に休憩しに入ってきてくれるの。もっと、みんな来れば良いのに。その為に、来客対応用って口実で、こんな部屋こしらえたのにね」
「何言ってんだよ、あんたの趣味だろーが。それに、市ヶ谷の魔女の部屋に、そんなに気軽に入って来れるかい。余程物好きでもない限りな」
「それだと、あなたは相当な物好きなのね」
「もちろん。俺はブスと別嬪なら、ブスの方を抱く男だ。大切にされた事がねえから、ちょっと優しくされただけで子犬みたいな目をしてきやがる」
「そして切り捨てる、と言うのね。それは物好きというより悪趣味よ」


部下と上司という関係ながら、古本と女性との会話には遠慮というものは見えず、2人の気の置けない関係を表している。組織の論理で言えば、決して許されるようなものではないが、しかしこの組織自体、そもそも無かった事にされているような逸脱した組織である。そして、逸脱している事にこそ、この組織の存在価値は認められていた。


「あ、そうだそうだ。T事案な。多分、そろそろ動きあるぞ」
「そうねぇ。タイムリミットももうすぐだしね。可能性は高いわね」


ふと話題に上がった仕事の話。タバコに火をつけながら言った古本の言葉を、女性は背もたれに身を預けた楽な姿勢で聞いた。


「ま、大丈夫でしょう。あの娘がついてるしね」
「……あのさぁ、いくら公安のケツ拭きだからって、そう露骨にどうでも良いような態度とんの止めてくんない?結局、これに関してやった事と言えば、あいつ1人送り込んだだけじゃん。それも、青春ごっこという形でだ。勘弁してくれよォ。文句言われるの末端なんだよォ?上戸局長は思い上がってる、自分の事しか考えていない、立場をわきまえろって」
「そんなの、私に直接言えば良いのにねえ」
「言えねえから下っ端に言うの。市ヶ谷の魔女に面と向かって文句言える奴なんてそうそう居ねえって」
「ええー?あなたのような偏屈な部下のお小言もちゃんと聞くし、いつも周囲を気遣って忘れない、優しい女なんだけどなあ」


上戸と呼ばれた女性は古本の言葉に、心外そうに口を尖らせる。別嬪さんで、魅惑的だが、どこか妖しさも兼ね備えているのがこの上戸という女性だった。気さくで優しいし、人に好かれる要素満載でありながら、一方で、それらの印象とは真逆の顔を見せたりもする。ハッキリ言うならば、味方にしている分にはこれほど良い人間も居ないし、敵に回した時にはこれほど厄介な人間も居ない。それが市ヶ谷の魔女という仇名にも表れていた。


「……青春ごっこも大事よ。青春時代、あったでしょ?あなたにも、私にも」
「まぁねぇ〜。あんたのガキの頃は想像できんけど」
「あら?今と同じく、とても可愛いコだったわよ?……とにかくね、あの娘にも、ちょっとくらい味わわせてあげたいじゃない。青春ってヤツ」
「……相変わらず、気に入ったヤツには寛容だな〜」
「だって、あの娘、ホンット健気で、とっても可愛いんだもの」


上戸は笑った。穴ぐらに、よく通る活発な声が響いた。上戸のとぼけた様子に古本がついたため息が、そのままタバコの煙となって、天井へと登っていった。


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「……何が誕生日プレゼントだ、あいつ」


自宅に帰った小倉は、田中から受け取ったUSBを訝しげに見た。誕生日プレゼント、と田中は言っていた。これを渡した後、田中は実に元気そうだった癖に早退し、学校を後にしていた。何故か高田も早退したが、あの2人でデートにでも出掛けたのだろうか。高田に限ってそんな事……とは、今の小倉は思えなかった。半月前、唐突にあんな事が起きたから……

小倉はため息をつきながら、USBを自室のパソコンに刺した。何で高田の事を考えてんだ、今は田中の事を気にするべき時だろ……自分自身に呆れながら、パソコンの電源を立ち上げる。
OSが順調に立ち上がっていくが、小倉は少し違和感を覚えた。いつもの画面のレイアウトと、何かが違う。よくよく確かめてみると、アイコンが一つ増えていた。毒々しいピンク色の、ハートのアイコン。そのアイコンが操作なしに、一気に画面全体に広がった。


「はっ!?」


小倉は部屋で1人、素っ頓狂な声を上げた。なんだこれは。こんなアプリインストールした覚えなんて無いぞ……そこまで考えて、今パソコンに刺さっているものの存在に思い至った。


(こいつか!?)


すぐに田中からの誕生日プレゼントを引き抜く。しかし、USBを抜いても、画面に広がるハートは消え失せない。どうやら、完全に侵入されてしまったらしい。ハートのアイコンはどうやっても最小化できず、他の機能を使おうにも、画面は全てハートに覆われている。つまり、パソコンが完全に無力化された。


「ちょっ!……どうなってんだよっ!」


小倉は両手をデスクに叩きつけた。プレゼントだと言われて受け取ったUSBの中身は、許可なしにパソコンに侵入する迷惑ソフトか!今目の前に田中の顔があったら、どんないい笑顔してても一発殴ってる。どうしようもない怒りを溜めた小倉に、その怒りの矛先の声が聞こえた。


《やあ、謙之介!やっぱりインストールしてくれたんだ!さっすが、謙之介ならあのUSB、かならず中身を確認してくれると思っていたよ!》
「あぁ!?」


小倉は周囲を見回した。もちろん田中は居ない。スマホを見てみた。もちろん繋がってない。最後に目が向いたのは、眼前で忌々しいハートマークを映し出している、自分のノートパソコン。そのスピーカーから、田中の声がした。


「てめぇえ!何て事してくれやがったんだ!ふざけんなよ、パソコンは高級財なんだぞ!イタズラで壊していいもんじゃない!」
《大丈夫大丈夫、確かに君のパソコンは占拠したけど、そんなに長く使えない事は無いよ。なんなら、今すぐにでも元に戻す事もできるさ。それは君次第かなぁ》


画面にはハートマークのみが映り、スピーカーからは田中の声だけが聞こえ、田中がどんな顔を画面の向こうでとっているかは分からないが、恐らく、いつも通りの良い笑顔で話しているのだろう。小倉は歯噛みした。


《で、今から始めるのは、昼休みにも言っていたように、愛の実験だ。俺は、愛というのは相手を信じる事だと思ってる。これからしばらくの間、俺は謙之介の、俺を信じる心を確かめたいと思う》
「……恥ずかしげもなく何を言ってやがんだよ……やっぱお前なんかに、あんな事言わなけりゃ良かった……」


小倉は頭を抱えた。自分の気の迷いが生んだ一言の質問が、田中をこんな奇行に走らせてしまったのか。……いや。小倉は、すぐにその可能性を否定した。田中はこのUSBを、昼休みのあの言葉を聞いた時点で既に持っていた。つまり、USBの中身については、自分が「愛って何だ?」と尋ねる前に既に完成していた。という事は、最初から自分にUSBを渡すつもりではいたのだろう。いつそれを自分に渡すか、測っていただけで。今日じゃなければ、やはり間近に迫った自分の誕生日だったのかもしれない。


《まぁまぁ。臆面もなく口に出すのは憚られるかもしれないけど、大事な問題じゃないか、愛。君もその中身を知りたいし、俺も自分の仮説を確かめたい。英語で言うと、WIN−WINだぜ?君の願いに関しては、この実験が必ずしも愛の本質を突いたものかは俺も保証はできないが、しかし、一つの仮説を元に試してみる事で、見えてくるものは必ずあるはずだ。モノを考えるには、叩き台って奴、必要だろ?》
「…………」
《よし、実験の方法を説明しよう。とても簡単だ。これから謙之介は、俺の言う事を信じて、そして行動する。ただそれだけだよ。どう、簡単だろ?》


確かに、簡単だ。しかし、一体、それでどうなるというのだろう。小倉は、田中の真意を測りかねた。


《よーし、それじゃ、早速実験一回目だ。今、画面にネット電話の発信画面を出した。このパソコンからネット電話をかけて、この文章を読み上げて欲しい。》


小倉の返事を待たず、田中は続けた。ハートマークだけが映っていた画面に、人気ネット通話アプリの発信画面のウィンドウと、文章が打ち込まれたメモ帳のウィンドウが開いた。小倉は、この通話アプリをインストールした覚えは無いし、そこに表示された番号にも見覚えは無かった。そして、メモ帳に書かれた文章。何かの連絡文のようだ。その内容をよく見てみると……


「なぁ、田中」
《うん?質問?良いよ、どんどんするといい。信じる為には、判断材料が必要だからね》
「……この番号の相手、一体誰だ?それにこの文章……」
《ああ、この番号は、今謙之介の部屋に家宅捜索に向かってる内務省公安部の構成員のものだよ。で、この文章は公安の連絡規則に則って捏造したものだ》


公安。それほど教養の無い高校生でも、その響きが物騒な物だということくらいは分かる。家宅捜索?どうして俺が?俺はけして、正しく生きてきた訳ではないが、しかし、それでもお上に楯突くような真似までは……


《ハッキリ言った方が良いかな?追われてるんだ、俺。警察と公安、そして、他国の諜報員に雇われた暴力団。少なくとも、こいつらには追われてる。いや、今日からまた追われ始めた、という方が正しいかな?で、俺の親友として公安に認識されている謙之介の所にも、今から家宅捜索が及ぶというわけだ。理解できた?》
「…………」


小倉は目をシパシパさせながら、画面のネット電話のウィンドウと、メモ帳のウィンドウを交互に見た。何も言葉が出なかった。田中の言葉はどれも、現実感に欠けていた。追われてる?青葉松陽なんて、しみったれた高校の優等生なんぞが?それも、公安や暴力団まで噛んできてるとなれば、個人でヤクをキメてるとか、そんなレベルの話でもないし、補導とかそんなレベルの話ではましてやないだろう。たかが高校生に、そこまで大それた真似ができるのか?そもそも、俺が田中の親友って何だ、そこまで深い関係でも……


《姿をくらました俺が外部と持つ接触は、この謙之介のパソコンだけだ。このパソコンは、逃亡者・田中智樹とのホットラインなんだよ。ああ、もちろん、俺の事を追ってる連中にバレない工夫はちゃんとしてるから、心配しなくても良いよ。ま、ホットラインが繋がってる時に、このパソコンから特殊な技術使って逆探知されない限りは大丈夫さ。ま、手間をかけて接続した分、切るのにも10分以上かかっちゃう。そして、公安は謙之介の部屋に後10分足らずで到着する。つまりだよ。俺は今、謙之介にこういう要求をしてる訳。ヤバい!公安が俺の居場所を突き止める、唯一の手がかりに気づいちゃう!だから、このホットラインを切る時間を、そこの偽情報を公安に流す事で稼いでくれ!》
「…………」

小倉は、短い自分の髪を手でくしゃっと掴んだ。もはやため息も出ない。こいつは、画面の向こうのこいつは、さっきから一体何を言ってるんだ?


「……バカか……さっきから黙って聞いてりゃあ……何を根拠のない事を……」
《根拠をハッキリと示してあげられない事については謝るよ。でもあんまり、根拠をハッキリと示しすぎると、俺への愛を試す実験の意義に関わっちゃうからねぇ》


顔の見えない、画面の向こうの田中の声は、いつもと同じく飄々としていた。様々な組織から追われている人間、それも、今現在窮地を迎えている人間の声だとは、中々思えない。


《もし捕まったら、俺はロクな死に方しないだろう。自白剤を半リットルもぶち込まれて、人格も体も滅茶苦茶に壊されながら死んでいくだろうな。さあ、どうする?やっぱり、俺の言う事は信じないかい?全て俺の狂言として片付けるかい?それも良いだろう。根拠が無いし、公安の捜査を撹乱したら、謙之介も俺の共犯者になっちゃうからねぇ。撹乱した事がバレない保証もないし、俺に言われた通りこれをやった所で、俺が助かるという保証もない。信じない理由を見つけるのはとっても簡単だ、疑うのはとっても簡単だ。さぁ、どうする?》
「……」


小倉は、自分に迫ってくる田中の声を聞きながら、画面を見つめた。発信ウィンドウと、メモ帳ウィンドウに記載された文章、それらを交互に見る。さっき、田中は後10分と言った。時間はそれほど残されてはいない。しかし、本当に田中の言うがままにこれをやって良いのか?田中の言った通り、偽情報を流すなんて、自分も罪に問われかねない。そもそも、田中の置かれている状況の説明というものが、まずもって素直には信用できない。どうしてだ?なぜ、いきなり、そんな命の危険に晒されてやがるんだ?昼間の、いつもの平和な学校生活から、一体どうやったらそんな状況にボソンジャンプできるんだ?おかしい、マトモじゃない、狂ってる……
小倉が固まったようになっていても、命の危険に晒されているはずの田中当人は、答えを黙って待ち続けていた。時計の針が進んでいく。沈黙が続く。


「……チッ!」


小倉は舌打ちと同時に、通話アプリの発信ボタンをクリックした。



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《さすが、一回目の実験はクリアだ!ありがとう謙之介!助かったよ!》
「…………」


画面の向こうでは能天気な声がしているが、小倉は椅子にどっと深く腰掛けて息をついていた。こんなに電話で緊張したのは初めてだった。出たのは中年の男の声で、疑われる事なく連絡は受理されたが、自分の声が震えていないか、異常に気付かれていないか、気にすれば気にするほど、声は出にくくなった。


《いやー、しかし、謙之介の俺への愛も中々なもんだなぁ。信じてもらえるかどうか、五分五分だと思ってたんだけどな》
「……うるせぇ。イタ電くらいじゃ、拷問されて殺される事はあるめぇ。でも、イタ電かけなきゃ、お前はそうやって殺されるんだろ?……リスクの少ない方をとっただけだ」
《その合理的判断の前提になったのは、俺の言葉で、結局謙之介は俺の言葉を信じたんだろ?心配してくれなくていいよ。謙之介の声はちゃんと加工されて元の声が分からなくなってるし、回線も足がつかないように細工はキチンとしたから。》


更に小倉はへたり込んだ。つまり、今田中が言ったような細工が全て完璧でなければ、足もつくし、普通にバレてしまうということだ。思った以上にリスキーな決断を衝動的にした自分が恐ろしくなった。


「何故だ……」
《え?》
「そこまで危ない状況なら、さっさと逃げれば良いじゃねえかよ。俺なんかと、こんなお遊びしてねえで」
《それはダメだ。愛の実験は何としても実行しないといけない。大事な事だからね。また次を用意するよ。首を長くして待っててくれ。それじゃあね。今日は信じてくれて、ありがとう!》


その一言を最後に、画面を覆っていたハートマークは消え失せ、同時にパソコンの電源も落ちた。小倉はしばらくその場から動けず、自分が今行った"実験"の、理解しきれない中身と意図を頭の中で反芻するばかりだった。

それから数十分後。小倉の部屋の呼び鈴が鳴った。ドアの前に立っていたのは、聞き覚えがある声の中年男、差し出した身分証を見ると、彼は公安の構成員だった。

 
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