イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview7 「お母さん」
「みーんなやっつけてやります」
2000年もの昔。エレンピオスに一人の卓越した女がいた。
女は文字通り身を削り、人と精霊のために尽くした。
北で黒匣によって微精霊が死んだと聞けば、飛んで行って黒匣の使用中止を訴え、黒匣そのものを破棄することもあった。
南で精霊が黒匣ごと人間を殺していると聞けば、翔けていって先陣を切って強大な精霊と刃を交えた。
そんな女の周りには自然と人が集まった。当時、徒党を組むとそれは「クラン」という単位で表された。
女のクランは精霊との共存を望む人間の集まりであった。
「 ミラさま、マクスウェルさまとちゃんと会えたかなあ 」
そのクランのメンバーの中に、一人の少女がいた。銀髪に翠眼、クランの中でも小柄で年少。
アイリスの名を持つ少女は、女の養い子だった。女にとって少女は自らの後継者で、少女にとっての女は母を超えて女神に等しかった。
精霊を利用せんとする一派が女と精霊の主の逢瀬を襲撃した際、これを撃退したのはその少女であった。それほどに少女の実力と女への心酔はクランの中で抜きん出ていた。
「 ミラさまはマクスウェルさまと望むままに進んでください。ミラさまを邪魔する奴は、イリスがみーんなやっつけてやりますから 」
だから、必然だった。少女が新天地へ渡らず女の傍らに残ったのは。
少女の婚約者のように決意を帯びて、あるいは精霊の一方的な「審判」に憤り、または恐れて、新大陸に渡る者もあった。
「 恥知らずども! 精霊ごときに恐れを成して追従するなんて。ミラ・クルスニクのクランに名を連ねた時の誓言は偽りか! 」
精霊を利用せんとの打算で追従した者もあった。
「 ミラさまを利用する奴、嘲笑う奴、貶める奴は、イリスが殺せばいい。貴女は光の中にいてくださればいい。ミラさま。イリスの女神さま。この世で一番尊いお方 」
もちろん少女のように女を慕って残る者たちもあった。彼らは崇高な使命に闘志を燃やし、愛する人々が健やかに暮らせる明日を守ろうと、強い意思を宿していた。戦友の存在は、女を、少女を、慰め奮起させた。
しかし、心意気だけで現実が打破できるかといえば、全くもってそんなわけはなかった。
体が炭化していく「呪い」。これは戦士たちから戦う意思を奪った。生きながら己が無機物になってゆく恐怖、激痛。
時計を捨てて脱走する者もあった。
少女は陰で脱走者を粛清し、残った者を牽制した。ただでさえ少ない戦士を減らせなかった。
「道標」集めは暗礁に乗り上げた。精霊の主が閉ざした新天地に、5つの「道標」の内3つがあった。隔世の殻は人間では壊せない。
ついに女は「呪い」のため倒れた。病床に臥した女は、少女に次世代を任せた。
「 私の跡目として育てたあなた……遺される同志たちを導きなさい……今日までにそれが出来るだけのことは教えてきたわ。さあ……世界に羽ばたきなさい、私のリリオシータ 」
初代クルスニク族長は没した。亡骸は黒い呪いに侵され、崩れ去った。
そして、虹と花の名を冠した少女が2代目族長として立った。
クラン襲名後、少女は準備をした。
骸殻の強さや「呪い」を研究した。
いずれ挑むべき大精霊、クロノスとオリジンを破る力を求めた。
先代から継いだ元素水晶から「蝕」の属性の精霊を産み出し、さらにはその精霊と同化した。
戦力増強、そして万が一の「審判」敗訴に備え、黒匣技術を尽くして「次世代」を量産した。
活動中、少女たちは分史世界なるものを観測した。骸殻能力者は進入できるらしいので入ってみた。
そこは写し身の天地。殺さねばならないのは同志。
それでも壊した。少女はクランのリーダーだったから。
これ以後、「呪い」――時歪の因子化を恐れる、特に若く新しい世代は少女に反発し始めた。
少女は反発を利用した。ドロップアウトを目論む戦士を、密かに、非人道な手段で因子化させた。リーゼ・マクシアと繋がった分史を造り出し、そこから「道標」を回収する。すでに方舟から隔てられた彼女らに選択肢はなかった。
「道標」回収を円滑に進めるため、「鍵」には半ば強制で子を産ませた。当時の「クルスニクの鍵」は一人だけ。「鍵」に大事あれば使命遂行どころではない。
血涙を流して「道標」を4つまで集め終え、残すは「最強の骸殻能力者」だけとなった。
クランは大いに紛糾した。まず同族で優劣を競ったこともない。「最強」の定義も分からない。実力か、壊した分史の数か、精神力か。結果として、クラン内で押し付け合いが発生した。お前だ、いやお前だ、ちがう俺じゃない、私じゃない。抗争は三昼夜に渡って続いた。
四日目の朝、ようやく最後の「道標」が出現した時には、もはや彼らは「一族」の体裁を成していなかった。
生き残った者は少女を除いて7。全員が少女の「製造」した、偉大な女導師の実子だったことがせめてもの救い。
ほうぼうの体で「道標」を揃え、「カナンの地」を開いた彼らは、約定に従って渡し守であるクロノスを呼んだ。
これでようやく長く苦しかった戦いの日々が終わる。少女は半ば達成した気分だった。
だが、現れたクロノスは告げた。
カナンの地へ「橋」を架ける術の「証」として、強いクルスニク血統者の命を捧げろ、と。
そんな約定は「審判」開始前に定めたルールには含まれていなかった。「審判」のルールを歪めるなら精霊側の敗訴だ、と少女は訴えた。
クロノスは冷ややかに答えた。
「 オリジンと契約した始祖クルスニクこそが、クルスニク一族の者の命を『橋』に定めたのだぞ 」
崇拝していた女が、精霊どもと同じくらいに残酷な試練を少女たちに用意していた。
少女の女への愛は変わらなかった。だがこの日確かに、少女の中で女に対して抱いていた何かが砕け散った。少女は、折れたのだ。
だが、少女以外の7人の「子どもたち」は屈しなかった。彼らは腑抜けてしまった少女に頼もしく告げた。
「 貴女は言った。人類は精霊から解き放たれ、自由に生きるべきだと。貴女の理想を遂げるためには、貴女に頼ったままではいけない 」
「 貴女の力で『審判』を超えてもそれは真に人類の勝利とはいえない。貴女は精霊であるゆえに。我らは我らのみで精霊より勝利をもぎ取らねばならない 」
かの子らの主張はまったき正論であった。少女は歓喜した。
「 若者たちよ。お前たちは自らの意思で選んでくれたのね。人の独立独歩を。精霊を排し人類が繁栄する未来を。我が理想を正しく受け継いでくれていたのね。ええ、ええ、これ以上何を望みましょう。さあ、その槍をこの身に突き立てなさい。イリスは貴方たちをかの地に渡す橋となりましょう 」
少女は子どもたちを「カナンの地」へ渡すため、喜んで子どもたちに殺されて「橋」を架けた。
ミラ・クルスニクの子どもたちは虹色の「橋」を渡り、最後の試練に挑みに行った。
これで少女のものがたりは閉幕――であればどんなに救われただろう。
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