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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第五十五話 朱に染まる泉川(上)

 
前書き
今回の主な登場人物

草浪道鉦中佐 守原家陪臣、護州閥随一の切れ者にして愛国者

アイヴァン・ルドガー・ド・アラノック中将
東方鎮定軍第2軍団 司令官 ユーリアの下に派遣された〈帝国〉本領の増援を統括する。
円熟した常道の将軍

ゲルト・クトゥア・ラスティニアン
東方鎮定軍第2軍団 参謀長 軍官僚としては有能だが人としての評判が悪い。



ヘルマン・レイター・ファルケ大佐
第1教導戦闘竜兵団司令、新兵科である龍兵の現場責任者

新城直衛少佐 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長 

藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚

益山中尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊情報幕僚 馬堂豊久の息がかかっている。 

 
皇紀五百六十八年 七月二十三日 午前第六刻 龍州軍司令部庁舎
龍州軍司令部 戦務主任参謀 草浪道鉦中佐


皇紀五百六十八年の七月は、<皇国>陸軍にとって屈辱と悲哀と諦観の入り混じる長い一月であった。

 龍州軍と近衛総軍は事前の腹案の通り、後衛戦闘を担い、虎城防衛の主力軍から引き抜かれた集成第2・第3軍の背後を護る筈であった。
龍州軍は敗戦で負い傷を僅かにでも広げまいと、第15東方辺境領重猟兵師団と第5東方辺境領騎兵師団の攻勢を防ぎながら泉川へと逃げ込む事に辛うじて成功した。
 泉川は龍州の州都であり、集成第二軍が東州へと渡る際に使用する龍州最大の港湾都市・上泊 虎州を経て皇都へと通ずる二大交通路である皇龍道・内央道の起点となる龍岡と陸・海運の要所へと通ずる交通の要所であった。
 無論、南北にはそれぞれ友津・盟塚を経由する街道があるが、亢龍川を渡る際に利用する橋の規模や、河川水運の状況などから、<皇国>軍が龍口湾に投入した軍は統制が効く限りはほぼ全軍がこの泉川へ集結する事になった。
 幸いと云うべきか、内務省と衆民院が推進した疎開計画により、泉川は既に軍属の者以外は半強制的に疎開させられており、かつての龍州の州都としての華は完全に消え失せていた。
 急に泉川の中心地となった龍州軍司令部は空虚な市街地から外れた庁舎から市役所に場所を移し、参謀達はかつて文官たちが執務を行っていた場所の一部を借りてただ時間を稼ぐための方策を打ち出そうとしている。
「・・・・・・・・・・・」
龍州軍司令官である須ヶ川は顔面を蒼白にし、苛々と細巻を押し潰している。
「閣下、敵の主力前衛部隊が既に約十五里の距離に居る事を戦闘導術班が確認しました。
明日には交戦状態に入る事でしょう」
 草浪は常の通り、木で鼻を括った様な口調で報告を行うと、須ヶ川はピクリ、と体を震わせた。
「う、うむ。て、敵軍の接敵までにこちらの防衛の用意は整っているのかね?」

「はい、閣下。土嚢と塹壕は兵站部の事前の努力もあり、既に予定通りに築城を完了しております。尚、物資も龍爆の被害をうけぬように、地下に移動させているので、龍爆による被害は以前と比べて格段に防げるものと思います。
泉川にある程度集めていた後備兵によって、各隊も可能な限り補充を完了しております」
――とはいえ、どれほどの意味があるかは怪しいものだが。
草浪中佐は内心、嘆息する。
龍口湾の攻防戦は戦略的に観るのであれば辛うじて完敗を免れたとはいえ、異論をはさむ余地もない<皇国>の大敗である。強いて言うのならば戦術的にみれば五分ではあるが軍組織の規模からいえば長期的な視点から見ればほぼ無意味である。
とはいえ、当座の被害を防ぐと言う点からいえば龍口湾における戦闘の奮戦も無意味ではない。防衛線の主力であった二個師団は大半が混乱に陥り、龍州軍・近衛総軍が早期に、秩序だった撤退に成功した事で一時的に敵軍の追撃を防ぐことに成功した。
しかしながらそれももはや意味がない。ブラットレー少将の統率宜しきを受けた第15重猟兵師団を主力とした部隊は既に自分たちを包囲し、攻城戦めいた塹壕掘りを行っている。
「そうか。 第二軍はどれほど持たせろといっておるか?」

「最低でも今日を入れて四日――二十六日までは持たせろと、これでもまだ手際が良いというべきでしょう」
さて、二度の敗戦を経て、国土の東半分を<帝国>に譲る事をほぼ完全に決定づけられた<皇国>軍であるが、結果としての評価はどうであれ、彼ら自身はけして無能ではない。
もちろん組織としては様々な構造的な欠点を抱えており、統一的な意思を決定するまでの過程などは特に顕著であるが――兵站組織の発達はこの<大協約>世界でも随一であったし、その兵站組織の一要素として運輸能力もその正面戦力からはとても見合わぬものであった。
「・・・・・・」
とはいえその運輸能力を発揮させる時間を稼ぐ為には時間が必要であるのは当然であり、そしてその時間の代価に彼らは<大協約>世界最強の陸軍と相対しなければならないのであった。



 市のはずれからかつての州都をとりかこむそれを眺め、草浪は素直に感嘆した。
「よくもまぁここまで、といったところだな」
都市を囲むように張り巡らされた銃兵が身を隠す塹壕、砲兵陣地、そして集積所を結ぶようにして作られた移動用の壕、動員を進めていた後備部隊と兵站部の要員、そして軍に“志願”する形で相応の報酬を受けた土建屋達の突貫工事によって作られたものであった。

「時間の割には中々のものです。とはいえこれで十分といえるかどうかは怪しげな物ですが、なにしろ〈帝国〉軍で相手にあの竜までもいますからな」
 軍兵站次席参謀の有坂大尉はむっつりとした顔で言った。

「ここでどこまでしのげるか。さすがに二万超の軍が交通の要衝に籠っているのだ、無視はできないだろうが」

「四日も稼げれば万々歳ですな。龍州軍が州都を使い潰してどうにか四日、それも龍兵が投入されたら怪しいものだときたものです。いやはや戦乱の世というものはなんとも」
 あっさりとした口調で有坂が言った。この手の率直かつ実直さには事欠かぬ男であったが、諧謔という物を理解できず、そのため指揮官としては適正に掛けると周囲から評価されていた。

「幸い、重装備を逃がす目途もある、どうにかなればよいが」
 泉川が州都として発展してきた要因として皇龍道と内王道が合流する汎原、東州との航路を結ぶ貿易港・伏津と伏龍川で北領との貿易港である龍口湾と伏龍川支流で結ばれている事がある。
 龍州の河川は細かな支流・分流を除けば二つしかない、一つは伏龍川である。これは龍州最大の河であり、天龍が住まう龍塞山脈東部を水源として龍州を北西から南東にかけて横断し東州灘へと流れる。そしてもう一つは亢龍川だ。この河は龍塞山脈西端を水源とし、伏龍川支流と合流し龍口湾へと流れる。
 この伏龍川の本流と支流の分岐点にあった泉川は材木加工と並び、龍賽沿いの都市から材木を運び込む河川を利用した運輸が発達している――北領開発に注力するようになってからは龍口湾と主要街道を結ぶ為に万単位の軍が利用できるほどの街道整備が行われているが――最悪でも河川を利用する事で迅速な集成第二軍との合流を行えるという点もあってこそ籠城戦を挑むことを草浪は決断したのであった。内陸部における迅速な撤退手段として水運が使えることは大きい、昼間は危険であるが夜陰に乗じて逃げ出す手段としては最適である。

「まぁそうした船団を収容可能な設備を持つ都市は〈大協約〉保護下の上に避難民受け入れているから軍は受け入れません、小規模な船着き場に分散するしかないのが痛いです」
 
「兵站に負荷を与え、追撃の勢いを殺すためだ、致し方あるまいよ」

「疎開といっても持ち出せない糧食は我々が買い上げか破棄ですからね。
慌てて六芒郭にまで運び込ませましたよ」
「〈帝国〉軍やら東州やら売りつけ先は幾らでもいるから穀物商連中が買占めているという話も聞いた」
 東州は穀物の自給率が低いため、軍だけでなく民間の穀物商も儲けと『御国と民草の為に御蔵を開く』名声の為に競い合って買い付けを行っている。
「これも御国という事ですかね、占領下でも儲けられるものなのでしょうか」

「それこそ商家の戦というものなのだろう――来たな」
 兵たちの動きが変わる、導術兵たちがあちこちに早足で向かう、すべてが望まぬ未来へと動き始めたことが分かった。

「――戦務殿」
 有坂が珍しく緊張した様子で望遠鏡を差し出した。

「白い軍装――〈帝国〉本領軍か、皇都が見えてくるとなるとやはり出てきたな」
 ――〈帝国〉は既にどう勝つかを考える段階に入っている。
草浪はその考えを当然のこととして想起し、検討し、受け入れた。だがまた同時にこの戦いを生き延び、祖国を延命させる術を思索し続けている、だからこそ護州随一の切れ者と呼ばれるようになったのだ。
「どこまで北領の真似事ができるか試してみようではないか」



同日 午前第七刻 東方鎮定軍第2軍団司令部
東方鎮定軍第2軍団 司令官 アイヴァン・ルドガー・ド・アラノック中将


「増援に感謝いたします、アラノック閣下」
 フリッツラー第15重猟兵師団長は派兵された本領軍の総司令官と相対していた。

「なんの、友軍の危難を救うためとあらば、何処に属するかなぞ大した問題ではあるまい、ただ陛下の敵を打ち倒し、同胞と公平に武勲を分け合うのみよ」
 相手はアラノック中将、人としての評判は決して悪くない、そして無能でもない。
確固たる派閥の後ろ盾を持たずともけして大崩れしない常道の戦術を巧みに組み立て、兵を統率し、勝利を積み立て、中将の位を勝ち取った円熟の将軍である。誰からも恨まれず、権力闘争から巧みに距離をとってきた手腕も政治的無能から程遠い事がわかる。帝都で政略を練る将軍らに近しい者達と並べても早くもないが遅くもない昇進だ。
ただ武勲を分かち合うのが目的でありユーリアとの軋轢を避けたい〈帝国〉本領軍と軍事総監部の思惑に合致したからこその人選だろう。
ありがたいものだ、とフリッツラーをはじめとする第15師団司令部も歓迎の空気を示していた。

「蛮軍の主力はこの先の都市周辺に陣地を築城しております。我が軍のみでは率直に申しまして砲兵戦力が不足しており、迅速な突破は困難です」

「貴官の師団に騎兵が見当たらないようだが」

「はい、閣下。龍口湾にて北方に展開していた軍が東沿道の港湾に集結しています。こちらに兵力を向けて追撃にあてており、我々は包囲にとどめておりました」

「成程。ユーリア殿下から貴官の第15師団は後退し、補充と再編成に移るように命令が出ている」
 アラノックの傍に控えていた痩せぎすの男が丁重な手つきで帝室の紋章付命令書を手渡した。
「北方の皇龍道を第五東方辺境領騎兵師団が担当する、史沢以西――龍前と龍後というのだったな――その二地域以西全域の追撃は我々が引き継ぐ。貴官の兵もしばし休ませてやるがよい」



 第15師団との折衝はまずまず上手くいったといえる。本領軍といえども帝族率いる部隊の将官と無用に揉める真似は当然慎む必要がある、そもそもアラノックからしてそうした主導権争いを好む性質ではない。軍の指揮系統に従えばよいと思っていた。

「どう見る、ラスティニアン」
 そうした調整に関してはラスティニアンに任せている。
ラスティニアン自身はアラノックと異なり、爵位も血筋も怪しい貴族と呼ぶことが辛うじて許されるような家に生まれ――つまりそこらの商店主の方が楽に暮らしていけるような懐事情の家だ――軍歴に苦労を重ねながら弟妹をどうにか相応以上の生活ができるように育て上げた男である。
 人としての評判は悪く、後ろ暗いこともこなしてきた男であるが、参謀としても軍官僚としても優秀であった。

「蛮軍の消耗戦に付き合う必要はありません、迅速な追撃戦こそが我らの使命、ここで敵の構想に乗らないことが上策です。独立騎兵旅団と健脚の第24師団はこのまま東沿道と龍岡方面の追撃に回しましょう」

「うむ、だが捨て置くわけにもいくまい、数は二万超、龍口湾でも東方辺境領軍とシュヴェーリン相手に互角に競り合っていたのだ、このままフリッツラーに任せて我らは逃走中の敵を狩るというわけにもいかん、殿下の不興を買うであろうし、本領軍としての立場もある」
 厄介な後衛軍を辺境領軍におしつけたといわれると後々面倒なことになる、そうしたことを好まないから上層部は己を選んだのだろうとアラノックも自覚していた。
「はい、閣下。それについては御説の通りです。ですが戦はまだ始まったばかりです。
それにまだユーリア殿下の御膝元でもあります」

「ほう」
 アラノックは鷹揚に続きを促した。
「殿下が御手ずから導入なさった龍兵をお借りしましょう。龍口湾の戦いでも騎兵師団の突破支援に大きく貢献したと聞いております。功を分かつという点でも悪い取引ではありませぬ」

「使えるようなら今後も使うことも検討できるな」
アラノックにとってこの追撃戦は得意とするものではない、彼の本領は大規模な軍同士の決戦――会戦である、あれこれを部隊を散らす追撃戦は好みではない。
 ゆえに足の速い龍兵を用いて師団の拘束を解き、龍州軍の壊滅をもってより多くの戦力を龍州西部に展開することを望んでいた。
「はい、閣下。龍爆の効果が期待できずとも偵察に使えるだけでこの追撃戦では大いに貢献が期待できます」

「殿下に将校伝令を出すか――ラスティニアン」

「はい、閣下」

「本領軍の意地を見せるぞ、2日で陥とす。これは攻城戦だ殿下と蛮族どもに本領軍ここにありと見せつけるのだ」
 アラノックは自身もよく知る戦に身を投じることを自覚し、重厚さの下に活力をみなぎらせていた。
「はい閣下。ユーリア殿下に本領軍が精華を御照覧いただきましょう」



七月二十五日 午前第六刻 龍州軍 砲兵陣地
龍州軍司令部 戦務主任参謀 草浪道鉦中佐


参謀という職務は知能だけで成り立つものではない、常に状況を把握し続ける為には動き回り、前線を直接見なければならない、将校に騎馬が許されている理由の一つだ、少なくとも草浪はそう信じている。

「壕の準備に二日、敵は一個師団に砲兵一個旅団に工兵一個旅団、
これはいよいよと言ったところでしょうかな、完全に〈帝国〉軍の連中、要塞戦をする気ですよ」
 軍次席参謀の熱田が言った。彼と共に視察に出るのはもっぱら衆民出身の幕僚が多い、ほかの将家出身の参謀たちは司令部にこもることが多い。
 ――まぁ司令官があそこまで怯えて見せては誰かしらが尤もらしくそばに控えていないとならんのだろうが。
 須ヶ川大将は五将家のいずれにも与さなず、政治的野心も持たない高位の貴族である、であるが故に都合の良い妥協点として五将家体制の下で有能な五将家出身の陪臣格や分家が権限を分かち合う中で軍歴を歩み続けてきたのである。

「だろうな、連中、一撃でケリをつけるつもりだ。龍兵の拠点――龍巣というのだったか、あれも龍口湾に移したようだ。こちらに来るだろう」

「第二軍の尻を叩いておりますが、まだどうにも。幸い天候が落ち着いていますから兵員の輸送を優先しておるようです」

 ――間に合わない場合は重装備を放棄するという事か
 東州の工業力は低くはないが、それでも補充に時間がかかるのは目に見えている。

「第三軍は現在龍岡付近に再集結を行っております、主力は弓野経由で内王道を利用するつもりですね、数日間、汎原近く、伏瀧川渡河点に後衛戦闘隊を展開して時間を稼ぐようです、転進終了後は蔵原にて集結し、虎城防衛線に合流する予定です」

「近衛総軍は?」

「新城少佐を指揮官とした後衛戦闘隊が史沢付近にて後衛戦を行っております、各軍からの遊兵――逃げ遅れた連中を指揮下に組み込みながら司令部と禁士隊が汎原へと向かっております、連中も東沿道に合流する大街道ですのでしばらくはこちらの支援を兼ねて残るでしょう」
つまりはどちらも伏瀧川で逃げる時間を稼ぐつもりなのだ、第三軍は虎城防衛線に参加している陸軍部隊の為に合流を優先し、近衛総軍はその主力となる近衛衆兵隊のほぼ全軍を新城直衛に預け、遅滞戦闘に投入している。
 要するに優先順位の問題であるのだ。近衛は禁士隊さえ無事ならば政治的な問題はない。
極論すれば衆兵隊が全滅しても五将家のだれもが心の底から献身を讃える事すらできる、少なくとも恨みを買った事に怯えることはないのだから。
 
「であるならば、敵の追撃はまだ凌げているという事か。二日間、五万もの兵を足止めできているからだな、悪くない取引だな」
 とはいえ残りの五万を相手にせざるを得ないのだが、それだけでも大打撃をこうむるだろう。
「あとは青旗でもあげますか?」
 有坂が投げやりな口調で尋ねる。
「まだもう少し粘ってみる価値はある、この場の兵共まで動かれたら虎城防衛線が崩壊するぞ」
 事実である、この場にいる砲兵はまだいい。追撃戦では軽砲以外はさして重要ではないのだから、だが工兵やら師団やらは追撃には欠かせない、師団は言うまでもなく、工兵とて橋梁やら街道の修復に従事する技術者集団である。
 いかに犠牲を減らし、虎城に逃げ込むかが肝要であるのだからまだ降伏などという選択肢はない、二万の兵でもって五万の兵を足止めし続けるしかないのだ、自身の生まれ育った街に、村に、国に、愛情を持ち、そして死を覚悟し、それでも何かを残したいと思う者ならば尚更に。

「……来たな」
 擲射砲の砲声が次々と払暁を迎えた朱色の大地に響く。そしてそれに倍する砲声が撃ち返し、着弾した――



同日 午前第七刻 東方鎮定軍第2軍団司令部
東方鎮定軍第2軍団 軍団長 アイヴァン・ルドガー・ド・アラノック中将


いまだ準備砲撃が行われている前線を眺め、アラノック中将は素直に感嘆した。一向に応射の精度が落ちる様子はない。
「成程、ラスティニアン。メレンティンと殿下が苦戦するだけはあると思わんか?
舐めてかかれる相手ではない」

「ですが常道の戦であれば敗ける事もない、その程度ですな」
 ラスティニアンも前線の様子を眺めながら言った。
 銃兵壕と雷壕の組み合わせはけして万全とは言えない、兵站拠点から近いこともあり十全な速度で進捗しているが、まともな攻城戦教官なら激怒するような雷壕の長さだ、銃兵壕から銃兵壕へと移動する為の物なのだが、銃兵壕に辿り着けず掩体もない雷壕に身を潜めているものもいる。
「急かねばならぬが――あれでは腰を据える必要があるだろうな。師団長に任せて我々は西進するべきかもしれん」
 現在の有様では一度に突撃に用いることができる兵力は一個連隊程度だ。まともな甲状腺であれば一万程度―― 一個旅団以上が当然である。
「――龍兵もそろそろこちらに来るはずです、陽が昇ってきましたので龍爆の精度も期待できます」

「成程そのようだな」
 アラノックの目に東方から飛来する点のような影が映った。それは徐々に大きくなってゆく。
「ならば、彼らに期待してみるとしようか、龍口湾のようにな」
 空を駆ける龍兵たちにアラノックは重たげな眼を向けた。



同日 午前第七刻 泉川上空
第1教導戦闘竜兵団司令 ヘルマン・レイター・ファルケ大佐



 苛烈な砲兵戦を真下に見下ろす。あの中には見知った者もいるのだろうがそれを想像することはない、彼らの役目は状況に対処することであり状況に感化されることではないからだ。

「成程、御大層に出迎えの準備をしていたわけだ――が、あまりこちらにかまけているわけにもいかんのでな」

 彼が引き連れる龍兵は約1,000騎、配下にある第一教導戦闘龍兵団総力をもってこの陣地を粉砕する、実に単純明快な作戦である。野戦龍巣場の設置を待たねばならなかったが、ここで追撃戦に参戦する事で〈帝国〉軍中枢ともつながりの深い本領軍に売り込みをかけることで自身と龍兵の栄達に足をかけることだって可能だ。帝族にして陸軍元帥であるユーリアは、けして自身の命を救い、龍口湾の戦略的大勝を齎した新参者をむげにあつかうような人物ではなかった。
彼女は傑物であり、歴史に名を残すことをごく自然に意識する産まれついての支配者である。そして、彼女が残す功績に龍兵の登用者という一文を付け加えることにけして悪い考えを持っていなかったのである。
そしてアラノック中将も人として良い評判を保っており、保守的な常道の将である――新規兵科である龍兵に懐疑的であるだろうが――それでも武勲を独占するような男ではない。
――むしろ眼前で赫奕たる戦果を挙げればそれなりの後押しを受けられるかもしれない。ファルケは笑みを浮かべた。彼にとって龍兵という概念は子供のようなものだ、〈帝国〉将校としての人生の半分以上をこの思いつきにつぎ込んできた。今、このひなびた島国でそれが実を結ぼうとしていることを、新たな戦争の幕を自身が開いている事を実感したからこその笑みであった。

 眼下の陣地線を見る。成程、多少は学習したのだろう砲兵陣地の一部は簡易な特火点のようになっており、龍爆でも叩き潰すのは手間であろうことは容易に見て取れた。だがすべてがそうなっているわけではない、多くはよくある砲兵陣地でしかない。つまりは龍兵であれば容易に観測でき、炸裂筒をなげこむことができる、これを優先して叩く。いつもの通りの仕事だ――



同日 午前第七刻半 東方鎮定軍第2軍団司令部
東方鎮定軍第2軍団 軍団長 アイヴァン・ルドガー・ド・アラノック中将


「成程――大したものだな、これは」
 アラノックは唸り声をあげた。それほどに龍兵の齎したものは圧巻であった。
先ほどまでの応射が目に見えて弱まっている。
「閣下、本格的攻勢にでる御許可を」
 参謀長たるラスティニアンは常の緊張した顔つきを崩さずに手筈を進めることを進言した。
「うむ、突撃開始、および第二陣の突撃用意。砲兵隊は主攻正面を除き砲撃を継続、一点突破を図る」
 ラスティニアンが将校伝令を呼びつけ第二軍団は本格的な攻城戦へと動き出す。
「伝令!」




 聯隊長が掩体壕からよろめきながらもしかと己の足で立ち上がり、鋭剣をふりあげる。
「突撃開始!目標敵防衛陣地、躍進距離2リーグ!皇帝陛下万歳!」

『皇帝陛下万歳!皇帝陛下万歳!』

 薄汚れた白の奔流が泉川へと迫り、彼らを覆い隠すように〈帝国〉砲兵の砲撃が続く。〈皇国〉軍陣地の反撃は弱弱しく、砲撃はさらに勢いを増す。銃兵達は顔をだすことすらできない。明らかに防衛陣地の稼働率は低下している。機能しているのはそれこそ友軍が砲弾を浴びることを恐れて砲撃を中止している突撃する聯隊の正面だけだ。
 だが擲射砲の砲撃はまばらであり、隊列を無視して駆ける猟兵たちを捉えるのはほんのわずかなものであった。
 
「ええか!あと1リーグだ!走れ!蛮族共の砲弾は走っとりゃあたらん!」
 中隊曹長が息をきらさずに激を飛ばす。
「走れ!はし――」
 曹長の言葉は突然途切れた――いや、引き千切られた。そして後方の兵共と共に体が無数の散弾で粉砕された。銃兵壕の後方に設置された平射砲を中心とする軽砲だ。
 最前衛の中隊が壊滅されても一個聯隊の奔流は止まらない。
二度、三度の斉射により聯隊は血を流すが、かれらは止まらない、後方では旅団長直卒の第二聯隊が吶喊を開始している。
 狂奔した男達はついに仲間の屍を踏み越えて100間へとせまる。
祭りの爆竹を思わせる音が響き、先頭を走っていた幾人かが倒れ伏す。後続の者たちが身に刻まれたかのように先陣へと駆け出る
 50間へと迫る! 一斉に銃声が轟き先頭を走っていた者たちの半数が倒れ伏す!
先陣を産めるかのように後続の者たちが走り出る!

「……ッ!散弾急げ!前面だ!」
 さりとて龍州軍も必死であった。兵共はほぼ全員がこの泉川を知っているし、彼らの背後に愛すべきものを抱える者共も多い。兵の士気はいまだ折れずにいた。

「全門発射用意完了!」

「撃て!」

 砲声が轟き先陣が丸ごと消し飛ぶ。
だがそれでもなお後続部隊は足取りを緩めずに皇帝万歳を叫び突進をつづけ――さらに幾百もの男共の血を流しながらついに銃兵達の潜む壕に肉薄し――
「撃て!」
 再び塹壕からの銃撃に次々と崩れ落ち、その抵抗を最後に〈皇国〉の銃兵壕はついに白衣の奔流に飲まれる――

「銃剣構え!」
「ええか!壕からでるなよ!奴らが上に来たら突き上げろ!」
 下士官どもの言に従い兵共が銃剣を異邦者達へと突き出し、切り裂いていゆく。
だが彼らの内の一人が槍衾の先に騎兵銃を届かせ後続の兵は道を切り開いた男をその身を貫く銃剣ごと踏み越えた。

「蛮族どもめ!」
 銃剣を突き出そうとするが瞬く間に隣の〈皇国〉兵の振り上げた銃床に首を叩き折られた。

「畜生!何人いるんだ!」
 少尉がわめきながらも鋭剣で部下に銃剣を振るおうとした白衣の男の腹を切り裂く。
 壕の中に足を着け、銃剣を振るおうとする〈帝国〉兵が次第に増えてゆく、

「予備隊駆け足!急げ!」
 下士官の号令が飛び交い――
「斉射後着剣!総員白兵戦用意!〈皇国〉万歳!」
 銃剣を構えた銃兵達が後続の白衣の軍勢に向けて引き金を引き――そして、かれらも突撃を開始した。



同日 午後第四刻 龍州軍司令部
草浪道鉦中佐


 司令部は早朝よりもさらに深く、重苦しい空気に満ちている。
「辛うじて――陣地線の死守には成功している。だが現状では明日の攻勢には耐えられん」
 宮野木家陪臣出身の龍州軍参謀長が細巻を押しつぶしながら言った。
「陣地の生命線たる擲射砲はまたもや壊滅状態だ。かといって夜戦を挑めるような戦力はない、それどころか白兵戦で銃兵の消耗を強いられてしまった事で防衛線の維持もままならん。あのままあそこを固守しても明日一日保持できるかどうか、予備壕に集結して悪戦するくらいしかないだろう――戦務、意見はあるか?」

「敵の予測行動についてですが、火力優越に任せて突撃を行います、火力をつぶせば防御陣地など恐れるにあたりません。
そもそも龍州軍は第三軍とともに龍口湾の戦いで重砲を損失しています、集積地の物を持ち出して穴を埋めておりますが、配備されている門数は定数以下ですからな。
〈帝国〉の師団砲兵に加えて砲兵旅団が展開しているのですからここで陣地を突破し、司令部を制圧。あとは後続部隊と主に制圧に移ればよい、我々に打つ手はありません。
ここは要塞ではないのだから、壕にこもり、白兵戦をつづけるしかなくなってしまいます、士気が続く限り、砲弾の雨に晒されながら何もかもをすり潰すのです」

「だが、そうなったら連中は追撃に兵力を回し、こちらを相手にすることはなくなる。
包囲に留めて龍口湾の軍団の拡充まで放置する」

「はい、参謀長閣下。ここで軍が壊滅するまで戦い続ける意義が薄い以上、泉川を放棄し虎城へ転進する方針に切り替えるべきです。近場の部隊に突破支援を命じるべきです、近衛の遅滞戦闘隊に支援を求め、突破の支援を求めます」

「――剣虎兵か、ならば夜間に乗じてといったところか?」

「はい、我々は重砲を破棄し西部へ突破します、河川を利用し負傷者と一部部隊を第二軍と合流させ、東州へと脱出させます。残りは大街道を利用せず、大隊規模で分散し、蔵原を目指します」

「危険ではないか?第三軍と合流する方が――」

「兵力の集中はかえって危険です。決戦の場を与えては重装備を喪失した分、我らが不利となってしまいます」
 草浪は並行して予てから考えていた方策を形としていく、出発点では関わりのないものを混ぜて一つの計画としていくことは彼の得意とするところだった

「より迅速に動けるよう分散し、小街道を利用して転進します。一時的な集合場所として集積地に――」
 そして彼は騙る、一国を救い、主君の欲望を叶える策を





同日 午後第五刻 泉川より西方十里 近衛衆兵混成団本部 
 新城直衛少佐


 休養を済ませた龍兵隊の大規模龍爆と二十二日に揚陸し、編成を終えた鎮定軍第二軍団の集中砲火による火力戦に持ち込まれた事でよって文字通り粉砕され、一日持たず龍州軍は二十五日には泉川の開囲支援を要請することとなった。
 ――もっとも、これは龍口湾で受けた龍爆の被害が砲兵隊に集中していた事を考えれば致し方なかったのかもしれない。
 後世の歴史家たちによる能力評価とは全く無関係に今を生きる者達は彼らの大量殺人の応酬の結果がもたらしたものに立ち向かわなければならなかった。とりわけ最も手近な場所――伏瀧川を渡らずに近衛総軍の残存部隊やら第二軍やらが逃げ出す時間を稼いでいた新城直衛率いる近衛総軍後衛戦闘隊は
「面倒極まりない、だが命令は下っている」
大隊長であり、(名ばかりだが)旅団長代理でもある新城直衛は幕僚達を前にしても常の口調を崩さずに面倒事を告げた。
「完全包囲された龍州軍を救うべくそこに駆けつける近衛。言葉だけならば麗しいものですな」
藤森が罵るように言った。

「どのみち、彼らを助けないことには虎城で死ぬことになるだろう。現在でもはぐれた部隊が敵の軍団と散発的な戦闘で壊乱している。ここで龍州軍が壊滅したら最後の頼みである虎城も守りきれなくなる。そうした意味ではこの命令も妥当性はある」
 算術の式を読み上げるような口調で新城が云った。
「それに芽がないわけではない。<帝国>は導術通信を封鎖する事も傍受する事もできないからな情報面に関しては我々の方が上だ。それに馬鹿正直に包囲部隊全軍と戦う必要もない」

 
「剣虎兵にまた苦労させることになりますな」

「その為の剣虎兵だ、働いてもらわないと困る」

「――第三軍が近くに居れば良かったのですが」と藤森が言うが、
第三軍は虎城防衛線構築の為に最優先で虎城山地へと撤退を行っている――が、既に敵の独立第2騎兵旅団と健脚をもって鳴る<帝国>第24強襲銃兵師団が彼らを補足しており、今日か明日にでも伏瀧川で大規模な戦闘が起きる事が予想されている。当然ながらかつての先遣支隊は独立戦闘能力を買われ、後衛戦闘隊の一員として火消しにあたっている最中であった。

「近くに居たら居たらで面倒に過ぎる、あちらが戦力の半分を引きつけているだけまだマシだろう」

「十万相手にするよりは五万を相手にする方がまだマシではありますな」

 今にも掴み合いを始めそうな二人のやり取りを尻目に益山情報幕僚は導術兵を呼びつけた。
「取り敢えず、龍州軍司令部と連絡を取る必要があるな。あちらがどれほど戦力を維持しているかだな」


「銃兵三個旅団弱、砲兵一個旅団弱、騎兵一個聯隊弱・・・・弱の部分が意味深ですな
今晩どうにか動けるようにはするそうですが、ここからどれだけ減ってしまうのやら」
 情報幕僚である益山が乾いた笑いを浮かべながら云った。
「総計で1万半ば弱程度か?良く持ち堪えている方だろうな」

「物資の集積拠点だったこともあり、簡易なものですが要塞化を行っていたようです。それと訓練途中だった後備兵も集結させていた事もあります、少なくとも備えはしてあったという事でしょう」

 ――つまり相応の装備を整えた最中に突っ込むという事か。
新城は不快な臓腑の疼きを自覚し、押し殺す。
「――ここで龍州軍が丸ごと失われるのは危険に過ぎる。ここで上手く機会を見計らって龍州軍と連携して<帝国>軍を開囲させる」

「とはいっても我々が先に仕掛けることになるでしょうな。龍州軍にまともな夜戦能力があるとは思えません、結局は我々が道を開く羽目になる」
 藤森が不機嫌そうに唸る。
「剣虎兵だからな。それは当然だ――引き際を見極める必要があるな。その辺りは龍州軍司令部の手腕に期待するしかない」
 北領で行った夜戦を思い出し、新城は僅かに頬を歪めた。

 ――あぁ畜生、俺たちが学んでもどうしようもない。何もかもを殺して殺される算段を

「――まったくもって碌でもなく馬鹿らしい、あぁこれぞまさしく戦争じゃないか、俺達にとっては懐かしいくらいに」
 この場に居ない旧友へ投げつけるように独白し、新城直衛は笑みを浮かべた。







 
 

 
後書き
下は今年中になんとか(震え声)
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